3990話
「うわ、ちょっとこれ硬いな。……まぁ、それでも美味いけど」
ハルエスが自分で切った鹿肉のステーキを食べながら、そう告げる。
鹿のもも肉のステーキだけに、下処理をきちんとすれば柔らかく食べることも出来るのだが、ただ食べたい分だけを切っただけなので、硬かったのだろう。
筋を切ったり、あるいは叩いて伸ばすといったことをしてれば、また話は違ったのだろうが。
「あら、ハルエスのお肉は硬そうね。私のは柔らかくて美味しいわよ?」
そう言うイステルが食べているのは、腰の下の部分。……いわゆる、ヒレと呼ばれる部位だ。
肉の中でも柔らかい部位で、イステルが真っ先に確保したのは鹿の肉でも美味い部位であると知っていたからだろう。
もっとも、ハルエスの食べているもも肉も、きちんと下処理をして上手く調理をすれば、十分に美味く食べられるのだが。
この辺については、自分達で解体した肉だからということで、少しでも大きな肉を食べたいと欲張ったハルエスのミスだろう。
「なぁ、レイ。……それ、本当に食べるのか?」
そんな中、ニラシスが複雑な表情を浮かべてレイに尋ねる。
心配と好奇心、それに少しだけ自分も食べてみたいといったような、そんな表情を浮かべて。
「ああ。……この部位はあまり知られてないけど美味いんだぞ。いやまぁ、鹿の奴は初めて食べるから、分からないけど」
そう言うレイに、ニラシスは……そして二人の会話を聞いた生徒達も、本気か? といった視線を向ける。
「だってそれ……舌だぞ?」
ニラシスが言うように、レイが鉄板で焼いているのは、鹿の舌。
いわゆるタンと呼ばれる部位だ。
解体が終わったあとで、残った部位……毛皮や骨、食べられない内臓といった諸々と一緒にレイが地形操作で作った穴の中に捨てられそうだったのに待ったを掛けたのだ。
「舌だな。動物にもよるけど、舌というのはかなり美味い部位だ。勿論、しっかりと下処理をする必要があるが」
そう言うレイだったが、牛タンは好きだがそれをどう処理すればいいのかというのは分からなかった。
ただ、何かで舌の皮を剥くというのは知っていたので、お湯で表面を軽く茹でて、それからミスリルナイフを使って何とか皮を剥いた形だ。
もっとも、それが本当に正しいのかどうかは、実際に食べてみないと分からないのだが。
じゅわぁっと食欲を刺激する音が鳴り、塩胡椒というシンプルな味付けの鹿のタン。
出来ればネギ塩で食べたいところだったが、準備をしていない以上は仕方がない。
そう思いつつ、レイは薄く切った鹿のタンが十分に焼けたと思ったところで、それを口に運ぶ。
「……美味い」
しみじみと呟くレイ。
淡泊ながらも、しっかりと肉の味を楽しめる。
塩と胡椒によって、肉の味がより高められていた。
根元……いわゆるタン元と呼ばれる部分だけに、柔かで、それでいながらタン独特の歯ごたえもそこにはあった。
「……なぁ、レイ。その……俺にもちょっと食べさせてくれないか?」
あまりにレイが美味そうに食べたからだろう。
元々多少なりとも興味があったニラシスは、そうレイに言う。
すると生徒達もニラシスに続いて自分達も鹿のタンを食べたいと言ってくる。
「別に構わないぞ。ほら」
レイにしてみれば、自分だけで鹿のタンを独り占めしたいという思いがある訳でもない。
これを機にタンの美味さを知って貰えるのならと、他の面々に対しても焼いたタンを食べさせる。
セトが仕留めてきた鹿は、夏ということもあって餌に困ることはないらしく、かなりの大きさだ。
まだ食べる部位は幾らでもあるので、レイは次にどの部位を食べるかと迷い……
「うわっ、本当だ。これは凄い」
「食感が独特よね」
「美味い」
アーヴァイン、イステル、ザイードがそれぞれ鹿のタンを食べた感想を口にする。
他の者達も、そんな三人に負けず劣らず、鹿のタンを絶賛する。
「くぅ……まさか、舌がこんなに美味いとは思わなかった。これを今まで知らなかったのは、悔しいな」
しみじみと呟くニラシス。
ニラシスは今まで何度も動物やモンスターを仕留め、それを肉として食べてきた。
だが、舌を食べるなどという気にはなれず、その部位は捨てていたのだ。
これだけ美味い部位を、だ。
それを心の底から悔しく思っても、おかしくはない。
「ちなみにだが、舌を食べるのは基本的に動物だけにしておいた方がいい。モンスターの場合は、思いも寄らない毒とか、そういうのがある可能性もあるからな」
レイの言葉に、話を聞いていた者達は微妙な表情を浮かべるのだった。
「さて、じゃあ食事も終わったし……後は寝るだけだな」
鹿の肉は、綺麗さっぱりなくなった。
これはレイ達だけで全部食べた……のではない。
残っていた肉はかなりあったのだが、それはセトが食べたのだ。
生肉で食べたり、半生で食べたり、しっかりと焼いて食べたり。
それ以外にも中華料理でも使われる食材である、鹿の腱も軽く焼いただけであっさりとセトの腹の中に収まった。
本来なら、水で五日間程度戻したり、煮こぼしたりと手間暇を掛けて料理するような食材なのだが、セトにしてみれば普通に食べられる食材でしかないらしい。
そんな訳で鹿肉は全て食べきることに成功し、後は寝るだけとなる。
「レイさん、また盗賊が来たら……どうします?」
焚き火を見ていたレイは、側に座ったイステルの言葉で我に返る。
「昨夜みたいにか?」
「はい。セトちゃんがいるから安心は出来ると思いますけど、それでも盗賊に襲われるというのには思うところがありますし」
「その辺については慣れろとしか言えないな。冒険者としてやっていく以上、護衛の依頼をすることもある筈だ。そういう時に盗賊に襲撃された時、対抗出来ないというのは最悪の結果をもたらすしな」
「あ、いえ。そういうことではなく。……盗賊を殺すという意味では……まだ慣れたという訳ではないですが、それでも出来ます。私が聞きたかったのは、今夜も盗賊の襲撃があった場合、また明日もここで野営をすることになるのでは? と思ったのです」
「ああ、そういう。……けど、そうだな。実際そういう風になる可能性がないとは断言出来ない。ただ、もう街の場所も分かっているし、今日のように色々とやるのに時間も掛からないだろうから、諸々が終わってもまだそれなりに早い時間だと思う。なら、移動するだろうな」
ガンダルシアに行く用事がなく、そしてレイが自分だけで動いているのなら、この辺りの盗賊が全滅するまで行動しても構わないとは思う。
だが……今は違う。
生徒達をガンダルシアまで連れていく必要がある以上、盗賊が全滅するまで盗賊狩りをするといった訳にはいかないのだ。
なので、もし今夜また盗賊に襲われたとしても、明日はここで再度野営をするということはなく、出発するつもりだった。
「そうですか。……なら、安心ですね」
そう言いながらも、イステルの表情には少しだけ残念そうな色がある。
イステルにしてみれば、今はこうしてレイと一緒に行動しているが、ガンダルシアに戻れば、また教官と大勢いる生徒の一人という関係になってしまうのだ。
ガンダルシアに帰るのは、親しい友人達のことを思えば決して悪いことではない。
だが、想い人との間に距離が出来てしまう――正確には元に戻るのだが――のは、イステルにとっては非常に残念なことだった。
もっとも、そんなイステルの様子にレイが気が付いてはいない。
久しぶり……という程に時間が経っている訳ではないが、ガンダルシアに戻れるのを嬉しく思っているのだろうと、そう考えていた。
そんな二人の様子を、カリフが離れた場所で見守っている。
今回の旅を通じて、女同士ということで仲良くなった二人。
だからこそ、カリフはイステルの恋を応援していた。
……何よりもカリフがイステルのことを凄いと思ったのは、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、それぞれ方向性は違うが絶世の美女と呼ぶに相応しい者達がレイの側にいると知っても、決して諦めるということをしなかったことだ。
正直なところ、カリフもレイに好意を持っていた。
ただ、それは恋というよりも憧れに近い。
勿論そこには当然ながらレイとそういう関係になれたらいいかもとは思っていたが、あくまでもそれだけだ。
ギルムに向かう途中でイステルがレイをどのように想っているのかを聞き、そして何よりエレーナ達を見た瞬間、その心は完全に折れてしまった。
今もまだレイに好意を持ってはいるが、それは完全に憧れだけのものとなっている。
だというのに、イステルはまだレイのことを本気で想っており、諦めていないのだ。
そんなイステルを尊敬し、応援するのはカリフとしては当然のことだった。
……そこに冒険者育成校に通う女の中では間違いなくトップであるイステルと、レイがどのような結末になるのかを楽しみに思っているのも、間違いはなかったが。
「それで、レイ教官。レイ教官はガンダルシアに戻ったら、またダンジョンに挑戦するのですよね?」
「ん? ああ、そのつもりだ。まだ十五階までしか到達してないしな」
「まだって……ガンダルシアで冒険者をやっている中でも、十五階まで到達出来ない人の方が圧倒的に多いのですが」
そんな中、レイはあっさりと……本当にあっさりと、春から夏までの間に十五階に到達している。
それもダンジョンの攻略に集中していた訳ではなく、冒険者育成校の教官をやりながらだ。
一時期は教官の仕事に集中しすぎて、ダンジョンに潜れないような時もあった。
だというのに、レイは既に十五階まで到達しているのだから、これがどれだけ常識外れのことなのか分からないのかと、イステルは思ってしまう。
もっとも、レイにしてみればそれはガンダルシアの冒険者の実力が低いからだろうということになるのだが。
実際、ギルムにいる冒険者……それも増築工事が行われるようになって増えた者達ではなく、それ以前からギルムで活動していた冒険者達なら、レイ程素早くとはいかないが、それでもガンダルシアにいる冒険者達よりも素早くダンジョンを進むことが可能だろう。
……だからこそ、ガンダルシアの冒険者の実力を底上げするべく、フランシスが冒険者育成校を作ったのだが。
今はまだそこまで大きな活躍はしていないが、将来的にはギルムに負けない……のは無理だとしても、他の迷宮都市にいる冒険者達と同じだけの実力を持つ冒険者を多数擁するようになるというのが、フランシスの目的だった。
「そう言っても、俺より先に進んでいる冒険者達もいるだろう? それこそ、久遠の牙とか」
「久遠の牙はガンダルシアでも最高のパーティなのですが」
「だろうな。けど、十五階でも他の冒険者に会ったことはあるし、十四階や十三階でも同じく冒険者達に会ったことがある。……そう考えれば、実は十五階くらいにはそれなりに多くの冒険者が到達してるんじゃないか?」
「それなりに到達しているというのは間違いではないでしょうが、それでもやはりガンダルシアにいる冒険者の中では一握りだけですよ」
「その一握りと俺は色々と会っていると。……とにかく、俺としてはダンジョンの攻略を目指しているし。だからといって、教官としての仕事を放り出すとか、そういうつもりはないけど」
元々、レイがガンダルシアに呼ばれたのは冒険者育成校の教官の仕事がメインだ。
ダンジョンに挑むのは、あくまでもついででしかない。
だからこそ、レイとしてはダンジョンの攻略以外に教官の仕事も適当にするつもりはなかった。
……幸い、ダンジョンを攻略する上で空を飛ぶセトがいるので、移動速度という点は他の冒険者達よりも圧倒的に有利なのだから。
これでもしセトがいなければ、他の者達と同じく歩いて移動する必要がある。
もっとも、本来ならそれこそが普通なのだが。
セトに乗って空を飛んで移動するというのが、そもそも他の冒険者にしてみれば卑怯だとしか言えないのだから。
「レイ教官なら、それこそ本当にダンジョンを攻略するかもしれませんね。……私も負けないようにしないと。出来ればレイ教官がダンジョンを攻略する前に、レイ教官に追いつきたいところです」
そう言うイステルのやる気に、レイは笑みを浮かべる。
レイにしてみれば、自分の生徒……それも優秀な生徒がやる気になっているのが嬉しいのだろう。
その生徒がどのような想いを抱いているのかには、全く気が付いた様子もない。
だからこそ、イステルの言葉に万全のやる気を見る。
「そうか。そうなったら、俺も嬉しいな。頑張れよ」
そう、イステルに言うのだった。




