3954話
マリーナの家でダスカーからの指名依頼についてニラシスに話した翌日……レイの姿は、ギルドの前にあった。
「うわ……マジか……」
分かってはいたし、予想もしてはいた。
だが、早朝のギルドにはまさに寿司詰め状態と表現するのが相応しい程、人が集まっていた。
それこそ迂闊にギルドの中に入ればろくに身動きが出来ないのではないかと、そう思ってしまうかのような人混みが。
(人混み……人がゴミのようだって何だったか。何かそんな言葉が頭に浮かんだけど)
大量の人がいるのを見て、そう思う。
基本的にレイがギルドに来る時は、ピークをすぎてからだ。
時間にすれば、午前八時から九時の間くらいか。
十時すぎにギルドに顔を出すことも珍しくはなかったが。
そのように、普段から人の少ない時間にギルドに来ているだけに、こうして大勢がいるのを見ると、ギルドの中に入るのを躊躇してしまう。
(ギルドの前に集合ってことにしておいてよかったな。……取りあえず、今はあのギルドの中に入らなくてもいいし)
昨日の自分、ナイスと自分で自分を褒めつつ、隣にいるセトを撫でる。
朝の忙しい時間であるにも関わらず、ギルドから出て来た者、あるいは中に入る者の何人かは、セトを見て笑みを浮かべていた。
これから仕事をするセト好きの者達にしてみれば、愛らしいセトの姿は今日これから仕事を頑張る活力源になるのだろう。
もっとも、中にはセトを見て驚いたり、欲望の視線を向けるような者達もいたが。
とはいえ、後者はセトの側にいるレイの存在に気が付くと、すぐにその視線を隠したが。
そんな風にして待っていると……
「グルゥ」
不意にセトがとある方向を見て喉を鳴らす。
セトの見ている方に視線を向けると、そこにはニラシス達の姿があった。
それも、昨日レイが見たような、気軽に出掛けるような姿ではない。
冒険者として、しっかりと装備を固めた姿でだ。
(とはいえ……目立つな)
そうレイが思ったのは、フルプレートメイルで全身を固め、大きな盾を手にしたザイードの姿だ。
周囲にいる他の者達から、一体何事だといったような視線を向けられている。
それも当然だろう。
現在ギルムに増えている多くの者達……増築工事に関係する仕事を求めて来た者達は、あくまでもその仕事をする為に冒険者登録をした者達が殆どだ。
その為、本格的に装備を固めた者というのはかなり珍しいのだろう。
そして増築工事関係ではなく、普通に冒険者として活動している者達にとっても同じだ。
例外はあれど、基本的に冒険者は身軽な装備を好む。
場合によっては丸一日歩き続けというのも珍しくない以上、それは当然だろう。
だからこそ、多くの者は革鎧……いわゆるレザーアーマーを身に付けているし、防御を重視する者であっても金属鎧は装備するものの、それでもザイードのようなフルプレートメイルは選ばない。
……特殊な例として、レイの装備しているドラゴンローブであったり、ヴィヘラの娼婦や踊り子が着るような薄衣というのもあるが……本当にこれは例外中の例外だろう。
そんな中で、フルプレートメイルを着ているザイードがいるのだから、目立つなという方が無理だった。
ましてや、セトを引き連れたレイがそんなザイードを含む一団に近付いて行くのだから、それで目立たないという方が無理なのは間違いないだろう。
「来たか」
「ああ。それで、話は……と言いたいところだけど、ギルドに入れるのか?」
ニラシスがそう聞いたのは、昨日ギルドで仕事の依頼を受ける時に、今よりも少し遅い時間だったにも関わらず、かなり混雑していたことを思い出したからだろう。
少し遅い時間であってもそうだったのに、忙しさのピークである今の時間、一体どのくらいの人がいるのかと、そう疑問に、そして不安に思ってもおかしくはない。
「入れるかどうかと言えば、入るしかないだろうな。ただ……依頼の説明を聞くとなると、少し難しいかもしれない」
勿論、レノラはレイの担当の受付嬢である以上、レイが依頼を受ける時に依頼の説明をするのは自然なことだ。
だが……自然なことではあるが、今のギルドの状況を思えば一人抜けるのはかなり厳しいのも事実。
レノラとしては仕事の為ということで当然のことであるのだが、他の受付嬢にしてみれば自分達の仕事が増えるということを意味している。
業務遂行上のことで問題がないとしても、だからといってそれが許容出来るかどうかというのは、また別の話だ。
(とはいえ、事情を聞かないことにはニラシス達は完全に納得出来ないだろうしな)
レイは今回の一件の事情を知っているので、それこそ事情を説明されずとも、問題はない。
だが、ニラシス達はギルムに来たばかりだ。
冒険者として活動する上でも、正規の手順を踏みたいと思うのはおかしなことではなかった。
……いや、冒険者としてはそれが普通だろう。
(さて、どうしたものか)
そんな風に思っていると、馬車が近付いてくるのに気が付く。
何だ? とその馬車に視線を向けていると、馬車は丁度レイ達の前で停まる。
そして扉が開くと……
「レノラ?」
「おはようございます、レイさん」
扉から出て来たレノラが、レイに向かってそう挨拶をしてくる。
レイはそれに挨拶を返しながらも、どういうことだ? と疑問を抱く。
本来ならギルドのカウンターにいる筈のレノラが何故、と。
そんなレイの疑問を感じたのか、レノラは少し困った様子でギルドを見ながら口を開く。
「ギルドがこの様子なので、レイさん達が中に入るのはちょっと難しいと思ったんですよ」
「まぁ……それは間違いないけど」
レノラの言葉は、間違いなく事実だ。
そしてレイにとっては、わざわざ人混みの中に入っていかなくてもいいのだから、ありがたいことでもある。
「じゃあ、この馬車で行くのか? その、仕事をする場所まで」
ニラシスが言葉を濁しながらそう尋ねる。
元々ザイードやセトの存在の為に目立っていたところに、こうして馬車が来たのだ。
その上で、馬車の中からはギルドの中でも人気の受付嬢であるレノラが出て来たのだから、これで目立つなという方が無理だった。
その為、ここで仕事場……ダンジョンについては、口にしない方がいいと判断してのことだろう。
「正確には仕事場の近くまで、ですね。実際に仕事をする場所まではそこから歩いて移動して貰います」
目隠しをして。
そう言葉にしなかったのは、会話を聞こうとしている者達の存在に気が付いたのと、ニラシスの配慮を考えてのことだろう。
「依頼の説明等については、馬車の中で行います。……少し、その、狭いかもしれませんが」
レノラが用意した馬車は、ギルドが所有する馬車の中でも比較的大型の箱馬車だ。
だが、レノラは困ったようにザイードに視線を向ける。
元々が筋骨隆々の大男が、フルプレートメイルを装備しているのだ。
どうしても一人で大きく場所を取ってしまう。
それでも乗れないことはないのだが、やはり馬車の中がかなり狭くなるのは仕方がなかった。
「俺は馬車に乗らずに、セトに乗って移動するよ。それなら少しは狭さも解消されるだろうし」
「……そうですね」
レノラが微妙な表情でレイの言葉に頷く。
だが、レイは元々が小柄な体格だ。
レイがいてもいなくても、馬車の中の狭さはそう変わらないのではないかと、そうレノラには思えたが故の反応だろう。
とはいえ、小柄であっても一人分の空間に余裕が出来るのは助かるので、レノラとしてはありがたかったが。
そんなレノラとは反対に、一瞬……本当に一瞬だけだが不満の表情を浮かべたのがイステルだ。
想い人と一緒の馬車に乗れて、道中にレイと色々と話が出来ると思っていた思惑が外れたのだから。
馬車を見たのはつい先程なのだが、それでも即座にそのような計画――という程に大袈裟ではないが――を練れるのは、イステルの優秀さ故だろう。
「じゃあ……出発するか。いつまでもここにいると、通行人の邪魔になるしな」
周囲の様子を見つつ、レイがそう言う。
現在はまだギルドにとっては忙しさのピークの時間で、次々にギルドに入っては出て来る者がいる。
混雑している中でそのようなことをしてギルドから出て来たところで、レイ達がいて、馬車がいて道が狭くなっているのだから、それを不満に思う者もいるだろう。
「そうですね。このままだと邪魔になりそうですし」
レノラがそう言い、レイ達は移動を開始する。
レイはレノラに言ったようにセトの背に乗り、それ以外の面々は馬車に乗り込む。
「グルゥ?」
セトがレイを背中に乗せて道を歩きながら、近くで朝食を食べる者達に屋台を出しているのを見ながら、喉を鳴らす。
セトにしてみれば、その屋台で売ってる料理が気になったのだろう。
だが、レイはそんなセトを撫でつつ、口を開く。
「今は仕事場に向かう途中だし、屋台については今度な。……もしかしたら、帰ってきた時に食べられるかもしれないけど」
「グルゥ……」
レイの言葉に、残念そうに喉を鳴らすセト。
だが、セトも別にどうしてもその屋台に寄りたいと思ってはいなかったらしく、すぐに気を取り直すのだった。
そうしてレイとセトが緊張感のないやり取りをしている時、馬車の中ではレノラによってニラシス達に今回の一件についての依頼を説明していた。
「なるほど、昨夜レイから聞いた話と変わらないな。……ダンジョンの中がどういう場所か分からないのは痛いが」
ニラシスにしてみれば、今まで自分が挑戦したダンジョンはガンダルシアのダンジョンだけだ。
そしてガンダルシアのダンジョンにおいては、ニラシスやそのパーティはそれなりに攻略を進めてはいたものの、それでも久遠の牙のようにトップ層という訳ではない。
つまり、それなりに手を尽くす必要があるが、自分達が攻略する階層の情報を入手することも出来るのだ。
だが、今回のダンジョンは発見されたばかりのダンジョンで、中の情報は何もない。
「ギルドの方で下調べとか出来なかったのか?」
「普通ならするのですが、今回は緊急の依頼ですから。それに、ダンジョンのある場所も特殊な場所ですし」
もしこれが、例えばもっと違う場所……トレントの森ではなく、レイが以前にも何度か行っていた林辺りに出来たダンジョンなら、ダスカーも、そしてギルドも調査要員を積極的に送り込んだりも出来ただろう。
だが、生憎とダンジョンが出来たのはトレントの森だ。
ダスカーがギルムの増築工事をすると決意した場所でもあり、それ以外にも様々な騒動の種が詰まっている場所。
そのような場所だけに、迂闊に人を派遣する訳にもいかない。
今回ダンジョンの場所についても、リザードマンの護衛としてトレントの森に滞在している冒険者達に動いて貰って、それで判明したのだ。
そもそも夜にギルムを出るというだけで、本来なら非常に難しいことだ。……もっとも、今は増築工事中なので、そこからなら見張りの目を盗んで出ることも出来るが。
ただ、今回指示を出したのはあくまでもダスカーだ。
その為、夜であっても例外として正門を開けるように警備兵に指示することが出来た。
そうして夜にトレントの森まで行き、ニールセンからダンジョンのある大体の場所を聞いた冒険者達がしっかりとその場所を伝令に伝え、それをダスカーがギルド経由でこうして話を持っていって、今のような状況になっていた。
時間的にかなり厳しい……それこそ、本来ならもう数日、あるいはもう少し時間を掛けて調べる必要のあることなのだが、今回はかなり急いでいるので、ここまでのことになってしまっていた。
その為、ギルドの方でも半ば無理矢理きちんと依頼を出来る形にしたといったような形になっている。
「特殊な場所か。レイもそんなことを言っていたな。……で、そこまで行くには目隠しって話だったからどうなるかと思ったが、馬車があるのなら何とかなるか」
「あー……いえ。その、特殊な場所は馬車でも入ることが出来なくなっていますので。目隠しをして、レイさんに連れて行って貰うことになるかと」
「……冗談だよな?」
思わずといった様子でニラシスが言う。
迷宮都市のような特殊な場所ではない限り、ダンジョンの周囲は普通にモンスターが棲息している。
そんな場所を、目隠しをしたまま進むというのは、自殺行為にしか思えない。
世の中には目を瞑っていても、気配で全てを察知することが出来るような者もいるというが、生憎にニラシスにはそんなことは出来ない。
せいぜいが気配を察知出来るくらいで……その能力も、そこまでは高くない。
だが……そんなニラシスに、レノラは申し訳なさそうにしながらも冗談という言葉を否定することはなかったのだった。




