3952話
ふわり、と。
殆ど音も立てず、セトは領主の館の中庭に着地する。
夏とはいえ、既に周囲は暗い。
そんな暗いなか、音もなく中庭に着地をする者。
(明らかに怪しいよな)
そう思いつつ、レイはセトの背から降りる。
これで本当に忍び込むのであれば、人目につかないように気配を消したりするのだろうが、今日はそのような目的で来た訳ではない。
ダスカーに緊急の要件で呼ばれたので、こうして来たのだ。
そうである以上、動きを隠す必要もなく……レイにダスカーが呼んでいると知らせに来た騎士からセトを使ってもいいと言われたことを考えれば……
「レイ!」
予想通り、すぐに騎士が出て来てレイに声を掛ける。
本来なら音もなく着地したセトや、その背に乗っていたレイは騎士にとって警戒すべき相手だろう。
だが、前もってレイがそのように来ると連絡が来ていれば、怪しむようなことはない。
「ダスカー様に呼ばれて来た。話は聞いてるか?」
それでも一応……本当に万が一にも連絡が来ていない場合を考え、尋ねるレイ。
しかし、騎士は当然といった様子でレイの言葉に頷く。
「勿論だ。すぐにダスカー様の執務室に向かってくれ。メイドが待っている」
騎士の言葉に頷き、レイは領主の館に入るのだった。
「よく来てくれた」
領主の館の執務室で、レイはダスカーと会っていた。
ニラシス達がダスカーと会った時は執務室ではなく応接室であったのだが、この違いはやはりダスカーの信頼度によるものだろう。
レイなら、重要書類のある執務室に入れても問題はないという、そんな信頼。
「この時間に呼び出すってことは、何か余程のことでもあったんですか? 冬の時のように、スタンピードとか」
「いや、スタンピードではない。……もう出ても構わん」
レイの言葉を否定したダスカーだったが、レイにとっては意味不明な言葉を口にする。
一体何だ?
そう思ったレイだったが……
「やっほー、レイ。久しぶり!」
執務机の陰から姿を現したのは、ニールセン。
嬉しそうにレイの周囲を飛び回る。
「ニールセン? ……久しぶりって、今日会ったばかりだろうに」
昨日は妖精郷に泊まり、今日もそれなりにニールセンと一緒に行動する機会があった。
なのに、何故久しぶりという言葉が出るのか。
それを疑問に思いつつも、レイはダスカーに視線を向ける。
「ニールセンが来てるってことは、妖精郷関連ですか」
それであれば、既に夜になっているのにレイが呼ばれた理由も理解出来る。
今のところ、妖精郷と最も関係が深いのはレイなのだから。
「そう……だな。そう言えなくもない」
「ダスカー様?」
言葉を濁すようなダスカーの様子に、レイは疑問を抱く。
そんなレイの疑問に答えたのは、ニールセンだ。
「あのね、ほら。レイと話してトレントの森にダンジョンがあるかもしれないって探しに出た妖精がいたでしょ?」
「おい、まさか……」
ニールセンの言葉から、何となく話の流れを予想出来たレイ。
するとそんなレイの予想を肯定するように、ニールセンは頷く。
「そう。……ダンジョン、見つけちゃったんだよね。正確には多分ダンジョンと思しきものを」
「……マジか」
レイが半ば軽口で言った、トレントの森にダンジョンがあるという、そんな言葉。
それを信じて数人の妖精が妖精郷の外でダンジョンを探しているというのは知っていたが、それで本当にダンジョンを見つけられるというのはレイにとって完全に予想外だった。
(いや、でも……そもそもトレントの森は色々な意味で特別な場所だ。そう考えれば、ダンジョンがあってもおかしくはない……のか?)
そう思うも、ダンジョンと思しきものがあった以上、妖精郷にとっては不安があるのも間違いはないだろう。
「それで、俺にこうして連絡をしてきたということは、俺がそれを調べると?」
「そうなる。勿論、これは無理にとは言わない。……もし引き受けてくれるのなら、ギルドを通して明日にでも指名依頼をする」
「俺だけで、ですか?」
一応、そう聞いておく。
これが普通の場所にあるダンジョンであれば、それこそレイだけではなく他の冒険者にも気軽に頼めるだろう。
だが、今回ダンジョンが発見されたのはトレントの森だ。
異世界から転移してきたリザードマンやそのリザードマン達が住んでいる生誕の塔、そしてリザードマン達とは違う世界から転移してきた湖。
また、何よりも大きいのは、妖精郷の存在と異世界に繋がっているトレントの森にある地下空間だろう。
……それ以外にも、トレントの森の木は伐採しても生長速度が異様に早いというのもある。
そんな諸々によって、トレントの森は色々な意味で迂闊に人を行かせられる場所ではない。
実際、トレントの森で活動している冒険者はギルドから能力だけではなく性格も優良だと認められた者達だ。
トレントの森に幾つもある秘密を知っても、それを簡単に他人に言わないだろうとギルドが思っている冒険者達。
「そうなるな。レイならソロでも問題はないと判断した。セトもいるしな。……ただ、どうしても人手が必要な場合、トレントの森にいる冒険者を連れていってもいい」
「トレントの森の冒険者を……ただ、穢れの件がなくなったとはいえ、それでもあまり人数を出す訳にはいかないのでは?」
拠点となっている場所ではゆっくりとしているように見える冒険者達だが、見張りであったり、見回りであったり、あるいは周辺に近付いてくるモンスターの討伐であったりと、色々とやるべき事はある。
ましてや、今は夏。
モンスターや動物も活発に動き回る季節である以上、その討伐にも忙しい。
その中から何人かの冒険者を引き抜くと、自然と他の者達の負担が大きくなってしまう。
勿論、優秀な冒険者が集まっている以上、多少の負担は問題ないだろうとレイには思えたが。
そこまで考えたレイは、ふとした思いつきを……まず駄目だろうとは思いながらも、尋ねてみる。
「ダスカー様も以前会ったニラシス達は、ガンダルシアで冒険者として活動しています。そして迷宮都市のガンダルシアで活動しているということは、ダンジョンの専門家です。今回の件に丁度いいと思いませんか?」
「無理だな」
検討する様子もなく、一瞬でレイの言葉を却下するダスカー。
「今回のダンジョンのある場所は、トレントの森だ。ただでさえ無関係の者達はトレントの森に出入りを禁止してるのに、ギルムの冒険者ですらない者達をトレントの森に入れられると思うか? ……あるいは、もしニラシス達がダンジョンの専門家であっても、そんな中で特に腕の立つ奴であるのなら話は別だが」
どうだ? と視線で尋ねてくるダスカーに、レイは首を横に振る。
ここで嘘を吐いても意味がない……どころか、最悪の結果になりそうな気がした為だ。
「ニラシスは教官をやってるだけあって、それなりの腕です。ただ、ガンダルシアで最高峰とは言えないですね。アーヴァイン達……生徒達も、冒険者育成校の生徒の中では間違いなく才能のある生徒達ですが、今はまだ未熟です」
「であるのなら、わざわざダンジョンに連れていく必要はないだろう」
そう言われると、レイも反対は出来ない。
これでダスカーが無理矢理に理由をつけてニラシス達を連れていくのは駄目だと言うのなら、それに反論も出来るだろう。
だが、ダスカーの言葉は正論だ。
であれば、レイとしても諦めるしかない。
「分かりました。なら……」
「ちょっと待ったぁっ!」
他の誰かを連れていきます。
そう言おうとしたレイだったが、そんなレイの言葉に割り込んで来たのは、ニールセン。
この執務室には、現在レイとダスカー。ニールセンの三人しかいないのだから、レイとダスカーの話に割り込めるのはニールセンしかいないのだが。
「ニールセン? どうした?」
「長に言われたことを忘れていたわ。もしレイがガンダルシアだっけ? そこから連れてきた人達を連れていきたいのなら、許可をして欲しいって」
『……』
ニールセンの言葉に、レイとダスカーは揃って無言になる。
その表情には、本気かこいつといった色が浮かんでいた。
「ニールセン、一応……本当に一応言っておくが、後でそれが本当かどうか、長に聞くぞ? これでもし長が何も言ってなくて、ニールセンが面白そうだからとかそういう理由で言っていた場合、間違いなく強烈な……それこそ今までにないようなお仕置きをされると思うが、それでもいいんだな?」
レイの言葉に、ニールセンはビクリと硬直する。
長のお仕置きを思い出したのだろう。
幸か不幸か、まだお仕置きをされてからそんなに時間は経っていない。
その為、楽観的な性格のニールセンであっても、お仕置きの過酷さを忘れていないのだろう。
「ほ……本当よ? 本当に、本当なの。本当に長がそういう風に言ってたんだってば!」
まるで自分に言い聞かせる様子のニールセン。
そんなニールセンの様子に、本当にこれで大丈夫なのか? とレイも思わないではなかった。
なかったが、それでもこうして改めて長がそう言っていたということは、本当なのかもしれないとも思う。
「ダスカー様、どう思います?」
「それをこっちに聞かれてもな。ニールセンとの付き合いはレイの方が長いし、深いだろう。であれば、レイの方こそニールセンの言葉が真実かどうか分かるのではないか?」
「そう言われても……」
長の言葉に改めてレイはニールセンを見る。
だが、挙動不審なその様子に、レイは何と言えばいいのか分からなくなってしまう。
挙動不審なだけに、もしかしたら嘘かもしれないという思いはある。
だが同時に、自分の言葉を信じて貰えないからこそ焦っているようにも思えるのだ。
そう考えると、やはりニールセンの言葉は正しいのかもしれないとも思う。
そうして考えた結果……
「多分、本当だと思います」
「……何でだ?」
「ニールセンの様子を見て、ですね。長に確認してもいいと言ってますし。それでもし嘘だったら、さっきも言ったように今度はとんでもないお仕置きをされると思うので」
レイの説明は、一応ダスカーを納得させることには成功したらしい。
だが同時に、一つの疑問が浮かび上がる。
「何故、長はそのようなことを?」
そう、それこそがニールセンの言葉を聞いたダスカーの疑問だった。
同時に、それはレイも感じた疑問だ。
ニラシス達を連れて行くというのを提案したのはレイだったが、それは半ば……いや。九分九厘却下されるだろうと思ったが、それでももしかしたらという思いから出た提案だった。
だからこそ、断られてもそこまで残念には思わなかったのだが、ここで長からの推薦があるとなると、一体何がどうなっているのかと思ってしまう。
……実際には、長が自分の想い人であるレイがわざわざギルムから離れ、他国に行ってまで教えている生徒達が一体どのような者達なのかを知りたいと思っただけなのだが。
公私混同も甚だしいものの、長にとっては問題ないと判断したのだろう。
この辺、今の長しかレイが知らないからだろう。
長が自分で言っていたように、長がまだ長ではなかった時は、かなりやんちゃな性格をしていたというのを覚えていれば、あるいはレイもその理由に思い当たったかもしれないが。
「分からないわ。私は長からそういう風に言われたから、口にしただけだもの。……で、どうするの?」
「ダスカー様?」
どうするの? とニールセンに聞かれたレイはダスカーに尋ねる。
結局のところ、今回の件の決定権を持っているのはダスカーなのだ。
レイがニールセンの言葉に分かったと言っても、ダスカーが駄目だと言えばそれは意味がない。
そしてレイが駄目だと言っても、ダスカーが長からの要望である以上は従えと言えば、それに従う必要がある。
「……」
レイの問いに、ダスカーはどうするべきか考え込む。
そしてたっぷりと五分程の時間が経過したところで、ようやくダスカーは口を開く。
「長からの要望を無視する訳にもいかないだろう。だが、幾つか制約をつけさせて貰う」
「制約……ですか?」
「そうだ。まず、ニラシス達が今回の依頼を受けても、この件については依頼が終わった後も他言無用とする。そして、ダンジョンのある場所まで行く時は、目隠しをして貰う。勿論ダンジョンの中では目隠しを外してもいいが、ダンジョンの探索が終わってギルムに戻ってくる時も、目隠しをして貰う。これが守られるのなら、今回の件にニラシス達が加わるのを許可する」
それは、ダスカーにとって苦渋の選択だった。
それが分かるだけに、レイも異論を口に出来ず……やがて頷くのだった。




