3948話
マリーナの家の中庭に入ったレイ達。
そこにはマリーナの姿があり……
「あれ? エレーナとアーラもこっちにいるってことは、今日はもう面会はないのか?」
紅茶を飲んでゆっくりしているエレーナの姿に、レイはそう尋ねる。
エレーナは夕焼けに煌めく黄金の髪を掻き上げつつ、レイの言葉に頷く。
「今日はもう面会は終わっている。もっとも、面会を希望する者達が私の希望を読み取って……といった訳ではなく、偶然そのような形になったのだがな」
そう言いつつも、嬉しそうに笑うエレーナ。
「え……」
不意に後ろから聞こえてくるそんな声。
意図して出したのではなく、気が付いたら出ていたといったような、そんな声だ。
一体誰がそのような声を出したのかは、レイにも分からなかった。
だが、そのような声を出した理由については、レイにも納得出来てしまう。
エレーナの外見は、先程出会ったマリーナに負けず劣らずの美貌、それこそ絶世の美女という言葉が相応しい、そんな美貌だ。
自分でも意図せず強烈な女の艶を発しているマリーナとは、また違った方向性の美貌だが。
だが、驚きの声が上がったのは、エレーナの美貌なのか、あるいはエレーナの言葉遣いなのか。
それはレイにも分からなかったが。
エレーナの外見は、それこそ貴族令嬢と呼ぶに相応しい。
しかし、その美貌から出てくる言葉がその外見とはかけ離れているのだから、それに驚くなという方が無理だろう。
レイは既にエレーナとの付き合いも長いので慣れているが、初めてエレーナに会う者にしてみれば、そのような言葉遣いは完全に予想外であってもおかしくはない。
(まぁ、外見か言葉遣いかは分からないけど、どちらにせよ、そのうち慣れるだろ)
そう思いつつ、レイはエレーナとの会話を続ける。
「理由はどうあれ、こうしてゆっくりと出来るのは悪くないだろ。……ダスカー様とか、もの凄い忙しそうだったし」
「あら、それを言うならギルドもよ? ワーカーにギルドマスターを譲って良かったと、しみじみと思ったわ」
レイとエレーナの言葉に、マリーナがそう口を挟む。
マリーナがレイと一緒に行動するべく、冒険者に戻る為にギルドマスターを辞めておらず、今もまだギルドマスターであったら、この増築工事の忙しさは現在のギルドマスターのワーカーではなく、マリーナがやらなければならない仕事だったのだ。
それが分かるからこそ、マリーナもこうして安堵しているのだろう。
勿論、マリーナが後任を託したワーカーが有能な人物で、きちんとギルドマスターとしての仕事をこなせるという確信があってのことではあるだろうが。
「もしマリーナがギルドマスターを続けていたら、間違いなく増築工事は現在よりも遅れていただろう」
そう言うエレーナの言葉にレイも頷く。
「俺もそれには同意する。マリーナの精霊魔法による治療があるからこそ、仕事をしていて怪我をした者もすぐに復帰出来るんだ。それがなければ、間違いなく今よりも増築工事の進みは遅くなっていた筈だ」
それはお世辞でも何でもない、単純な事実だ。
マリーナの精霊魔法は、実際にそれだけの効果を叩き出している。
増築工事をする上で、これ以上ない程の人材なのは間違いない。
「あら、そう言って貰えると嬉しいわね。ともあれ、私は今の状況に十分に満足しているのは事実よ。……それよりミレイヌは相変わらずね」
「え? ……あー……うん、そうだな」
レイがエレーナやマリーナと話している間に、ミレイヌの姿は消えていた。
一体どこに? と、そのような疑問を抱くまでもない。
視線の先……中庭で寝そべっているセトの側に、ミレイヌの姿があったのだから。
レイ達の会話で無駄に時間を使うのはどうかと思った……いや、あるいは単純にセトの姿を見て我慢出来なくなったらしく、いつの間にか、本当にいつの間にかセトの側まで移動していたのだ。
幾ら気を抜いていたとはいえ、レイに気が付かせずにそのようなことをする辺り、ミレイヌのセトに対する強い執着を意味している。
「さて、それじゃあ……まずは、そっちの子達の紹介をしたらどう? ヴィヘラとビューネはまだ帰ってきてないけど」
マリーナの言葉にレイは後ろを見る。
既にミレイヌはセトと……後は一緒にいたイエロと遊んでいるので、残っているのはニラシス達だけだ。
「そんな訳で、自己紹介をしてくれ」
「レイと同じく冒険者育成校の教官をしているニラシスです」
最初にニラシスがそう言うと、他の生徒達もそれに続く。
ただし、イステルだけはショックが大きかったらしく、その言葉に力はなかったが。
……マリーナという強力なライバルの存在を知り、それでも何とか自分を立て直そうとしたところで、エレーナの登場だ。
マリーナにしろ、エレーナにしろ、レイをどう思っているのかはちょっとした仕草や視線の向け方を見れば明らかだ。
自分よりも圧倒的な美貌を持ち、話を聞く限りは有能で、更にはイステルから見ても圧倒的な実力の持ち主達。
そんな二人の前に、イステルの心は半ば折れ掛かっていた。
折れ掛かっていたそこに……
「あら、今日は随分と人が多いわね」
不意にそんな声が響く。
今度はどんな美人が現れた。
そう思いながら声のした方を見たニラシス達は、その動きを止める。
そこにいたのは、娼婦や踊り子のような薄衣を身に纏ったヴィヘラだったのだから。
……もっとも、不幸中の幸いと言うべきか、ニラシス達は以前街中で騒動を起こした者を鎮圧するヴィヘラを見ている。
その為、エレーナやマリーナを初めて見た時のように、長時間動きが固まるといったことはなかった。
「お帰り、ヴィヘラ。今日はレイが同僚や生徒を連れて来たのよ」
マリーナは声を掛けてきたヴィヘラと、その隣にいるビューネを見て、そう声を掛ける。
「ん」
ビューネはいつものように短く声を上げると、そのままセトとイエロ……それとミレイヌのいる場所に向かって走り出す。
基本的に人づきあいを好まないビューネだったが、セトやイエロを愛でているミレイヌは数少ない例外と認識したらしい。
「えっと……?」
そんな中、ニラシスが戸惑った様子でレイを見る。
レイはそんなニラシスに、不思議そうな表情で口を開く。
「どうした?」
レイの言葉は、特に何かがあったといったようなものではなく、本当に普通に声を掛けたといったようなものだった。
そんなレイの様子に、ニラシスの表情はやがて憤りに変わっていき……
「爆発しろ」
「おい?」
レイは何で急にそんなことを言われたのか分からない。
しかし、そんなニラシスの肩をハルエスが叩いていた。
言葉を発することなく、視線を交わす二人。
そして数秒視線を交わしたことによって、やがて何らかの意思疎通を完了したのか、ニラシスが落ち着く。
「おい?」
再度同じ言葉を口にするレイ。
そんなレイに、ニラシスは何でもないといったように首を横に振る。
「何でもない。……爆発しろ」
「おい?」
三度、同じ言葉。
「ああ、悪い。つい本音が。……取りあえず、レイは自分がどんなに恵まれた状況にいるのか、きちんと理解した方がいい」
そう言われると、レイも反論するのは難しい。
実際、レイも自分がかなり恵まれているとは思っているのだ。
それを指摘されれば、レイとしてもそうだなと答えるしかない。
「ニラシスが何を言いたいのかは分かったけど、取りあえず今は夕食だ。こうして全員が揃ったんだし。……ちなみに、夕食の準備が終わるまで、ヴィヘラに模擬戦をして貰ったらどうだ? 街中で見たって話だったけど、それなら強いってのは分かるだろ?」
「それは……まぁ」
ニラシスが、改めてヴィヘラを見ながらレイの言葉に頷く。
実際のところ、レイの言葉にどのように反応したらいいのか分からなかった。
勿論、ヴィヘラが強いのは分かる。
ただ、どうしてもその外見に目がいってしまうのも事実。
ガンダルシアにも多くの冒険者がいるが、ヴィヘラのような格好をしている者はいない。
……マリーナのような、パーティドレスを普段着にしているような者もいなかったが。
ガンダルシアは、良くも悪くも普通の冒険者が集まってくる場所だった。
それだけに、どうしてもマリーナやヴィヘラのような冒険者を見ると、すぐにどう反応したらいいのか分からないのだろう。
「あら、私と模擬戦をしてくれるの? とはいえ……その男はともかく、他は……」
最後まで言葉を紡ぐことはなかったヴィヘラだったが、それでも聞いていた者達は何を言いたいのか理解出来た。
弱い、と。
自分の相手にはならないと、そのようなことを言いたかったのだろう。
(無理もないけどな)
レイはヴィヘラの言葉にそのように思う。
ヴィヘラの強さは、それこそ今まで何度となく模擬戦をやってきたレイがよく知っている。
そして同時に、レイはニラシスや生徒達の実力も、これまでの模擬戦でしっかりと理解しているのだ。
双方の実力を知っているレイから見ても、ヴィヘラとニラシスとの実力差は歴然だし、生徒達との間には更に大きな実力差があるのは間違いなかった。
「それでも、俺が連れて来た連中だ。現在の強さはともかく、才能という点では決して悪くない」
「ふぅん。……まぁ、レイがそう言うのならやってみましょうか。まずはそっちの男からにしましょう。その後は、レイの生徒達全員を相手にするわ」
「何……?」
ヴィヘラの言葉にそう返したのは、アーヴァイン。
アーヴァインは、まだ冒険者育成校の生徒であり、正式な冒険者ではない。
だが、戦闘能力だけなら、十分に一人前の冒険者としての実力があるという自負があった。
それだけに、生徒達を一度に全員相手にするというヴィヘラの言葉に、不満を抱くのもおかしくはない。
それが例え、尊敬する……いや、ファンであるレイの仲間であっても。
「落ち着け、アーヴァイン。まずはニラシスと一対一で模擬戦をやらせるから、それを見ておけ。それを見れば、アーヴァインもヴィヘラの言葉が決して大袈裟なものじゃないというのは納得出来る筈だ」
「レイ教官……分かりました」
ファンだけあって、レイの言葉は素直に聞く。
また、それを抜きにしても冒険者としてのレイの実力は尊敬に値するので、そのレイが言うのなら……と、そのように思ったらしい。
「ヴィヘラ、これから夕食の準備をするんだから、離れた場所でやってね」
「分かってるわよ。マリーナの邪魔はしないから安心してちょうだい」
ヴィヘラはマリーナと言葉を交わすと、中庭の端の方に移動する。
幸い……というのが正しいのかどうかは分からないが、マリーナの家の中庭は結構な広さがあり、それこそレイやヴィヘラが……あるいはエレーナとヴィヘラが模擬戦をしても、テーブルのある場所まで被害は及ばない。
また、精霊の力によって庭が荒れても直して貰えるというのも、ヴィヘラにとってはここで模擬戦をやるには十分な理由だろう。
「じゃあ、こっちに来て。今の話を聞いていた通り、テーブルの近くで模擬戦をやるとマリーナに怒られるから」
ヴィヘラの言葉に、ニラシスや生徒達は素直に従う。
……その中でも、特にイステルは真剣な……真面目な表情を浮かべ、ヴィヘラとの模擬戦で勝利する気満々だった。
「いい。ニラシス教官と彼女が模擬戦をやるのを、全員しっかりと見ているのよ。少しでも私達が付け入る隙を見つける為に」
イステルは、完全にニラシスを捨て駒にする気だった。
それも冒険者らしい割り切りではあるのだろう。
もし自分よりも圧倒的な強者と戦う場合、一体どのように対処すればいいのか。
そのような場合は、やはり誰かを捨て駒にして相手の力を分析する必要があった。
……もっとも、ここまでイステルがあっさりとニラシスを捨て駒にしたのは、レイを巡っての女の戦い――イステルからの一方的な挑戦だが――以外にも、これが模擬戦だからこそ出来たというのもあるのだろう。
「分かっている。あの手甲と足甲からすると……特に武器を持っていないというのもあるし、戦闘スタイルは格闘か? 物好きな」
アーヴァインがヴィヘラの様子を見ながら、冷静にそう告げる。
格闘というのは、武器を持っていない分だけ攻撃の間合いも短いし、どうしても一撃の威力も低くなる。
とはいえ、メリットがない訳でもないのだが。
武器を持っていない最大のメリットは、やはりその速度だろう。
長剣のような一般的な武器でも、結構な重さがある。
それを力一杯振り回すということを考えれば、武器を持たない格闘は速度という点では非常に優れている。
少しでもヴィヘラの弱点を暴こうと、アーヴァイン達はヴィヘラとニラシスの模擬戦を見学するのだった。




