3943話
午後になり、夕方が近付いた頃……レイは街中に出ていた。
なお、セトはマリーナの家に残っている。
本来ならセトも一緒に来る筈だったのだが、出掛けようとしたところでセトと遊んでいたイエロが、もっと遊びたいと駄々をこねたのだ。
セトにしてみれば、イエロは大事な友達だ。
その友達がもっと遊びたいのなら、それに付き合おう。
そう考え、セトは残ることにしたのだ。
……もしこれで、レイが街中で夕食を食べるといったようなことでも考えていたら、セトは自分も行こうと思っただろう。
だが、今日の夕食はニラシス達を案内してマリーナの家で食べる予定になっている。
その為、セトもイエロの願いを無視して出掛ける必要はないと判断したのだろう。
「さて、とはいえ……どうやってニラシス達を見つけるかだな」
既に夕方が近いということもあり、日中と比べると街中にいる者達の数はかなり増えている。
早めに仕事が終わった者達だろう。
仕事というのはそう簡単に早く終わるようなものではないのだが、増築工事をしている者達の数は膨大だ。
そうなると、早めに仕事が終わる者達も自然と増える。
そのような者達が、現在こうして街中に出ているのだろう。
ギルドに向かったり、あるいは出張所で貰った報酬で軽く腹を満たしたり、酒場や娼館に繰り出したりといったように。
そんな賑わいの中を、レイは進む。
(ギルドに向かった方がいいのか? それとも……)
周囲の様子を見回し……
「ぎゃっ!」
不意に上がる悲鳴。
通行人達も、いきなりの悲鳴に一体何があったのかと声のした方に視線を向ける。
するとそこには、十代後半、あるいは二十代前半といった若い男が右手を押さえて蹲っていた。
「自業自得だ、馬鹿が」
呆れつつ、レイはそう言う。
男の右手……より正確には、右手の指が数本折れた様子を見つつ。
男は、周囲の様子を見回しながら歩くレイを、手頃なカモと判断したのだろう。
レイとすれ違った瞬間、男の右手はドラゴンローブの中に入れられ、金を……もしくは何か金目の物を盗もうとしたところで、それに気が付いたレイに指の骨を折られたのだ。
そんなレイとスリの様子を見て、通行人達はすぐに興味をなくして日常に戻っていく。
これだけ多くの者達が集まっていれば、スリのような者達が現れるのはそうおかしなことではない。
スラム街から来たのか、それともただのチンピラなのか、もしくは人が多いと知って外から来たスリなのか。
それはレイにも分からなかったが、こうして自分にちょっかいを出してきた以上、このような対応になるのは当然だった。
(多分、セトを連れていれば、ちょっかいを出してきたりはしなかったんだろうな)
そう、レイは思う。
体長三m以上のグリフォンを引き連れているのだ。
普通に考えれば、そのような相手にちょっかいを出そうなどと思う者はいないだろう。
そういう意味では、レイがセトを連れていなかったのが、このスリにとって不運だったのだ。
「次からは気を付けるんだな」
本来なら警備兵にでも突き出した方がいいのかもしれないが、今はそんなことをしている暇はないと、放っておく。
スリにしてみれば、仕事に必須である自分の指を折られたことには恨みを抱くが、警備兵に突き出されなかったという意味では幸運なのは間違いなかった。
もし警備兵に突き出されるようなことになっていれば、それこそ捕まってしまっただろうから。
そういう意味では、スリの男もレイに感謝をする必要があるのだろうが……実際に指の骨を折られた身として、どのように思うのかは微妙なところだった。
「さて、ニラシス達をどうやって見つけるかだな。……ん?」
「レイ!」
噂をすれば何とやらと思い、自分を呼んだ声に振り返ろうとして、その考えが間違いだったことを理解する。
何故なら、聞こえてきた声はニラシスの……男の声ではなく、女の声だったのだから。
とはいえ、その声の主もレイにとっては知らない相手という訳ではない。
いや、それどころかかなり親しく付き合っている相手の一人だ。
「ミレイヌ、久しぶりだな」
「そうね。でも、それより……セトちゃんは?」
レイの言葉にミレイヌはそう答えるが、すぐにセトについて尋ねる。
セト好き……それもちょっとやそっとのセト好きという訳ではなく、それこそギルムでヨハンナと並んでトップクラスのセト好きとしては、レイがガンダルシアに行っていた間、セトを愛でることが出来なかったので、ある意味禁断症状に近いものがあるのだろう。
そんなミレイヌの様子から、何を考えているのかすぐに理解したレイは余計なことは言わず、ミレイヌが求める言葉だけを口にする。
「残念だが、セトはマリーナの家に置いてきた。エレーナの使い魔と遊んでいたからな」
「そんなぁ……」
がっかりと……それこそ、心の底からがっかりといった様子を見せるミレイヌ。
これが例えばもっと他の場所……そう、レイにとっては馴染みの宿である夕暮れの小麦亭であれば、セトに会いに行くといったことも出来ただろう。
実際、レイがまだ夕暮れの小麦亭で暮らしていた頃、ミレイヌは何度もセトに会う為だけに夕暮れの小麦亭……正確には、夕暮れの小麦亭の厩舎に足を運んでいるのだから。
だが、それが貴族街となれば話は違ってくる。
ミレイヌはギルムにおける若手冒険者の出世頭として有名だ。
……実際には若手という意味ではレイがいるのだが、レイは色々な意味で例外的な存在として認識されている。
とにかく若手の出世頭として知られているミレイヌだったが、そんなミレイヌでも貴族街に無断で入るといったことをした場合、最悪不審者として捕らえられる可能性があった。
勿論、それは本当に最悪の場合だ。
ミレイヌはそれなりに顔も知られているし、それだけに冒険者の知り合いも多い。
そうである以上、見回りをしている冒険者と遭遇しても、その冒険者がミレイヌのことを知っていれば、ミレイヌを捕らえようとはしないだろう。
もっとも顔見知りだからといって見逃す者ばかりかと言えば、それはそれで話が違ってくるのだが。
とにかくそんな訳で、ミレイヌも貴族街には迂闊に出入り出来ない。
……もし貴族街で捕まるようなことがあれば、パーティメンバーから杖で殴られることは明白なのだから。
それはミレイヌとしても出来る限り避けたい。
避けたいが、同時にセトとも会いたい。
そうして悩んでいるミレイヌだったが……
「あー、ミレイヌ。実はこれから俺は知り合いを連れて貴族街を案内して、最後はマリーナの家で食事をするつもりなんだが、一緒に来るか?」
悩んでいるミレイヌの様子があまりにも辛そう……それこそ苦悩という表現が相応しい様子だったこともあってか、レイはミレイヌに言う。
すると次の瞬間、ミレイヌが即座に反応する。
「いいの!?」
その反応速度は、それこそレイから見ても一級品と称するに相応しいものだ。
もっとも、そのような反応が出来るのはセトの件だからこそだろうというのは、レイにも容易に理解出来てしまったが。
「ああ、俺としては問題ない。夕食が終わった後で、俺の知り合いを送っていってくれれば、俺も楽が出来るし」
もしミレイヌがいなければ、食事が終わった後でレイがニラシス達を貴族街から出るまで送って行く必要がある。
ニラシス達はギルムに来たばかりで、顔も知られていない。
そんなニラシス達が貴族街にいれば、間違いなく捕らえられるだろう。
ましてや、貴族街の見回りをしているのは腕の立つ冒険者達だ。
それも冒険者の本場において、腕の立つ者達。
ニラシス達が見つかったら、逃げ切れる筈もない。
なら、ミレイヌと一緒に帰らせればいい。
ミレイヌについては、マリーナから問題ないといった証明書でも書いて貰えば問題はない筈だった。
「えっと……貴族街を案内するって言ってたけど、誰を案内するの? レイが案内するんだから、そんなにおかしな人達じゃないとは思うけど」
「俺がガンダルシア……えっと、迷宮都市に行っていたのは知ってるか?」
「知ってるわ。グワッシュ国にある迷宮都市よね」
「……聞いておいてなんだが、よく知ってたな」
迷宮都市というのはそれなりに珍しいものではあるのだが、非常に希少という訳ではない。
実際、ミレアーナ王国にも幾つかある。
そんな中で、ミレイヌがミレアーナ王国の保護国であるグワッシュ国の迷宮都市を知ってるというのは、レイにとってかなり驚きだった。
とはいえ、そんなレイの驚きはミレイヌの言葉を聞いてすぐに納得してしまったのだが。
「だって、セトちゃんが行った場所でしょ? 本当なら私もセトちゃんを追って行きたかったんだから。……もっとも、遠すぎて諦めたけど」
「……だろうな」
何しろガンダルシアまでは、地上を歩いて移動すれば年単位での時間が掛かる。
もし本当にミレイヌがセト目当てでガンダルシアに行った場合、それこそガンダルシアに到着した時は既にレイの教官としての仕事は終わっており、ギルムに帰っている可能性も十分にあった。
そのような悲惨なことにならなかったのは、ミレイヌの――セトに対する――なけなしの自制心が働いたといったところか。
「それで? ガンダルシアがどうしたの?」
「俺が貴族街を案内しようとしてるのは、そのガンダルシアから来た連中なんだよ」
「え? そうなの? 何で……ああ、セト籠ね」
レイの言葉に、何故そのような者達がギルムにいるのかといった疑問を口にしたミレイヌだったが、一瞬で答えを導き出す。
セト籠はその名の通りセトが使うマジックアイテムだ。……実際には蜃気楼の籠というのが正式名称で、セト籠というのはあくまでも通称でしかないのだが。
もっとも、レイやその仲間がセト籠と繰り返しているので、寧ろ蜃気楼の籠という名称の方がマイナーになってしまっているが。
ともあれ、セト籠はその名の通りセトが使うマジックアイテムだ。
そうである以上、セト愛好家のミレイヌがセト籠について知らない筈がない。
(いや、本当にそれで合ってるのか? ……まぁ、ミレイヌだし、それでいいか)
ミレイヌのことだけに、セトに関する事はミレイヌだからという理由で納得してしまう。
レイは自分がレイだからという理由で納得されるのはどうかと思うが、セトに関してミレイヌの場合は、ミレイヌだからという理由で納得してしまってもおかしくはないと思える。
まさに自分のことは棚に置くというべき行動だったが、レイの中ではそれでも特におかしくはないと判断されているのだ。
「羨ましいわね、セト籠。私もまだ少ししか乗ったことがないのに」
「いや、それは……まぁ」
レイはミレイヌの言葉に何と返せばいいのか迷う。
実際、セト籠に乗る機会があったら、ミレイヌがそれを逃すとは思えない。
だというのに、ミレイヌがセト籠に乗っていないということは、つまり今までその機会がなかったということを意味していた。
(だからといって、ここで今度乗ってみるか? とか言ったら、絶対に乗ろうとするだろうしな。いやまぁ、絶対に乗せられないって訳じゃないけど。ただ、乗せたら乗せたで色々としつこそうなのがちょっと)
もしここでセト籠に乗せた場合、一体いつまで乗り続けるのか。
それがレイにはちょっと心配だった。
「えっと。とにかくそんな訳でガンダルシアから連れて来た連中を貴族街に案内するから、ミレイヌには一緒に行動して欲しい訳だ。それでいいよな?」
「ぐるぅ」
「……ミレイヌ?」
自分の言葉に、ミレイヌから聞こえてきたそんな声に、思わずレイはミレイヌを見る。
「あ、ごめんなさい。ようやくセトちゃんに会えるかと思ったら、つい……」
「だからって……いやまぁ、いいけどな」
セトに会いたかったからこそ、思わずセトに似た鳴き声を口にしてしまった。
そう言われれば、レイとしても納得するしかない。
もっとも、当然ながらミレイヌの口から出た鳴き声は実際にセトのものとは微妙に……いや。それなりに違ってはいたのだが。
とはいえ、それは決して悪いことではない。
本人に自覚があるのかどうか微妙なところだが、ミレイヌも十分に美人と称される程に顔立ちが整っている。
……ある意味で、極まった美人でまさしく高嶺の花と言うべきエレーナ、マリーナ、ヴィヘラとは違い、美人ではあるが手の届く範囲にいる美人という事で、寧ろ男に言い寄られることは多かった。
それだけに、今のようなセトに似た鳴き声を聞いたら……それが余計に男を惹き付けるのは間違いない。
本人にそのような自覚があるかどうかは、また別だったが。
「取りあえず、ニラシス達を捜しにいくか」
そうレイは言い、ミレイヌと共に歩き出すのだった。




