3935話
「じゃあ、俺は今日は妖精郷に泊まってくるから」
「分かった。レイなら心配いらぬだろうが、気を付けてくれ」
昼食後……食休みも終わり、まったりとした時間が終わった後で、レイは妖精郷に行くことにした。
本音を言えば、もっとエレーナと話をしていたかったのだが、午後からもエレーナとの面会を希望する者は多い。
その面会相手が来れば、エレーナもレイと話をしている暇はなくなる。
もっとも、エレーナにしてみれば面会の相手よりもレイと一緒に話をしたいというのが本音なのだが。
しかし、本音がそれでも自分のやるべき仕事を放り出す訳にもいかない。
エレーナが現在ギルムにいるのは、貴族派の貴族がギルムの増築工事の妨害をしない為というのもあるし、同時に貴族派としてのコネ作りといったものもある。
その仕事を放り出して自分の想うがままに行動していれば、そのうち父親から仕事をしていないのなら戻って来るように言われてもおかしくはない。
エレーナとしては、それは絶対に避けたかった。
その為、レイを見送った後で面会の準備に入るのだった。
「あ、セト。妖精郷に行く前にリザードマン達に会っていかないか?」
「グルゥ? ……グルルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らすと飛ぶ方向を変えて翼を羽ばたかせる。
向かうのは、レイが言ったように妖精郷ではなく、トレントの森にいるリザードマン達のいる場所。
また、リザードマン達の護衛も兼ねて、生誕の塔の側には冒険者達の拠点となっている場所もあり、そこから少し離れた場所には湖もある。
(拠点……テントを張っているキャンプ地が森の中にあって、近くには湖もある。事情を知らなければ、これは完全にレジャー用の場所だよな)
もっとも、実際にはその湖は異世界から来た存在で、まだその生態系が完全に解明された訳ではなく、そしてトレントの森もギルムの近く……つまり辺境にある場所なので、いつ高ランクモンスターが襲ってきてもおかしくはない、そんな場所なのだが。
何も知らなければ避暑地として使おうと思ってもおかしくはないが、事情を知っていればとてもではないが一般人が遊びに行きたいと思うような場所ではない。
そんな場所が、これからレイの向かう場所だった。
「グルゥ」
マリーナの家を飛び立ってから、数分とせずに目的の場所が見えてくる。
相変わらず、セトの飛行速度は速いなと思っている間にもセトは進み、やがて地上……冒険者達がテントを張っている拠点に向かって降下していく。
「って、おい!?」
「グルゥ!?」
地上の様子を見ていたレイは、拠点にいる冒険者の一人が空を飛ぶセトの姿に気が付くと、咄嗟に弓を構え、矢を番えたのを見て思わず声を上げる。
だが、すぐに側にいた別の冒険者が弓を手にした冒険者を止めたのを見て、安堵する。
「セト……一応、念の為にゆっくりと降りてくれ」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らしながら地上に降下していく。
今の一件があったばかりということもあり、何があってもいいように周囲を警戒しながらだ。
だが、幸いなことに最初に弓を構えた者がいた以外は特に何が起こるでもなく、無事に拠点に着地する。
「おい、レイ! 悪い! さっきの奴は最近ここに来たばかりの奴で、レイが帰ってきてるとは知らなかったんだ!」
近くにいた冒険者の男が、レイに向かってそう叫ぶ。
少し早口なのは、自分の言葉が遅れれば、それだけレイに敵対したと見なされる可能性が高くなると、そう思ったのだろう。
「そうなのか?」
レイとしては、弓は構えられたものの、実際に矢を射られた訳ではない以上、そこまで怒っている訳でもない。
それにレイはついこの前までガンダルシアに行っていて、ギルムにはいなかったのだ。
そうである以上、いきなり拠点に空から誰かがやってくれば、襲ってきたモンスターだと判断してもおかしくはない。
これで実際に矢を射られ、それで自分やセトが怪我でもしていれば話は別だったが、そのようなことになっていない以上、レイとしては誤解が解ければそれでいい。
「ああ、そうだ。大体、自分で言うのもなんだが、このトレントの森で仕事が出来るのは、能力も性格もギルドに優秀だと認められた者だけなんだぜ? そんな奴が、レイと敵対したいと思う訳ないだろう」
「……まぁ、それは否定しない」
セトの存在を見抜けず、敵と認識したのはどうかと思わないでもなかったが。
ただ、それを言えば色々と面倒なことになりそうだったので、口にはしなかったが。
「それで、レイは一体何をしに? というか、ギルムに帰ってきてたんだな」
「数日前にな。ここにはちょっと様子見といったところだゾゾとかもいるし」
ゾゾというのは、転移してきたリザードマンの中の一匹だ。
転移してきたリザードマンは元の世界では国を築いていたらしく、その国の皇族がゾゾとなる。
もっとも、他に転移してきた中にはゾゾの兄で、皇位継承権も上で、その強さから皆に慕われているガガというリザードマンがいて、そのガガが現在はこのエルジィンに転移してきたリザードマンを率いていた。
ゾゾは兄とは違い、成り行きでレイに仕える存在となってしまった。
とはいえ、幾らレイがテイマーとして知られているとはいえ、言葉を喋るリザードマンを連れ歩く訳にもいかず、ここに残って貰っているのだが。
だからこそ、今日はこうして会いに来たのだ。
「あー……悪い。ゾゾは今ちょっと出掛けてる。リザードマンの子供達に狩りの練習をさせるのに付き添ってるんだ」
「そうなのか? ……まぁ、ゾゾなら心配はいらないが」
兄のガガ程ではないにしろ、ゾゾもまたリザードマンの中ではかなりの強さを持つ。
また、ギルムと……より正確にはギルドやダスカーと繋がりを持つリザードマン達は、ギルムから武器を用意して貰うといったことも出来る。
武装したゾゾの強さはレイも十分に理解している以上、子供達の護衛としては十分な戦力だろう。
「ああ、ゾゾは強いだけじゃなくて面倒見もいいしな。……もっとも、自分のいない時にレイが来たと知ったら、残念がるだろうな」
「……そうだな。俺もそう思う」
レイにとっても不思議なことだが、ゾゾがレイに向ける忠誠心はかなり深い。
一体何故そこまで? と、忠誠心を向けられるレイがそう思ってしまうくらいには。
そんなゾゾだけに、もし自分がいない時にレイが来たと聞かされれば、大きなショックを受ける筈だった。
「とはいえ、ここに来たのは久しぶりにギルムに戻ってきたから、ちょっと顔を出してみただけなんだよな」
「つまり、ゾゾが帰って来るまで待っていることは出来ないと?」
「悪いがそうなる」
「うーん……けど、そこを何とかならないか? ゾゾの性格を考えると、レイが来た時に自分がいなかったのを知ったら、場合によっては命で償うとか、そういうことを言いかねないぞ?」
「……そこまではないだろう? ないよな?」
そうであって欲しいという期待を口にするレイだったが、冒険者は首を横に振る。
「本人は隠してるつもりかもしれないが、レイが一時的にしろギルムから出て行った時に、置いていかれたのが結構ショックだったらしいし」
「そう言われてもな。……ゾゾだけじゃなくて、マリーナ達も置いていったんだぞ?」
マリーナという言葉に、冒険者が微妙な表情を浮かべる。
マリーナは元ギルドマスターで、レイと話している冒険者も以前何度か世話になったことがある。
そんな人物をパーティメンバーにし、普通の仲間として扱っているのに色々と思うところがあるのだろう。
「まぁ、マリーナの場合は増築工事で出た怪我人の治療とかあるから、仕方がない一面もあるけど」
もしレイがガンダルシアにマリーナを連れて行こうとした場合、それこそダスカーが待ったを掛けるだろう。
ダスカーにしてみれば、マリーナはレイとは違う意味で増築工事の根幹を担っている存在だ。
それこそもしマリーナが黒歴史を出してきても、この場合は決して退かないだろう。
……もっとも、本来なら冒険者というのは自由な存在だ。
何らかの契約を結んでいるのならまだしも、そうでなければ自分の行きたい場所に行ってもおかしくはない。
「とにかく、マリーナさんの件はともかく、ゾゾには会ってくれないか?」
「そう言われてもな」
「グルゥ」
レイが困っていると、セトがレイの近くで喉を鳴らす。
それは、少しくらいゾゾに会いに行ってもいいんじゃないの? という意思を込めた鳴き声。
セトの鳴き声に、それでも少し迷ったレイだったが……やがて頷く。
「分かった。なら、少しゾゾを捜してみるか。トレントの森の中なら、それなりに見つけやすいかもしれないし。……見つかるかどうかは微妙だけど」
何しろ、今は夏だ。そしてここはトレントの森。
つまり、ここには多くの木々が生えており、夏らしく木々の葉は生い茂っている。
そんな中、空を飛んで地上にいるゾゾや他のリザードマン達を見つけられるかとなると、不可能ではないが、そう簡単なことではないだろう。
ただ、それでも不可能ではない。
レイの視力は人よりもかなり良いし、セトはそんなレイ以上に視力が良い。
そしてトレントの森にいるのはゾゾだけではなく、リザードマンの子供達と共に行動しているのだ。
そうなると、上空から見た場合、枝の隙間からリザードマンの子供達を見つけられる可能性は十分にある。
だからこそ、勝算は十分にあった。
「悪いな、頼む」
「……言っておくが、絶対に見つけられるとは限らないぞ? 捜してみて、駄目そうなら諦めるからな」
「分かった、その場合はこっちで言っておく。ただ、そうなったら出来れば近いうちにまた会いにきてやって欲しい」
「そうだな。時間があったらそうするよ」
もう暫くはギルムにいる予定なのだ。
なら、もし今日ゾゾに会えなくても、また数日中に会いに来るというのはそう難しいことではない筈だった。
そうしてレイは冒険者と短く言葉を交わすと、再びセトの背の上に跨がる。
「じゃあ、頼むなセト」
「グルゥ!」
「ああ、それと……俺に弓を構えた奴はあまり責めないでくれ。ここに来たばかりなら、セトが上空から拠点に降りてくるなんてことは、全く知らなかったんだろうし。今回の件で畏縮して、空を飛ぶ敵を相手に攻撃を躊躇するようになったら困るし」
空を飛ぶモンスターというのは、基本的に非常に危険な存在だ。
だからこそ、本来ならセトを見て弓を構えたあの冒険者の男の行動は、レイから見ればそこまで悪いようには思えなかった。
寧ろ今回の件で責められたことによって、あの冒険者が空から来るモンスターに攻撃を躊躇する方が問題だった。
「分かっている。あいつもそれなりに経験がある冒険者なんだ。ギルドに優良な冒険者と認められるくらいにはな。自分のたった一度のミスで、これからどう行動するのかを迷ったりとか、そういうことにはならないと思う」
実際には、そのたった一度の失敗が引っ掛かって、行動しようとする時にミスをしたりすることも珍しくはない。
とはいえ、その辺は自分でどうにかするしかない。
それが分かっていた為、レイと話していた冒険者は心配するなと、そう口にしたのだ。
レイはそんな相手の気遣いに気が付いたのか、気が付いていないのか。
ともあれ、レイは繰り返し気にしないように言うと、セトの背を撫でる。
「じゃあ、またな。……いや、今日ゾゾに会うと、またこっちに顔を出す機会があるのかどうかは分からないけど」
レイがどのくらいギルムにいるのかは、まだ細かいところまで決めてはいない。
普通なら帰省というのはどのようなスケジュールなのかというのはともかく、いつ行って、いつ帰ってくるかくらいは前もって決める。
だが、今回の一件はそれとは明らかに違う。
そもそもが、ギルムからガンダルシアまで、普通なら移動するに年単位の時間が掛かってもおかしくはないのだから。
空を飛べるセトがいるからこそ、数日程度の旅路なのだ。
そのようにかなりの時間差がある以上、どうしても詳細なスケジュールを決めることは出来なかった。
敢えてスケジュールらしいスケジュールとなると、夏の間中には帰って来るようにとフランシスに言われていることか。
レイもさすがに秋までギルムにいようとは思わない。
……そもそもの話、秋が深まった頃にはガメリオンが出てくるので、その頃にはまたギルムに戻ろうと考えているのだから。
そんな風に思いつつ、冒険者との話を終えるとレイはセトの背に乗って再び飛び立つのだった。




