3929話
「これは、美味しいですね。ありがとうございます」
「喜んで貰えて何よりだよ」
レイが土産として持ってきた香辛料入りの焼き菓子を、長は嬉しそうに食べる。
先程の妖精達もそうだったが、好き嫌いの分かれる味だ。
人だけではなく、妖精であってもそれが同じなのはレイも知っている。
その為、長はどうなのだろうかと思っていたのだが、幸いなことに長の好みにはあったらしい。
「ニールセン、貴方も食べませんか?」
「……う……無理……」
長の言葉に、地面に倒れ込んでいたニールセンは、何とかそれだけを口にする。
既に長のお仕置きが終わってから、三十分程が経過しているものの、それでもまだニールセンの体調は戻らないらしい。
お仕置きされていた時間は、レイが妖精郷に入ってからここに到着するまでなので、そこまで長い時間ではなかった筈なのだが。
……もっとも、レイは妖精達に土産を渡したり、その感想を聞いたり、他にもゆっくりと妖精郷の中を見て回ってきたのだが。
取りあえずニールセンのことは見ないでおいてやって、長との話を続ける。
「それで、春から夏にかけて長の方はどうだった? 見た感じだと……妖精郷はまだそこまで変わっていないようだったけど」
「妖精郷はそう変わりませんよ。ですが、何人か交渉に来た者達がいました」
「あー……そう言えばそんな話あったな」
すっかり忘れていたレイだったが、妖精郷を一種のテーマパーク……もしくは観光資源にするという話が進んでいたのを思い出した。
実際、以前には王都からやって来た者達が妖精郷に来て交渉をしていたのだから。
妖精郷があるのはトレントの森で、そのトレントの森はダスカーの治めるギルムのすぐ側だ。
そうである以上、本来なら妖精郷との交渉についてはダスカーが主導権を握ってもおかしくはないのだが……ことは、妖精郷だ。
既に絶滅し、それこそお伽噺の中の存在と思われていた妖精の。
……レイにしてみれば、思い切り妖精と関わっていたり、穢れの件で他の妖精郷に行ったり、以前ベスティア帝国で行われた闘技大会に行く途中に妖精と遭遇し、その悪戯――という程に可愛らしいものではなかったが――に巻き込まれたりもした。
何だかんだと、レイは妖精とはそれなりに関わりがあるのも事実。
それだけに、レイにしてみれば妖精はそこまで特別な存在とは思えないのだが……それはレイだからこその話だ。
普通の者達にしてみれば、妖精というのは本当に珍しい……いや、珍しいという表現ですら物足りない、伝説上の存在だった。
「それで? 交渉の方はどんな感じなんだ? 妖精郷の存在が公表される日が決まったとか?」
「いえ。その辺はまだ詳細には……どうやら向こうもかなり慎重になっているようで」
「だろうな」
長の台詞はレイにも十分に理解出来た。
この交渉に関わっている者達にしてみれば、絶対に交渉を失敗させる訳にはいかないのだ。
もし迂闊に妖精郷の存在を公表すれば、それを聞いた者の中には当然欲深い者達もいて、そのような者達はどうにかして妖精を手に入れようとするだろう。
もしそうなっても、妖精の輪という一種の転移能力を持つ妖精は、そう簡単には捕まらない。
ただ、そんなことが何度も続き、妖精達がもうこの場にいるのがデメリットしかないと思えば、妖精郷を他の場所に移す可能性は十分にあった。
そもそもの話、妖精郷がこのトレントの森にあるのも、トレントの森が出来てから妖精達が移動してきて、それでここに妖精郷を作ったからなのだから。
そうである以上、妖精郷がまた他の場所に行くという可能性は十分にあった。
ミレアーナ王国側としては、それは絶対に避けたい。
妖精という存在と友好的な関係を築くことが出来れば、メリットは非常に大きいのだから。
例えば、マジックアイテム。
妖精の作るマジックアイテムは、普通の錬金術師が作るマジックアイテムよりも強力だ。
だからこそ、妖精達と友好的な関係になれば、それらのマジックアイテムを譲って貰える可能性は十分にあった。
……実際、レイは長から幾つかのマジックアイテムを貰っている。
それを交渉している者達が知ってるかどうかは微妙なところだが。
他にも妖精達だけが知っている知識であったり、伝承の件もある。
それこそ、レイ達が倒した穢れについては人間達に何の情報もなかったが、妖精達はその情報を持っていた。
そんな訳で、妖精達とは可能な限り友好的に接したいと思うのは、当然のことだった。
何しろ穢れの件は最悪の場合、この大陸そのものが滅んでいた可能性すらあったのだから。
「向こうも長達と友好的な関係を結ぼうとするのは間違いないだろうから、いっそ思い切り吹っかけてもいいかもしれないな」
「吹っかけて……ですか? それはその、具体的にはどのように?」
「金とか宝石とかは……妖精はあまり欲しがらないか」
「そうですね。……宝石はマジックアイテムを作る時に使うこともありますので、あれば助かりますが」
「長ー……お金があると、ギルムで食べ物を買えるわよー……」
レイと長の会話が聞こえていたのか、ニールセンが何とか声を発してそう言う。
限界まで……いや、限界以上にお仕置きをされ、それこそ声を出すのも苦しい筈のニールセンだったが、レイと長の話を聞いて、金が貰えれば、その金で美味い料理や菓子を食べられると思ったのだろう。
(間違ってはいないけど……馬鹿だな)
金が欲しいというニールセンの言葉に、長は笑みを浮かべつつ……それでいて無言で視線を向ける。
すると次の瞬間、地面に寝転がっていたニールセンの身体が空中に浮かぶ。
「うきゃあっ! ちょっ、長、別に私は何も自分のことだけを考えた訳じゃなくて……あれ?」
てっきり再度お仕置きをされるのかと思ったニールセンだったが、空中を移動する速度は、かなりゆっくりだ。
最初はまた先程のようなお仕置きをされるのではないかと驚いたニールセンだったが、それが違うと分かると少しだけ安堵した様子を見せる。
とはいえ、それで嬉しいといったような言葉を口にすることはなかったが。
もしここでそのようなことをすれば、それこそ再びお仕置きをされるかもしれないと警戒したのだろう。
物事を深く考えず、その場のノリで行動することが多いニールセンであっても、さすがに今ここで長を怒らせるのが不味いというのは分かったらしい。
「私達と人との大規模な交流が行われた場合、お金というのはやはり必要でしょうか?」
「そうだな。あった方がいいのは間違いないと思う。特にニールセンのように、妖精達がギルムに行って何かを買おうとした場合、金がないとどうしようもないし。……いやまぁ、一応物々交換といった方法もない訳ではないが」
「ですが、妖精がお金を持ち歩くというのは、難しいのでは?」
「……そう言われるとそうだな」
レイがニールセンを連れてギルムに行く時の買い物では、レイが支払いを行っている。
しかし、それはあくまでもレイが一緒だからだ。
もしニールセンだけで買い物をしろと言われた場合、実行するのは非常に難しいだろう。
「となると、考えられるのは……誰か人を派遣して貰って、一緒に行動するとか。そうすれば、一緒に行動している者が金を持ち運びとかも出来るだろうし」
「ギルムに行く妖精の数が少なければいいでしょうが、妖精の数が多くなってしまっては……」
それだけの人数を用意するのは難しいのではないか。
言外にそう言う長の言葉に、レイはそれもそうかと頷く。
実際、今の状況を考えるとそのようなことになってもおかしくはないのだから。
「とはいえ、そうでもしないと金の持ち運びは無理だろう?」
一瞬だけだったが、妖精が何らかの芸をして、それを代価に買い物をするといったようなことを思い浮かべたレイだったが、すぐにそれを却下する。
そのようなことをすれば、間違いなく大きな騒動になるのは明らかだったからだ。
「そうですね。……これからの交渉では、その辺についても話してみたいと思います」
クレジットカードみたいなのがあればいいんだけどな。
長との話でそう思うレイだったが、生憎とこの世界にそのような便利なものはない。
いや、あるいはもしかしたらどこかにはあるのかもしれないが、レイはそのような物を見たことはなかった。
(古代魔法文明の遺産とか、そういうので……無理か)
古代魔法文明の遺産であれば、何でも出来る訳ではない。
そう思い直し、レイはクレジットカードについては考えるのを止める。
「今のうちにその辺について気が付いてよかったな。……もしその辺について何も気が付かないでいたら、後々面倒なことになったのは間違いないだろうし」
「ええ、レイ殿には感謝します」
「別にそこまで感謝されるようなつもりもないんだが……まぁ、いい。とにかくこの話はこれで終わりにしておこう。それで、俺がいない間に何か妖精郷に変わったことはなかったか?」
「特にそのようなものはありませんでしたね。何度かモンスターが妖精郷に侵入しようとして霧の空間に入ったりといったことはありましたが」
「哀れだな」
霧の空間に入ったモンスター達がどうなったのかは、レイにも容易に想像出来る。
霧の空間の中で番犬ならぬ番狼達に殺されたのか、それとも長が手を下したのかは、分からないが。
それでもモンスター達が死んだのは間違いのない事実だろう。
妖精郷に侵入するのは、そう簡単なことではないのだから、
「それで、レイ殿。今日はどうするのでしょうか? 泊まるのであれば、以前使っていた場所は空いてますが。……あそこは、レイ殿だけの場所ですから」
長の言葉に、レイはどう反応していいのか少し迷う。
以前使っていた場所と長は言ったものの、あの場所は別にそこまで特別な場所という訳ではない。
ただ、マジックテントを張るのに丁度いいだけの空き地で、セトがゆっくりするのにも向いているような、そんな場所だ。
だが、長の言葉からはまるであの場所が何か特別な場所のように思える。
……レイにとってはそのような認識であっても、長にとってはそういう場所であるのは間違いないのだが。
「悪いけど、今日は妖精郷に泊まる予定はない。ガンダルシア……俺が仕事をしていた場所から連れて来た連中が、今ギルムにいるんだよ。今日の夕方くらいに一度顔を出して、様子を見ておきたいし」
「そう……ですか。残念ですが仕方がありませんね」
そう言う長の顔には残念そうな色がある。
長にしてみれば、出来れば今日は妖精郷に泊まって欲しかったのだろう。
近いうちにレイがまたガンダルシアという場所に行くのであれば、尚更に。
長の残念そうな、悲しそうな様子にレイは戸惑う。
まさか、自分が泊まらないという理由だけでここまで残念がるとは思っていなかったのだ。
「えっと、その……だな。今日は無理だけど、ガンダルシアに行く前に一度は泊まりにくるから」
レイの言葉に、長の表情が明るくなる。
「本当ですか?」
「ああ。具体的にいつになるのかはちょっと分からないけど、最低でも一度は泊まりに来る」
「ありがとうございます。他の妖精達も喜びます。それにピクシーウルフ達も」
あくまでもレイとセトが妖精郷に泊まるのを喜ぶのは、自分の為ではなく他の妖精達やピクシーウルフ達の為だと、そう言う長。
長にも恋する乙女として、色々とあるのだろう。
(そう言えば、頭のいいハーピーもいた筈だけど……どうしたんだろうな? まぁ、普通に考えれば妖精郷を出て他の場所に行ったとかか?)
そう疑問に思ったレイだったが、レイはそのハーピーとそこまで親しい訳ではないので、わざわざ聞く必要もないだろうと判断する。
「今度来る時は、もっと違う……妖精全員が喜ぶような土産を持ってくるよ」
「私は今回のお土産も悪くなかったとは思うのですが」
香辛料を使った焼き菓子は、レイが予想した以上に長の口に合ったらしい。
もっとも、長にとっては自分の好みに合ったというのもあるが、それ以上にレイが持ってきた土産だからというのも、喜ぶべき理由だったのだが。
レイはその辺には全く気が付いた様子もなく、ただ単純に自分の持ってきた焼き菓子を喜んでもらえたことが嬉しかったらしい。
ただ、どうせ土産を持ってくるのなら、多くの妖精達に喜んで貰いたいという思いがあるのも事実。
そんな訳で、レイは次は串焼きでも持ってくるか? と思う。
ニールセンがタレで顔をベタベタにしながらも、串焼きを喜んで食べているのを、レイは何度も見ていた。
いや、ニールセンだけではなく他の妖精達も同様だった
そう思いながら、レイは長と話を続けるのだった。




