3927話
「え? レイはここから直接トレントの森に行くの?」
「そうなるな。……俺とセトが普通に正門から出ようとすると、面倒が多いし」
「それは……まぁ、残念だけどそうかもしれないわね」
レイの言葉に、ヴィヘラは残念そうにしながらも同意する。
実際、今のギルムでレイがセトと共に街中に出れば、面倒が起きるのはほぼ確定だと、理解していたからだろう。
そしてレイはギルムの中から直接外に出るのを許可されている以上、わざわざ街中を歩いて正門まで移動し、そこから外に出るといったようなことをしなくても、この中庭から直接外に出てもいい。
昨日はニラシスや生徒達が正式にギルムに入る手続きがあったので……また、直接領主の館に降りたりするよりも、きちんとギルムの街並みを見せたかったからこそ、普通に入ってきたのだ。
今日はもうそのようなことをする必要はない以上、ここから直接飛び立つことが出来る。
「ふむ。では、ここから飛び立ったら、わざわざヴィヘラと合流しなくても、直接妖精郷に行けるのではないか?」
「あ……」
エレーナのその言葉に、ヴィヘラは驚きの声を上げる。
だが実際、エレーナのその言葉は決して間違ってはいない。
そもそもこれからヴィヘラがトレントの森に行くとなると、まずはギルドで依頼を受けて、それからトレントの森に向かう必要がある。
そうなると、どうしても手間が掛かるのは間違いなかった。
しかし、セトに乗ってトレントの森に向かうとなると、それこそ飛び立ってから数分と掛からずにトレントの森まで……いや、それこそトレントの森にある妖精郷の前まで到着する。
そういう意味では、お互いに時間差がありすぎるのだ。
ヴィヘラも改めて考え、それを理解したのだろう。
残念そうにしながら、口を開く。
「仕方がないわね。じゃあ、私は今日も街中の見回りに行くわ。ギルドからは、出来ればそうして欲しいと言われてるし」
ヴィヘラ程の腕の立つ者が見回りをしてくれることは、ギルドとしても歓迎している。
……ただの歓迎であって大歓迎でないのは、やはりヴィヘラの美貌と服装が理由だろう。
ヴィヘラが街中を歩いていれば、それこそ何も知らない者……ギルムに来たばかりの者が、ヴィヘラを口説こうと言い寄るのは珍しい話ではない。
治安維持を目的に見回りをしているヴィヘラが、治安を乱す原因となってしまうという一面もある。
実際、今まで何度か同じようなことがあったのも事実。
しかし、それでもヴィヘラが見回りをしてくれることは非常に大きな意味があるのも事実だった。
何しろとにかく強い。
冒険者として鍛えている訳でもなく、増築工事の仕事をやる為に冒険者になったような者達は勿論、その辺の冒険者が相手でもヴィヘラの圧倒的な強さは治安維持に大きな意味を持つ。
また、それだけではなくヴィヘラが意外に常識人だというのも、ギルドにとってはありがたいことだった。
冒険者というのは、色々と個性的な者が多い中で、ヴィヘラはまともな性格をしている。
……もっとも、相手が強敵となれば戦闘狂の血が騒ぎ、暴走したりもするのだが。
しかし、そのような者を相手にする訳ではない場合、ヴィヘラは常識的な対応をする。
「悪いな」
「いいわよ、レイには昨日お土産も貰ったし。……指輪じゃなかったのは残念だったけど」
そう言い、若干不満そうにエレーナを見る。
最終的に指輪を勝ち取ったエレーナは、そんなヴィヘラに向けて得意げな笑みを浮かべて見せた。
ヴィヘラはぐぬぬといった表情を浮かべたものの、それ以上は何も言わずに我慢する。
「あ、レイが妖精郷に行くのなら、私も一緒に連れていってよ。そろそろ一度妖精郷に戻らないと、長に怒られそうだし」
イエロやセトと遊んでいたニールセンが、レイ達の話を耳にしてそう言ってくる。
レイはニールセンの言葉に頷こうとして……ふと、気が付く。
「そろそろ……? ニールセン、お前一体いつからマリーナの家にいるんだ?」
昨日レイが帰ってきた時にニールセンがいたのを見た時は、それこそ昨日のうち……もしくは一日くらい前にやって来たのではないかと思っていた。
だが、今のニールセンの言葉を聞く限りでは、もしかしたらレイが予想していたよりもかなり前からマリーナの家にいたのではないかと思ったのだ。
「え? えっと……大体十日くらい?」
「……それはまた……」
予想していたよりは短かったが、だからといってニールセンの立場上、十日も妖精郷を留守にするのは不味い。
(こう見えて、ニールセンは長の後継者だしな。……けど、ニールセンが長になって、妖精郷は本当に大丈夫なのか?)
ニールセンとの付き合いも、何だかんだと長い。
それだけに、レイはニールセンの性格をよく知っている。
それだけに、ニールセンが本当に将来的に長としてやっていけるのかと言われれば、レイとしては首を傾げざるをえない。
もっとも、レイが長から聞いた話によると、長もまた先代の長の後継者となった時は今のように落ち着いた性格ではなく、かなりやんちゃな性格だったらしい。
であれば、ニールセンも長になれば落ち着くのかもしれない。
(こういうの、何だったか。地位が人を作る? そんな感じの言葉があったと思うけど、そんな感じか?)
そうなったらいいんだが。
そう思いつつ、レイはニールセンに期待と呆れの視線を向けるのだった。
「じゃあ、妖精郷まで行ってくる」
「レイなら問題はないと思うが、気を付けて欲しい。その……今日は、妖精郷に泊まるのか?」
「いや、ギルムに戻ってくる。昨日俺が連れて来た冒険者育成校の連中の様子を一度見に行くと言っておいたし」
そう言うと、エレーナは嬉しそうに笑みを浮かべる。
昨日戻ってきたばかりのレイが、今日はまた別の場所に泊まるというのは、エレーナにとっても好ましいことではなかったのだろう。
「そう言えば、結局冒険者育成校の人達はどこに泊まることになったの?」
「領主の館だよ。……というか、その件についてはマリーナが動いてくれたんだろう?」
「あら、そうだったかしら。……そういうこともあったかもしれないわね」
マリーナが本気で忘れていたのか、それとも忘れた振りをしていたのか。
それはレイにも分からなかった。
ただ、マリーナの様子を見ると、恐らく後者なのだろうとは予想出来たが。
「お陰で助かったよ。……まさか、去年よりも人が多いとは思っていなかったし」
「そうなのよね。報酬を目当てに、年々増えているわ。今年はまだいいし、来年も何とかなると思うけど、このまま増え続けると、やがてどうしようもない時が来そうなのよね」
「今年と来年……そのくらいで増築工事は終わらないか?」
既に数年、増築工事は続いている。
もしこれが日本なら、重機を多数使ってかなりの速度で増築工事が進んでもおかしくはない。
だが、このエルジィンには重機の類はない。
もっとも、代わりに魔法であったりマジックアイテムであったりがあるのだが。
ただ、誰が使っても――操縦ミスさえしなければ――同じ結果を出せる重機と違い、魔法は使える者が非常に少ない。
マジックアイテムなら大半の者達に使えるだろうが、それだって重機以上に希少な代物だ。
ましてや、ここはミレアーナ王国唯一の辺境で、ここまで来るだけでも命懸けとなる。
街道付近のモンスターは冒険者達が倒しているが、それも絶対ではないのだから。
ある程度の安全が担保されているとはいえ、ギルムに来るのが命懸けなのは間違いない。
「そうね。もう数年は掛かるでしょうね。勿論、増築工事の規模を小さくすれば、今年や来年で終わるかもしれないでしょうけど……ダスカーがそうすると思う?」
マリーナの言葉にレイは首を横に振る。
辺境にあるギルムにとって、増築工事というのは一大事業だ。
だからこそ、一度やると決めたらそこそこのところで止めるのではなく、徹底的に増築工事をする必要があった。
機会を最大限に活かすのは当然のことだろう。
「いや、ダスカー様なら、どうせやるのなら徹底的にと考えるだろうな」
レイの知っているダスカーなら、折角の機会を中途半端なことで終わらせはしない。
それこそ徹底的に……出来る限りの増築工事を行うだろう。
あるいはここが辺境でなければ、そこまで増築工事をする必要はないかもしれない。
だが、ここは辺境のギルムだ。
冒険者や商人、あるいはそれ以外にも多くの者達が集まってくる以上、その拠点となるギルムは広ければ広い程いい。
だからこそ、もう数年は普通に掛かる……場合によっては、十年くらい掛かってもおかしくはないだけの、増築工事を行おうというのはおかしなことではない。
普通なら増築工事をやるには大量の資金が必要になるが、辺境のギルムでなら金は幾らでも稼げる。
勿論、だからといって好き勝手に使ってもいいという訳ではないのだが。
ただ、ダスカーにとっては今ここで使うのは無駄金にならない……それどころか、ここで使った資金も増築工事が終わればすぐに回収出来ると考えている可能性はあった。
(テイマーの為の学校とか、砂上船……いや、地上船の工場とかも作るって話だったし。それに、緑人達のおかげで、香辛料の栽培も盛んだしな)
香辛料の中には非常に高価な物もある。
全てがそこまで……それこそ、同量の金と同じ価値といった訳ではないにしろ、それでもかなり高価な香辛料は多い。
あるいはそれには及ばなくても、一般的に見れば間違いなく高価な香辛料もある。
それらの香辛料は、既にギルムでそれなりに出回っており、商人達も目を付けていた。
他にも、今は増築工事に使っているものの、トレントの森に生えている木も木材として売れば、それなりの値段になるだろう。
勿論、ただの木材では意味がない。
錬金術師が魔法的な処理をした木材として売りに出されることになるだろう。
「増築工事の件も含めて、ダスカー様に任せておけばギルムは安心なのは間違いないな」
「……そうね。それは私も否定しないわ」
レイの言葉にマリーナも同意する。
ダスカーをからかうことも多いマリーナだったが、ダスカーの能力については十分に評価している。
そうでなければ、それこそもっと積極的にアドバイスをしているだろう。
しかし、その必要がないからこそ、少しからかう程度ですませているのだ。
……ダスカー本人がそれを聞いたら、ふざけるなと叫んでもおかしくはなかったが。
「さて、そんな訳で俺はそろそろ妖精郷に行くよ。……ニールセン、行くぞ」
「はーい!」
レイの言葉を聞いたニールセンが、文字通りの意味で飛んでくる。
そして数ヶ月ぶりだというのに、まるでいつものことのようにレイの右肩に立つ。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「気を付けてな」
「強いモンスターが出たら、その情報を教えてね」
それぞれに声を掛けられ、レイはセトの背に跨がる。
「よし、行くか。セト」
「グルルゥ!」
レイの言葉にセトは喉を鳴らしつつ、数歩の助走の後で翼を羽ばたかせる。
空を駆け上がっていくセト。
レイはそんなセトの背の上で、嬉しそうに笑みを浮かべていた。
レイにしてみれば、セトに乗って空を飛ぶのは既に日常だ。
しかし……それでも、マリーナの家から直接こうして飛び立つのは、数ヶ月ぶりのことだ。
それが何とも言えず、嬉しく思ってしまう。
「どうしたの? 何だか嬉しそうだけど……何かあった?」
レイの様子を見たニールセンが、不思議そうに尋ねる。
レイとは違い、ニールセンはマリーナの家から飛び立つのはそう珍しいことでもないのだろう。
あるいは、妖精郷からマリーナの家に来る時、こうして空を飛んで降りていたのかもしれない。
「こうしてマリーナの家から飛ぶのは随分と久しぶりだと思ってな」
「ふーん……それが面白いのね。私にはちょっと分からない感じだけど」
「その辺は人それぞれだろ。面白いというのとはちょっと違うと思うけど。それより……」
「何?」
「いや、長に対する言い訳を考えておいた方がいいんじゃないか?と思ってな」
ギクリ。
そんな表現が相応しい様子で、ニールセンの動きが止まる。
どうやら妖精らしい脳天気さ……あるいはニールセンらしい脳天気さで、長のことをすっかりと忘れていたらしい。
「ど、どうしよう……ねぇ、レイ。どうすればいいの?」
「いや、それを俺に聞かれても正直困るんだが。というか、そこまで怖がるのなら毎日妖精郷に帰ればよかったと思うんだが」
「だって……遊んでいたら、すっかり忘れていたんだもの。どうしよう……」
「素直に怒られるんだな」
レイは結局ニールセンに対し、そう言うのだった。




