3920話
領主の館に近付くと、商人や貴族の使者、他にも色々な者達の姿が多くなる。
大通りのようなざわめきはないが、領主の館に続く道に並んでいるその光景は、見ている者に一種異様な思いを抱かせる。
もっとも、レイにしてみればこうして並んでいるというのは、特に珍しい光景でもない。
日本において、行列を作るというのはそう珍しいことでもないのだから。
だが、ニラシス達にしてみれば、この光景は十分に珍しいものだった。
ましてや、明らかに身なりのいい商人であったり、貴族の使者と思しき者達までもが、文句を言わず並んでいるのだから。
もしこれが他の場所であれば、商人は自分の財力であったり、ギルムの中の地位を利用し、そして貴族の使者は自分の仕えている貴族の権力を使い、並んでいる順番に割り込んだりするだろう。
だが、もしこの場でそのようなことをすれば、それこそダスカーに会うことが出来なくなる。
実際、そのような目に遭った者が何人もおり、それを知っているからこそ並んでいる者達も大人しく並んでいるのだろう。
「なぁ、レイ。その……俺達は並ばなくてもいいのか?」
ニラシスが恐る恐るといった様子でレイに尋ねる。
ニラシスにしてみれば、商人や貴族の使いが並んでいるのに、それを無視するかのように横を歩いて正門に向かっている……それでいながら、全く後ろめたい思いを抱いた様子のないレイに、本当にそれで大丈夫なのか? と聞きたいのだろう。
しかし、レイはそんなニラシスに……そして他の生徒達にも、心配するなと、大丈夫だと頷いてから口を開く。
「安心しろ。そこに並んでいる者達は増築工事の件でダスカー様に用事のある者達だ。俺達は増築工事には関係ないから、並ぶ必要はない」
もっとも、俺の場合は増築工事の件でダスカー様に会いたいと言えば、並ばずにすぐに会えるんだけどな。
そう言葉にせずに思うレイ。
ニラシス達は一応レイの説明で納得したのか、先程までよりは少しだけだが落ち着いた様子を見せている。
そうして行列の横を歩いていたレイは、やがて領主の館の門と、その門の前にいる見覚えのある門番達の姿を目にする。
すると当然のように門番達もレイの姿を発見する。
いや、寧ろセトを連れているレイの存在を見逃すというのは有り得ないだろう。
「よう、レイ。久しぶりだな」
「ああ、久しぶり」
気安い態度で門番達が挨拶をし、レイも同様にそれに答える。
門番達にしてみれば、レイはこれまで何度も会ってきた気心の知れた相手だ。
それだけに、こうして気安く挨拶も出来る。
……そんな門番の態度に並んでいた者達の何人かが驚きの表情を浮かべていたが。
それは門番の気安い態度に驚いたのか、それともセトを連れているレイの存在に驚いたのか。
恐らく後者なのだろうなと、ドラゴンローブのフードの下から並んでいる者達を一瞥してレイは思う。
ここに並んでいる者達の多くは、商人や貴族の使いだ。
つまり、レイがクリスタルドラゴンを倒したのを知っている者である可能性が高い。
……あるいはギルムに来た理由のうちの何割かは、ドラゴンの素材や情報の可能性もあった。
もっとも、領主であるダスカーからその件でレイに接触するのは禁止されている。
領主の館でダスカーと面会する為に並んでいる者達である以上、当然ながらその辺りの事情については知っているだろう。
それを示すように、レイの名前に反応はしたものの、特に動く様子はないのだから。
「それで……その、後ろの連中がマリーナ様から話のあった?」
「ああ、その件はもう知ってたのか。そうだ。この連中がガンダルシアの冒険者育成校の教官と生徒達になる」
どうやらギルドでレノラが書類を見逃していたのとは違い、ここではしっかりと情報が入っていたのだとレイは安堵する。
「分かった。取りあえず中に入ってくれ。客室で少し待って貰うことになると思うが」
「それで構わない。俺もダスカー様には帰ってきたと話しておきたいところだし」
短く言葉を交わし、レイ達は門を越えて領主の館の敷地内に入り……
「え? あ、セトちゃん?」
門から中に入ってすぐの場所で、イステルの声が響く。
イステルの視線の先では、セトが勝手にどこかに行くところだった。
ここが領主の館であると知っているイステルは、焦ったようにレイを見るが……
「気にするな。これはいつものことだから。セトは俺達の用件が終わるまで、中庭で待っている筈だから」
セトが来たことに気が付いたら、恐らく料理人達が何か料理を持っていって、食べさせるだろう。
そうレイが言うと、その言葉を聞いたイステルは驚く。
レイやセトが、領主の館に非常に慣れているように思えたからだ。
もっとも、慣れているという意味では先程の門番とのやり取りもそうだったが。
貴族出身のイステルだけに、それがどれだけ驚くべきことなのかは理解出来た。
そして……理解出来たからこそ、レイに尊敬の視線を向ける。
もっとも、そこには尊敬以外の感情がないかと言えば、嘘になるが。
「そうなんですか。分かりました」
イステルが納得すると、他の面々もそういうものかと納得し、レイ達は領主の館の中に入る。
「お久しぶりでございます、レイ様」
館の中にはレイにも見覚えのある執事の姿があり、深々と一礼する。
年齢的には既に老人なのだが、かくしゃくとしたその仕草は、年齢を感じさせない。
「ああ、久しぶり。ダスカー様と会いたいんだけど……」
「申し訳ありませんが、現在他の方と面会中ですので、少しお待ちいただくことになりますが」
「問題ない。急に来たのはこっちだしな」
レイの言葉に執事は再び一礼すると、レイ達を客室に案内する。
案内された客室は、レイも初めて来る場所だった。
レイは今までそれなりに領主の館で客室を使っているのだが、それでも初めて見る客室に興味深そうな視線を向ける。
その客室は、レイは今まで使ってきた客室と較べると、明らかに広い。
何故この客室を? と考えれば、それはレイ達の人数が理由だろう。
以前レイが客室を使った時は、人数が少なかった。
だが、今はレイ以外にも教官のニラシスに、生徒が六人もいる。
以前レイが使っていた客室では、明らかに狭い。
何より全員が座るような場所もない。
そういう意味で、このような客室を用意されたのはそうおかしなことではなかった。
「では、失礼します。すぐにメイド達に紅茶と軽食を用意させますので」
執事が一礼し、部屋から出ていく。
「ふわぁ……さすがだな、見るからに高そうな絵とか置いてあるぜ」
執事がいなくなったところで、ニラシスは周囲の様子を見て感心したように言う。
生徒達もそんなニラシスの言葉に客室の中を見回していた。
貴族出身のイステルもそれは変わらない。
グワッシュ国の貴族とミレアーナ王国の貴族……それもダスカーはミレアーナ王国の貴族の中でも有力者の一人だ。
それだけに、この客室はイステルの目から見ても素晴らしいものだった。
「一応言っておくけど、お前達は今日からこの屋敷で寝泊まりするんだからな。……まぁ、泊まるのはあくまでも個室で、こういう客室のような場所じゃないと思うけど」
客室というのは、その名の通り客が使う部屋だ。
その客に対して失礼にならないように……そして、ダスカーがどれだけの財力を持つのかを示し、侮られない為に、高級な家具や高価な絵画などが部屋の中にはあった。
そうである以上、領主の館で寝泊まりをする時にこのような部屋でという訳ではない。
あるいはそうしなければならない相手……それこそダスカーと同格の貴族であったり、あるいは王都からの使者であったりすれば、また話は別かもしれないが。
ともあれ、ニラシス達がそのような部屋で寝泊まりをする訳ではないのは明らかだった。
「ああ、分かってる。……というか、こういう部屋で寝泊まりをしろと言われても困る」
ニラシスはガンダルシアの冒険者としてそれなりに成功しているものの、それでもこのような部屋を使ったことはない。
もっとも、その機会があれば使うかと言われれば……ニラシスとしては微妙なところだろう。
豪華な部屋なのは間違いないものの、根が庶民のニラシスにしてみれば、このような部屋は決して居心地がよくない。
出来ればもっと質素な部屋にして欲しいというのが、ニラシスの正直な気持ちだった。
そして客室の中を見て回ったりして、一段落したタイミングで扉がノックされる。
ノックの音に、生徒達の何人かが動揺する。
レイはそれを気にした様子もなく、中に入るように言うと数人のメイドが紅茶や軽食の乗った台座……いわゆる、サービスワゴンと呼ばれるのに近い物と共に部屋の中に入ってくる。
そしてテーブルの上にそれらを置く。
用意されたのは、紅茶にサンドイッチや焼き菓子、ドライフルーツといった諸々。
ただ、少しだけレイが気になったのは、幾つかある焼き菓子の一種だ。
嗅ぎ慣れない香りをする焼き菓子は、今までレイが領主の館で食べたことがない種類だ。
「これは?」
それが気になってメイドの一人に尋ねると、メイドは笑みを浮かべて口を開く。
「少し前から作られるようになった焼き菓子です。レイ様もご存じの通り、現在ギルムでは香辛料の栽培が盛んですので、その香辛料を使った焼き菓子とのことです」
「香辛料を……焼き菓子に?」
メイドの言葉に驚くレイだったが、これは香辛料が胡椒であったり、もしくはカレーに使うような各種スパイズを想像していたからだろう。
だが、例えば甘い菓子に使われることが多いバニラビーンズもまた香辛料の一種なのは間違いない。
……もっとも、焼き菓子から漂ってくる香りは甘い香りではなく、もっと違う香りだったが。
ただ、それでもどこか食欲を刺激する香りに惹かれるように、レイはその焼き菓子に手を伸ばす。
口に運ぶと、サクッとした軽い食感と共に甘さが口の中に広がる。
同時に香辛料の香りも口の中に広がり、それが口の中を楽しませる。
「……うん、これは美味いな」
正直な感想を口にするレイ。
それを見たメイド達は、嬉しそうな表情を浮かべる。
メイド達にとっても、この焼き菓子は美味いと思えるのだろう。
自分が美味いと思えるものを、他の人も同じように美味いと思う。
それは、メイド達にとっても非常に嬉しいことだった。
レイは別にメイド達の機嫌を取る為に今のようなことを口にした訳ではないのだが。
「では、失礼します」
メイド達は嬉しそうな様子で一礼すると出ていく。
「で、レイ。俺達もこれは食べていいんだよな?」
念の為といった様子でニラシスがレイに尋ねる。
食べても問題はないだろうと思うのだが、それでも万が一のことを考えればやはり聞いたのだろう。
「別に構わないと思うぞ。ダスカー様といつ会えるのかは分からないけど、その時に腹が鳴らないようにしておいた方がいいだろうし」
そう言われ、真っ先に軽食……中でもサンドイッチに手を伸ばしたのは、イステルとカリフ。
女として、ギルムの領主であるダスカーに会う時、腹の音が鳴るというのは絶対に避けたかったのだろう。
イステルの場合は、女としてというのもあるが、同時に貴族の出身だからというのも影響していたのだろうが。
そうして二人がそれぞれ軽食に手を伸ばすと、他の者達もそれに続く。
この客室にあるのは、レイ達全員が普通に食べたり出来る大きさのテーブルだ。
そのテーブルの上にある軽食に、次々に手を伸ばしていく。
香辛料の効いたクッキーを食べたレイが次に手を伸ばしたのは、一口サイズのサンドイッチ。
この領主の館に来ると出されることが多いサンドイッチだったが、レイはこの一口サイズのサンドイッチをかなり気に入っていた。
サンドイッチと一口に言っても、ただパンで具材を挟んだだけのものではない。
一つずつ丁寧に手間暇を掛けて工夫が施されている。
例えば、パンと具材の間に塗られているバターも、具材によってただのバターであったり、辛味の効いたバターであったり、まろやかな甘みを持つバターであったりといった具合に。
また、具材もきちんと手間暇を掛けて調理してある。
(うーん……相変わらず美味いな。特に今日はこの魚が……)
レモンのような強い酸味のある果汁と、香草と塩によって味付けされた焼かれた魚のサンドイッチは、まさに絶品だった。
それ以外にも何かレイの知らない香辛料が使われており、それが余計にレイの食欲を刺激する。
そうしてレイが幸せそうにサンドイッチを食べていると、それを見た他の面々もサンドイッチに手を伸ばすのだった。




