3910話
村の宿屋に泊まった翌日の早朝、レイは厩舎の側にある空き地で戦闘訓練を行っていた。
昨夜は結構な強さの雨が降り続けていたのだが、雨雲も通りすぎ、空には青空と白い雲が広がっている。
架空の敵を想像し、その敵にデスサイズや黄昏の槍を振るって攻撃していく。
それらの攻撃は、敵に回避され、それでいながら反撃をされ……
「っと!」
想像の相手……エレーナの放つミラージュの攻撃を何とか回避する。
連接剣と称されるミラージュは、長剣と刃の付着した鞭といった異なる武器の特性を持つ。
それだけに扱うには非常に高度な技術が必要なのだが、エレーナはそんなミラージュを完全に使いこなす。
そんなエレーナだからこそ、姫将軍の異名を持ち、その異名を周辺諸国に知られているのだろう。
鞭状になった振るわれたミラージュの攻撃を回避しながら、前に出る。
そんなレイの背後からは、エレーナの手首の動きだけでミラージュの切っ先が反転し、レイの頭部に向かう。
その一撃をレイは見もせずに左手に持つ黄昏の槍を振るって弾き、その動きと同時に右手に持つ黄昏の槍を振るうが……想像上のエレーナは、素早く後方に跳んでその一撃を回避する。
だが、レイは右手で振るったデスサイズの柄を握る力を弱め……そうなると、当然のようにレイの手の中でデスサイズは振るわれた力によって滑り……それはつまり、デスサイズの振るわれる範囲が広くなることを意味していた。
勿論、普通ならそんなことは出来ない。
だが、レイの振るうデスサイズは、レイとセトが使う時に限って重量を感じさせないという能力を持つ。
だからこそ、百kgを超える重量のデスサイズをレイは片手で持つことが出来るし、柄を握る力を抜いて柄を滑らせ、持つ場所を柄の後方にすることによって攻撃範囲を大きくすることも出来る。
そして……想像上のエレーナは、ミラージュの柄でデスサイズの一撃を何とか受けるも、そのまま吹き飛ばされるのだった。
「ふぅ」
想像上とはいえ、エレーナとの模擬戦を終えたレイは大きく息を吐くが……
パチパチパチパチ、と。そんなレイに向かって拍手が聞こえてくる。
拍手の聞こえてきた方に視線を向けると、そこにはニラシスと生徒一同が揃っていた。
その全員が、レイに向かって拍手をしている。
「……見てたのか」
「ああ、見ていた。レイが誰を想定して今の動きをしたのかは分からないが、かなりの強者だというのは理解出来たな。だろう?」
ニラシスが生徒達にそう尋ねると、生徒達はそんなニラシスの言葉にそれぞれ頷く。
「凄いと……それしか思えませんでした」
アーヴァインが尊敬の視線をレイに向ける。
元々、アーヴァインはレイの……深紅のファンだった。
そんなレイが想像上の相手とはいえ、本気で模擬戦をしている光景は感激するような光景だったのだろう。
同じくレイのファンであるザイードは無言ではあるが熱心に拍手をしているし、男女の意味での好意を持っているイステルもまた、嬉しそうに拍手をしていた。
レイとは色々と付き合いの深いハルエスも、今のレイの動きには驚いた様子を見せている。
カリフやビステロもそれは同様だった。
「あー……別にそこまで感心されるようなものじゃないんだが。まぁ、喜んで貰えたのは俺としても嬉しいけど」
レイにしてみれば、人に見せるつもりで想像上のエレーナと模擬戦を行っていた訳ではない。
あくまでも自分の為に行われている訓練なのは間違いなかった。
「そうは言っても、実際に見ている俺達にもレイが戦っている相手が見えたような、そんな気がするくらいに……そう、現実感? そういうのがあった」
ニラシスの褒め言葉に、レイは満更でもない様子を見せる。
自分の今の動きでそのように思って貰えたのなら、それは悪くないことだと思ったからだ。
「一応、感謝の言葉はありがたく受け取っておく」
「その、レイ教官。一体どうやったら今のようにしっかりと想像出来るんですか?」
カリフが目を輝かせて聞いてくる。
カリフにしてみれば……いや、カリフ以外の者達にとっても、今のレイの想像上の相手との模擬戦には目を奪われるものがあった。
だが、そうだからといって自分にそれが出来るかと言われれば、それは否だ。
レイがやっているのは分かる。分かるが、だからといってそれと同じことが自分にも出来るかと言われれば、とてもではないがそのようなことは出来ないのだから。
だからこそ、カリフはどうやったらそのようなことが出来るのかとレイに聞いたのだろう。
他の面々も……それこそニラシスも含めて、レイの言葉を待っている。
一体どうやったらそのようなことを出来るのか、皆も気になっているのだろう。
「そう言われてもな」
その問いに、どう答えればいいのか困ったのはレイだ。
何しろレイがこうして想像を出来るのは、生来の能力に近い。
もしくは、日本にいた時に楽しんだ漫画やアニメ、ゲーム、小説といったものがその多くを占めている。
そんな中でも、一番大きな役割を果たしたのは、やはり小説だろう。
漫画やアニメ、ゲームといったものは、きちんと絵やそのシーンを目で確認することが出来る。
だが、小説は基本的に文章だけで構成されていた。
勿論、書店で売られているような小説……いわゆるライトノベルと呼ばれる類のものであれば、イラストのページもある。
だが、それはあくまでも一場面でしかない。
基本的に小説は、文字を読みながらその光景を頭の中で想像して楽しむのだ。
あるいは他の者であれば違ったかもしれないが、レイはそのように楽しんでいた。
だからこそ、想像力……もしくは妄想力と呼んでもいいのかもしれないが、それに対する高い適性をレイは持っていた。
「想像力が全て、としか言いようがないな」
「……そう言われても、どうすればいいんだ?」
ニラシスがレイの言葉にそう尋ねる。
ニラシスにしてみれば、想像だけで先程のレイがやったように、完全に……それこそ外から見ていても戦いの流れが分かるような、そんなことは到底出来ない。
だが、冒険者として活動する上で、想像した相手と模擬戦を行えるというのは、自分を鍛えるという意味でも出来る限り知っておきたかった。
だからこそ、レイに対してどうすればいいのかと、心の底から疑問を抱いて尋ねる。
「そう言われても……」
遊び半分や興味本位ではなく、本気でニラシスが自分に聞いているのは分かる。
分かるのだが、だからといって具体的にどうすればいいのかと言われても、レイにはすぐに答えることは出来なかった。
あるいは、このエルジィンにおいても小説が一般的なら、それを読めと言えたかもしれない。
だが、このエルジィンにおいて本というのはとても希少で気軽に買えるような物ではない。
それだけ希少なだけに、小説よりも辞典的な本の方が多い。
もっとも、中には子供向けの絵本の類もあるのだが。
「あ」
「……レイ?」
ふと思いついたレイが声を出すと、そんなレイの様子に何かあるのでは? とニラシスが期待の視線を向ける。
あるいはこれがニラシスだけなら、何でもないと誤魔化すといった方法もあっただろう。
だが、生徒達からも期待の視線を向けられると、それを誤魔化すようなことは出来なかった。
「想像力を鍛えるのに思い浮かんだのがある。ただ、正直なところこれがどれだけの効果を発揮するのかは俺にも分からない。あくまでもやらないよりはマシといった程度でしかないのを承知の上でなら、話してもいいけど……どうする?」
「聞かせてくれ。それでどうにか出来るのなら、やるだけやってみたい」
ニラシスの言葉に生徒達も期待の視線をレイに向ける。
ニラシスだけなら誤魔化そうかとも思ったレイだったが、生徒達からこのような視線を向けられれば、教官として説明するくらいはした方がいいだろうと判断して口を開く。
「やることはそんなに難しくはない。ニラシスもそうだが、子供の頃に両親とかからお伽噺や昔話、伝承……そういうのを聞いたことはないか?」
そうレイが尋ねると、その話を聞いた何人かが思い当たるようなことがあったらしい。
「その話を聞きながら、その話の中でどういう光景なのかを想像する。これをやっていけば、想像力を鍛えるようなことは出来る……かもしれないな」
これはあくまでもレイが思いついたものであり、何の検証もしていない。
それこそ実際に試してみたところ、何の意味もないという可能性も否定は出来ないのだ。
だからこそ、レイとしてはあまり言う気にはならなかったのだが……ニラシスや生徒達に教えて欲しいと言われれば、話すしかない。
「雨が夜のうちに止んだから、今日は出発する。その時、セト籠の中で特にやるようなことはないだろうし、それぞれに自分の知っている話をして、それを聞いた者達が想像する……とか、やってみてもいいんじゃないか?」
セト籠に乗って移動している時は、やるべきことはそう多くはない。
運動的な意味で身体を動かすといったことは出来ないので、それこそ話をするくらいしかやることはない。
そのような時に一人ずつ自分の知っている伝承やお伽噺をして、それを聞いた者が想像する。
それは決して悪くないことのようにレイには思えた。
「そうだな。それはそれで面白いかもしれない。……もっとも、そうなると俺の話をする機会はなくなるけど」
「あー……そっちもあったな」
ニラシスの言葉に、レイは少し困った様子でそう言う。
レイが聞いた話によれば、セト籠の中ではニラシスが冒険者として活動する上での注意事項を話したりしているらしい。
それは実際にニラシスが冒険者として活動していて、感じたことだ。
それだけに、生徒達も素直に聞いているらしい。
……これもまた一種の座学と言えるのかもしれないが、セト籠の中では話をするくらいしかやることはない。
また、ニラシスにとってもギルムに行くのは課外授業のようなものだという認識があるので、そうして冒険者としての注意事項といったことを話したりしているのだろうが。
「まぁ、どうするのかはニラシスに任せる。それより、そろそろ朝食を食べて、出発するぞ。この村にいつまでもいるのは、それはそれで面倒なことが起きかねないし」
レイのような有名人がこうして村にやって来たのだ。
当初はかなり警戒したものの、それでもこうして受け入れた以上、折角なら……ということで、何か突発的な依頼をされる可能性は十分にあった。
ましてや、その依頼はレイの予想だと、報酬も通常よりも低くなっている筈だ。
それこそ村の人間にしてみれば、雨宿りをさせる為に村の中に入れてやったのだから、安い報酬で依頼を受けるくらいは当然といったようなことを言いかねない。
普通ならとてもではないが考えられないことだったが、この村のように小さな世界しか知らない者にしてみれば、そのようなことをしても不思議ではないのだから。
そのような依頼を断ると、当然ながら険悪な雰囲気になる。
そもそも、昨日は雨が降ってきたので雨宿りをする為にこの村に寄ったのだが、レイ達はギルムに急ぐ身だ。
そうである以上、少しでも早く村を出発する必要があった。
(まぁ、面倒なことになるかもしれないというのは、あくまでも俺の予想だ。もしかしたら、そういう依頼とかは一切しないで、普通に見送ってくれる可能性もあるけど)
そんな風に考えつつ、レイは皆に出発の準備を整えるように言う。
もっとも、全員の荷物はレイのミスティリングに収納されている。
そうである以上、出発の準備と言ってもやるべきことはそう多くはない。
そんな訳で、レイ達は朝食も含めて素早く準備を整えるのと、村から出る。
「……その、気を付けて」
昨日ニラシスと話した門番が、村を出ていくレイ達に向かってそう声を掛ける。
昨日は散々レイ達を警戒していた門番の男だったが、一晩経って特にレイ達が何か問題を起こしたりしなかったということもあって、あそこまで警戒する必要はなかったのでは? という風に思えるようになったらしい。
「おう。お前も門番は大変かもしれないが、頑張れよ」
昨日、この門番と話したニラシスがそう声を掛け、生徒達は軽く頭を下げる。
レイは特に何をするでもなく、門番の前を通りすぎた。
レイの隣にはセトがいたので、門番はレイに視線を向けるようなことはしなかったが。
門番にしてみれば、それだけセトという存在は怖いらしい。
レイにしてみれば、そこまでセトを怖がらなくてもいいのにと思うと同時に、昨日初めてセトと接したと考えれば、無理もないだろうと思うのだった。




