3906話
「さて、そろそろ寝るか」
野営の中、夕食も食べ終えて、夏の夜だというのに焚き火に当たりつつ話していたレイだったが、そろそろ夜も遅くなったので、そう言う。
時間的にはまだ午後九時にもなっていないのだが、この世界では普通にそろそろ寝る時間だ。
「レイ教官、見張りはどうします?」
アーヴァインの言葉に、レイはどうするべきかと考える。
普通に考えれば、セトがいる時点で見張りの類は必要ない。
何しろ、レイが野営をする時はいつもセトに護衛をして貰っているのだから。
だが、それはあくまでもレイの場合であり、当然ながらレイ以外の者にとってそれはかなり特殊な状況なのも事実。
普通の……セトがいない冒険者であれば、それこそ交代で見張りを行う必要があるのだ。
このギルム行きも遊びではなく授業の一環ということになっている以上、生徒達に野営の見張りはさせる方がいいだろうと思える。
とはいえ、そうなると生徒達だけに見張りを任せるのは不味いのも事実な訳で。
「ちょっと待ってくれ。……ニラシス、ちょっといいか?」
レイは見張りについての一件を聞いてきたアーヴァインには少し待って貰うことにし、ニラシスを連れて少し離れる。
ニラシスもレイが何を聞きたいのかは十分に理解しているのか、特に不満らしい不満も見せず、ついてきた。
そして焚き火のあった場所から離れ……会話が聞こえないような場所まで移動すると、レイが口を開く。
「それで、見張りの件はどうすればいいと思う? もし生徒達に見張りをやらせるとなると、教官の俺とニラシスが見ている必要があると思うんだが」
「ああ、なるほど。……けど、セトがいるのなら安心だろう?」
「それは否定しないけど、それでも野営の際に見張りをやるのに必要な注意事項とか、そういうのを教える必要もあるだろう? それに……こう言ってはなんだが、生徒達に見張りをやらせておいて、俺達だけぐっすり寝てるってのはどうかと思うし」
「……それはちょっと気にしすぎだろう。レイが何を考えているのかは分かるが、あいつらも冒険者なんだから」
「冒険者だけど、生徒であるのも間違いはないだろう?」
「それは否定しない。だが同時に、あいつらは特に優秀な生徒として選ばれた者達だ。違うか?」
「それは……まぁ」
実際、ギルムに行きたいと希望する生徒はレイが予想していたよりもかなり多く、最初の段階でかなりの人数が落とされてるのも事実。
そうして残った者達が筆記試験やトーナメントを行い、そんな中で残ったのがここにいる面々なのだ。
……もっとも、ハルエスだけはレイの推薦という形でここにいるのだが。
ともあれ、冒険者育成校の中の精鋭という表現が相応しい者達なのは事実だった。
「だろう? それに……ここはダンジョンの中でも、辺境でもない場所だ。モンスターはそんなにいないし、心配なのは盗賊くらいだろう」
「それが一番心配なんだが」
例えばこれがモンスター……ダンジョンの中でも辺境でもないこのような場所にいるモンスターで一番襲撃してくる可能性が高いのは、ゴブリンだろう。
ギャアギャアと喚きながら行動するゴブリンだけに、もし襲ってきてもそれはすぐに分かる。
だが……それが盗賊ともなれば、ゴブリンとは比べものにならないだけの高い知性を宿しており、襲撃をする時は騒いだりせずに攻撃してきてもおかしくはない。
いや、盗賊である以上、寧ろそれは当然だろう。
その時、生徒達に対応出来るのか。
勿論、セトがいる以上は最悪の事態になるとはレイも思わない。
思わないが、それでも万が一を考えると、やはりここはしっかりと対処出来るようにしておいた方がいいのではないかというのがレイの考えだった。
「レイ、俺達は教官だ。それは間違いない。けど、あの連中はいずれ……近いうちに学校を卒業して冒険者として活動することになるんだ。そうである以上、こういう時に俺達が手を貸すのはどうかと思うぞ。何かあったら、その時……本当に最後の最後で手を貸すのなら分かるけど」
そう言うニラシスの言葉には、強い説得力があった。
単純に、自分が野営の見張りをやりたくはないという思いがあるのも事実だろう。
だが同時に、自分達という保護者がいないことで生徒達がしっかりと見張りをやるというのは、最終的に生徒達の為になるだろうという思いがあるのも間違いはない。
「分かった」
結局レイは、いざとなれば自分やニラシスがいるし、何よりセトもいるということでその意見を受け入れ、生徒達のいる場所に戻る。
当然だったが、生徒達もレイとニラシスが離れた場所で話をしていたということから、何かあるのだろうという思いがあり、レイ達が戻ってくるのをじっと待っていた。
そんな生徒達からの視線を向けられつつ、ニラシスが口を開く。
「さて、課外授業だ。レイとも相談したんだが、今日は……いや、正確には今日からギルムに到着するまでの野営では、生徒達だけで見張りをして貰う。当然だが、見張りの最中で敵が出て来た時も対処は生徒達だけでして貰う」
ニラシスもいざという時にセトがいるのは分かっている。
だが、生徒達にその辺についての話をすると、どうしても気が緩む。
いざという時はセトがいる、と。
だからこそ、ニラシスは意図的にセトの名前を口に出すようなことはしない。
生徒達はそんなニラシスの考えを理解しているのか、いないのか。
ともあれ、ニラシスの言葉にそれぞれ視線を交える。
「じゃあ、そういう訳で。俺達は寝る。どういう組み合わせで、どのくらいで見張りを交代するのかは、お前達で決めろ。……レイ」
「これも冒険者として活動する上で必須の経験だ。大変かもしれないが、頑張れよ」
ニラシスに促されたレイは、それだけ言って自分のテントに……マジックテントに戻る。
その前にセトに声を掛け、軽く撫でるということは忘れなかったが。
マジックテントの中に入ると、すぐに身軽な格好になり、まだ時間は少し早いだろうということでソファで横になる。
(にしても、見張り……本当に大丈夫か? いや、セトがいる以上は心配ないと思うけど。ただ、交代とかどうするんだろうな)
レイの場合であれば、懐中時計があるので時間を確認出来る。
だが、生徒達の場合は当然ながらそのような物は持っていない。
(焚き火に薪を追加した回数でとか? ……まぁ、それはそれでありかもしれないけど)
そうして考えているうちに、レイは眠気に襲われ……寝室に向かうのだった。
パチ、パチと焚き火の燃える音が周囲に響く。
焚き火を見ながら、ハルエスはザイードに声を掛ける。
「ザイード、本当に大丈夫だと思うか?」
「何がだ?」
心配そうに尋ねるハルエスに対し、ザイードは短く返す。
それは別にザイードがハルエスの言葉に不満を持っているからではない。
元々、ザイードは寡黙な男だ。
それこそ必要がなければ口を開くようなこともなく、口を開いてもその言葉は非常に短いことが多い。
……尊敬するレイと話す時は、普段よりも明らかに口数が多いのだが。
ともあれ、そんなザイードだったが、ハルエスとはそれなりに仲が良い。
特に何か理由があった訳ではなく、ただ何となく気が合ったというのが正しいだろう。
だからこそ、短い返答に対してもハルエスは特に気にした様子もなく口を開く。
「だから、見張りだよ。……俺達が最初になったけど、何かあったら対処出来ると思うか?」
そう言いつつ、ハルエスは側に置いてある弓に視線を向ける。
レイに勧められて使うようになった弓だが、今となってはかなりの腕だ。
それこそ冒険者育成校の生徒の中で、弓を使う者達の中でも中の上、もしくは上の下といったくらいには。
専門に弓を使う者達の中でそれだけの技量を持つのだから、ハルエスがどれだけ弓の才能に恵まれているのかが分かるだろう。
とはいえ、その才能は天才とまではいかない。
精々が秀才といったところだろう。
それでもポーターとして考えれば、今のハルエスは十分な戦力となるのは間違いなかった。
「心配するな。もし敵が来ても、俺がお前を守る」
ハルエスの泣き言に、ザイードがそう返す。
……聞きようによっては妙な想像をする者もいるかもしれないが、当然ながらザイードにそのような気持ちはない。
パーティの壁役、タンクとして自分のやるべきをことを口にしているだけだ。
そしてザイードの口から出たその言葉は、ハルエスを安心させるのには十分な説得力を持っている。
「そう、だよな。……ザイードがいるんだし、大丈夫か。ザイードが守っているところで俺が弓で攻撃をしていれば、他の連中もすぐに起きて援軍に来るだろうし」
ハルエスのその言葉に、ザイードは無言で頷く。
そして、再び二人の間に沈黙が満ちる。
とはいえ、二人の間には沈黙があったが、だからといって周囲が静寂に包まれている訳ではない。
焚き火の薪がパチパチという音を立て、また夏ということもあってか虫の音であったり、動物の鳴き声と思しきものも周囲には響く。
(これに……俺は全く気が付いていなかったのか)
ザイードと会話をするまで、かなり緊張していた為だろう。
ハルエスはここで初めて林の中に響く多種多様な音を耳にする。
「……」
そんなハルエスを無言で見ていたザイードの口元が微かに弧を描く。
そうして二人は見張りを続け……やがて特に何もないまま、交代の時間になる。
「じゃあ、俺がビステロを起こしてくるから、ザイードはアーヴァインを頼む」
こくり、とザイードは無言で頷き、立ち上がり掛けたところで……
「グルルルゥ」
今まで黙って目を瞑り、眠っていたかのように思えたセトが不意に喉を鳴らす。
ビクリ、と。セトの突然の行動に、ハルエスとザイードは立ち上がり掛けた動きを止める。
「ハルエス」
短い一言。
名前を呼ばれただけの一言だったが、それでもハルエスはザイード達とパーティを組んで、それなりに経つ。
その一言だけでザイードが何を言いたいのか理解し、素早く弓を手にすると矢筒から取り出した矢を番える。
「何だと思う?」
「分からん」
ハルエスの言葉にそう返しつつ、ザイードもまた近くに置かれていた盾を手に取る。
そんな様子を見つつ、ハルエスはここですぐにでも仲間を呼んだ方がいいのか? と思う。
だが、根拠がセトが鳴き声を上げただけなのだ。
もしかしたら、セトが寝惚けて声を上げただけという可能性も否定は出来ない。
……ここにいたのが、ハルエスやザイードではなくレイであれば、即座に敵と判断しただろう。
この辺りは、やはり甘さ……もしくはセトとの付き合いの深さが大きく影響していた。
「っ!?」
ザイードは咄嗟に盾を持ち上げる。
すると次の瞬間、何かが盾に当たった感触と音。
「……武器じゃない?」
何かが当たったのは間違いなかったが、それはザイードが想像したような武器……それこそ長剣や槍、もしくは矢といったような金属の何かではない。
ザイードにしてみれば、近くに敵の姿はない以上、矢でも飛んできたのかと思ったのだが……その予想は大きく外れた。
一体何が?
そう思いながらザイードが地面を見てみると……
「蝙蝠?」
そう、地面には蝙蝠の姿があった。
蝙蝠と一口に言っても、かなりの大きさだ。
それこそ巨漢や筋骨隆々と称されることが多いザイードの頭部程の大きさはある蝙蝠。
もしレイがその蝙蝠を見れば、ちょっとしたバレーボールくらいの大きさと言っていたかもしれないくらいの大きさはある。
「ザイード?」
後ろで弓を構え、いつでも矢を射られるようにしていたハルエスだったが、ザイードの様子にそう尋ねた。
ザイードはそんなハルエスに対し、移動して焚き火の明かりによって地面で動いている巨大な蝙蝠を示す。
「これだ」
「これって……うげ」
ハルエスにとっても、ここまで巨大な蝙蝠を見るのは初めてだったのか、自分でも気が付かないうちにそんな声が漏れる。
それでも安堵したのは、取りあえず盗賊の類ではないと判断したのだから。
「それで……その、ザイード。これはどうする? いや、そもそもこれはモンスターなのか? それとも動物なのか?」
「む」
動物なのか、モンスターなのか。
それはザイードにも分からなかったが、それでも襲ってきた相手なのは間違いない。
腰の鞘から短剣を引き抜き、まだ動いている……それでも頑丈な盾に正面からぶつかって、非常に大きなダメージを受けている様子だったが、とにかくそんな蝙蝠に短剣を振り上げ……振り下ろす。
それなりに鋭い短剣だった為か、刃先は容易に巨大な蝙蝠の身体に突き刺さり……そして、蝙蝠は死ぬのだった。




