3900話
セトがガンダルシアを飛び立ってから、数時間。
レイの視線の先には、大きな湖が見えた。
(ギルムからガンダルシアに来た時、ああいう湖ってあったっけ? ……まぁ、セトも全く同じ場所を飛んでる訳じゃないんだし、それくらいのことは不思議でもないか)
今の状況で大事なのは……と、レイはミスティリングから懐中時計を取り出して時間を確認する。
午前十一時を少し回ったところだ。
つまり、少し早いが昼食の準備をしても構わない時間となる。
そして地上には湖があり、現在の季節は夏。
であれば、あの湖は昼の休憩をするのにこれ以上ない場所となる。
「よし、セト。あそこに下りるぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に分かったと喉を鳴らし、セトは地上に向かって降下していく。
(多分、今もまたセト籠の中では浮遊感とかそういうのがあるんだろうな。そして……)
レイの言葉の先を示すように、セトが持っていたセト籠を地上に降ろす。
幸いなことに、湖の側には薄らと生えた草が広がっており、狭かったり、巨大な岩があったりといったようなことはない。
その為、無事にセト籠が置かれ……そのままセトは再度上空まで移動し、地上に向かって降下する。
ととっ、と。
セトの重量からは考えられないような軽い足音が周囲に響き、セトは地面に着地する。
レイはセトの背から下りると、大きく伸びをして夏の湖という……バカンスにしか思えない光景を堪能していた。
もっとも、新鮮さはそこまでない。
ガンダルシアのダンジョンの中にも、湖の階層があった為だろう。
それでもやはりダンジョンの中と外では違う。
(養殖と天然の違いとか? ……まさかな)
ふと思った感想に自分でもないだろうと思いつつ、セト籠に近付いていく。
そしてセト籠の扉を軽く叩くと、口を開く。
「昼の休憩だ。地上に降りたから、もうセト籠から出てもいいぞ」
そう言うと数秒後、恐る恐るといった様子でセト籠の扉が開き、ニラシスが顔を出す。
「……ふぅ。大丈夫だ。外に出ても構わない」
ニラシスはセト籠の中にいる面々にそう声を掛け、自分も下りてくる。
そして周囲を見回し……
「おお、これは凄いな」
湖を見つけ、そう感想を口にする。
ニラシスも湖の階層には到達している筈だったが、やはりレイと同じく養殖と天然といったように思ったのだろうか。
「いいだろう? この湖を上空から見つけたからな。ちょっと早いけど、昼の休憩にした」
「ああ、こういう場所で食事をするというのも悪くないな」
しみじみとニラシスが呟くのを聞きながら、レイはセト籠から生徒達が下りてくるのを見る。
「うわぁ……」
イステルが湖を見て、そんな歓声を上げる。
レイの知ってる限り、イステル達のパーティはまだ湖の階層まで到達していなかった筈だ。
そうなると、レイやニラシスはダンジョンで湖を見たことがあったが、イステル達はそんな経験はない。
……勿論、冒険者育成校に通う前、あるいは通っている中でもガンダルシアの外で湖を見たことがある者がいてもおかしくはなかったが。
「凄いな、これは……ザイード達もそう思わないか?」
「うむ」
「これは……凄い」
イステル以外の者達も、そんな風に湖に目を奪われていた。
レイはそんな面々を眺めつつ、湖の周辺に落ちている木々を拾い集め……
「湖に集中するのもいいけど、こっちも手伝ってくれ。一応、これも扱いとしては課外授業的なのだというのは忘れるなよ」
そうレイが言う。
そんなレイの言葉に、湖に見とれていた者達もすぐに昼食の準備を手伝い始めた。
もっとも、料理そのものは既に出来ているのがミスティリングの中に入っているので、焚き火の準備くらいだったが。
パンを焼いたり、お湯を沸かしたりといったことをする為に薪を集める。
幸いなことに、この辺りはここ数日雨が降っていないのか、地面に落ちている木々は乾燥しており、湿気ってはいない。
勿論、湖のすぐ側……水辺に近い場所にある木は湿気っていて、薪には向いていなかったが。
「それで、レイ教官。昼食は何を?」
少しだけ楽しそうな様子で、アーヴァインがレイに尋ねる。
アーヴァイン達はダンジョンに潜っているが、それは基本的に午後からだけだ。
中には泊まり掛けでダンジョンに潜る者もいるが、アーヴァイン達はそういうことをしない。
とはいえ、それでもポーターのハルエスがいるので、軽い食事くらいは持っていくのだが……それだけに、レイのような高ランク冒険者がどんな食事をするのかは気になっているのだろう。
「そうだな。……ガンダルシアから出て初めての昼食だし、少し豪華にいくか」
そう言い、レイは巨大な鍋をミスティリングから取り出す。
そこに入っているのは、ガメリオンの肉やたっぷりの野菜。
それこそスープだけで腹一杯になってもおかしくないのではないかと思える程に具たくさんのスープだった。
「このスープに入っている肉は、ガメリオンというモンスターの肉だ。ギルムで秋の終わりから冬の始まりに掛けて出てくるモンスターで、一種の名物だな」
「名物? それはどういう意味での名物なんだ?」
レイの言葉にニラシスも気になったのか、そう聞いてくる。
レイにしてみれば、ガメリオンというモンスターがどのような存在なのかを分かっているから、特に気にしない。
だが、ガメリオンというモンスターの名称すら知らない者達……生徒達は勿論、どうやら教官のニラシスまでもが知らなかったらしいが、とにかくどのような存在なのか分からない以上、気になるのは当然だろう。
「そうだな、簡単に言えばウサギのモンスターだ」
ほっと。
レイの説明に、それを聞いていた者達が安堵した様子を見せる。
ギルムの名物であると言われたのだ。
そう考えると、それこそ全く理解出来ないモンスターであってもおかしくはないと思ったのだろう。
だというのに、実際にはウサギ。
ウサギの肉は、野生動物ということで多少は珍しいものの、それでも普通に食べられている。
例えば、レイがガンダルシアでよく魔獣術の為に魔石を使ったり、習得したり強化したスキルを試した林。
あの林にもウサギはそれなりに棲息しており、猟師が獲ってくるのも珍しくはない。
……セトの存在を察知したり、あるいはスキルの試し打ちのせいでそれを怖がって林から逃げ出すウサギも多くなっていたが。
ともあれ、ガメリオンがウサギのモンスターだというレイの言葉は間違ってはいない。
ただ、そのウサギのモンスターのガメリオンはその辺の冒険者は容易に殺せるような強さと凶暴さを持っているというのを、説明していないだけだ。
「後は……サンドイッチと、串焼き、果実くらいでいいか」
夏ということもあり、今は色々な果実が売られている。
時間の流れのないミスティリングを持つレイは、そんな果実を大量に購入しては、ミスティリングに収納していた。
そんな果実を含めて取り出すと、次にスープを入れる食器やスプーンを取り出し、それぞれに渡していく。
串焼きも焼きたてのままでミスティリングに収納されていたので、まだ熱々だ。
「さて、じゃあ、これで食事を……」
「グルルルルルゥ!」
食事をしよう。
そう言おうとしたレイの言葉を遮るように、セトの鳴き声が周囲に響く。
同時に、バシャアッという水音も。
そして何かが空中を飛ぶ音と、それから数秒後には空を飛んでいた何かが地面に落ちる音。
ビチビチ、ビチビチ。
そんな音に、レイは何となくその正体を予想しながら視線を向けると……そこにはそれなりの大きさの魚がいた。
大体三十cm程の大きさの魚。
「えっと、レイ教官。これは……」
ビステロが恐る恐るといった様子で聞いてくるが……
「あれを見れば、答えは言うまでもないだろう?」
そう言い、レイはいつの間にかセトが湖の中にいるのを見る。
そこではセトが嬉しそうに喉を鳴らしつつ、何度となく湖を前足で叩いていた。
……いや、正確には湖の中を泳ぐ魚を叩いていたというのが正しいのだろう。
実際、セトが前足を動かす度に魚が空中を飛び、レイ達からそう離れていない場所に落ちるのだから。
セトの力で殴られつつも、魚はまだ生きており、地面の上で元気に跳ねていた。
また、四方八方に魚が飛んでいくといったようなことはなく、全ての魚が最初に飛んできた魚の側に落ちる。
それはセトが力の加減をして、魚が死なないようにしながら、それでいて魚を一ヶ所に落とすといったことをしていることを意味していた。
「凄いな」
レイと同じことに気が付いたニラシスが、感心したように言う。
ニラシスもセトの強さについては知っていた。
実際に訓練場でセトと模擬戦をしたこともある。
しかし、その時はセトの……グリフォンとしての戦い方に意識が向いていた。
もっとも、それはセトが模擬戦の趣旨を理解し、だからこそダンジョンで遭遇する強力なモンスターとしての姿を見せつけていたのだが。
セトにしてみれば、このくらいは容易に加減が出来る。
そうして人数分の魚が獲れると、セトは嬉しそうな様子で湖から上がる。
「グルルルルゥ!」
どう? 凄いでしょう。
そんな様子で喉を鳴らすセト。
「凄いな、セト。お陰で昼食に一品増えたよ」
そう言いレイはセトを褒める。
別にセトが何か悪いことをした訳ではない。
それどころか、食事のメニューを増やそうと頑張ってくれたのだから、レイがそれを褒めるのは当然のことだった。
例えばこれが、食事をしたらすぐに出発しないといけないような時間のない時。
もしくは、魚の落下してくる場所が焚き火の中だったり、あるいはレイの頭だったりした時。
もしくは魚を殴る……いや、掬い上げた時、その水がレイ達にも掛かったりした時。
そんな風になったら、レイも注意していただろう。
だが、昼休みの時間はたっぷりとあり、魚はレイ達から少し離れた場所に纏めて打ち上げられ、その際の水もレイ達に掛かるようなことはなかった。
そのような状況では、褒めたとしても怒るようなことがないのは当然だろう。
「そうね。セトちゃんのお陰で昼食が豪華になったわ。ありがとう、セトちゃん」
レイに続いたのは、セト好きのイステル。
イステルにしてみれば、自分の為にセトがこうして魚を獲ってくれたのだから、喜ぶなという方が無理だろう。
それこそ、ガンダルシアに戻ったらフランシスに自慢をしようとすら頭の片隅で思っていた。
恐らく……いや、間違いなく羨ましがることだろう。
イステルに続き、他の者達も感謝の言葉を口にする。
それが嬉しかったのか、それともただ濡れているのをどうにかしたかったのか、セトはまるで犬のように身体を振って毛に付着していた水分を飛ばす。
幸いだったのは、セトは大分離れた場所でそのようなことをしたことだろう。
お陰で、周囲にいる者達に水が飛んでることはなかった。
「さて、こうしてセトが魚を獲ってくれた訳だし……どうせだ。これは自分達で料理しよう。ニラシス、それでいいよな?」
「まぁ……そうだな。冒険者として、これくらいは出来た方がいいだろうし」
「え?」
レイとニラシスの会話を聞いていたハルエスが、思わずといった様子でそんな声を出す。
実際に声を出したのはハルエスだけだったが、それは他の者達も同様だ。
まさかここで自分達が直接料理するようなことになるとは、思ってもいなかったのだろう。
「安心しろ。何も凝った料理を作れと言ってる訳じゃない。そこまでやるには時間もないしな」
正確には時間という意味ではそれなりに余裕がある。
少し早めに昼の休憩に入ったのだし、飛ぶ時間が決められている訳ではない。
それこそ、いざとなったら今日はここで野営をしても構わないのだ。
勿論そうなればギルムに到着するのがそれだけ遅れるだろう。
しかし、今の状況ではそのくらいのことは全く問題がないのも事実だった。
「これをやる。調味料も用意する」
そう言い、レイは串……丁度昨日イステルと一緒に行った小物屋で購入した木の串をミスティリングから人数分取り出し、そして調味料として塩も取り出す。
「串焼き」
ザイードが小さく呟く声が周囲に響く。
「正解だ。串焼きなら、どこでもそれなりに作りやすいだろう」
串はレイが用意したが、それこそその辺に生えている木の枝を使って作れるし、冒険者も何かあった時の為に塩くらいは持ち歩く。
そうなると、串焼きは冒険者がいつでも容易に作れる料理ということになる。
……もっとも、プロの料理人の世界では串焼きというのはそれなりに難易度の高い料理として知られているのだが。
ただ、レイ達は冒険者だ。
美味い料理は食べたいものの、取りあえず食べられる料理を作るという意味で串焼きというのは無難な選択だった。




