3856話
洞窟の中には宝箱もモンスターの姿もなく、レイは残念に思いながらもセトと共に再び十四階の探索を行う。
上空から地上を探索していたのだが……
「グルゥ?」
不意にセトが戸惑った様子で喉を鳴らす。
そんなセトの様子に疑問を抱きつつ、レイはセトの視線を追う。
するとそこには……
「あれ? あれって……ゴブリン? 何でゴブリン?」
そう、レイの視線の先にいたのはゴブリン、正確には十匹以上のゴブリンの群れだった。
モンスターの中でも明らかに弱いモンスター。
もっとも、ある程度の悪知恵だけは働くので、弱いモンスターとはいえ決して侮ってもいい存在ではないのだが。
実際、冒険者になったばかりの者……街中での依頼をこなし、戦闘が起こる依頼が出来るようになった者の中には毎年結構な人数が相手がゴブリンだからと油断して、殺される者も出てくるのだから。
……とはいえ、それはあくまでも低ランク冒険者の話だ。
レイやセトにしてみれば、普通のゴブリンを相手にした場合に負けるという選択肢はない。
あくまでも、それが普通のゴブリンであればの話だが。
「グルゥ?」
セトがレイに対し、どうするの? と喉を鳴らす。
これで相手がもっと普通のゴブリンであれば、レイもわざわざ考えなかっただろうが、十四階にいるゴブリンとなると、明らかに普通ではない。
そうである以上、倒してみるか。
そうレイが言おうとした時……
「マジか」
レイの言葉よりも先にゴブリンの群れが飛び立ったのを見て、そう呟く。
……そう、ゴブリンの群れは飛び立ったのだ。
ゴブリンの背には、蝙蝠の羽根が広がっており、それを使って空を飛んでいる。
「ゴブリンが空を飛ぶとは思わなかった。いやまぁ、考えてみればこの崖の階層ではそういうゴブリンがいるのも納得は出来るけど……でも、どうなんだろうな」
「グルゥ?」
ゴブリンが空を飛ぶという光景に驚いたレイだったが、数秒でその驚きから脱すると、納得すると同時に疑問を抱く。
セトはそんなレイに、どうしたの? と喉を鳴らす。
「いや、ゴブリンというのは結局のところ物量が全てだろう?」
ゴブリン一匹であればそこまで手強いとは思わないが、その数が十匹、三十匹、五十匹、百匹となれば、普通であれば対処するのが難しくなる。
高ランク冒険者や異名持ちであったり、あるいは広範囲に攻撃する方法を持っている者であれば話は別だが。
そのようにゴブリンとはとにかく数を集めるのが必須となるのだが……レイの視線の先にいる空を飛ぶゴブリンは、ゴブリンの中でも明らかに上位種といった様子で、だからこそ普通のゴブリンと違って数が少ない。
それでも十匹以上の数がいるのだが、レイが知ってるゴブリンであれば、もっと大量のゴブリンが一緒に行動している筈だった。
(まぁ、あくまでもここにいるゴブリンは先遣隊とか偵察隊……いや、ゴブリンにそこまでの知能はまずないか? だとすれば、単純に本隊から離れた群れとか、そういう風にも考えられるか)
その場合、やはりゴブリンは数こそが全てといった様子であってもおかしくはない。
「とにかく、あのゴブリンは俺達にとって未知のモンスターなのは間違いない。……セト、倒すぞ。向こうがどのように攻撃するのかは分からないが、俺達にとってはいい獲物だ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らし、翼を羽ばたかせて空を飛ぶゴブリン目掛けて突っ込んでいく。
レイもセトの背の上で、ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し……まずは先制攻撃と、黄昏の槍を投擲する。
空気を貫きつつ飛ぶ黄昏の槍は、まだレイとセトの存在に全く気が付いていない空を飛ぶゴブリンのうちの一匹の頭部を砕き、その後ろにいた別の個体の胴体を貫き、もう一匹の足を砕き、そのままどこかへと飛んでいく。
突然仲間が死んだことに驚きながらも、ゴブリンの群れは即座に四散する。
「って、マジか!? ゴブリンだろ!?」
そんなゴブリンの行動に、思わずといった様子で叫ぶレイ。
レイの知っているゴブリンというのは、誰かに攻撃をされたと思った瞬間に逃げるといったようなことはしない。
力の差が分からず、攻撃してきた相手には無条件で反撃をするのがゴブリンだ。
何しろセトを見ても格の差が分からず、攻撃をするようなモンスターなのだから。
……もっとも、そうして攻撃や反撃をしたところで、ようやく相手との力の差を理解し、一目散に逃げ出すことになる。
それこそ仲間を見捨てる……どころか、仲間が敵の足止めとなるのなら、寧ろ喜んで仲間に危害を加えるといったことをしたりもするのだが。
だが、そんな普通のゴブリンと、レイの視線の先で四方八方に散らばった空を飛ぶゴブリンでは明らかに違う。
今のままでは自分達は勝てない、一方的に攻撃されるだけだと判断し、すぐそれぞれに生き残る為に逃げ出したのだ。
勿論それは、整然とした動きという訳ではない。
自分達が好き勝手に四方八方に逃げ出したのだ。
ゴブリンである以上、それは仕方がないことなのだろうとは、レイにも理解出来る。
理解出来るが、それが非常に厄介な逃げ方だったのもまた事実だった。
何しろ敵がこうして四方八方に逃げたということは、攻撃出来る個体は限られてしまう。
その上、レイとセトはゴブリン達からかなり離れた場所にいる。
レイが黄昏の槍を投擲したのは、あくまでも牽制の意味を込めた先制攻撃だったのだから。
それだけに、その一撃で敵が四方八方に散らばって逃げるというのは、レイにとってもかなり意外だった。
「セト!」
「グルルゥ!」
とはいえ、だからといってゴブリンの群れをそのまま逃がす訳にいかないのも事実。
レイはセトに鋭く声を掛け、セトもそんなレイの言葉に即座に反応し、喉を鳴らしながら翼を羽ばたかせる。
この階層にいるゴブリンが空を飛べるのは間違いない。
だが、同じ空を飛ぶという行為であっても、お互いに大きな違いがあるのも事実。
その違いの最も顕著な例は、速度。
セトが逃げ始めたゴブリンのうちの一匹に向かい……ある程度の距離が縮まったところで、レイはセトの背から下りる。
そのまま空中を落ちるのではなく、即座にスレイプニルの靴を使用する。
ゴブリンの飛ぶ速度は決して速い訳ではない。
普通なら、空を飛べるという時点で地上にいる冒険者達には対処する手段が限られる。
例えば、弓、魔法……もしくは……
「だよな!」
スレイプニルの靴を発動し、空中を蹴ってセトとは違うゴブリンとの間合いを詰めるレイ。
しかしそんなレイに、自分が追われていると悟ったゴブリンは手にした石を投げつける。
考えてみれば当然なのだが、ゴブリンが空を飛べたとしても、地上にいる冒険者にどうやって攻撃をするのか。
ゴブリンといえば、分かりやすいのは錆びた短剣や棍棒といった武器だろう。
だが、そのような武器は当然ながら相手に近付かなければ攻撃出来ない。
空を飛んでいても、ゴブリンが近付いてくるのなら地上にいる冒険者も反撃出来る。
それでは、空を飛んでいる利点が全く活かせない。
……もっとも、相手の不意を突いて奇襲をするという意味では空を飛ぶという利点も十分に発揮出来るが、普通の戦闘となれば話は違う。
そんな中、空を飛んでいて便利な……そして手軽な攻撃手段は何か。
ここが崖の階層ということを考えれば、自然の石を使うことになってもおかしくはないだろう。
また、地上にいる冒険者にとっても、崖の階層ということで石は容易に手に入る投擲用の武器だ。
そう考えれば、この階層において石というのは一般的な武器という認識になってもおかしくはない。
そんな石を必死になってレイに投擲するゴブリン。
しかし、そのような攻撃がレイに通じる筈もなく、レイはあっさりとデスサイズで石を斬り落とし、同時に先程投擲した黄昏の槍を手元に戻す。
そして再び投擲すると同時に、追撃としてデスサイズを振るう。
「飛斬!」
黄昏の槍の後を追うように斬撃が飛ぶ。
ゴブリンはその攻撃を回避することも出来ず……頭部を砕かれ、腹を切断され、上半身と下半身に分かれて地上に落ちていく。
そんなゴブリンを追うように、レイもまた重力に従うように落下していき……その視界の隅に、今レイが倒したゴブリンからそう離れていない場所に別のゴブリンがいるのを捉える。
本来なら一目散に逃げるべきところ。
しかし、そんな中でそのゴブリンはセトが離れた場所にいるゴブリンに向かっているのを見て、そしてレイも地上に落ちているのを見て、自分はもう安全だと判断したのだろう。
このまま逃げるか、落下していくレイに石を投げるかと迷い……
パチンと音が鳴る。
左手に持っていた黄昏の槍は投擲し、右手に持っていたデスサイズを左手に持ち替え、空いた右手で鳴らされた音。
それによって、ファイアボールが無詠唱で発動し、どうするべきか迷っていたゴブリンを炎に包み込むのだった。
一瞬にして燃えつき、地上に落下していくゴブリン。
それを見ながら、レイはスレイプニルの靴を何度か発動し、速度を殺しながら着地する。
足の動きだけで衝撃を完全に殺し、着地音も殆どしない着地。
そうしながら、レイはすぐに周囲の様子を確認するが……
「もういないか」
空を見上げるものの、そこに既にゴブリンの姿はない。
唯一、セトがその足でゴブリンの死体を持ち、少し離れた場所を飛んでいた。
(いつもならクチバシで咥えたりするんだけど……ゴブリンだしな)
とんでもなく不味い肉を持つゴブリンだ。
それこそスラム街に住む者達であっても、可能な限りゴブリンの肉は食べたくないと言い、餓死するかゴブリンの肉かの選択で、ようやくゴブリンの肉を選ぶくらいには不味いのだ。
だからこそセトはクチバシで咥えるようなことはせず、前足で掴んで下りてきたのだろう。
「グルゥ!」
ゴブリンの死体を地面に下ろし――より正確には放り投げ――着地したセトは、レイを見て嬉しそうに喉を鳴らす。
ゴブリンとはいえ、初めて倒すモンスターだからこそ嬉しく思ったのだろう。
(とはいえ、結局のところゴブリン……いや、ゴブリンの上位種か? それなら魔獣術でも……)
以前、通常のゴブリンの魔石では魔獣術を使えなかったが、ゴブリンの希少種の魔石では魔獣術を使えた。
そう考えると、このゴブリンの死体でも魔獣術が発動する可能性は十分にあった。
……レイも、元々はそれを狙ってこのゴブリンに攻撃をしたので、その辺りの話は今更ではあるのだが。
「それで……死体は見える限りだと五匹か? 結構逃げられたな」
黄昏の槍を手元に戻しつつ、レイは地面に落ちているゴブリンの死体を見ながら呟く。
空中での戦いであった以上、倒したゴブリンの死体は見えないどこかまで飛んでいたりもする。
ただ、こうして今ここでレイの見える範囲では、恐らく五匹。
……恐らくとしたのは、ゴブリンの死体の中には分割され、正確に数えるのが難しいものもあったからだ。
ともあれ、レイはまずセトが持ってきた死体……一番綺麗な死体に目を付ける。
デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納し、それと入れ替えるようにドワイトナイフを取り出す。
そして十分に魔力を込めるとゴブリンの死体に突き刺す。
周囲が眩く光り……そして光が消えた時、残っていたのは魔石だけだった。
「……魔石だけか」
これはレイにとっても意外だった。
肉はレイも興味はなかったが、レイが知ってる限りゴブリンの皮も使えないことはないといった素材だったのだから。
また、このゴブリンの特徴でもある蝙蝠のような……いや、悪魔のような羽根。
それもまた、もしかしたら何らかの素材になるのかもしれないと思っていたのだが。
(皮は結局のところ捨て値に近い買い取りだったから、労力に見合ってないけど……それでも一応素材は素材だ。なのに何でだ? まぁ、いいか。皮はどうしても欲しい訳じゃないしな)
そんな風に思いつつ、レイは他のゴブリンにもドワイトナイフを突き刺していく。
すると最初のゴブリンと同じように、ドワイトナイフによって残されていたのは魔石だけだった。
「やっぱり魔石だけか。魔石があれば、最低限問題ないのは間違いないけど」
それ以外の素材も、あればあっただけレイにとっては得になる。
もっとも、その素材はある程度はギルドで売ることになるのだろうが。
ギルド的にも、十四階という潜れる者が限られている階層のモンスターの素材は、是非とも買い取りたいだろう。
とはいえ、そのような素材が出なかった以上は仕方がない。
そうレイは判断し、なんだったらゴブリンの魔石を幾つか売ってもいいかもしれないなと思うのだった。