3846話
「え? レイさん、あの宝箱を取ったんですか!? ……いえ、セトちゃんがいれば大丈夫なのかもしれませんが……」
ギルドの中にアニタの声が響く。
現在の時間が夕方よりは少し早いといったところな為、ギルドの中にいる冒険者の数はそんなに多くはない。
ただ、それだけに今のアニタの声が聞こえた者はいたらしく、それを聞いた者の何人かはレイに視線を向けていた。
そして期待の視線を向けている者もいる。
(この視線は……そこまで嫌な感じはしないから、俺から宝箱を奪おうとしたとか、そういうのじゃないな。恐らくは宝箱を開ける依頼の件か)
前回、宝箱を開ける依頼をした時、それを受けた者はそれなりに儲けたが、損もした。
何しろレイが提示したのは、宝箱を開けたら決まった金額……金貨二枚を支払うか、あるいは宝箱の中身によって報酬を変えるというものだったのだから。
宝箱を開けるという依頼を受けたパーティが選んだのは、前者。
宝箱の中身に関係なく、金貨二枚を貰うというものだった。
勿論、それが悪い訳ではない。
宝箱の中身が分からない以上、いわゆる外れの……それこそ売っても二束三文程度にしかならない物が入っている可能性も否定は出来ないのだから。
そういう意味では、堅実な選択をしたのは間違いない。
だが、二つある宝箱のうち、片方はポーション……そこそこ高価なポーションだったが、もう片方はブドウにしか見えない魔法植物だった。
そしてその魔法植物はクアトスの実という、非常に希少な魔法植物だったのだ。
それこそ売れば金貨二枚どころではない金額になってもおかしくはない程の。
つまり、宝箱を開ける依頼を受けた者は、前者のポーションが出た宝箱ではそれなりに得をしたものの、後者のクアトスの実が出た宝箱では大損をしたということになる。
レイにしてみれば、そのように選んだのは自分達なのだから仕方がないと思っているものの、前回に依頼を受けた者はそれをかなり後悔したことだろう。
「では、前回と同じく宝箱を開ける依頼を?」
「そうなるな。報酬については前回と同じで金貨二枚か、中身によって変えるという形で頼む。それと前回と同じく訓練場で、興味のある者が見学してる中でやって貰おうか」
「分かりました。……今回は前回のようにレイさんをお待たせしなくてもいいようですね」
困ったように笑みを浮かべ、アニタはやる気満々といった様子の冒険者達に視線を向ける。
前回の依頼では皆の前で宝箱を開けただけに、その経緯や具体的にどうなったのかを知ってる者も多い。
前回は色々と初めてのことも多かったので、依頼を受けるのに躊躇した者が多い。
しかし、今日はその辺りの事情も既に広まっているので、その依頼を受けたいと希望する者は多かった。
「そうなってくれるとありがたいな。……ただ、ダンジョンの十五階にあった宝箱だ。それも普通では取れない場所にあった奴。そうなると、普通に考えればかなり難解な罠が仕掛けられていてもおかしくはない。実際、十四階の宝箱には罠が仕掛けてあったしな」
崖の階層である十四階、それも恐らく……いや、ほぼ確実にダンジョンが出来てから初めて入手した宝箱だったが、その宝箱にも罠か仕掛けられていた以上、十五階で入手した宝箱にも同様に罠が仕掛けてあるのはほぼ確実と思える。
そして十五階は五階、十階に続く壁として知られている。
そんな十五階にあった宝箱だけに、開けるのがかなり大変な可能性は十分にあった。
「そうなると、罠の解除が得意な人が必要ですね」
「ちょっと待ってくれ! 俺は罠とかを恐れないぞ!」
レイとアニタの会話に入ってきたのは、アニタの隣の受付嬢の列に並んでいた男だ。
その場所から、レイとアニタの会話がはっきりと聞こえていたのだろう。
「えっと……その、宝箱の罠を解除出来ない人は、さすがにレイさんの求める人材ではないので」
そうアニタが口にするものの、男は全く納得した様子がない。
「大丈夫だって。俺なら何とかなるから、平気だよ。だから、俺に依頼を受けさせてくれ。な?」
これが、例えば何らかの根拠があって今のように言っているんであれば、アニタも多少は検討しただろう。
だが、アニタはこの男のことを知っている。
楽観的に何とかなるという考えで、今まで何度も危険な目に遭っているのだ。
それも、例えばこれが本人だけなら自業自得と認識出来るが、パーティメンバーまでをも巻き込んでそういう騒動を起こしている。
そうである以上、アニタにとってもその男がレイの依頼を受けたいというのを受理は出来ない。
「だから、大丈夫だって。俺なら平気、平気」
「……根拠がない以上、申し訳ありませんがそれを受け入れることは出来ません。それに、宝箱の罠の中には開けようとした相手を害する物が大半ですね。中には宝箱の中身を壊したり汚したりして使えなくする物も含まれています。そうなったら、どうしますか?」
「それは……」
アニタの主張には、男も言葉に詰まる。
それでも数秒の沈黙の後で口を開こうとするが……
「何とかなるなどという、曖昧な言葉は信用出来ません。そのように出来るというのであれば、明確な根拠を示して下さい」
そう言われると、男は今度こそ何も言えなくなる。
ここで自分が何かを口にしても、それが信頼されるとは思ってもいなかったのだ。
そのようなやり取りを見ていたレイも、この男に依頼するのは止めておいた方がいいだろうと判断する。
「もし失敗して宝箱の中身が使い物にならなくなったら、その代金を弁償する。また、それでも足りない場合は、奴隷となってその代金を弁償に当てる。……そこまでの覚悟があるのでしたら、依頼の受理をしますが……どうします?」
「それは……そこまでする必要があるのか? 異名持ちとはいえ、同じ冒険者だ。そのくらいのことは笑って許してくれてもいいだろう」
本気か?
その男の言葉に、そう思ったのはレイだけではない。
周囲で話を聞いていた他の冒険者達も……いや、それどころか、受付嬢やカウンターの奥にいるギルド職員ですら、そう思う。
(あれ? これってもしかして……俺が喧嘩を売られてるのか?)
レイはふとそんな風に思ったが、男の様子を見る限りではそのようなことはない。
本気で宝箱を開けるのに失敗し、その中身が使い物にならなくなってもレイなら笑って許すべきだと、そのように思っている様子だった。
「うわ」
レイの口から、思わずといった様子でそんな声が漏れる。
幸いなことに、その声が聞こえた者はいなかったようだったが。
「諦めて下さい。もしくは、罠を解除したり、宝箱の鍵を開けられるようになってから、改めて申し込んで下さい。……その時に、今回と同じ依頼があればの話ですが」
きっぱりとアニタがそう言うと、さすがに男もそれ以上は何も反論が出来なくなったらしい。
まだ受付嬢との用事を終わらせていないのに、周囲からの視線に耐えきれなくなったのか、ギルドから出ていくのだった。
「さて、レイさん。お騒がせしました。それで依頼の条件は前回と同じということでいいでしょうか?」
「ああ、構わない。依頼を受けてくれる奴がいたら、前回と同じようにギルドの前で……いや、受けてくれる奴は多そうだな」
言葉の途中でレイがそう言ったのは、話を聞いていた冒険者達の中に自分がやりたいと主張する者が多かった為だ。
先程の男のように、自分なら大丈夫と何の根拠もなく思っているような者がいないことを祈りつつ、レイはアニタに声を掛ける。
「はい。その辺りの調整は任せて下さい。一番腕のいい人を選びますので。……本来なら、レイさんが誰を選ぶのか決めるべきなんですけどね」
「その辺は任せるよ」
これが例えば、戦闘能力ということであれば、レイも自分で選ぶのは問題ないだろう。
だが、今回必要なのは、戦闘能力ではない。
宝箱を開けたり、罠があるのかをチェックし、あった場合は罠を解除する。そんな能力だ。
その辺りについては、残念ながらレイは分からない。
勿論、先程の男のようにそのような能力がないのに、自分なら大丈夫と言ってくるような相手であれば、レイもその辺りについては判断出来るだろうが。
本当にその手の能力を持っている者達であれば、レイには分からない。
であれば、冒険者の情報を詳しく知っているギルドに誰を雇うのかを任せた方がいいというのがレイの考えだった。
(ギルドも、俺との関係を悪くするような人物を選ぶとは思えないし)
ガンダルシアのギルドは、レイに色々と借りがある。
リッチの件もそうだし、最近ではモンスターの素材を……それも深い階層に棲息するモンスターの素材を売るようにもなっていた。
だからこそ、ギルドにしてみればここでレイの機嫌を損ねるようなことはしない。
……借り云々を抜きにしても、レイは冒険者育成校の教官だ。
それもフランシスから直々に請われて教官をしている。
そしてレイが見たところ、ギルドマスターはフランシスよりも弱い立場だ。
地位的な意味ではどうかは分からない。
ただ、実際の力関係という意味では、ギルドマスターよりもフランシスの方が上なのは間違いない。
どことなく、本当にどことなくだが、ギルムの領主のダスカーと、レイのパーティメンバーにして、元ギルドマスターのマリーナとの関係を思い起こさせた。
違うところは、マリーナはダークエルフなのに対して、フランシスは普通のエルフだということだろう。
(フランシスがマリーナと同じく、ギルドマスターの黒歴史を知ってるかどうかだけど……どうだろうな)
マリーナはダスカーを小さい頃から知っている。
それこそダスカーの初恋の相手がマリーナで、しかも大きくなったら結婚して欲しいとか、そういうことも言っており、マリーナはそれをしっかりと覚えていた。
他にも色々と子供の時のことを覚えており、その中にはダスカーにとって若気の至りといったような、決して人に知られたくないようなものもある。
それ故に、ダスカーとマリーナの間にある力関係は決定的だった。
もっとも、ダスカーもあくまでもマリーナに譲るのは個人的なことだけだ。
もし万が一にも、マリーナがギルムにとって大きな損害を与えるような何かを要求してきても、ダスカーはそれを受け入れるようなことはまずないだろう。
それこそ、マリーナと戦ってでもそれを防ぐ筈だ。
そういう意味では、マリーナも色々と弁えているのだろう。
「じゃあ、これで。……では、少々お待ち下さい」
依頼に関する手続きを終えると、レイはギルドの外に出る。
その瞬間、何人もの冒険者と思しき者達がカウンターに向かったのは確認出来ていたので、今日は前回と違ってそんなに時間が掛からないで仕事を受けることになった人物が声を掛けてくるだろうと、そう思いながら。
「レイさん、宝箱の依頼、私が受けることになりました」
ギルドの前でセト好きの面々がセトを愛でているのを見ていたレイは、そんな声を掛けられる。
声のした方にいたのは、二十代程の女。
動きやすいよう、身軽な格好をしている。
「そうか。条件についてはもうギルドから説明されていると思っていいよな?」
「はい、私は宝箱の中身によって報酬を決めて欲しいと思います」
この女も、当然ながら以前レイが宝箱を開ける件について依頼したのを知っている。
そこそこ高性能なポーションと、非常に珍しい魔法植物。
それが、以前宝箱から出て来た物だ。
そして今日レイが取ってきたのは、十五階……それも普通では到底入手出来ない場所にあった宝箱。
受付嬢から女が聞いた話によると、もしかしたらダンジョンが出来て初めて開けられる宝箱ではないかということだった。
勿論、そのような宝箱である以上、罠があってもおかしくはない。
……いや、おかしくはないのではなく、間違いなく宝箱には罠が仕掛けられているだろう。
だが、女も自分の腕には自信がある。
それこそレイの依頼を受けたい者の中でギルドが選ぶ程には。
だからこそ、この依頼を失敗出来ないという思いがそこにはあった。
「分かった。じゃあ、訓練場に行くか。……その辺りについても、ギルドで説明を受けているんだよな?」
「はい。他の人にも宝箱を開けるところを見せるんですよね」
その言葉に頷き、レイは女と共に……そして何故かセトも一緒に訓練場に向かう。
既にそこでは今回の話を聞いたのか、はたまたギルドでの選考に漏れた者達なのか、結構な人数が集まっている。
そんな中で、レイはセトと女と共に訓練場の真ん中まで移動し……
「この宝箱だ」
そう言い、レイはミスティリングから十五階で拾ってきた宝箱を出すのだった。