3835話
「よし、これでOKだな。……セト、次からはバブルブレスを使うのは、控えような」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは申し訳なさそうに喉を鳴らす。
赤い山羊を倒したのはいいのだが、その死体の回収は相応に大変だったのだ。
具体的には、普通に赤い山羊の死体に近づけない……つまり触れることが出来ない。
そして当然ながら、赤い山羊の死体に触れることが出来なければミスティリングに収納出来ないということを意味していた。
いっそここでドワイトナイフを使うか?
そう思わないでもなかったが、そうした場合、最悪素材や魔石がバブルブレスによって出来た粘着性の液体の上に置かれる可能性がある。
そうなると、当然ながらそれを収納するのも難しくなるだろう。
そんな訳で、結局レイはスレイプニルの靴を使って粘着性の液体のある場所を移動しつつ、赤い山羊の死体をミスティリングに収納することに成功したのだ。
何だかんだと、結構な時間が掛かってしまったが。
そしてレイにとっては最悪……とまではいかないが、とにかく赤い山羊の回収が終わって少しすると、地面の粘着性は消えていた。
どうやらスキルの効果が消えたらしい。
「ともあれ、時間的な余裕はまだある。……次のモンスターを探すか。出来れば、あの赤い山羊の死体はもう一匹分欲しいところだけど」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトも分かったと喉を鳴らす。
もっとも、レイにしてみれば魔石を二個入手したいというのも事実だが、それと同じくらい幻影斬を確認したいという思いがそこにはあったのだが。
幻影斬がレベル五になって一気に強化されたのは間違いない。
しかし、それが具体的にどのように強化されたのかは、何度か試してみなければ分からなかった。
(とはいえ、赤い山羊が幻影斬で死んだのも事実。となると、やっぱりそれが強化されたのが理由……なんだろうな)
やはり、自分が先程考えたように、そのような思い込みを相手に与えるというものだろうか。
そのように思うが、実際にそれがどうなのかはレイにも分からない。
こちらもまた先程レイが考えたように、赤い山羊がレイやセトと遭遇する前に、他の冒険者やモンスターと遭遇してダメージを受けていたという可能性も否定出来ないのだから。
結局のところ、他にも何度か幻影斬を使ってみて、それによってどうなるのかを確認する必要があるのだから。
(とはいえ、時間がないんだよな)
林に行って解体や魔石を魔獣術に使い、そしてレベルアップしたスキルの確認といったように時間を使った為に、既に午後三時くらいになっている。
夕方くらいには戻った方がいいので、もう一時間から二時間……三時間は少し難しいだろう。
……これで、レイが一人暮らしで家に誰もいないのなら、それこそダンジョンで寝泊まりをしても構わないのだが。
しかし、メイドのジャニスがいる以上、戻らなければ大きな騒動になってもおかしくはない。
また、冒険者育成校の教官としての仕事もあるのだから、その辺を考えてもやはりダンジョンで寝泊まりをするのは止めておいた方がいい。
「セト、他にモンスターがいないか?」
「グルルゥ? ……グルゥ」
レイの言葉に、セトは身を屈ませて背中に乗るように促す。
モンスターを探すのなら、今この場所……転移水晶からそう離れていない場所ではなく、もっと別の場所まで移動した方がいいと判断したのだろう。
レイもそんなセトの言葉に異論はないので、大人しくその背に乗った。
するとレイを背中に乗せたセトはすぐに移動を始める。
空を飛ぶのではなく、岩の地面を走るといった移動方法なのは、地上を移動している敵を見逃さない為か、あるいは何かもっと他に理由があるのか。
その辺りの理由はともあれ、レイはセトの背の上で敵がいないかどうかをしっかりと確認する。
……セトがいる以上、レイよりもセトの方が感覚は鋭いので、その辺りもセトに任せた方がいいのかもしれないが。
ただ、こうして移動している間、何もしないというのはレイにとっても思うところがあるのも事実。
(それに、セトは俺よりも感覚が鋭いけど、だからといって絶対に敵を見逃さないって訳じゃないしな)
鋭い感覚を持つセトも、生き物である以上は敵の存在を見逃すという可能性は十分にあった。
そのような時、レイが周囲を警戒していればセトが見逃した敵を察知出来る筈だった。
……もっとも、実際にそのようなことになったのは、これまで数える程しかないのだが。
「グルルゥ!」
岩の地面を走るセトが、不意に喉を鳴らす。
もしかして敵を見つけたのか?
そう思ったレイだったが、セトの様子をみる限りそれは違うのだと理解する。
何故なら、岩の地面を走るセトの様子がかなり楽しそうだった為だ。
岩の地面は普通の土の地面と違って、文字通り岩によって構成されている。
アスファルトで舗装された道路のような平面という訳でもなく、盛り上がったりへこんでいたりする場所もある。
そのような場所である以上、本来ならそのような場所を移動するのはかなり大変だ。
しかしセトにとってはそのような場所での移動は苦にならない……どころか、寧ろかなり楽しいらしい。
そんなセトの様子にレイは注意しようかと思うも、止めておく。
セトが走るのを楽しんでいるのだから、わざわざその邪魔をする必要はないだろうと。
そちらに夢中になって敵の察知が疎かになるのならともかく、レイが見た限りでは走るのを楽しんではいても、決して周囲の様子を探るのを疎かにはしていない。
それなら問題ないだろう。
そのようにレイには思えたのだ。
そして……そんなレイの予想を裏付けるように、走っていたセトが喉を鳴らす。
「グルルルルゥ!」
セトの視線を追ったレイが見たのは、溶岩で出来た蛇。
その大きさは、それこそ今日解体した青色の蛇よりも明らかに大きい。
ただ大きいだけではなく、溶岩の蛇はその身体も太い。
それこそセトは無理でも、レイなら一呑みに出来るのではないかと思えるくらいに。
そんな溶岩の蛇は、最初自分に近付いてくるレイとセトの姿には気が付いていなかったらしい。
だが、今のセトの鳴き声でその存在に気が付いたらしく、太く長い溶岩の身体をくねらせ、身体の半分程を持ち上げ、自分の方に近付いてくるセトの姿を確認する。
そして敵であると認識したのだろう。
大きく口を開けて……
「セト!」
その様子を見て嫌な予感を覚えたレイは鋭くセトの名前を呼ぶ。
しかし、セトはレイが声を掛ける前には既に動いていた。
セトにとっても、溶岩の蛇……いや、溶岩の大蛇の行動は危険だと察知出来たのだろう。
跳躍し、翼を羽ばたかせて空を飛ぶ。
レイの履くスレイプニルの靴のような能力やスキルは持たないセトなので、空中を蹴るといったことは出来ない。
だが、セトには翼がある。
そして空を飛ぶセトは、翼を動かすことによって思うがままに空中で移動出来るのだ。
それを示すようにセトは翼を……そして身体を、何より背中に乗っているレイの存在すらも利用し、跳躍した状態から飛ぶと、その上で更に空中を跳躍するかのような軌道で身体を動かす。
数秒前までセトが走っていた場所を、溶岩の大蛇の大きく開かれた口から放たれた溶岩のブレスが通りすぎる。
(ファイアブレスとはまた違うブレスか。……とはいえ、氷系が弱点なのは変わらないだろ)
目まぐるしく動くセトの背に乗っているレイだったが、それでもしっかりと溶岩の大蛇の行動を把握していた。
そして溶岩のブレスという攻撃をしてきて、身体も溶岩で出来ている以上、その弱点が何なのかは昨日ここで戦ったアンフィニティの時の経験から容易に想像出来た。
氷系。
……ただ、こればかりはレイも自分が魔獣術の使い手でよかったと思う。
何しろレイは炎属性特化の魔法使いだ。
魔力を大量に消費することで他の魔法も使えるが、それでも炎の正反対である水や氷となると、とてもではないが使えるとは思わなかった。
だが、それはあくまでも魔法での話であって、魔獣術となれば話は違ってくる。
魔獣術はレイの適性がどうといった話ではなく、あくまでも魔石を持っていたモンスターの特徴によって、習得出来たりレベルアップしたりするスキルは変わってくるのだから。
……何故かは分からないが、時々何故そのモンスターからその魔石が? といったこともあるが。
それについては魔獣術的な問題なのか、実はその魔石を持っていたモンスターが自分でも気が付かない才能があったのか。
ともあれ、レイはその辺については分からないが、氷系や水系のスキルが使えるのは間違いなかった。
セトが空中で回転することによって、レイも反対に……頭部が地面に向けられる状態になる。
いつもであれば、足でしっかりとセトの身体に捕まって落ちないようにするのだが、今は違う。
身体の力を抜き、そのままセトの背から地面に向かって落ちていく。
その途中、レイは空中で身体を回転させつつ、ミスティリングからデスサイズを取り出し……左手に移すと同時に、右手で指を鳴らす。
パチン、と。
瞬間、溶岩の大蛇の胴体にファイアボールが生み出される。
レイの放った無詠唱魔法だ。
相手が溶岩の大蛇というモンスターである以上、レイもこれで相手にダメージを与えられるとは思っていない。
だが、例えダメージがなくても、自分の身体に突然衝撃があれば、そちらに意識が向くのは当然だろう。
実際、溶岩の大蛇はブレスを吐くのを止めて、身をくねらせている。
もし何者かが自分に攻撃をしたのなら、その相手を身体で締め付けてやろうとでも思ったのだろう。
しかし、今の衝撃はあくまでもレイの無詠唱魔法によるもので、そのようなことをしても意味はない。
……いや、意味がないどころか、その数秒の時間がレイとセトに決定的な時間を与える。
「氷雪斬!」
デスサイズを右手に持ち替えたレイは、即座にスキルを発動した。
デスサイズの刃に氷が纏わり付き、二m半ば程もある巨大な氷の刃となる。
ちょうどそのタイミングで、レイの身体は溶岩の大蛇のいる位置まで落ちてきて……スレイプニルの靴を発動し、空中を蹴って溶岩の大蛇の横を通り抜けながらデスサイズを振るう。
「シャギャアアアアアアアアアア!」
周囲に響き渡る、溶岩の大蛇の悲鳴。
もしこれが普通の武器であれば、溶岩の大蛇もここまでの悲鳴を上げたりはしなかっただろう。
だが、今のレイの攻撃は氷雪斬というスキルによる攻撃……つまり、氷系のスキルだ。
溶岩の大蛇にしてみれば、自分は一体どのような攻撃をされたのかすら分かっていないのではないかと、溶岩の大蛇から距離を取りつつ、レイは思う。
「セト」
「グルルルルルルルゥ!」
氷雪斬の痛みに暴れる溶岩の大蛇に向かい、セトの放った水球が命中する。
直径二mの水球が四つ。
その水球が次々と溶岩の大蛇の身体に命中しては、破裂していく。
元々、水球はその一つ一つが岩を破壊するだけの威力を持っている。
それにプラスして、溶岩の大蛇にとって水というだけで致命的ですらあった。
溶岩の大蛇にとっての苦手な属性の連続攻撃。
それによって、溶岩の大蛇はその場に倒れるのだった。
「よし、何とか倒せたな。……この階層だと、氷雪斬や氷鞭がかなり有効なのは間違いないな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトもその通りだと喉を鳴らす。
レイにしてみれば、溶岩の階層のモンスターは厄介極まりないのではないかとすら思っていた。
だが実際に戦ってみれば、それなりに楽に倒せるのが判明した。
だとすれば、この階層でのこれからの戦いにおいて圧倒的なまでに優位な状況で戦えることは間違いない。
「次のモンスターを探すか。……いや、その前に十六階に続く階段も見つけておいた方がいいか」
溶岩の大蛇の死体……アンフィニティと同じく、死ぬと身体に纏っていた溶岩が消えたその死体を見ながら、レイはそう呟く。
ただし、溶岩の大蛇とアンフィニティが全く同じという訳でもない。
具体的には、アンフィニティの場合は死体になって溶岩がなくなると岩の塊になったものの、溶岩の大蛇は死んで溶岩がなくなっても岩ではなく大蛇の死体のままだったのだ。
とはいえ、溶岩を身に纏っているだけあって、その皮は明らかに普通の蛇とは違っていたが。
「青色の蛇の鱗も防具とかに使えそうだったけど……この鱗も使えそうだよな。特に炎系に耐性を持った装備とかになりそうだ。セトもそう思わないか?」
「……グルゥ」
レイの言葉にセトは鱗をしっかりと見て、やがてそうかもしれないと喉を鳴らすのだった。