3834話
セトが習得したバブルブレスは、レベルが上がったことによって泡がより大きくなっていた。
それに満足しつつ、しかしレイは少し疑問を抱く。
何故青色の蛇の魔石でレベルアップしたのがバブルブレスだったのか、と。
勿論、それが悪い訳ではない。
今まであまり戦闘で使われることがなかったバブルブレスだったが、レベルが上がったことによってこれからは使えるようになるのではないかと、そうレイには思えたからだ。
しかし……それでもやはり、青色の蛇の魔石でバブルブレスがレベルアップした理由は分からない。
もっとも、今の状況でそのようなことを考えても意味はないだろうとすぐに考えるのを止めたが。
そもそもそれを言うのなら、アンフィニティの魔石で黒連のレベルが上がったのも、レイには疑問だったのだ。
空飛ぶ眼球の魔石で幻影斬のレベルが上がったのは、それもまた光系であると納得は出来ないでもなかったが。
とにかくそういうものだと……実際にスキルとして使ってくるようなことはなかったが、アンフィニティの中には黒連に対する才能のような何かがあったのだろうと半ば無理矢理自分を納得させておく。
そう考えれば、青色の蛇がバブルブレスを使えるのはそうおかしな話ではないだろうと。
……実際、青色の蛇とは殆ど戦闘らしい戦闘もせずに倒したのだ。
そうである以上、実は青色の蛇がバブルブレスを使えてもおかしくはないだろうと。
「さて、セト。解体も魔獣術も終わったし、ギルドに行くか。……今日は、そうだな。ダンジョンに潜るかどうか微妙なところだけど」
解体と魔獣術でそれなりに時間は経っている。
ミスティリングから取り出した懐中時計で時間を確認してみると、午後三時近い。
今からダンジョンに行っても、探索らしい探索は……出来ない訳でもないが、あくまでも狭い範囲だろう。
そうレイは思い、どうせなら今日はダンジョンに行かなくてもいいのではないか。
そう思ったのだが……
「グルルゥ、グルゥ、グルルルルゥ」
セトがダンジョンに行きたいと喉を鳴らす。
いつもは我が儘を言わない――言ってもレイはそれを我が儘と思っていない――セトが、こうしてダンジョンに行きたがるのは……
「やっぱり、十五階か?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトはその通りといった様子で喉を鳴らす。
そんなセトの様子に、レイは少し考え……
「時間も時間だし、あまり長い時間探索は出来ないぞ?」
結局セトの我が儘を聞く。
もっとも、これはレイもダンジョンの探索をしてもいいかと思ったからこそだ。
ギルムに帰るまであまり時間がない以上、出来るだけ多くダンジョンに潜り、十三階から十五階まで探索を終えておきたい。
今の時間を考えると、十三階と十四階の探索は難しいだろうが、十五階……転移水晶のある溶岩の階層であれば、ある程度探索をするのも可能だろう。
それなら時間もそこまで無駄にならないし、レイにとっても悪くないと思ったのだ。
……普通の冒険者なら、そんな気楽な様子でダンジョンに行くなと言ってもおかしくはない。
ただ、レイやセトは幸か不幸かとてもではないが普通の冒険者ではなかった。
だからこそ、レイはこうしてセトの我が儘……頼みを素直に聞いたのだ。
「グルゥ!」
レイの言葉に、分かったと喉を鳴らすセト。
セトも夜中まで……もしくは泊まり掛けでダンジョンの探索をしたいとは思わないのだろう。
あくまでも、少しだけといった感じらしい。
そんな訳で、レイはセトに乗ってガンダルシアに向かうのだった。
「さて、まずはどこから探索をする?」
レイは十五階の溶岩の階層を見ながらセトに尋ねる。
昨日はタミン達と遭遇したものの、そもそも十五階まで到達出来る冒険者というのは少ない。
その為、こうして転移水晶の近くから周囲の様子を見ても、そこには冒険者の姿はなかった。
もっとも、十五階以降を探索している冒険者も、地上に戻るには十五階の転移水晶を使うしかない。
二十階に到達すれば話は別だが……今のところ、まだ久遠の牙も二十階には到達していない。
そうなると、もう数時間もして夕方近くになれば、十五階以降を探索している冒険者達もここに来る筈だった。
そんな面々を見てみるのも一興か?
そう思うレイだったが、セトがこっちに行こうと喉を鳴らしているのに気が付き、そちらに向かう。
昨日来た時と同じように、この階層には溶岩の川が流れている。
そんな溶岩の川を見つつ、レイはセトの背の上に乗ってこの階層の上空を飛んでいた時のことを思い出す。
(そう言えば、昨日見たあの巨大な魚のモンスター……溶岩の中を泳いでいた奴はどこにいったんだろうな。出来ればあのモンスターを倒したいところだけど)
溶岩の中を泳ぐという、レイから見ても信じられない存在。
それだけに、かなり強力なモンスターなのは間違いなかった。
だがそれだけに、魔石は勿論その肉も美味い筈だった。
……溶岩の中を泳いでいるモンスターの肉を人が食べられるのかどうかは、試してみなければ分からないが。
そんな風に思っていると……
「グルゥ!」
不意にセトが警戒の鳴き声を上げる。
何だ? そう思って視線を向けると、大分離れた場所に巨大な山羊の姿があった。
……山羊と一口に言っても、家畜として飼われているような、そんな山羊ではない。
赤い毛を身に纏っているものの、その身体は強靱な筋肉に覆われているのは間違いない。
それでいながら、その角は普通の山羊の角と違って先端が幾重にも分かれ、それぞれの鋭い切っ先が前方に向いている。
もしあの角に突き刺されば、致命傷になってもおかしくはなかった。
また、スレイプニルという訳でもないのだが、山羊の足は合計六本あり、それぞれの蹄が岩の地面を踏み砕いている。
それだけ凶悪そうな角を前に向けつつ、山羊は高く鳴く。
「グギャアアアアアア!」
とてもではないが山羊の鳴き声とは思えない鳴き声。
もっとも、山羊というのはあくまでもレイの見た印象でしかないので、そのような鳴き声を上げても不思議ではないのだが。
ともあれ、赤い毛を持つ山羊はレイに向かって突っ込んでくる。
その幾重にも分かれた角で、レイとセトを突き刺そうと。
「グルルルルゥ!」
セトはレイの前に出ると、赤い山羊に向かってスキルを発動する。
放ったのは、レベルアップしたばかりのバブルブレス。
大量の泡が吐き出され、赤い山羊……ではなく、その足下に着弾する。
「ヴェエエエエエエエ!」
セトが一体何をしたかったのか分からない様子で鳴き声を上げる赤い山羊は、それでも足を止めるようなことはなく岩を走り続け……ビタン、と唐突に転ぶ。
それを行ったのは、バブルブレスによって岩の地面に粘着した泡。
泡は岩の地面に触れると同時に破裂し、強い粘着力を持った液体に変化する。
その液体に、赤い山羊はまともに正面から突っ込んだのだ。
その結果として、足を上げようとしても上がらず、勢いのまま突っ込み、転んだことになる。
「うわ……」
それを見たレイの口から、思わずといった様子でそんな声が漏れる。
当然だろう。かなりの速度で岩の地面を走っていたところ、いきなり転んだのだから。
……それでもさすがと言うべきか、岩の上で勢いよく転んだにも関わらず、赤い山羊から血が流れている様子はなかった。
(まぁ、赤い毛だから、それで血が見えないだけなのかもしれないけど)
ただ、血は流れていなくても、あの勢いで地面に転んだのだから、衝撃という意味では間違いなく大きいだろう。
実際、赤い山羊は粘着力の影響もあるのかもしれないが、ろくに身体を動かすことが出来ていない。
「セト、周囲の警戒を」
レイもまた、レベルアップしたスキルを試すべく赤い山羊に近付いていく。
レイの手にはミスティリングから取り出したデスサイズと黄昏の槍が握られており、何があっても対処出来る状況になっていた。
赤い山羊は必死になってバブルブレスによって生み出された粘着性の液体から身体を動かそうとしていたものの、足だけではなく転んだ影響で赤い毛までもが地面に粘着しており、とてもではないが起き上がることは出来なかった。
それを見たレイは、日本にいた時に小屋に置いてあったねずみ取り用の粘着シートに捕まったネズミを思い浮かべる。
足や尻尾、胴体、毛……場合によっては顔までもが粘着シートに触れた影響によって、動けなくなり……そして死んでいるネズミ。
中にはまだ生きているネズミもいたが、必死になって脱出しようとするも、それが不可能な、そんな光景。
「バブルブレス……それなりに使えるな。粘着力も思ったよりも大きいし……っと!」
山羊は近付いてくるレイの存在に危険を感じたのだろう。
地面に付着したままではあったが、それでも無理矢理顔を動かし、レイを見ると……不意にその口から火球を放つ。
しかしレイはその攻撃を予想していた……より正確には溶岩の階層に出てくるモンスターである以上、アンフィニティのように何らかの炎系の攻撃をしてもおかしくはないと思っていたので、放たれた火球を黄昏の槍によってあっさりと砕く。
赤い山羊は、まさか自分の火球がこうもあっさりと破壊されるとは思っていなかったのだろう。
一瞬動きを止め……
「幻影斬」
スレイプニルの靴を使って空中を蹴った後、赤い山羊との間合いを詰めるとスキルを使う。
振るわれたデスサイズの一撃が赤い山羊の身体をあっさりと斬り裂き……だが、そこまではデスサイズで普通に攻撃をした時と変わらない。
違うのは、レイがスキルを使って一撃を放った後でその場から退避した後……
「ギュエエエエエ!」
レイが消えた後、赤い山羊の身体に五つの斬撃が……より正確には、その幻影が放たれる。
レイの振るった一撃の近辺に。
これもまた、レベル五になってスキルが変化したところだ。
とはいえ、それでも幻影である以上は……そう思い、レイは粘着力のある液体から離れた場所に着地したのだか……
「え?」
視線を向けると、赤い山羊は岩の地面に……より正確には粘着力のある液体の上に倒れており、ピクリとも動かない。
「グルゥ?」
セトもまた、レイの近くにやってくると不思議そうに喉を鳴らす。
一体何があったのか。
それはレイにも分からなかったが……改めて離れた場所からではあるが、赤い山羊を観察する。
「間違いなく死んでる……よな?」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが同意するように喉を鳴らす。
セトの目から見ても……そしてレイよりも鋭い五感を使っても、間違いなく赤い山羊は死んでいると判断出来たのだろう。
セトが死んでると主張するのなら、それは間違いなく死んでいる。それは間違いないが……
「一体何で死んだんだ?」
それが疑問だった。
先程の幻影斬による一撃は、それなりに大きなダメージではあるが、一撃で殺せる程ではない。
それは幻影斬の効果を見る為に、意図的に一撃で殺さなかったというのが正しい。
正しいのだが、だからといって一体何がどうなってこうなったのか。
それが全く分からなかった。
「幻影斬を使って死んだんだから、幻影斬が理由で間違いない……のか? もしくは、偶然そのタイミングだっただけで、幻影斬以外の何らかの理由で死んだとか。どう思う?」
「グルルルゥ、グルゥ」
レイの言葉に、セトは分からないと喉を鳴らす。
セトにとっても、赤い山羊が死んでいるのは間違いなかったものの、一体どのような理由で赤い山羊が死んだのかまでは分からない。
困ったように喉を鳴らすセトを見て、セトにも分からないのだろうと判断すると、これからどうするべきかと考える。
(実は俺達と遭遇する前に他の冒険者やモンスターと遭遇していて、その時に致命的なダメージを受けていて、それが原因で死んだとか? ……けど、俺達に突っ込んできた時、特に何か異常があるようには見えなかったんだよな)
もし致命的なダメージを受けていたのなら、例えば血が流れていたり、移動する時にどこか不自然であったりしてもおかしくはない。
しかし、レイが見たところそういう様子はなかった。
……もっとも、赤い毛をしていた以上は血が流れていても気が付かなかった可能性もあるだろうが。
「となると、やっぱり幻影斬か? けど、幻影で……あ」
呟くレイは、ふと思いつく。
日本にいた時に見たTV番組だったか、漫画だったか、その辺は忘れたものの、目隠しをした状態で熱した鉄棒だと思い込ませ、実際には熱していない鉄棒を触れさせると火傷をするとか、血が流れる音だと思わせて、実は水を一滴ずつ流すと自分が出血多量で死んだと思ってショック死するとか、その手の話だ。
もしかして、これもそうなのか?
もしくはレベル五になって幻影にもそういう効果が生まれたのか。
そう思いながら、レイは赤い山羊の死体を見るのだった。