0382話
夏とは言っても、さすがに午後8時を過ぎれば暗くなる。そんな闇に包まれた迷宮都市エグジル。酒場や娼館といった場所が大量のマジックアイテムにより明かりが灯っているのは、ギルムと同じく冒険者が大勢いる都市だからだろう。
もっとも、ギルムと比べても人口が圧倒的に上のエグジルでは、より多くのマジックアイテムにより明かりがもたらされていたが。
エグジルという都市は中央にダンジョンへの入り口があり、都市の東西南北に4つの大きめの屋敷がそれぞれ建っている。
このエグジルにあるダンジョンを発見したパーティの子孫であり、同時に自治都市ともいえるエグジルを治めている者の家だ。
……ただし、エグジルの南にある屋敷は既に没落している家の屋敷であり、かなり傷んでいる。
街の正門はエグジルの北東にある為、尚更その屋敷に訪れる者は少なくなっていた。
貴族の屋敷に比べれば小さいが、それでも普通の住民から見れば広い敷地と屋敷だ。商人を初めとした者達がこぞってその屋敷を購入しようとはしたのだが、エグジルという迷宮都市の歴史上迂闊に売ることも出来ず、寂れる一方となっている。
「……ん」
そんな屋敷の一室。屋敷全体を見れば夜の闇に包まれているのだが、その一室だけは微かに明かりが漏れている。
その一室で、10歳程の1人の子供が干し肉と水という質素な食事を口にしていた。
少女の名はビューネ・フラウト。かつてこの地にあるダンジョンを発見してある程度まで攻略。その後国へと報告して、迷宮都市としての雛形を作った4人の冒険者の子孫である。
その功績を持って家名を名乗ることを許されたが、あくまでも形式的なものであり貴族としての権利等は存在していない。もっとも、逆に言えば貴族の義務も無いのだが。
既にフラウト家が没落してから300年程。それでも屋敷が維持されているのは建設時にマジックアイテムをふんだんに使っていたからだが、さすがに屋敷の維持費、あるいはマジックアイテムの維持費に大量の資金が必要になり、両親共に既に死亡し、フラウト家唯一の後継者となったビューネは、その資金を稼ぐべく毎日ダンジョンへと潜っていた。
この場合、不幸だったのはビューネがある程度以上の実力を持つ盗賊だったことだろう。もしも実力が無ければ既に屋敷の維持は不可能になっていただろうし、あるいは天才と言える程の腕を持っているのであれば多少なりとも屋敷の維持に余裕が出来ていただろうから。
それでも、盗賊がソロで行動してこの屋敷を何とか維持出来るだけの収入を得ているのはさすがと言うべきだろう。10歳という年齢を考えると、将来的にはあるいは……とビューネを知っている者は考えていた。
もっとも、そうなってほしくない者もエグジルには大勢いる。例えば、ビューネの盗賊としての腕を欲して自分の身内に取り込もうとしている者のように。
「ん」
ソロで行動している為か、口数が乏しくなったビューネはじっと部屋に掛けられている肖像画へと視線を向ける。
自分の両親が結婚した時に、なけなしの金で描いて貰った肖像画を。表情を殆ど変えずにただひたすらにじっと。
まるで、何故自分だけがここにいるのとでも言いたげな寂しげな視線で、両親を求める愛情を欲する視線で、そしてどこか遠くを見つめるような、そんな視線で。
そのまま10分程肖像画を見続けていたビューネは、やがて視線を逸らして床へと横になる。
ベッドのようなものは既に使い物にならず、それはまたソファも同様だった。
それ故にビューネは床で薄い毛布を被って身体を休める。
明日もまた、金を稼ぐ為に1人でダンジョンへと潜らなければならないのだから。
フラウト家の家とは正反対の位置、エグジルの北にある大きな屋敷。ただし、その屋敷はどちらかと言えば立て籠もることを前提にしたような、いわば城塞のような屋敷だった。
庭も見て楽しむような場所ではなく、戦士としての訓練場の如く整備されている。
そんな屋敷の一室で、怒声が響く。
「ケレベル公爵家の姫将軍と深紅がエグジルに入っただと!?」
その言葉と共に、テーブルへと拳が叩きつけられる。
テーブル自体はダンジョンに出てくるトレント系のモンスターの素材で作られており、通常のテーブルと比べればかなりの強度を誇る。だが、それでも男の一撃によりテーブルの表面は拳の形に陥没する。
身長2m、体重120kgを優に上回る体格を持つこの男の名前はボスク・シルワ。かつてこの地に存在するダンジョンを見つけた冒険者の子孫の1人であり、没落したフラウト家とは違って実際にこのエグジルという迷宮都市を治めている者の1人だ。
吊り上がった目の凶相で怒鳴ったボスクに、報告を持ってきた男は思わず萎縮する。
その様子を見たボスクは、すぐに息を吐いて気分を落ち着けて目の前にいる男へと声を掛けた。
「悪かったな。予想外の報告だったからつい驚いちまった。別にお前が悪い訳じゃ無いから気にするな」
「はいっ!」
性格は確かに凶暴であり、自分と敵対する相手には容赦しない。そんなボスクだが面倒見の良い一面もあり、自分を慕ってくる相手に対しては世話を焼き、兄貴分として慕われている。
現在エグジルを治めている3家の当主の中ではもっとも若いのがボスクだが、その若さ故の勢いに魅力を感じている者も多数いるのだ。
「くそっ、そんな有名人2人が何だってエグジルに……いや、ここに来た以上はダンジョンが目的なのは間違い無いか。報告ありがとよ。これで酒でも飲んでくれ」
呟いているうちに落ち着いて来たのか、報告を持ってきた部下へと銀貨を1枚指で弾いて渡す。
部下の男もまさか報告をしただけで銀貨を貰えるとは思ってもいなかったのか、予想外の幸運に笑みを浮かべて頭を下げる。
「ボスクの兄貴、ありがとうございます!」
「ああ、もう行っていいぞ」
その言葉に部下の男は頭を下げて部屋を出て行く。
「にしても、また厄介な時に厄介な奴が。戦闘力は最低でもランクA級、おまけにグリフォンを連れてラルクス辺境伯の懐刀だって噂もある深紅だけでも厄介なのに、ケレベル公爵家の姫将軍まで……どんな関係なんだ? とにかく、ビューネの件はもう少しで大詰めを迎えるんだ。出来れば俺に関わってこないでくれよ」
見た目は戦士であり、実際に戦闘スタイルも戦士ではあるが、それ故に情報の大切さを知っているボスクは当然自国内の有力な者達の情報を集めている。そんな情報の中には、当然姫将軍エレーナの情報もあり、ベスティア帝国との戦争で急速に名を知られるようになった深紅のレイもあった。
呟き、先程のテーブルへと叩きつけた一撃でも皿からこぼれなかったステーキへとフォークを刺して持ち上げ、ナイフで切るような真似もせずに直接肉へと噛ぶりつく。表面に軽く焼き目を付けただけのステーキは、口の中で血の滴る肉の味を存分に味わえる。
その肉をワインで流し込みながら、ボスクはこれからのことに思いを馳せるのだった。
エグジルの西にある屋敷。そこでも1人の40代程の女が今日現れた厄介者の名を聞いていた。
「深紅と姫将軍ねぇ。また何だってそんな有名人がやってくるのかしら」
呟くその声は溜息と共に吐き出されているが、外見はそんな女の表情を完全に裏切っていた。
両手全ての指には宝石のついた指輪が嵌められており、髪にも金で出来ていると思われる豪奢な髪飾りが、まるで王冠のように頭部全体を覆っている。腕や足にも腕輪や足輪が付けられており、耳にはミスリルで作られたと思しきイヤリング、首には風と雷の魔力が結晶化した風雷鉱石を磨き上げたネックレス。着ている服も最高級の生地を専門の職人が数ヶ月掛けて縫い上げたものである。
もし何も知らない駆け出しのチンピラ辺りがこの女を見つければ、喜んで襲うだろう。何しろ、身につけている装飾品や服だけでこの先一生遊んで暮らせるのは間違い無いのだから。
……もっとも、実際にそれを実行しようとした者は女の放つ魔法により見るも無惨な姿になるだろう。事実、これまで金目当てに女を襲った者は皆が皆、既にこの世に存在していないのだから。
プリ・マースチェル。かつてダンジョンを見つけた4人の中でも魔法使いの子孫であり、エグジルを治めている3家の1つマースチェル家の当主。
本人もまた強力な魔法使いであり、土の魔法と水の魔法を得意としている。幾つも身につけているマジックアイテムにより、魔力切れを起こさずに長時間攻撃魔法を連射可能という人物だ。
宝石をこよなく愛し、宝石を入手する為なら後ろ暗い手も平気で使う強欲さを持つ。
「別に有名人がやって来るのはいいんだけど、私の邪魔にならないわよね? もし邪魔をしたとしたら……残念ながらダンジョンで行方不明になって貰うことになるかしら。あら、大変。公爵家の令嬢と最も新しい戦争の英雄が揃ってダンジョンで行方不明になるなんて。色々と騒ぎになりそうだけど、向こうとしてもそれを承知の上でダンジョンに来てるんですもの。当然よね」
「ソノトオリデス、マスター」
宝石を見ながら呟いたその言葉に、部屋の中から声が返る。
部屋の中にはプリ以外に誰もいないのに、だ。
だが、プリはそれを全く気にした様子も無く、表情すら変えないままで口を開く。
「ええ、そう。可哀想だけどしょうがないわね。……もっとも、妙な正義感を起こさなければそのような事にはならないでしょうけど。貴方もそうなるように祈ってなさい、ブリジット」
「リョウカイシマシタ、マスターニイノリマス」
右手に嵌っている大粒の宝石の指輪を愛おしそうに眺め、プリはこれから自分が手に入れるべき宝石を想像しながら口を開く。
「そう、全ての宝石は私の下に集まるべきなのよ」
「ハイ、マスター」
どこからともなく聞こえて来る声に満足そうに笑みを浮かべながら。
エグジルの東にある大きな屋敷。その屋敷の中では70代、あるいは80代とも思えるような老人が、その報告を聞きながら不愉快そうに眉を寄せる。
「姫将軍だと? 深紅だと? 何故そのような者共が儂のエグジルへとやってくる」
「それは、やはりダンジョンが目的なのではないかと……」
「ええいっ、黙れ! 誰が口を開いてもいいと許可したか!?」
癇癪を起こした老人は持っていたコップを投げ付け、口を開いた部下の頭部へと命中。そのまま額が切れて血が流れ落ちる。
不幸中の幸いだったのは、老人であるが故に腕力が落ちていたことだろう。もしも老人に冒険者として現役だった頃と同じくらいの身体能力があれば、恐らく部下の頭部はコップ諸共砕けていたのだろうから。
老人の名はシャフナー・レビソール。かつてこの地に存在したダンジョンを見つけた冒険者4人の中の弓術士の子孫であり、シルワ家、マースチェル家と共にエグジルを治めている老人だ。
だが、戦士としては最盛期でもあるボスクや魔法使いとしての実力を維持しているプリとは違い、シャフナーは既に肉体の最盛期を過ぎている。それどころか既に老境に入っており、いつ死んでもおかしくなかった。
「くそう、ようやく……ようやくあの小娘の持っている儂の希望を手に入れられるかもしれないというのに、何故こんな時に異名持ちが2人もやってくる!?」
怒声を上げながらワインの入っている樽をテーブルの上から投げ捨て、周囲に強烈なワインの匂いが立ちこめる。
コップに入っている程度のワインならいい匂いなのだろうが、量が多くなればそれは悪臭でしかない。
「死んでたまるか。儂は、儂はこれまで必死に生きてきたんじゃ。才能が無いと言われながらも弓を握り、鈍いと言われながらもエグジルを治め……だというのに、最後くらいは儂に幸運の女神が微笑んでもいいじゃろう。……いや、違う」
呟いたその瞬間、シャフナーの目が濁った狂気に染まる。自らの老いを決して認めたくない老人の妄執とも言える狂気。
だがその場に控えていたシャフナーの部下達は誰もがそれに気が付かず、ただ黙って主人の癇癪が収まるのを待つ。
「そうじゃ。幸運の女神が儂に微笑まないのなら、儂が自分から神に近付けばいいだけではないか。おい、お前。確か例の奴等が以前面会を求めて来ていたと言っていたな?」
老人の言葉に、部下の1人が首を傾げ……何を言っているのかを理解して小さく息を呑む。
「それは、あの聖光教でしょうか?」
「そうだ。聖なる光の女神とやらを崇めている奴等じゃ。このエグジルで布教する以上、儂の要請に応えぬ訳にはいかんじゃろう」
「確かに聖光教は最近街で流行している宗教ですが、色々ときな臭い噂もあります。迂闊に信用するのは危険ではないでしょうか?」
「ふんっ、危険だとしても所詮このエグジルで儂に逆らうような真似が出来る筈も無い。ボスクやプリに気取られぬように早急に奴等を連れてくるのじゃ」
何とか思いとどまって貰おうと部下が口を開こうとするが、自らの妄執に取り憑かれたシャフナーが部下の言葉に耳を貸す筈も無かった。
こうして、深紅と姫将軍という存在がエグジルに姿を現したことにより、各々が自らの目論見を果たすべく動きを活発化させることになる。