3819話
レイが指を鳴らした瞬間、突然火球が姿を現す。
それをファイアボールという魔法だと理解している者は、見ている者達の中にどれくらいいるだろう。
特に生徒達の中には、レイが……深紅の異名を持つレイが新たに習得した技術を見せるということで、それこそレイの代名詞となっている炎の竜巻か、あるいはそれ以上の何かが見られると思っていただけに、がっかりしている者も多い。
これは、ある意味で仕方がないことでもあった。
何しろこの冒険者育成校に通っているのは、冒険者になったばかりの者か、あるいはギルドから冒険者としてやっていくだけの実力がないと判断された者達なのだから。
これが相応の経験を積んだ冒険者であれば、それこそ魔法を使う訳ではない戦士であっても、レイの今やったこと……詠唱もなし、指を鳴らすという仕草だけで魔法を発動したということに畏怖し、恐怖すら覚えるだろう。
しかし、冒険者としての経験の足りない者達にそれを感じろという方が無理だった。
だが……それはつまり、経験のある冒険者であればレイの今の行動の意味を理解する。
例えば、マティソンやニラシスを始めとした教官達のように、冒険者としても有能だと思われているような者達だ。
また、生徒の中にも少数だが魔法使いがおり、そのような者達は魔法使いだからこそレイのやったことの意味を理解する。
また、教師にも少数だがイボンのような魔法使いもいる。
そんな者達にしてみれば、レイのやったことは理解出来なかった。
その中で、唯一イボンだけがレイが何をやったのかを理解し……そしてだからこそ実際に自分の目で見ても信じられなかった。
レイと視線が合った時の様子から、無詠唱魔法を使えるようになったというのは予想していたが……それでも実際に目の前で見るというのは、それだけ驚くべきことだったのだろう。
『今のレイが何をしたのか……どうやら分かる者もいるようね。分からない者は、自らの未熟さを理解しなさい』
フランシスの声が再度風の精霊魔法によって訓練場に響く。
……今の言葉を口にしたフランシスの顔には、若干不満そうな色があった。
レイと話した時は、無詠唱魔法を見た生徒達の士気が上がると自信満々で口にしていたにも関わらず、実際にはレイのやったことの意味を理解出来ていない者が多かったのだから、それだけ不満に思ったのだろう。
予想を外したという意味では、レイもまた無詠唱魔法を目の前で見て多くの生徒が自信を喪失すると思っていただけに、理解されないというのはある意味でフランシスと同じ結果になったのだが。
これで生徒達がどのように思うのかは……正直なところレイにも分からない。
何を言ってるんだ? といったように右から左に聞き流す者。
あるいはレイのやったことの意味を理解している者から話を聞き、改めてレイのやったことの凄さに驚く者。
改めてレイのやったことを思い直し、そこで初めてレイの凄さについて考える者。
そのような者達の様子を見て、フランシスはようやく納得したらしい。
……聞き流している者に対しては、諦めの視線を向けていたりもしたが。
『魔法使いが呪文の詠唱を行わず、魔法を使える。この技術は、私も初めて見ます。絶対にとは言えませんが、恐らく歴史上初めての技術でしょう』
いや、それは違う。
レイはフランシスの言葉にそう突っ込みたくなったが、視線で制される。
フランシスにしてみれば、リッチが使っていた技術というのは出来るだけ隠しておきたい。
どうしても、人聞きが悪いのだから。
(まぁ、フランシスがそう言うのなら、別にいいか)
レイとしては、その辺については特に気にしていない。
そういうものだとフランシスが言うのなら、そのようなことにしておいても問題はなかった。
『この技術については、本来ならレイも人前で見せなくてもいい筈でした。ですが、私はこの技術を見るのが貴方達の……これから冒険者として活躍していく貴方達の為になると思い、特別にここで披露して貰いました』
そこまで特別扱いするのもどうかと思うんだけどな。
フランシスの言葉を聞きつつ、レイはそんな風に思う。
実際、レイは無詠唱魔法を習得する為にかなり――あくまでもレイの基準でだが――訓練を重ねてきた。
そういう意味ではかなり貴重な技術であるのは間違いないのだろうが、それでも絶対に自分しか使えないようなスキルではないだろうというのがレイの認識でもある。
……だからといって、どうやって使えるようなったのかと言われても、レイとしては親しい相手でもなければ教えるつもりはなかったが。
『さて、レイの技術についてはこの辺でいいとして……次は、昨日の選抜試験の結果を発表します』
おい、と。
そう突っ込みたくなったレイだったが、元々そういう話の流れだったというのを思い出し、我慢する。
『ギルムに行く人員は、まず昨日の選抜試験で行われたトーナメントで準決勝まで進出した、アーヴァイン、イステル、ザイード。……本来ならここにセグリットも加わる予定でしたが、本人の辞退の申し出があったので、セグリットはギルムに行きません』
ざわり、と。
フランシスの言葉に、それを聞いていた生徒達がざわめく。
そして一ヶ所に視線が集まる。
その視線の先にいるのは、当然ながらセグリット。
また、セグリットの周囲には仲間の女三人の姿もあった。
視線を向けている者達……特にトーナメントでセグリットに負けた者にしてみれば、辞退するくらいなら最初から選抜試験に出るな! と叫びたいだろう。
セグリットはそのような視線を向けられているのには気が付いているのか、落ち着かない様子だ。
もっとも、落ち着かない様子というのはセグリットよりもその側にいる三人の女達の方がより大きかったが。
何しろ、セグリットがギルムに行くのを辞退したのは、三人の女達が誰も選抜試験に合格しなかったからなのだから。
女達三人をガンダルシアに残して、自分だけがギルムに行く事は出来ないとセグリットが判断したのだが、だからこそ三人は自分達がセグリットの足を引っ張っているのではないかと、そのように思ってしまう。
『なので、セグリットが辞退した分、当初の予定よりも一人こちらで多く選ぶことになりました。……また、今回のギルムに行くのは、レイの厚意によるものです。その為、ギルムに行く人員の一人は特別枠としてレイから推薦された人物も入っています。……その推薦者の名前は、ハルエス』
「え? ……えぇっ!?」
いきなりフランシスに自分の名前を呼ばれたハルエスは、まさか自分が選ばれるとは思っていなかったのだろう。大きな声を上げる。
ハルエスにしてみれば、まさか……という思いが強いのは間違いなかった。
とはいえ、その声を聞いたレイにしてみればハルエスを選ぶのは決まっていたのだから、そこまで驚かなくてもというように思えたが。
また、生徒達の中にはそんなハルエスに様々な視線が向けられる。
驚きや嫉妬の視線が大半だったが、中には嬉しさといった視線もある。
特に最後は、ハルエスに好意を持っている者の視線だろう。
パーティの解散によってソロで活動していた時はともかく、レイからのアドバイスによって弓を使うようになり、それでクラスが上がっていき、今ではアーヴァイン達とパーティを組んでいる。
その為、以前までと違ってある程度の余裕が出来たので、周囲に目をやるようなことも出来るようになっていた。
その為、困っている者がいれば助けたりも出来るようになり、結果としてハルエスに好意を持つ者もいるのだ。
……もっとも、やはり視線の大半は不満や嫉妬といったものが多かったが。
(あ、こっちを見てるな)
周囲からの視線に耐えきれない様子のハルエスだったが、最終的にはレイに視線を向ける。
ハルエスにしてみれば、自分をこの状況に追いやったレイに不満の視線を向けるのはおかしな話ではない。
『そして残りは二人。……カリフとビステロとします』
ハルエスの様子を気にせず、フランシスは再度言葉を続ける。
その二人の名前はレイにも覚えがあった。
最後のトーナメントにおいて、それなりに勝ち上がっていた者達だ。
カリフが女で、ビステロが男。
(女を一人入れたのは、恐らく現在決まっているメンバーの中で女がイステルだけだから、だろうな)
ガンダルシアからギルムまで数日の旅路だが、貴族出身のイステルが周囲全てが男のままでは色々と大変だろうというフランシスの考え……あるいはフランシス以外にもメンバーを選んだ者達の誰かがそう考えたとしてもおかしくはない。
レイにしてみれば、冒険者として活動する以上はそういうのを気にするのか? と思わないでもなかったが。
勿論、カリフもビステロも実力がなければ選ばれることはなかっただろう。
途中で負けたとはいえ、それでもある程度は勝ち抜いて実力を発揮したので選ばれた筈だ。
もし実力がなければ、イステルの件があってもカリフは選ばれなかったというのがレイの予想だ。
ある程度イステルに配慮はしているものの、ここはあくまでも冒険者育成校。
冒険者としての実力が全て……とまではいかないが、大きな意味を持っているのだから。
『アーヴァイン、イステル、ザイード、ハルエス、カリフ、ビステロ。この六人とニラシス教官がギルムに行くことになります』
「え?」
さらりとフランシスの口から出て来たニラシスの名前に、レイは少し驚く。
教官達が集まっている場所にいるニラシスに視線を向けると、そのニラシスはしてやったりといった様子でレイを見返す。
どうやら自分を驚かせる為に黙っていたらしいと知り、レイは呆れると同時に納得する。
レイと一緒にギルムに行くのだから、当然ながらレイと親しい人物が選ばれる。
そういう意味で、アルカイデやその仲間達は論外だろう。
勿論、実力的な意味でアルカイデ達の方が圧倒的に優れているのなら話は別だったが、生憎とそういうことはない。
そしてレイと親しい教官となると、やはりマティソンやその派閥の者達だ。
中でも突出して親しいのは、マティソンとニラシスになる。
この時点で候補はその二人となったのだが……ここで重要なのは、冒険者としての活動だ。
マティソンは現在も普通にパーティでダンジョンに挑んでるのに対し、ニラシスの仲間は以前レイが十二階で助けた時の戦闘によって、怪我をした者がいる。
命がどうこうといった怪我ではなかったが、それでも相応の怪我をしたのは事実。
また、怪我をしていない者も自分の実力不足を理解し、だからこそ強くなる必要があると……このままダンジョンを進んでも、いずれ実力不足で死ぬと、理解していた。
そんな訳で、ニラシス達のパーティは現在怪我の治療と訓練に費やしており、パーティとしては暇なのだ。
勿論、ニラシスも遊んでいる訳ではなく、きちんと訓練をしているのだが……訓練をするという意味では、ギルムに行くというのは選択肢として十分に考えられる。
いや、寧ろガンダルシアで訓練をするよりも、ミレアーナ王国において冒険者の本場と呼ばれているギルムの方が訓練をするのに向いているだろう。
……もっとも、現在のギルムは増築工事中だ。
その仕事を目当てに多くの冒険者が集まってきており、ニラシスよりも弱い冒険者が大量にいるので、それこそ鍛えるのも大変なのは間違いなかったが。
もしギルムですぐに鍛えたいというのなら、それこそギルドに依頼を出すしかないだろう。
そうなれば、それなりの冒険者が模擬戦の相手をするという可能性も十分にあった。
ただ、ニラシスはあくまでも生徒達の監督役だ。
そのようなことが出来るかどうかは、微妙なところだったが。
『では、発表を終わります。レイの新しい技術、そしてギルムに行く人員の発表。それぞれに思うところもあるでしょう。特に後者は、選ばれなかった者は次の機会には選ばれるように研鑽を忘れないように』
おい?
フランシスの言葉に再びそう突っ込みたくなるレイ。
今の話を聞く限りだと、冒険者育成校の生徒がギルムに行くというのがまたあるように思える。
だが、レイが教官を行うのはそう長い時間ではない。
そして教官を辞めれば、再びガンダルシアに来るかどうかは……ダンジョンの攻略の為に来るという可能性はあるが、それでもやはり可能性は少ない。
そうなると、冒険者育成校の生徒がギルムに行くのは今回が最初で最後になる可能性が非常に高かった。
(まぁ、約束したのはフランシスだし、何らかの手段があるのかもしれないけど)
取りあえずレイはそう思い、藪蛇は避けるのだった。