3817話
「あの、レイ教官……その……」
無詠唱魔法を無事発動したレイに対し、訓練場にいた生徒の一人が近付き、おずおずとだが声を掛けてくる。
レイが訓練場に来た時には構うなといったようなことを言われたので、本来ならレイのことは気にせず、訓練を続ける予定だった。
だが、そうして訓練をやっていて、そろそろ終わろうかという頃……いきなりレイが奇声を上げたのだ。
実際には奇声ではなく、ようやく無詠唱魔法を使えることが出来た喜びの声だったのだが、生徒達にはそう聞こえなかったらしい。
ともあれ、レイがいきなりそのような声を上げたので気になり、放っておくようなことも出来ずにこうして声を掛けてきたらしい。
そんな生徒を見て、レイは自分が嬉しさのあまり声を上げたのに気が付き、少し困った様子を見せつつ、何でもないと示すように首を横に振る。
これが無詠唱魔法を使う前であれば、強い口調で何かを言っただろうが。
「気にするな。ちょっと練習していたのが出来るようになっただけだからな」
そんなレイの言葉に、黒く焦げている地面に視線を向ける生徒。
既にレイが無詠唱魔法で生みだしたファイアボールはそこにはない。
奇しくも、無詠唱魔法と同様に無詠唱でキャンセル出来るようになったというのも、知ることが出来た形になる。
「そう、ですか?」
その生徒は、レイが一体何をしたのか分からなかった。
勿論魔法を使ったというのはファイアボールの存在から明らかだったが、レイが言うように練習していたというのが何なのかは、分からないのだ。
あるいは訓練場に魔法使いの生徒がいれば、また話は違ったかもしれないが。
「ああ、それより暗くなってきたし、そろそろ帰れ。俺も帰るから。なぁ?」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが同意するように喉を鳴らす。
「えっと……はい。分かりました」
レイに声を掛けた生徒は完全に納得した様子ではなかったものの、それでもレイとセトの様子からこれ以上は何かを聞いても意味はないだろうと判断したらしく、そう頷く。
あるいはこれで何か明確な異常でもあれば話は別だったが、見たところそのような様子もなかったので、生徒はレイの前から立ち去っていく。
その生徒が残っていた他の生徒達に何か声を掛けているのを見ながら、レイは再び指を鳴らす。
二度目……あるいは家の庭での件も含めれば三度目ということもあってか、先程と比べても明らかにスムーズに……そしてレイが思った通りの大きさでファイアボールが生み出される。
先程の普通の大きさのファイアボールではなく、拳程の大きさのファイアボール。
(ファイアボールしか使えないが、大きさそのものはある程度自由に変更可能か)
納得しつつ、レイはそのファイアボールを消滅させる。
生徒達に見られて、一体何をしてるのかと思われるのが面倒だった為だ。
「さて……後は、これを自由に使いこなせるようになるだけか」
呟き、レイはセトと共に訓練場を出る。
先程のレイの、そろそろ帰った方がいいのではないかという言葉を聞いてか、訓練場にいた他の生徒達も帰ろうとしていた。
そんな生徒達の様子を見つつ、レイは家に向かうのだった。
翌日、レイの姿は学園長のフランシスの執務室にあった。
いつもより早く家を出たので、まだ時間に余裕はある。
「それで? 一体こんなに朝早くからどうしたの?」
「随分と機嫌が悪いな」
「……昨日は選抜試験の結果について会議がそれなりに長引いたのよ。それなのに、今日こうしていきなりレイが朝に来てるのよ? それで機嫌が良くなれという方が無理だと思うけど?」
そう言うフランシスに、それもそうかとレイも納得する。
選抜試験についてはレイはそこまで関わっていないので、会議が大変だったと言われればそれもそうかと納得するしかない。
……実際にギルムに連れていくレイがその会議に参加しなくてもいいのかと突っ込まれれば、レイとしても何と反論すればいいのか分からなかったが。
とはいえ、ことは冒険者育成校の方針についてだ。
レイにも関係はあるが、レイは自分はあくまでも臨時の教官でしかないという立場なので、その辺について関わるつもりはなかった。
……勿論、あまり納得出来ないような内容であれば、また話は別だったが。
「色々と疲れているところを悪いが、この件についてはフランシスにも協力して貰ったから、一応報告しておいた方がいいと思ってな」
「……何のこと?」
レイが何を言ってるのか分からないといった様子のフランシス。
フランシスにしてみれば、学園長としての仕事もあり、昨日の選抜試験についての件もある。
レイが無詠唱魔法について相談した件は、すっかり忘れているのだろう。
もしくは、無詠唱魔法について覚えてはいても、まさかこんなに早く習得出来るとは思っていなかったのか。
無詠唱魔法という、非常に難易度の高い魔法の使用方法を、練習を始めてからここまで短時間で取得するとは思ってもいないというのは、そうおかしな話ではない。
なので、レイも勿体ぶるようなことはなく、素直に自分が何の為に今日朝早くからフランシスに面会をしたのかを口にする。
「無詠唱魔法の件についてだ」
「無詠唱魔法……? 何か進展でもあったの?」
無詠唱魔法と言われても、フランシスの反応はこのようなものだ。
もっとも、これはそうおかしな話ではない。
フランシスにしてみれば、無詠唱魔法があるというのは、レイが実際に見ているから信じてはいる。
しかし、同時にレイがこの短時間で使えるようになったと言われるとは思ってもいなかったのだろう。
「ああ、使えるようになった」
「そう、なら次は……」
レイの話を聞きながら、何らかの書類に目を通していたフランシスだったが、ふと今の会話に違和感を抱く。
書類を読んでいた手を止め、今の自分とレイの会話を思い返す。
そして無詠唱魔法を使えるようになったというレイの言葉にギギギという音が鳴りそうな様子で、顔をレイに向ける。
「気のせいかしら? 無詠唱魔法を使えるようになったと、そう言ったように思えたんだけど」
「気のせいじゃないぞ。真実だ」
「……練習を始めてから、この短期間で? え? 私を騙そうとしている?」
フランシスにしてみれば、レイの言葉はとてもではないが普通ではない。
その話の内容を信じてもいいのかどうか、迷ってしまうくらいには。
「そういうつもりはない。見せようと思えばすぐにでも見せられる。……ただ、無詠唱魔法で使うのはファイアボールだからな。ここで使う訳にはいかないだろう」
この部屋でファイアボールを使うのは、色々と不味い。
勿論無詠唱魔法で使う魔法の規模……具体的にはファイアボールの大きさはそれなりに変えることが出来る。
だが、もし万が一にも制御に失敗したら……この部屋がどうなるのかは分からない。
無詠唱魔法を使えるようになったのはいいが、それはまだ使えるというだけだ。
使えるのと使いこなすのには大きな違いがある。
だからこそ、レイとしてはどうせ使うのなら、わざわざ学園長室のような場所ではなく訓練場のように何かあっても即座に対処出来る場所の方がいい。
「……そうね。ごめんなさい、ちょっと動揺してしまったようね」
それはフランシスにとって、心の底からの言葉だ。
冒険者育成校を運営する者として、普通ならそう簡単に動揺したりはしない。
そんなフランシスが、動揺する程に今のレイの言葉は驚きだったのだ。
「それで……訓練場でなら見せて貰えるのかしら?」
「ああ。ただし、イボンにも一緒に見せてやりたいと思うけど、構わないか?」
フランシスから紹介されたイボンは、レイにとっても色々と為になるアドバイスを貰っている。
気弱な性格についてはどうかと思わないでもなかったが、幸いなことに自分の興味のあるもの……具体的には無詠唱魔法について話をしているうちに、レイのことを怖がる様子はなくなった。
もっとも、それはレイがイボンの様子を見て可能な限り怖がらせないようにしたからというのが大きい。
もしイボンがレイがモンスターと戦っているところを見れば、それこそ恐怖から避けるようになってもおかしくはないだろう。
「そうね。……いえ、その前にちょっと聞きたいんだけど、レイは無詠唱魔法についてどうしたいの?」
「どうしたいとは?」
「奥の手として隠しておきたいのか、それともそういうのを使えると大々的に知らせてもいいのか、ということよ」
そう言われると、レイはどうしたものかと考え……やがて口を開く。
「大々的に知らせてもいいと思う。自分で言うのもなんだが、無詠唱魔法というのはそう簡単に使えるようにはならないしな」
そう告げるレイの表情には、強い自信がある。
自分が使えるようになるのに、ここまで苦労した無詠唱魔法だ。
もし他の魔法使いが使おうとしても、そう簡単に使えるようになるとは思わなかった。
勿論、世の中には天才と呼ぶべき存在もいる。
そんな者達の中には無詠唱魔法を使えるようになる者がいてもおかしくはないが、それでも相当に苦労する筈だった。
レイは無詠唱魔法について、自分が使えると説明するつもりではあるが、だからといってどうやれば無詠唱魔法を使えるようになるかということまで教えるつもりはないのだから。
「そう。……変わってるわね」
そう呟き、呆れに近い表情を浮かべるフランシス。
この世界において、優れた技術というのは秘匿されるべきものだ。
徒弟制度によって、自分の弟子になり、全身全霊で尽くすことによって、初めて秘匿された技術を教えて貰うということが一般的だった。
なのに、レイは無詠唱魔法という技術について教えるというのだ。
やり方は教えるつもりがないレイだったが、そういう技術が実際にあると知ることが出来るだけで、そこには大きな意味がある。
「レイが無詠唱魔法の存在を教えてもいいのなら、そうね。どうせなら他の教師や教官、興味を持つ生徒達を集めて、その目の前で無詠唱魔法を使ってみせるというのはどうかしら」
「教師や教官だけならともかく、生徒もか? ……まぁ、魔法使いの生徒にとっては興味深いかもしれないけど」
「そうよ。魔法使いはこういうことが出来るというのを、見せつけて欲しいの。別に無詠唱魔法のやり方を教えろとまでは言わないわ。そういうのがあると知ってるだけで、この場合は大きな意味があるでしょうし。……どう?」
フランシスからの提案については、レイもすぐには頷けない。
ただ……見せる人数が増えただけだと判断すると、レイも別に構わないかと判断して頷く。
「分かった、それでいい」
「そう、助かるわ。ついでに選抜試験で合格した人達についての発表もそこで行いましょうか。……ちなみに、レイの推薦したハルエスについてはどうする?」
「どうするってのは?」
「発表するかどうかよ。言うまでもないと思うけど、ここでレイの推薦だと言われれば、その子は注目を集めるでしょう。そうなると……中にはレイに贔屓されていると思って、不満を抱く子もいるかもしれないわ」
「構わない。名前を発表してくれ」
フランシスの説明を聞いた上で、レイは発表してくれと口にする。
そんなレイの言葉に、フランシスは本当にいいの? といった視線を向ける。
だが、レイにしてみればどのみちハルエスが推薦によってギルムに行くメンバーに選ばれたというのは、いずれ知られることになる。
その時まで隠しておくよりは、不満を持つ者達の視線に耐えられるようにしておいた方がいいだろうと、そう考えるのだ。
(それに……アーヴァイン達とパーティを組んでいるハルエスに妙なちょっかいを出す者がいるかと言われれば……正直、微妙なところだと思うしな)
アーヴァイン、イステル、ザイード。
それぞれが一組、二組、三組を率いる者達で、この冒険者育成校の生徒の中では強い影響力を持っている三人だ。
そんな三人とパーティを組んでいるのがハルエスである以上、ハルエスにちょかいを出すということは、その三人を敵に回すのと同じことだ。
この冒険者育成校の事情を知っている者なら、まずそんなことはしないだろう。
……もっとも、それはつまり冒険者育成校に入学したばかりの者で、その辺りの事情について知らない者であれば、ハルエスの存在が面白くないと考えてちょっかいを出す可能性は十分にあるということでもあったのだが。
レイもその辺については理解していたが、自分が目を掛けている相手である以上、ハルエスにはそのくらいのことには自分で対処するべきだろうと考えるのだった。