3805話
「うーん……候補としては、やっぱりこの二つか」
レイはそう言いながら、無詠唱魔法を使う際の動作……より正確には、魔法を使う際に反射的に使えるような動作について考える。
この動作をすれば反射的に魔法を使うというのを魔力の流れのコントロールと共に身体に染みこませるのだ。
そうである以上、レイが頻繁に行うような動作は色々な意味で不味い。
だからこそ、もっと別の……普通であれば使わない動作にするべきだろう。
それはレイも理解していたが、ならどんな動作にするのかという点で迷うことになる。
そうした結果、最初に思い浮かべたのはイボンの前でやってみせたような、手を銃の形にするというもの。
日本人なら……あるいは地球人ならまだしも、この世界において銃の形を模した手を見ても、それがそういうものだとは思いつかないだろう。
また、銃の形を模しているというだけあって、無詠唱で魔法を使っても狙いがつけやすいという利点がある。
……とはいえ、それは銃口に見立てた指の向いている方に魔法を放つということで、その辺りを理解されると非常に使いにくくなってしまうのも事実だが。
そして次に思い浮かんだのが、指を鳴らす……いわゆる、フィンガースナップという行為だ。
これもまた、普段の生活ではあまり行うことはない。
手で銃の形を模すという行為よりは使う機会があるかもしれないが。
また、指を銃口に見立てるという行為をしなくてもいいので、攻撃の方向を敵に読まれにくいという利点もある。……同時に、銃で模した時とは違って狙いを付けにくいという欠点もあるとレイには思えたが。
また、指を鳴らすという行為であれば手で銃の形を模すという行為よりも恥ずかしくないというのがある。
人によっては指を鳴らすことが出来ない者もいるが、幸いなことにレイは日本にいた時は勿論、今の身体になってこのエルジィンにやって来てからも指を鳴らすという行為は普通に出来る。
「うん、そうなるとやっぱり指を鳴らす方がいいか。……この身体なら連続して指を鳴らしても、そこまで痛くはないだろうし」
日本にいた時、何らかの理由で何度も指を鳴らした結果、指が痛くなったことを思い出す。
だが、今のこの身体はゼパイル一門の技術力の結晶とも呼ぶべき身体だ。
そうである以上、何度この身体で指を鳴らしても問題はない筈だった。
……もっとも、それにも限度があるのは間違いないだろうが。
それでも百回、二百回といった程度なら問題はないだろうとレイは予想している。
「なら、最有力候補が指を鳴らすので、次点が手を銃の形にする感じだな」
そう呟くと、不思議と自分の中にも上手く納得出来るものがあった。
感覚派の魔法使いであるレイにとって、このようなことでは自分がこれだと思えるような方が良い結果を生む。
もしかしたら、理論的にはもっと何か無詠唱魔法を効率的に使える動作というのはあるかもしれない。
あるかもしれないが、レイにしてみればこれが最善の形だと思えるのは間違いなかった。
「さて、じゃあ……食事にするか」
窓の外を見ると、既に夕日は完全に沈みつつある。
レイが家に帰ってきてから、一時間程は経っている。
メイドのジャニスに帰ってきた時に食事はもう少し後だと言ったが、そろそろ丁度いい時間なのは間違いなかった。
部屋を出て、リビングに向かう。
するとそこでは、レイが部屋から出たのを察したジャニスが、丁度食事の準備を始めたところだった。
「少々お待ち下さい。すぐに用意しますから」
「ああ、頼む。別に急がなくてもいいぞ」
そう言い、レイは椅子に座る。
(こういう時、TVとかあれば便利なんだけどな。後は……ラジオとか? マジックアイテムでどうにか出来ればいいんだけど。……対のオーブを使えば出来そうだな)
対のオーブがラジオの受信機といったようなことを考えるレイだったが、そもそも対のオーブが非常に希少なマジックアイテムである以上、レイが考えているTVやラジオのようにすることは出来ない。
すぐにそう気が付き、がっかりするが……
(いや。別に対のオーブじゃなくてもいいのか? いや、正確には対のオーブと類似した感じになるだろうけど)
対のオーブというのは、その名の通り対となっているオーブでやり取りをする。
具体的には、双方で送受信が出来る形だ。
だが、レイが考えているTVやラジオでは、別に双方向の送受信は必要ない。
……勿論、そう出来ればそれはその方がいいのかもしれないが、残念ながらそうなると本当の意味で対のオーブが大量に必要になる。
であれば、機能を制限することによって対のオーブ……既にその時点で対ではないのかもしれないが、作ることは出来ないのか。
(どうだろうな。難しそうな気がするけど)
レイが知ってる限りだと、対のオーブというのは基本的にダンジョンで入手出来るマジックアイテムだ。
錬金術師が作ったという話はレイも知らない。
レイが知らないだけで、もしかしたら腕の立つ錬金術師なら作ってもおかしくはないのかもしれないが。
ただ、その辺の状況を知らないレイとしては、やはり対のオーブを入手するにはダンジョンしかないとも思う。
それを入手して、腕のいい錬金術師に話を持っていき、TVやラジオの端末として使える簡易的な対のオーブを作るように頼んでみてはどうか。
色々な意味で難しいだろうとは思う。
思うのだが、それが出来ればこの世界の生活が大きく変化するのも間違いはない。
(とはいえ……タクム・スズノセしかり、他にも俺より前にこの世界に来た転移者や転生者がいる筈だけど、そういうのを作ってないってことは何かそう出来ない理由があったんだろうし)
具体的にそれがどのような理由なのかは分からない。
あるいは、何か出来ない理由があった訳ではなく、ただ単にそこまで手が回らなかっただけという可能性も否定は出来ない。
とにかく、もしそのようなことを本気でやるとすれば、個人で出来ることではない。
ダスカーに話を……いや、それこそ領主だけの話ではなく、国家的事業となってもおかしくはなかった。
(うん、止めておこう)
そこまで考えたレイは、即座に自分の考えを却下する。
間違いなく面倒に……それも極大の面倒になるだろうと、そう予想出来た為だ。
アイディアだけを出すのであれば、レイもそこまで気にしないだろう。
しかし、そもそもレイが想定しているTVやラジオについて知っているのは、あくまでもレイだけなのだ。
そうなると、それを知っているレイは当然ながらそのプロジェクトに駆り出されるし、同時に何故そのような物を知ってるのかと疑問に思う者も出て来るだろう。
後者に関しては、いつものように師匠から教えて貰った、師匠の持っていた本に書かれていたと説明すればそれでいいのかもしれないが。
だが、前者についてはどうしようもない。
そのプロジェクトが具体的にどのくらいの規模になるのかは分からないが、レイとしてはそれに組み込まれるのは是非とも遠慮したかった。
そのようなプロジェクトに組み込まれれば、報酬はいいのかもしれないが、未知のモンスターとの戦い……そして魔獣術に使う魔石を手に入れることは不可能になるのだから。
だからこそ、レイとしてはTVやラジオがあれば便利だが、わざわざそれを作ろうという考えを却下する。
(あるいは、今までこの世界においてそういうのがなかったのは、その辺についても関係してるのかもしれないな)
具体的に何人くらい、転移者や転生者がこの世界にいたのかはレイにも分からない。
だが、タクム・スズノセは魔獣術の仕様からゲームに対してそれなりの知識があったのは間違いなく、そうである以上、ゲームとかをこの世界でも出来るようにしたいと考えてもおかしくはない。
また、ベスティア帝国の第一皇子だったカバジードも転生者の一人だ。
その立場から、もし対のオーブを使ったTVやラジオのようなシステムを作ろうと思えば作れた筈だ。
ましてや、ベスティアは近年急速に錬金術の技術が高くなっている。
そんな二人がやろうとしなかった以上、そこにはやろうとしても出来ない何らかの理由があると考えた方が正しかった。
コトン、と。
考えごとをしている中、レイの前に皿が置かれる。
その皿には新鮮な野菜や塩漬けの魚を上手く水で戻した料理が盛り付けられていた。
「お待たせしました。まずはこちらからどうぞ。他の料理やパンもすぐに持ってきますので」
「ああ、頼む」
そう言い、用意されたフォークでサラダを食べる。
サラダと言われれば、普通思い浮かべるのは前菜とかそんな感じだろう。
だが、このサラダは塩抜きした魚の塩漬けや、種類は分からないが豆も結構な量が入っており、食べ応えがある。
それこそ前菜のサラダではなく、メイン……それはそれでどうだろうなとレイには思えてしまう。
食の細い者ならこれがメインであっても特に問題ないだろうが、冒険者のように食事量の多い者にしてみれば、これだと物足りない……そんな感じのボリュームだ。
何だかんだと言ったが、取りあえずこれが上手いのは間違いない。
ドレッシング……いや、この場合はソースと評した方がいいのかもしれないが、とにかくソースは肉を焼いた時の肉汁が使われていた。
普通こういう肉汁はサラダじゃなくてステーキとかの焼いた肉に使うことが多いんだがと思いながら、レイはサラダを食べる。
そうしてレイがサラダを食べている間に、スープやメインの料理、パン……少し変わった果実の盛り合わせといったように次々と料理が出てくる。
中でもレイが食べて気に入ったのは、内臓と豆の煮込み料理だ。
出て来た他の料理に比べると、それこそ酒場で出てくるようなそんな料理。
だが、レイは別に上品な料理だけを好む訳でもない。
それこそ酒場で出てくる類の料理も好む。……酒は好まないが。
というか、そうでもなければ街中の屋台で串焼きを始めとした料理を食べ歩きしたりはしないだろう。
「この煮込み、美味いな。パンに合う」
内臓と豆の煮込みをパンの上に乗せて口に運ぶ。
すると暴力的なまでの内臓の脂の美味さと、柔らかく煮られて濃厚な味を持つ豆が口中で同時に楽しめる。
また、汁がパンに染みて、それがまた美味い。
「こういう系統の料理を食べたことは結構あるけど、今まで食べたのとはちょっと違うな」
「私の故郷の味付けですので」
「……ガンダルシアの出身じゃないのか?」
「はい。もっとも、名前を言っても知ってる人が少ない、小さな村ですけど」
そう言うジャニスだったが、その表情には笑みが浮かんでいる。
誰も知らないような小さな村ではあっても、ジャニスにしてみれば大事な故郷なのだろう。
「そうか。こういう料理のある故郷なら、幸せそうな感じだな」
料理だけでそれを認識してもいいのか?
口にした本人もそう思わないでもなかったものの、実際ジャニスの様子を見ればその判断は決して間違っている訳ではないのだろう。
レイの言葉を聞いたジャニスも、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
そうして会話をしながら、レイとジャニスの夕食は終わる。
なお、当然の話だがジャニスが用意した料理はレイやジャニスだけではなくセトにも出されている。
そちらもまた、セトが嬉しそうに料理を全て食べたのだった。
「さて……どうだろうな」
夕食後、部屋に戻ったレイは対のオーブを出して起動させる。
この対のオーブは、エレーナが対になる物を持っている対のオーブではなく、グリムに繋がる対のオーブなのだが……
「駄目か」
そのまま二十分程が経過しても、対のオーブにグリムが姿を現すことはない。
「出来れば、俺が倒したリッチについて……というか、無詠唱魔法について話を聞きたかったんだけどな」
そう呟きつつ、対のオーブをミスティリングに収納してベッドに寝転がる。
グリムが無詠唱魔法についてどこまで知っているかは分からないが、それでも何らかの情報を貰えるのではないかと、そのように期待したのだが……その期待は見事に外れた形だ。
あるいは、レイが倒したリッチが実はグリムと知り合いだったりしないかと。
(今更だけど、グリムにこういう風に聞くのなら、ダンジョンであのリッチと接触した時に聞けばよかったんだよな。……まぁ、あのリッチが俺の言葉をどこまで聞いたかは分からないけど)
ダンジョンの力を自分のものにしようとしていたリッチだ。
レイがグリムの名前を出したところで、大人しく話を聞いたとは思えない。
思えないが、それでも試してみればよかったと、そんな風に思うのだった。