3803話
「なるほど。……話を聞いた限りでは、その……」
レイからリッチとの詳しい戦闘についての話を聞いたイボンだったが、最後まで話を聞き、少し考えた後で出した結論はそのようなものだった。
言葉は濁しているものの、無詠唱魔法の使い方については分からないと、そう態度で示している。
それを見たレイは……だが、そこまでショックを受けている様子はない。
そもそもの話、イボンに相談はしたものの、すぐに無詠唱魔法の使い方が判明するとは思っていなかった。
あくまでも、何らかの手掛かりになればいいと思っての行動だったのだ。
実際、それを示すようにレイは自分なりのやり方で無詠唱魔法を使えるように、魔力の流れのコントロールを少しでも上昇させようとしている。
「すぐに分かるとは思っていない。けど……何か思い当たるような手掛かりはないか? それこそ理論上だけの話でもいい」
そうレイが言うと、イボンは若干だが安堵する。
イボンにしてみれば、今すぐにこの場で無詠唱魔法を使えるようにさせてくれ。あるいはそこまでいかなくても、何らかのヒントを求められていると思ったのだ。
だが、レイがそこまで無茶を言ってる訳ではないというのは、非常に助かることだった。
「えっと、その前に……レイさんがどういう風にして無詠唱魔法を使おうとしているのかを教えて貰えませんか?」
「俺の? まぁ、いいけど」
レイが無詠唱魔法の為にしている訓練については、別に隠すようなことではない。
寧ろその訓練が方向性として正しいのかどうか、知りたいと思ってすらいた。
「俺が現在やっているのは魔力の流れのコントロールだ。詠唱をしなくても、魔力の流れのコントロールによって詠唱代わりに出来ないかと思ってな」
「魔力の流れのコントロールで詠唱の代わりを……なるほど、悪くないと思います。ただ、その、これだけでは弱いような気も……」
イボンから見て、レイのやっている魔力の流れのコントロールというのは、確かに無詠唱魔法に繋がっているように思える。
しかし、それだけで無詠唱魔法を使えるかと言われると、やはり首を傾げてしまうのも事実。
だが、そこまで口にしたイボンは、自分が何を口にしたのか……つまり、レイの機嫌を損ねたのではないかと思い、反射的にレイを見るが……特にレイが怒っている様子がないのを見て、安堵する。
レイにしてみれば、今の言葉は別に怒るようなことでも何でもない。
もし努力の方向性が間違っていたとしたら、それを教えてくれるのは助かるのだから。
……というより、イボンが何を気にしているのかすら気が付いてはいない。
今のレイは、どうすれば無詠唱魔法を使えるようになるか、必死に考えていたのだから。
なので、イボンの様子に気が付かず、言葉を続ける。
「俺もその可能性については考えていた。だから、魔力の流れのコントロールだけじゃなくて、簡単な動作で反射的に行動出来るように出来ないかと思ってたんだが」
そう言い、レイはフランシスにも説明したパブロフの犬について話す。
「それは……凄い発見ですよ」
フランシスにはそこまで強い影響を与えなかったパブロフの犬の話だったが、イボンは違ったらしい。
非常に興味深い様子でレイに視線を向けてくる。
「そうか? ……まぁ、そう思って貰えて何よりだ」
取りあえず、レイはそう返す。
実際、パブロフの犬についてはかなり昔に行われた実験だが、それがまだ伝わっていたのだ。
そして日本にも広まっていたので、そういう意味では大いなる実験といった認識でも決して間違いではない筈だった。
……もっとも、レイは具体的にパブロフの犬の実験がいつ行われたのかといったことは、全く知らなかったのだが。
「ええ、素晴らしい実験です。それに、再現性があるというのは凄いですね」
「実験だしな。再現性がないと、あまり意味がないと思うんだが」
もし同じ実験をしても、全く違う結果になってしまっては実験の意味がない。
そうレイは思ったのだが、イボンはそんなレイの言葉に困った様子で口を開く。
「その、私もそう思うんですが……中には一度そういう実験結果が出たのだから、次の実験で違う結果が出ても、それはそれだと主張する方もいまして」
何だそれは。
そう言いたくなったレイだったが、イボンの様子を見る限りでは、別にイボンがそのように主張している訳でもないらしいので、それ以上は何も言わないでおく。
そのような主張をする者に色々と思うところがあるレイだったが、それでも自分にそこまで関わってこない以上は、どうこう言わなくてもいいだろうと、そのように思ったのだ。
「まぁ、その件については俺はこれ以上何も言わないが……話を戻すぞ?」
「え? あ、はい。すいません。その、それで……そのパブロフの犬というのが何でしょう?」
「実際にはパブロフの犬と少し違うが、何らかの特定の動作をすれば無詠唱で魔法を使えるようにならないかというのがあってな」
「……なるほど。お話は分かりました。ですが、もしそれをやろうとすれば、一度反射的に使えるようになったら、その動作で別の魔法を使うことは出来なくなるのではありませんか?」
「その可能性は高いと思っている」
例えばフランシスに説明したように、手で銃の形を作ることによって何らかの魔法を発動出来るようにする。
この場合、初めてなので恐らくは簡単な魔法になるだろう。
だが、無詠唱魔法として使う上で、出来ればもっと強力な魔法が必要になった場合、同じように手で銃の形を作るという行為で発動する魔法を別の魔法にしようとしても、一度身体に染みついた動きである以上、それを切り替えるのは……不可能ではないにしろ、決して容易なことではない。
それこそ、古い魔法と新しい魔法が干渉し合うことによって、魔法が発動しない……あるいは発動しても暴発するという可能性も否定は出来ない。
特にレイの場合は、魔法の原動力となる魔力量が圧倒的であるだけに、もし暴走したらその影響も大きなものになってしまうだろう。
「そうなると、使えるようにする魔法は慎重に決める必要があるのでは?」
「だろうな。それに……リッチとの戦いでの経験からすると、無詠唱魔法で高度な魔法を使うことは出来ないと思う」
リッチが無詠唱で使っていたのは、空間魔法の盾だ。
空間魔法そのものが非常に難易度の高い魔法である以上、ある意味でその空間魔法の盾も高難易度の魔法であると考えてもいいのかもしれないが、それでも空間魔法の中で見た場合、決して難易度の高い魔法ではない。
(もっとも、無詠唱で盾を生み出せるという時点でかなり便利なのは間違いないけど。……もしかして、それが理由だったりしないよな?)
魔法の暴発とかを考えてのものではなく、単純に便利だから使っていた。
あるいは発動するのに必要な魔力が少ないから使っていたという可能性もある。
それはつまり、魔力量を気にしなくてもいいレイであればその辺りの条件もかなり緩和されるということになるのだろう。
もっとも、無詠唱魔法と一口に言っても、現在レイがやろうとしている、魔力の流れのコントロールと特定の動作に関連付けるという無詠唱魔法と、リッチが使っていた無詠唱魔法が同じとは限らない。
いや、可能性としてはかなりの高さでレイの使おうとしている無詠唱魔法はリッチのそれとは違う形式になるだろう。
詠唱をせずに魔法を発動する……無詠唱魔法という結果は同じであっても、その過程が大きく違う可能性があるのだ。
そうである以上、一概に無詠唱魔法だからと同一視することは出来ない。
「そうなると、もし無詠唱魔法を使えるようになっても、それに登録……という表現はどうかと思うが、とにかく使えるようにする魔法は簡単な魔法であってもそれなりに使うような魔法の方がいい訳か」
「そうなると思います。その……炎の竜巻を無詠唱魔法で使えるようになったら凄いとは思いますが」
何故炎の竜巻?
一瞬だけそう疑問に思ったレイだったが、すぐにその理由を理解する。
レイの……深紅の噂については、ガンダルシアにも前々から届いていた。
そんな中で有名なのは、やはりレイが深紅と呼ばれるようなことになった、ベスティア帝国との戦争であり、派手なもの……噂話をする者であったり、吟遊詩人が歌の中で盛り上がるのは、やはり炎の竜巻を使ったところなのだろう。
ある意味でレイの代名詞的な存在となっているのが、炎の竜巻だ。
だからこそ、イボンもレイが無詠唱魔法についての話を持ってきた時、炎の竜巻を思い浮かべたのだろう。
とはいえ、炎の竜巻は実際にはレイの魔法だけで生み出したのではなく、セトの協力も必要だ。
また、炎の竜巻を生み出す魔法というのがある訳ではなく、複数の魔法とスキルを組み合わせて炎の竜巻を生み出すのだ。
とてもではないが、レイ本人も無詠唱魔法でどうにか出来るとは思っていない。
「そうだな。最初は難しいだろうけど、そのうち……俺がもっと無詠唱魔法を使えるようになったら、いずれそういうことが出来ればいいんだけどな」
レイのそんな返事を聞き、安堵した様子を見せるイボン。
イボンにしてみれば、もしかしたら本当にレイが炎の竜巻を無詠唱魔法で使おうとしているように思っていたのかもしれない。
「そうですね。今はまず、簡単な魔法から始めるべきかと。……それで、何かありますか?」
「簡単で、それでいて頻繁に使うような魔法。……まぁ、そうだな。幾つか思い当たるけど」
すぐに思い当たるのは、やはり炎系の魔法の中でも広く知られているファイアボールだろう。
炎系の魔法の中でもファイアアローと並んで初歩的な魔法でありながら、威力も高い。
また、ファイアアローと違って命中した場所を中心に炎が広がるので、それなりに広範囲に攻撃も可能という意味で、攻撃をする際には使い勝手のいい魔法なのは間違いなかった。
(それに……出来るかどうかは分からないが、魔力の流れのコントロールを上手い具合に調整して攻撃すれば、もしかしたら普通のファイアボールよりも威力が増すかもしれないし)
そうレイはファイアボールについて考える。
レイは魔法を使う際にその有り余る魔力を込めることによって、魔法の威力を底上げするといった技術がある。
……それを技術と評してもいいのかどうか、レイ自身は疑問だったが。
何しろ必要なのは単純に魔力量だけだ。
また、込める魔力が多くなればなる程に、威力の上昇率も落ちていく。
例えば、本来必要な魔力以外に十の魔力を込めた時、魔法の威力が本来よりも五上がるとする。
だが、二十の魔力を込めても、上がる威力は六であったり……といった具合にだ。
そういう意味では、普通なら欠陥を持つ技術と認識されるのだろうが……それが、有り余る魔力を持つレイの場合ならどうか。
二十の魔力で威力の上昇が六? なら、二百、二千、二万、二十万の魔力を込めればいいだけだろう。
素でそのようなことを考えるのがレイで、その上でそれをやれるだけの魔力を持っている。
そういう意味で、本来の魔力を必要以上に使うことが出来る色々な意味で規格外の存在がレイだった。
……もっとも無詠唱魔法でも同じようなことが出来るかどうかは微妙なところだろうとは本人も思っていたが。
「ファイアボールですか。……一般的な魔法ですね」
レイが無詠唱魔法を使う上で選んだ魔法に、イボンは意外そうな表情を浮かべる。
レイのことなので、もっと突拍子もない魔法を選ぶのではないかと、そう思っていたのだ。
「いや、簡単な魔法を選んだ方がいいと言ったのはイボンだろう? なのに、何でそれで驚く?」
そう言うレイに、まさかレイが自分のアドバイスを素直に聞くと思っていなかったとは言えないイボンは、慌てて誤魔化すように口を開く。
「えっと、レイさんならもっと凄い魔法を簡単な魔法に入れてもおかしくはないと思ったので」
「……そういうものか?」
納得したような、していないような……そんなレイだったが、イボンは何とか話を誤魔化せたと安堵する。
「はい、そういうものです。それで、無詠唱魔法についてですが……ファイアボールを使うのであれば、やはり魔力の流れのコントロールの方が重要だと思います」
話を逸らそうとした訳でもないのだろうが、イボンのその言葉はレイの興味を引くに十分な内容だった。
レイとしては、動作によって魔法を覚え込ませるのを優先した方がいいと思っていただけに、尚更に。
だからこそ、レイはイボンと無詠唱魔法について話を続けるのだった。