3793話
空中に浮かぶ頭蓋骨は、やがてレイ……ではなく、弓術士の女に向かって突っ込んでいく。
レイとしては、折角の獲物だ。
空飛ぶ頭蓋骨という未知のモンスターを他の誰かに取られる訳にはいかない。
その為、即座に地面を蹴って女の側まで移動したのだが……
「ちっ、頭蓋骨だけなのに賢いな」
レイが近くに来た瞬間、頭蓋骨は即座に女を狙うのを止めて距離を取る。
レイの力を察知しての行動なのだろう。
まだここではレイは何の力も見せてはいないのだが、それでも頭蓋骨にしてみれば何らかの方法でレイの強さを察したらしい。
そのまま空中を飛ぶだけで、レイがいると攻撃をしてくる様子はない。
(どうする?)
一瞬判断に迷ったレイだったが、そのレイが何かの行動に移るよりも前に、弓術士の女が矢筒から矢を抜き、弓で射る。
女にしてみれば、自分のパーティメンバーが多数のゾンビ達と戦っているのだ。
そうである以上、危険な存在であるのは間違いないものの、それでもただ飛んでいるだけで攻撃をしてくる訳でもない骸骨はすぐにでも倒してしまいたいと思ったのだろう。
射られた矢は、真っ直ぐに骸骨に向かい……
「え?」
目の前の光景にそんな声を上げたのは、レイ。
女も、自分の攻撃の結果に驚いており、声も出せない。
何故なら、本来なら矢が突き刺さる筈だった頭蓋骨に、矢は突き刺さらなかったのだ。
それも回避した訳でもない。
いきなり空中に浮かんでいた頭蓋骨が縮まったのだ。
それも通常の頭蓋骨から、拳程の大きさにまで。
その行動はレイを驚かせるには十分だったが、同時に納得させるのにも十分だった。
レイが遠くから見た時、弓術士の女は敵がいないにも関わらず吹き飛ばされた。
敵の姿が見えなかったことから、レイはセトの使うスキルである光学迷彩に近い、そんな能力を持ったアンデッドに攻撃されたのだろうと思ったのだが……そうではなく、小さくなって弓術士の女を攻撃したのだろう。
とはいえ、それでもレイの視覚であれば小さくなった頭蓋骨を認識出来てもおかしくはない。
そうならなかったのは、丁度吹き飛んだ女の姿が邪魔になって見えなかったのか、あるいはもっと他の……周囲にある墓標がその姿を隠したのか。
(とはいえ、それでも美味しい相手であるのは間違いない)
そうレイが断言出来るのは、セトのスキルには光学迷彩以外にもサイズ変更というものがあるからだ。
レイとしては光学迷彩のレベルが九から最高の十になることを期待していたので、出来れば光学迷彩系のスキルであってくれれば嬉しかったのだが、サイズ変更のレベルが上がるのも悪いことではない。
だからこそ、レイのやる気は維持されたのだが……
「カカカカカカカカカカカカ」
空中に浮かぶ頭蓋骨は、顎の骨を震わせながらそんな音を出す。
それが笑い声なのは、スケルトンゴーストとの戦いを経験したレイにも十分に理解出来た。
……いや、そのような経験がなくても、普通に笑い声だと認識してもおかしくはなかったが。
実際、弓術士の女はレイの横で忌々しげに空を飛ぶ頭蓋骨を睨み付けている。
それでも矢を射らないのは、先程小さくなって攻撃を回避されてしまった経験からだろう。
(なら、俺が)
デスサイズと黄昏の槍を手に、レイは間合いを詰めるべく走り出す。
空飛ぶ頭蓋骨は、やはりレイについては危険だというのは理解しているのだろうが。
レイが近づいてきたと知るや否や、飛んでいる高度を上げる。
少しでもレイに近付かれたくないと、そのように思っているのは明らかだった。
これでレイが普通の冒険者であれば、そんな空を飛ぶ頭蓋骨に攻撃する手段はなかったのだろう。
だが……レイは普通ではない。
跳躍すると、即座にスレイプニルの靴を発動して空中を踏む。
それを見た瞬間、間違いなく空飛ぶ頭蓋骨は動きが止まった。
まさか、空中を踏むなどというようなことが出来るとは思ってもいなかったのだろう。
あるいはアンデッドである以上、そこまで深く考えるようなことはなく、ただ驚いただけなのかもしれないが。
ともあれ、レイは空中を踏んで空飛ぶ頭蓋骨に向かって更に間合いを詰める。
それを見た空飛ぶ頭蓋骨は、拳程の大きさから更にその半分程まで縮まり……だが、そこまでだった。
「それで、俺から逃げられると本当に思っているのか!?」
叫びつつ、レイはデスサイズを振るう。
「雷鳴斬!」
スキルが発動し、デスサイズの刃に雷が纏わり付く。
ここでこのスキルを使ったのは、雷鳴斬で生み出された雷が少しでも触れれば、相手の動きが止まる為だ。
雷鳴斬のレベルが二なので、もし雷に触れても相手の動きが止まるのは二秒程だったが、レイにとっては二秒もあれば十分だった。
振るわれる雷を纏ったデスサイズの一撃を何とか回避しようとする空飛ぶ頭蓋骨。
だが、空飛ぶ頭蓋骨の飛行速度よりもレイがスレイプニルの靴の効果で空中を蹴る方が速い。
一瞬にして空飛ぶ頭蓋骨はレイの間合いに入り、デスサイズを振るう。
斬、と。
頭蓋骨のした半分が切断され、同時に雷の効果によってその動きが止まる。
その動きを見逃さず、レイは左手に持つ黄昏の槍を突き出し……その頭部を貫くのだった。
(あ、魔石!?)
頭部を貫いた瞬間、レイはもしかしてミスったか? と、そう思う。
空飛ぶ頭蓋骨が魔石をどこにも持っていなかった以上、考えられるとすれば、その魔石があるのは頭蓋骨の中だろう。
その頭蓋骨を貫いてしまったのだから、もしかしたら魔石をも貫いてしまったのではないかと心配になったのだ。
とはいえ、着地したレイが軽く黄昏の槍を振ると、頭蓋骨の中で何かが動いている音と感触がある。
それを見れば、取りあえず魔石を切断したということがないらしかった。
……もっとも、切断はしていないものの、魔石が傷付いた可能性は否定出来なかったのだが。
ともあれ、これで一番厄介だった空飛ぶ頭蓋骨を倒すことに成功はした。
残るはゾンビだけなので、そちらに視線を向けると……そのゾンビの数も大分少なくなってきている。
弓術士の女も、空飛ぶ頭蓋骨を倒したということで、もうそちらの心配はしなくてもいいと判断したのか、ゾンビに向かって弓で援護をしていた。
(俺はどうするか。……いや、別に助ける必要はないか)
既にゾンビの数が少なく、戦闘も冒険者側の方が有利になっている。
これで少しでも知恵のあるモンスターであれば、もう自分達に勝ち目はないと判断して逃げ出したりするのだが、相手はゾンビだ。
そんな知能は……
「は?」
そんな知能はないだろう。
そう考えたレイだったが、数が少なくなったゾンビのうちの一匹がその場から離れようとしているのに気が付く。
「マジか」
呟きながらよくそのゾンビを観察してみると、明らかに動きが違う。
そしてゾンビではあるものの、その新鮮さ……という表現はレイも自分で考えてどうかと思うが、とにかく死体ではあるが他のゾンビのように腐っている様子はなく、艶がいい。
肉が腐って骨が見えていたり、あるいは内臓の一部がはみ出て、それを引きずって歩いたりといったことはしていない。
勿論ゾンビである以上、胸の肉の一部がなく、そこから肋骨が見えていたり、眼球が片方なかったり、頭部の半分程が髪の毛どころか皮膚もなかったりするが。
だが、明らかに他のゾンビと比べると、その様子は違っていた。
(つまり、未知のアンデッド!)
そう判断すると同時にレイは駆け出す。
本来なら、ゾンビと戦っている冒険者達の戦いに乱入するのは不味い。
だが、レイは戦闘に参加してもいいかどうかを聞き、了承を貰っている。
また、レイが狙っているゾンビは戦いの場から離れていっているのだ。
そうである以上、この未知のゾンビを見逃すという選択肢はレイにはなかった。
「俺はあの離れていくゾンビを倒してくる」
近くで残り少なくなったゾンビに矢を射っていた弓術士の女にそう告げると、レイは即座に走り出す。
「え? ちょ……ああ、もう!」
女はいきなり走り出したレイの姿に意表を突かれるものの、結局は何も言わない。
これで自分やパーティが危険なら、そっちを優先して欲しいと言えただろう。
だが、既に戦いは終わりつつある以上、レイがここで離れても問題はなかった。
……なお、レイはこの場を離れる際にちゃっかりと先程倒した空飛ぶ頭蓋骨の死体――という表現は正確ではないのだろうが――をミスティリングに収納してある。
この状況で空飛ぶ頭蓋骨を奪われるとは思っていないが、それでも何があるのか分からないのが、ダンジョンなのだから。
それだけに、念には念を入れた形となる。
そのままにしておけば、場合によっては他のアンデッドがその死体を食ったり、もしくはもっと不気味な何らかのことに使ってもおかしくはなかったのだから。
勿論、レイもこのまま有耶無耶にして自分の所有物にしようとは思っていない。
所有権については、戦いが終わった後でパーティリーダーの男としっかりと話して決めるつもりだった。
「っ!?」
走って自分に近付いてくるレイの存在に気が付いたのだろう。
少しずつ戦場から離れていたゾンビは、即座に走り出す。
(って、走り出す!?)
その光景にレイは驚く。
レイが知っているゾンビというのは、基本的に歩くことしか出来ない。
そんなゾンビが冒険者程……とまではいかずとも、一般人が走るくらいの速度で走っているのだから、それに驚くなという方が無理だった。
……なお、この時レイは気が付いていなかったが、一応ということでレイの様子を見ていた弓術士の女も、ゾンビが走った光景を見て目を大きく見開いていたりする。
弓術士の女にとっても、ゾンビがこの速度で走るというのは完全に予想外だったのだろう。
後ろでそのようなことになっているとは気が付かず、レイはゾンビに向かって走る。
走っているゾンビにとって不幸だったのは、幾ら他のゾンビと違って走ることが出来るとはいえ、それがあくまでも一般人レベルだったことだろう。
冒険者として鍛えられ……何より、ゼパイル一門の技術の粋を込めて作られたレイの身体とは、その能力は比べものにならない。
結果として、ゾンビはあっさりとレイに追いつかれてしまう。
「グルアアアアア!」
自分が追いつかれたと判断したのだろう。
ゾンビはレイに向かって大きく手を振るおうとする。
現在レイとゾンビの距離はまだ五m近く離れている中で、一体何を思ってそんな行為をするのか。
そんな疑問を抱いたレイだったが、すぐに身体を沈める。
意図的にしゃがむのではなく、膝の力を抜いてその場に腰を落とすといった回避方法だ。
それによって、普通にしゃがむよりも早く沈み込むことが出来る。
レイが身体を沈めた瞬間、レイの身体のあった空間を何かが貫く。
それが何かというのは、レイの動体視力があれば十分に判断可能だった。
(爪!?)
そう、それはゾンビの指から伸びた、爪。
五本の指から伸びた爪が、それこそ鞭の如くレイのいた空間を通りすぎていったのだ。
「マジか!」
斬、と。
驚きながらもレイは地面に尻餅をついた状態から足の力と左手に持った黄昏の槍の石突きを地面に突いた反動で飛び上がると、通りすぎていった爪に向かってデスサイズを振るう。
レイの使っている武器が、短剣、あるいは長剣でも間に合わなかっただろう。
だが、レイの武器はデスサイズだ。
黄昏の槍は地面から跳ね起きた時に使っているが、デスサイズは自由に動かすことが出来た。
柄の長さが二m、刃の長さが一mのデスサイズは、通りすぎていった爪をその湾曲した刃の部分で捉えることに成功する。
予想していたよりも軽い手応えで、伸びた爪はあっさりと切断された。
そのことに疑問を抱くレイだったが、ここが十階であることを理解すると、すぐに納得する。
ガンダルシアで十階まで来ることが出来る冒険者が限られているのは知っているが、これまで多くの強敵と戦ってきたのだから、十階程度のモンスターに苦戦するようなことはまずないだろうと。
そのように思うのは、レイにとっては当然の成り行きで……そう理解してしまえば、気楽になる。
目の前にいるのがゾンビ……より正確にはゾンビの上位種か希少種である以上、確実に倒しておく必要があった。魔石的な意味でも。
そんなレイに何かを感じたのか、再びゾンビは両腕を振るう。
先程レイが切断した方の手からも再び爪が伸びてレイを襲うが……
「遅い」
そう呟くと同時に前に出ると、素早くデスサイズと黄昏の槍を振るう。
デスサイズで腰から上下に切断し、同時に黄昏の槍で頭部を砕く。
するとゾンビの首のない上半身は吹き飛び、上半身を失った下半身はその衝撃で地面に倒れるのだった。