3788話
レイがギルドの一階で待つこと、三十分程。
ギルドマスターに会いに行っていたアニタが戻ってくるのを見たレイは、再びカウンターに向かう。
すると二階でギルドマスターと一体何を話した――当然レイの要望についてだろうが――のか、疲れた様子のアニタの姿がそこにあった。
「それで、ギルドマスターは何て言っていた?」
「その前に、私を少しは労ってくれてもいいんですよ?」
「お疲れさん」
「……ふぅ。全く。取りあえず出来れば止めて欲しいとのことでした」
レイの言葉に呆れつつも、アニタがそう言う。
ただし、それはかなりオブラートに包んだ言い方だったが。
アニタの話を……レイからの提案を聞いたギルドマスターにしてみれば、正直なところ勘弁してくれと言いたかった。
リッチが起こしたダンジョンの異変が片付いたばかりで、またこのような話を持ってこられたのだから。
とはいえ、それでもギルドマスターにしてみればレイの提案は考えるべきところが多かったのも事実。
具体的には、もしレイが十二階の岩を全て収納すれば、岩が元に戻るまでの間は十二階の攻略が非常に容易になるのだから。
十二階で厄介なのは、やはりその特徴である岩だ。
それらの岩は上に乗ればそこまで厄介ではないのだが、岩の上を移動している時に岩に隠れているモンスターが襲撃してきたり、あるいは岩の上を移動している時にバランスを崩して岩に倒れ込んだりすれば、大きな怪我をしてもおかしくはない。
そういう意味では、十二階の岩がなくなるというのがギルドマスター的にありがたい。
元々、十二階で活動出来る冒険者はガンダルシアにいる中でも上澄みと呼ばれる者達だ。
そのような冒険者達が少しでも安全に十二階で活動出来るのなら、レイの提案は考えるべきものがある。
あるのだが……リッチの影響でダンジョンに異変があったばかりであるということを考えると、素直に許可出来ないのも事実。
レイが岩を大量に収納することによって、ダンジョンに何らかの悪影響が起きる可能性は否定出来ないのだから。
勿論、何の影響も起きない可能性もある。
その辺は運によるものだろう。
ましてや、リッチの件もある。
そんな諸々を考え、レイの岩を収納するという行動を受け入れるかどうかを考えた結果、ギルドマスターが選んだのは出来れば止めて欲しいという、どちらとも言えない玉虫色の返答だった。
これについては、反対してもレイが必ずしもそれを聞くとは思えないということであったり、あるいは何かあった時にそういう手段があるというだけで大きな選択肢になるというのも影響しての返答となる。
もっとも、レイとしては禁止されるか許可されるのかのどちらかにして欲しかったというのが正直なところなのだが。
「うーん……そうなると、これはどうするべきなんだ?」
「いえ、ですから……」
「ああ、いや。アニタの言いたいことは分かる。その上でこっちに任されたとなると……妥協点としては、取りあえず今度十二階に行ったら五個くらい岩を収納してみて、それで何も影響がなかったら問題ないとか、そういう風に思えたりしないか?」
「そう言われましても……いえ、分かりました。ギルドマスターにはそう話しておきます」
アニタもギルドマスターが悩んだ結果がどちらとも言えない言葉だと思えば、レイの言葉を即座に否定は出来ない。
実際、レイの提案はギルドにとっても……いや、冒険者にとっても十分プラスになるようなことであるのも事実なのだから。
だからこそ、アニタもこの件については自分だけで判断するのはなんなので、ギルドマスターにレイがこういう風に言っていたと報告をすることしか出来ない。
これで冒険者が十二階で活動しやすくなる、あるいは十二階を通る時に真っ直ぐ十三階に続く階段に向かえるとなれば、冒険者の損耗も大分抑えられるのも事実なのだ。
「では、次……ということでしたが、それは明日でしょうか?」
「いや、明日は十階でアンデッドを倒すつもりだ。セトがアンデッドの腐臭が苦手でな。だから明日はセトは家に残してきて、俺だけで十階を行動する」
「……それは、えっと、大丈夫なんですか?」
アニタがこのように心配したのは、今までレイがダンジョンに潜る時はセトが一緒だったからだ。
勿論、レイの実力については疑ってはいない。
疑ってはいないが、それはあくまでもセトが一緒にいてのことだというのも間違いのない事実ではある。
だからこそ、レイだけで下りると聞いて、心配するなという方が無理なのだろう。
レイも、これが例えば悪意からの言葉であれば相応の反応をしただろうが、アニタの言葉は自分を心配しての言葉だというのは明らかだ。
であれば、レイとしてもその言葉を直に受け入れるしかない。
「ああ、問題ない。心配してくれるのは嬉しいけど、こう見えても俺は相応の実力を持ってるんだ。だからこそ、十階に出てくる程度のアンデッドなら、もしそれが希少種の類でも勝てる」
レイにしてみれば、それこそリッチがいても倒せる自信が十分にあった。
……もっとも、それはあくまでもダンジョンの異変を起こしたリッチならの話で、それがグリムだったら素直に勝てるとは口にしなかっただろうが。
何しろ、リッチはリッチでもグリムはそれこそリッチキングと呼ぶべき存在なのだとレイには思えるのだから。
少なくても、レイが十階で遭遇したリッチと同列で比べることが出来ないのは明らかだった。
そういう意味では、レイが最初に遭遇したのがグリムだったのは、レイにとって幸運だったのだろう。
でなければ、それこそレイはリッチという存在を甘く見るようなことになっていたかもしれないのだから。
「そう……ですか。レイさんなら大丈夫だとは思いますけど、本当に気を付けて下さいね」
アニタの言葉にレイは頷く。
自分を心配しての言葉だというのは、レイにも十分に理解出来た為だ。
「分かっている。ともあれ、岩の件については了解した。取りあえず何個か収納して試してみるよ」
「えっと……あの、私の話を聞いてましたか? 出来れば止めて下さいって……」
「出来れば、だろう? だから最初は数個の岩で試してみるつもりだ。それで問題ないなら、もう少し大々的にやっても構わないんじゃないか?」
「それ……屁理屈っていいません?」
アニタは呆れるようにそう言うのだった。
「お帰りなさい、レイさん。ご無事で何よりです」
家に戻ってくると、メイドのジャニスが笑みを浮かべて出迎える。
「レイさんもそうですが、セトちゃんも大丈夫でしたか?」
「ああ、セトは庭で遊んでるよ。……ただ、夕食はちょっと遅めにしてやってくれ」
「あら? どうしたんです?」
「俺がギルドから出たら、何故か今日に限って多くのセト好き達がセトに食べ物を渡していてな。……まぁ、セトはグリフォンだから、ちょっとくらい食べすぎても問題はないだろうし、何よりあの身体を維持するには結構な食料が必要な筈だから、そういう意味ではあまり問題はないと思うんだが、それでも念の為にな」
体長四m近いセトだ。
当然その身体を維持するのには大量の食料を必要とする。
だからこそ、セトを可愛がる者達が持ってきた食べ物……サンドイッチだったり、干し肉だったり、少し変わったところでは魚の干物であったりをセトは全て食べていた。
(というか……サンドイッチや干し肉は分かる。冒険者がダンジョンの中で食べる為に持ってきたんだろうし。けど……それなら、魚の干物は一体? 食べるには焼かないといけないんだが、あれは焼いてるようには見えなかったよな)
ダンジョンの中で焚き火をして干物を焼くという方法もあるだろう。
あるだろうが、それをやるかと言われると……レイとしては微妙なところだ。
例えばこれがダンジョンではない場所で何らかの依頼を受けた時、野営で干物を焼くというのはあるだろう。
だが、ダンジョンの中でとなると……微妙なところだ。
干物を焼く時には、かなり強い臭いが周囲に広まる。
だからこそ、それによってモンスターを引き寄せる可能性があった。
あるいは、万が一……本当に万が一の可能性だが、干物の臭いを嫌って遠ざかるモンスターというのもいるかもしれないが。
(とはいえ、干物は干物でも別にくさやとかそういうのじゃないんだし、そこまで影響はないか?)
レイは日本にいた時、親戚の家がお土産……ただしネタ枠として買ってきたくさやを焼いた時のことを思い出し、そう考える。
くさやというのが非常に臭いというのは分かっていたので、わざわざ家の中の魚焼きグリルを使うのではなく、七輪を使って外で焼いたのだ。
その時にレイが感じたのは、隣の家まで結構な距離が離れていてよかったというもの。
もしこれが普通の住宅街のように密集して家が建っていた場合、ご近所トラブル不可避なのだろうことが容易に予想出来る……そんな悪臭だったのだから。
(セトがいたら……どうなんだろうな?)
レイは頭の片隅でそんなことを考える。
何しろ、セトの嗅覚は鋭い。
そんなセトにくさやの焼く臭いを嗅がせたら、どうなるのか。
これが十階のような悪臭の類であれば、セトは耐えられないだろうというのがレイにも分かる。
だが、くさやは悪臭を放つが、それはあくまでも食べ物としてだ。
ましてや……レイはそのくさやの臭いから食べなかったが、それを食べた父親は美味いと繰り返していた。
つまり、悪臭はあるが実際に食べれば美味いのは間違いないのだ。
であれば、セトがくさやを焼く臭いを嗅いでも、もしかしたら耐えられるかもしれない。
あるいは……最初は苦手であっても、一度焼いたくさやを食べれば、それで臭いも大丈夫になる可能性もある。
「レイさん? どうしました?」
くさやとセトについて考えていると、ジャニスがそう尋ねる。
その言葉に、レイは何でもないと首を横に振る。
「いや、ちょっとギルドの前でセトに干し肉とかじゃなくて魚の干物を食べさせてる奴がいて、今更だけどちょっと疑問に思っただけだ」
「干物……ですか。それはおかしいんですか?」
ジャニスはメイドなので、干物を冒険者が持っていたと聞いても特に疑問には思わなかったらしい。
この辺は実際に冒険者として活動している者と、冒険者と接することは多いが、実情についてはあまり知らない者の違いだろう。
「そうだな。干物とかは干し肉と違って焼かないと食べられないしな。あるいは上手い具合に加工して、焼かなくても食べられる干物という可能性もあるが……とにかく、一般的にはそんな感じなんだ。だから、普通に考えると冒険者が魚の干物を持ってるのはおかしい」
「そういうものですか。では、その臭いでモンスターを呼び寄せる為とか?」
「……なるほど、それはあるかもしれないな」
ジャニスの言葉に、レイはそういうこともあるかもしれないと納得する。
それが実際に効果があるのかどうは分からない。
だが、臭いの強い食べ物であれば、確かにモンスターを引き寄せる効果があるのではないかと、そのようにも思えたのだ。
実際にそのようなことが出来るのかは、レイにも分からなかったが。
ただ、例えば釣り、もしくは川や沼、湖、海といった場所に罠を仕掛ける場合でも、臭いの強い魚の切り身であったり、頭部であったりを使うというのを、レイが日本にいる時にTVか何かで見た覚えがあった。
また、エルジィンに来てからも野営の際にそのようなことに注意をしたこともある。
そう考えれば、やはりジャニスの言葉は間違ってはいないのかもしれないと、そのように思う。
「まぁ、狙いがどうあれ、ちょっと珍しいと思ったからな。言ってみればそれだけだ」
「そうですか。他の冒険者と違うようなことをするからこそ、何らかの大きな成功を狙えるのかもしれませんね。レイさんもそうなのですよね?」
「それは……まぁ、否定出来ない事実か?」
レイも自分が他の冒険者と一緒だとは全く思っていない。
例えば、セトの存在や多数のマジックアイテム、そして何よりもゼパイル一門によって作られた自分の身体。
そんな風に考えると、やはり自分の存在は色々な意味で普通と違うのは間違いない。
レイもそれは分かっているが、だからといってそれについてどうこう思うようなことはない。
そんな風に思いつつ、レイは白い鳥と白い狐の肉をミスティリングから取り出す。
「これ、今日ダンジョンで倒したモンスターの肉だ。十一階のモンスターの肉だから、味はそんなに悪くないと思う。今日の料理に何品か追加してくれないか?」
ロックタイガーの希少種の肉もあるのだが、レイは取りあえずそちらについては取っておくことにしたのだった。