3787話
「グルルルゥ」
セトが残念そうに喉を鳴らす。
それも当然だろう。
十一階の氷の階層で、本来なら未知のモンスターを探す筈だったのだが、結局他のモンスターを見つけることが出来ないまま、こうして十階に続く階段の前までやって来てしまったのだから。
十二階の時のように、空を飛んで真っ直ぐ階段のある場所まで移動した訳ではない。
普通に地上を歩いて移動したのだ。
だが、全く敵が現れる様子もなく、結局こうしてレイ達は十階に続く階段まで到着してしまっている。
セトが残念そうなのは、これから十階に移動する……つまり、悪臭や腐臭の漂う階層に行かなければならないというのも大きいだろう。
悪臭用のマジックアイテムがあるので、悪臭は無効化出来る。
しかし、セトにしてみればいつ悪臭用のマジックアイテムの効果が切れるかも分からない。
最初にレイ達が悪臭用のマジックアイテムを試した時は消費が非常に激しかったものの、それはリッチのせいだった。
今ではそこまで急激に消費するということはなくなっている。
「あ、そうだ。セト、明日俺は十階で活動しようと思うんだけど、セトは家に残るか?」
「グルゥ? ……グルルルゥ」
レイの言葉に、セトはかなり悩む。
レイと一緒にいられるのは、セトにとっても非常に嬉しいことだ。
だが、それが十階での行動となると……非常に悩みどころだった。
「まぁ、今すぐに決めろとは言わないよ。明日までに決めておいてくれ。結局十階では殆どモンスターと戦っていないしな」
実際にはスケルトンやゴースト、ゾンビといったようなアンデッドの中でも分かりやすい敵と戦っている。
また、何よりリッチとも戦っていた。
しかし、言ってみればそれだけなのも事実。
だからこそ、レイとしては十階に出て来る他のアンデッドとも戦っておきたかった。
より正確には、そのアンデッドの魔石を手に入れておきたかった。
「別に、どうしてもセトも十階で行動しないといけないって訳でもないしな。ここ最近は色々と忙しかったし、セトも明日くらいはゆっくりと休んでもいいと思うぞ」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトはなんと反応していいのか分からないといった様子で喉を鳴らす。
実際、リッチの件でセトが大変だったのは間違いない。
それにセトがいればセト好きになった者達が群がってくる。
……もっとも、そちらに関しては、レイから見れば多くの者が集まってくるので面倒そうだとは思うものの、実際にそれを体験しているセトにしてみれば、そんなに気にするようなことではない。
それどころか、皆に遊んで貰えるのは非常に嬉しいとすら思っていたのだが。
その辺はレイとセトで感じ方が違うのだろう。
ともあれ、レイにしてみればセトはもう少し休んでもいいのでは? と、そう思えるのは間違いなかった。
「ともあれ、今はまずダンジョンから出ることを考えよう。……ほら、これがあるから、十階については心配ないだろう?」
そう言い、レイはミスティリングから取りだした石の球……悪臭用のマジックアイテムをセトに見せる。
「グルゥ……」
レイの言葉に、完全には納得した様子を見せずとも、それでも今はダンジョンを出るのを優先しようという意見に反対は出来ない。
……幾ら十階の悪臭が嫌だからといって、いつまでもダンジョンにいる訳にもいかないのだから。
どうしても十階の転移水晶を使わずにダンジョンの外に出たいのなら、それこそ十五階にある転移水晶を使うしかない。
(あれ? やろうと思えば出来た……か? いや、それはそれで難しいか?)
十二階までの完璧な地図があり、十三階の地図も中途半端なものだがある。
そうなると、十四階と十五階は地図もないままに攻略する必要があった。
それがどれだけ大変なのかは、言うまでもない。
モンスターと遭遇することなく、あるいは遭遇してもセトの飛行速度で無視をして進み続ければ、あるいはどうにかなるかもしれない。
なるかもしれないが、それでも本当にどうにかなるかは分からないのも事実。
場合によっては、それこそ完全に道に迷ってしまう可能性もレイの場合は否定出来なかった。
(まぁ、それでも死ぬことはないだろうけど)
そう断言出来るのは、やはりレイが自分の強さとセトの優秀さを理解しているからだろう。
自分達なら、道に迷ったりはするかもしれないが、それでも最終的に生き残ることは出来るだろうと。
そうなったらそうなったで、当初の予定よりも随分と戻ってくるのが遅いということもあり、知り合いに心配されるだろうが。
(いや、心配されるか? 何だか俺だから帰ってくるのが多少遅くても問題はない。そんな風に思われそうな……)
冒険者育成校の面々であれば、多くの者がそのように思ってもおかしくはない。
異名持ちのランクA冒険者というのは、それだけの実力の持ち主なのだから。
それでもメイドのジャニスくらいは心配してくれる……だろうと、そのように思いながら、レイは気分を切り替える。
十五階に向かう件をセトに悟らせれば、それこそすぐにでもセトが十三階に向かって突撃しかねないと思った為だ。
そんな訳でレイはセトを撫でながら、声を掛ける。
「行くぞ」
「グルゥ……」
そうして、レイ達は十階に続く階段を上り始めるのだった。
「え? もう十二階まで行ったんですか!? というか、今日は解決したダンジョンの異変の件を調べるとか、そんな感じの話だったと思うんですけど」
ダンジョンを無事に転移水晶で脱出したレイは、十二階の岩のことについて聞く為にギルドにやって来ていた。
……シッタケ達の一件についての報告も、一応しておこうと思っての行為だったが。
何しろシッタケ達の一件はダンジョンについて色々と重要なことだ。
だからこそ、それについて念の為に話をしておく必要があるだろうと、そう思っての行動だった。もっとも、アニタが驚いたのはシッタケ達の件ではなく、レイが十一階を通り越して十二階にまで到達したということだったが。
「そうだ。俺の実力ならそのくらいは問題ないしな。それにセトもいるし」
一気に十二階まで攻略出来たのは、レイの実力もそうだが、それ以上に自由に空を飛べるセトの存在が大きかった。
もしセトがいなければ、恐らくレイであってもここまで容易にダンジョンを攻略することは出来なかっただろう。
この辺り、空を飛べるということの圧倒的なアドバンテージだった。
「そうですか。……けど、気を付けて下さいね。今回の一件もそうですが、ダンジョンの中では一体何が起きるのか分からないんですから」
「ああ、気を付けるよ。それでダンジョンの十二階について質問があるんだが」
前置きについて終わったので、レイはここから早速本題に入ることにする。
レイにしてみれば、ダンジョンから出てギルドに来たのはその件について聞こうと思ったからというのが大きい。
「はい? 何でしょう?」
「アニタも知ってると思うが、十二階には大量の岩があって、その岩が並べられることで迷路状になっている」
「そうらしいですね。ただ、九階の洞窟の階層と違って岩の上を移動出来るので、難易度的にはそこまでではないと聞いています。……もっとも、それはあくまでも階層を構成している場所の難易度としてであって、そこに出てくるモンスターは抜きで考えていますが」
「だろうな。ロックタイガーの希少種とかいうのと遭遇したから、それは十分に分かっている。俺にしてみれば、美味しい獲物だったが」
そう言うレイに、呆れの視線を向けるアニタ。
普通なら、そのようなことは到底口に出来ない。
ロックタイガーは、通常種であっても十二階最強のモンスターなのだから。
「それを言えるのは、レイさんを含めて少数だと思いますよ」
「そうか? まぁ、それはともかくとしてだ。俺が聞きたいのは、十二階にある岩のことだ」
「岩……ですか?」
レイが一体何を言いたいのか分からないらしく、不思議そうな表情を浮かべるアニタ。
そんなアニタに、レイは頷く。
「そうだ。岩だ。知っての通り、俺にはミスティリング……アイテムボックスのマジックアイテムがある。それを使えば、十二階にある岩を収納することも可能だ。そして、岩というのは俺にとっても色々と使い勝手のいい存在でもある」
「えっと……それってもしかして……」
説明の内容から、レイが何を言いたいのか分かったのだろう。
アニタの頬が引き攣る。
それでも万が一にも、自分の予想が違っていたら……いや、違っていて欲しいという思いから、恐る恐るとレイに尋ねる。
「その……まさか、ダンジョンにある岩をそのミスティリングに収納するとか、そういうことじゃないですよね?」
「当たりだ」
そうレイが言うと、レイの隣で別の受付嬢にダンジョンで入手した素材を売ろうとしていた冒険者が、信じられないような視線を向けてくる。
隣にいるのがレイだと知っているので、受付嬢と素材の売買についての話をしながらも、何か情報がないかと思っていたのだろう。
冒険者にとって、情報というのは非常に重要だ。
だからこそ、ここで情報を入手することが出来れば、それが後日どのような役に立つのか分からない。
そう思っての行動だったのだが……まさか、ダンジョンにある岩を収納するなどという手段に出るとは、心の底から予想外だった。
もっとも、この男は十二階にまではまだ行けていない冒険者だ。
そういう意味では、実感としてレイが何を言ってるのかは分からなかったのだが。
耳はレイ達の会話に集中しつつ、何かを言うということはない。
もしそのようなことをすれば、それこそレイにどのように思われるのか分からないのだから。
……レイはレイで、隣にいる冒険者が自分に意識を向けているのは気配で分かっていた訳だが。
それでもレイが何もしなかったのは、別に聞かれて困るようなことではないという認識があった為だ。
そもそも十二階に大量にある岩を収納するというのは、容量が無限――実際には分からないが、今のところのレイの認識ではそうなっている――のミスティリングがあるからこそだ。
アイテムボックスの簡易版もあるが、それは収納出来る量が限られているので、今回のようなことには使えない。
そもそもの話、簡易版であっても結構……かなり……いや、非常に高価な代物なので、その辺の冒険者がそう簡単に入手出来る物ではないのだが。
ともあれ、岩を収納するというのはレイだからこそ出来ることであり、だからこそレイが何をしようとしているのかを聞かれてもレイとしては特に困るようなことはなかった。
……もっとも、これがレイのように名前の知られているような者でなければ、そのようなことが出来ると知られると、それこそ利用しようとする者もいるだろうが。
だが、幸いなことにレイはその実力が知られている。
そもそもソロ――セトもいるが――でダンジョンに挑み、こんなに短期間で十二階まで行くというのは、ガンダルシアにおいても前例がない。
実際には冒険者育成校の教官の仕事もあるので、レイが既にガンダルシアに来てから三ヶ月近くが経っており、そういう意味では時間的にそこまで短い訳ではない。
だが、冒険者としてダンジョンに挑んだ日数を考えれば、その記録は完全に最短記録だ。
「で? 岩の件はどうなんだ?」
尋ねるレイに、アニタは困った様子を見せ……
「えっと、その……少々お待ち下さい。上司に聞いて……いえ、ギルドマスターに聞いてきますので」
アニタが言葉の途中で上司からギルドマスターと変えたのは、その上司が天井を……より正確には、二階を指さしていたからだ。
上司もレイとアニタの会話は聞いていたのだろう。
そして自分では判断出来ないとして、ギルドマスターに聞きに行くようにと指示したらしい。
それだけレイが口にした内容は常識外だったのだから、仕方のないことかもしれないが。
「分かった。なら、俺は待ってるからギルドマスターに聞いてみてきてくれ」
そう言い、レイは一度その場から離れる。
幸いなことに、まだ夕方前ということもあってギルドにいる冒険者の数はそこまで多くはない。
だからこそ、受付嬢が一人いなくなっても特に問題はなかった。
……もしこれが、冒険者の多くなる夕方であれば不満を持つ者は多かっただろう。
何しろ受付嬢が一人いなくなるというのは、少しでも早く素材や魔石、討伐証明部位を金に換えたい者達にとって不満でしかないのだから。
もっとも、その原因がレイとなると、それに何かを言うようなことは難しかったかもしれないが。