3763話
「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
午前中の授業が終わると、レイはすぐにそう言って冒険者育成校を出る。
レイにはまだ色々と聞きたいことがあった教官や教師、生徒達もいたのだが、レイとしてはそれらに答えているような余裕はない。
今日はダンジョンの十階にある、リッチの魔法陣のある場所に調査員……それもギルド職員だが、その者達を連れて行く必要があるのだから。
それで何が判明されるのかは、レイにも分からない。
だが、リッチの件で色々と問題があった以上、その問題の全て……とはいかずとも、ある程度は解決するのではないかと、そう期待しているのも事実。
これからダンジョンを攻略することを考えれば、不確定要素は可能な限り少なくしておいた方がいいのも事実なのだから。
そんな訳で、レイは誘いの言葉を断り、厩舎にいるセトを連れてダンジョンに向かう。
途中でダンジョンに向かっている生徒達の姿があることに気が付くが、無事に戻ってこられるようにとだけ思っておく。
(昨日は普段以上の結構な人数が浅い階層に挑んだし、モンスターについてはそこまで心配しなくてもいいのか?)
そんな風に思いつつ、セトと共にギルドに向かい……
「じゃあ、セトはいつものようにここで待っていてくれ」
「グルゥ!」
ギルドの前で、レイはセトにそう声を掛ける。
セトも慣れているので、特に異論はなく分かったと喉を鳴らして座り込む。
レイがギルドに入っていくと、それを待っていたかのようにセトの周囲には大勢が集まってくるのだが……今日は昨日と違って転移水晶が普通に使えるので、集まってくる者の数は昨日よりも少ない。
それでも普段より多いのは、ギルドマスターが今朝ダンジョンの異変が解決して転移水晶が使えるようになったと言っても、それを素直に信じることが出来ない者もおり、様子見をしているからだろう。
今日ダンジョンに挑んだ者達が転移水晶を使っても何の問題もないと判断すれば、明日にはそのような者達も転移水晶を使ってダンジョンに挑む筈だった。
非常に疑り深い者でも、二日、三日と様子を見て問題がなければ転移水晶を使うだろう。
そうしてダンジョンに挑む者達の数は以前と同じになる筈だった。
「あ、レイさん」
アニタはレイを見ると、嬉しそうな笑みを浮かべる。
レイはそんなアニタの側に近づいていく。
「今日は昨日と比べると、ギルドにいる人数が少ないな」
「転移水晶が使えるようになりましたしね。その為、皆が競ってダンジョンに挑んでいるんですよ」
「……結局転移水晶が使えなかったのは一日だけなんだから、そこまで必死になってダンジョンに挑む必要はないと思うんだが」
冒険者も、毎日のようにダンジョンに潜っている訳ではない。
どのくらいの頻度で休日を取るのかは冒険者達に、あるいはパーティによって変わるが、それでも一度ダンジョンに潜れば数日休日を取るというサイクルの者が多い。
そういう意味では、レイのように休日も取らずにダンジョンに潜るというのは生き急ぎすぎとみられる。
……もっとも、レイの場合は教官の仕事もあるのでダンジョンに潜らない時は数日から十日程も潜らないこともあったりするのだが。
ともあれ、レイの認識としては自分のことは置いておくにしても、ダンジョンに一日潜れなかったくらいでそこまでやる気になるのは少し疑問だった。
「普通に休んだのならレイさんの言う通りかもしれませんけど、ダンジョンに挑むつもりでいたのに潜れなかったからというのが、この場合大きいんだと思いますよ」
「そういうものか? ……まぁ、それなら納得出来ないでもないか」
「ええ。……それで調査の件ですけど」
「こっちはいつでもいいぞ。……午前中に来られなかったのは悪いと思うけど」
「それは仕方がないですよ。レイさんは教官もしているのですから。……もっとも、ギルドマスターは不機嫌そうでしたけど。それに午前中は転移水晶を利用する人も多かったですし。もしレイさんから午前中からダンジョンに行くとしても、それはそれで混乱していたかもしれません」
「つまり、こうして午後に来たのは正解だったと?」
「そうなりますね。勿論、ギルドマスターがどう思うのかは分かりませんけど」
ギルドマスターにとって、フランシスは頭の上がらない存在だ。
レイの認識では、ギルムの領主であるダスカーと元ギルドマスターのマリーナの関係が近いように思える。
相手に有利な立場にあるという意味では、フランシスもマリーナも双方共にエルフ――マリーナはダークエルフだが――というのも同じだ。
実際には共通点があっても、色々と違うところも多いのだろうが。
「ギルドマスターについては、納得して貰うしかないな。出発前に会った方がいいのか?」
「いえ、ギルドマスターからは、わざわざそういうことをしなくてもいいから、とっとと行くようにと言われていますから。……多分、今レイさんと会うと不満を口にするだろうからというのが大きいんでしょうけど。後は転移水晶が使えなかった件についても、報告書を出す必要がありますし」
この場合、報告書を出すのはギルドの本部であったり、あるいはガンダルシアの領主であったりするのだろうとレイは予想したものの、それについて詳しく話を聞こうとは思わない。
もしここで話を聞いたら、それこそ面倒なことになりそうだと思えたからだ。
「そうか。なら、早速十階に行くから、俺と一緒に行くギルド職員を呼んでくれ」
「あ、はい。分かりました。では、少々お待ち下さい」
そう言い、アニタはカウンターの奥に向かう。
昼すぎということもあってか、現在ギルドに冒険者の姿は少ない。
併設されている酒場では、昼食であったり、昼間から酒を飲んでいる者達の姿もあるのだが。
そうして待つこと数分……レイにとっては随分と予想よりも早くアニタがカウンターの奥から二人のギルド職員を連れて戻ってくる。
「お待たせしました、レイさん。この二人……シッタケさんとカルレインさんが一緒に十階に行くので、よろしくお願いします」
「その、シッタケといいます。よろしくお願いします」
「カルレインです。シッタケ共々精一杯頑張ります」
男がシッタケ、女がカルレインという名前らしい。
そんな二人の様子にレイはあっさりと頷く。
「分かった。知ってると思うが、俺はレイだ。よろしくな。俺の仕事はお前達をリッチが用意した魔法陣のある部屋……いや、小屋か。小屋まで連れていき、それを調べる間の護衛と、それが終わったらお前達を転移水晶まで連れていくことだ。そういう認識で構わないか?」
念の為に確認するレイに、シッタケとカルレインは双方共に頷く。
「はい、それで構いません。私とカルレインは冒険者上がりという訳でもないので、護衛は絶対に必要なんです」
「……だろうな」
レイも二人の立ち姿やちょっとした身体の動きを見て、どちらも戦いに関しては素人なのだろうと予想出来た。
こんな二人が十階に行くのだから、護衛がいなければたちまちアンデッドの餌食となってしまうだろう。
(文字通りの意味でミイラ取りがミイラになるって奴か? アンデッド的にも)
そう思ったレイだったが、それを口にすることはない。
目の前の二人は緊張した様子を見せてはいないが、それでも自分の言葉で緊張してしまったらどうなのかと、そのように思ったからだ。
「じゃあ、いつまでもここにいる訳にもいかないし、十階に行くか。……準備はいいんだよな?」
改めてレイがシッタケとカルレインの二人を見ると、それぞれリュックのような物を背負っている。
その中に具体的に何が入っているのかはレイにも分からないが、恐らく魔法陣を調べる何らかの器具なのだろう。
「はい、問題ありません。すぐにでも出発出来ます」
「私も同じく」
それぞれにそう言うので、レイはすぐに出発することにする。
「分かった。じゃあ、行くぞ」
こうしてレイはシッタケとカルレインの二人と共にギルドを出たのだが……
「うわぁ」
カルレインが、ギルドの前に広がっていた光景……セトの周囲にいる者達を見て、そんな声を上げる。
レイにしてみれば、これは既に慣れた光景だ。
いや、寧ろダンジョンに行けなかった昨日よりも数は少ない。
ただし、それはあくまでもこの光景を見慣れているレイだからこそ言えることだ。
シッタケとカルレインの二人は、どうやらこのような光景は初めて見る様子だったらしい。
「セト」
「グルルゥ」
レイの呼び掛けに人混みの向こうから声が聞こえ、やがて集まっていた者達はセトが通れるように道を作る。
そんな中を歩いてくるセト。
これもまた、レイにとっては慣れていた光景だったものの、シッタケとカルレイン達にしてみれば驚くべき光景だったらしい。
「だ、大丈夫かな……?」
カルレインが少し心配そうに呟く声がレイの耳に聞こえてくる。
大丈夫って何が?
そう思ったレイだったが、すぐにその言葉の意味を理解した。
集まってきたセト好きの面々の中でも、数人がシッタケとカルレインの二人に羨ましそうな視線を向けていたのだ。
「だ……大丈夫だろ、多分」
根拠がある訳ではなく、大丈夫だったらいいなぁ……といった様子でいうシッタケ。
そんな同僚の姿に、カルレインは何と言えばいいのか分からずレイに視線を向ける。
「ん? どうした?」
カルレインの視線を感じたレイがそう尋ねるものの、カルレインは自分達に嫉妬の視線を向けている者について言う事は出来なかった。
「いえ、何でもありません。ただ、その……そろそろ行きましょうと言いたかっただけです」
「そうか? なら、行くか。……いや、その前に、俺達はこれから十階に行くんだが、お前達は十階に行ったことがあるのか?」
転移水晶で転移出来るのは、あくまでも自分が到達した階層までだけだ。
例えパーティを組んでいても、その中の一人が五階までしか到達していなかった場合、その一人は十階に転移出来ない。
……そもそもパーティというのは、ダンジョンのシステム的なものではないのだから当然かもしれないが。
つまりこれから十階に行くにしても、シッタケとカルレインの二人が十階まで行ってなければ五階……そこにも到達していなければ、一階から進むことになる。
今更ながらの疑問であったが、そんなレイの疑問にシッタケが頷く。
「問題ありません。私もカルレインも以前十階まで行っています。……もっとも、自力で行った訳ではなく、冒険者に護衛して貰いながらですが」
「だろうな」
レイから見ても、シッタケとカルレインの二人は鍛えているようには思えない。
ゴブリンの一匹、あるいは数匹くらいなら何とかなるかもしれないが、それ以上のモンスターとなると戦うのは非常に厳しいだろう。
それが分かっていたので、シッタケの言葉にも十分に納得出来たのだ。
一体何の為にこの二人が十階まで行ったのか。
それが少し気になったレイだったが、シッタケ達が自分から言わないということは、恐らくそこには何らかの理由があるのだろうと思い、それ以上聞くことはしない。
「十階まで転移出来るのならいい。じゃあ、行くぞ」
そう言い、レイはセトとシッタケとカルレインと共に転移水晶に向かう。
午後ということもあり、転移水晶の前に人は数人しかいない。
その冒険者達も、レイ達が転移水晶の前に到着する前に転移していなくなる。
「そう言えば……昨日、俺が五階の転移水晶から転移してきた話は聞いたか? ダンジョンに入る前に転移水晶に触れていないのに、何故か転移出来たんだが。その件についてギルドではどう思っている?」
「ああ、その件ですか。それについては分からないというのが正直なところですね。ただ……前からそういうことが出来たのなら、既に知られていた筈です」
ガンダルシアという迷宮都市が出来てから、既にそれなりに時間が経つ。
その間にダンジョンに入った冒険者は、それこそ数え切れない程だろう。
もしレイの言うようにダンジョンに入る前に転移水晶に触れなくても外から転移出来るのなら、そのことが既に知られていてもいい筈だった。
とはいえ、ダンジョンに入る前に転移水晶に触れるのは既に多くの者にとって当然のことになっている。
それこそ、初めてダンジョンに入る者達、そこまでいかずとも初心者達にしてみれば、一種の願掛けに近い。
だからこそ、特に何も疑問に思わず転移水晶に触れるというのはおかしくはないのだろう。
……もっとも、中には転移水晶に一度だけ触れればそれでいいと知っている者がいても、それを自分だけの秘密にして喋られないという可能性は十分にあったが。
もしくは、今回のダンジョンの異変によってそうなったのか。
理由はともあれ、今のダンジョンがそのような状況になっているのは間違いなかった。