3762話
「レイ教官、レイ教官がダンジョンの異変を解決したって本当ですか!?」
模擬戦を行う為に訓練場に来たレイ……正確には他の教官達もだったが、やってきた生徒達が即座にレイの周囲に集まってそう聞いてくる。
生徒達はレイの強さを十分に……これ以上ない程に理解している。
また、レイの従魔のセトとも模擬戦を行っているので、その辺についても理解していた。
何よりもレイは他の教官達とも模擬戦を行っているのだ。
生徒達で教官を相手に勝てる者など、それこそ上澄みの中の上澄み、トップクラスの者達だけだ。
例えば、一組のアーヴァイン、二組のイステルといったように。
強いという意味では三組のザイードもそうなのだが、ザイードは基本的に盾役のタンクなので、自分だけで教官を倒すのは難しい。
他には急激にクラスを駆け上がってきたセグリットか。
この冒険者育成校においてトップクラスの実力を持つ者達。
しかし、そのような者達でも絶対に教官に勝てるかと言われれば、否だ。
模擬戦の中で教官が何らかのミスをした時、あるいは挑んでいる生徒の調子が極めて良い時。
そういう時に、何とか勝利出来るといった程度だ。
そしてレイは、そんな教官達を纏めて相手にしても、余裕で勝利出来るだけの実力を持っている。
生徒達は間近で何度もその光景を見ているのだが、それでも……具体的にレイがどのくらい凄いのかというのは分からなかった。
だが、今回のようにダンジョンの異変を一人で――正確にはセトもいたのだが――解決したと言われれば、その凄さについて実感出来てしまう。
だからこそ、生徒達は興奮してレイから話を聞きたいと思ったのだろうが……
「そこまでだ!」
ニラシスの声が訓練場に響き、それを聞いた生徒達は動きを止める。
動きを止めた生徒達に向かい、ニラシスは言葉を続ける。
「レイから話を聞きたいというのは分かる。……もの凄く分かる」
しみじみと呟くニラシス。
実際、ニラシスも今回の一件で知り合いが行方不明になっていただけに、他人事ではない。
今回のダンジョンの異変について、レイから色々と話を聞きたいと思うのは当然のことだった。
そんな思いが滲み出るような言葉に、生徒達も何かを言いたそうにするものの、言葉を発する様子はない。
ここでニラシスの言葉を遮るようなことをすれば、面倒なことになると理解していたのだろう。
ニラシスは実力派の冒険者だが、同時に多少乱暴なところがあるのを知っているからこその生徒達の反応だった。
黙り込んだ生徒達を見て、ニラシスは言葉を続ける。
「聞きたいのは分かるが、今は授業の時間だ。もしレイに何かを聞きたいのなら、授業が終わってからにしろ。あるいは……レイを倒した者がいれば、ゆっくりと話を聞く権利があるかもな」
「おい」
生徒達を煽るように言うニラシスに、レイは不満そうにそう言う。
レイが生徒達を見れば、案の定レイとの模擬戦にやる気満々といった様子を見せている。
生徒達も、模擬戦でレイに勝てるとは思っていない。
だが、戦いに絶対はない以上、もしかしたら……本当に万が一にだが、レイに勝利出来るかもしれないという可能性はある。
どんなに低い可能性であっても、実際に戦わなければその可能性に辿り着くことは出来ない。
それはつまり、戦えばもしかしたら……本当にもしかしたらだが、その可能性に辿り着けるかもしれないのだ。
どうせレイと模擬戦をするのなら、その万に一つ、億に一つの可能性に懸けてみたいと思うのは自然なことだった。
「昨日はレイがいなくて、心配する奴も多かったんだ。このくらいはいいだろ?」
「話が繋がってないように思えるんだが。……まぁ、いい。心配させたのも事実だし、多少は本気で模擬戦をやってもいいか」
そう言い、レイは模擬戦用の槍を手にする。
ただし……二本。
いつもはレイが模擬戦をする時に使うのは、一本の槍だけだ。
言うまでもなく、これはレイが大分手加減をしてのものだ。
……それでいて、そんなレイを相手に誰も勝利出来ないのは、それだけレイの実力が突出している為なのだが。
普段、レイがダンジョンで……いや、ダンジョンに限らず戦いを行う時は、基本的にデスサイズと黄昏の槍をそれぞれ両手に持つ、二槍流で戦っている。
そういう意味では、片方は大鎌のデスサイズではなく両方とも槍なので、本当の意味で本気という訳ではない。
しかし、レイが両手にそれぞれ武器を持ったということは、槍が一本だった時よりも本気になったのは間違いのない事実でもある。
最初にそのことに気が付いたのは、当然ながら教官達だった。
あるいはもっと上のクラスであれば、レイの本気度に気が付いたかもしれないが、生憎とこのクラスは七組だ。
下位クラスではないが、上位クラスでもない。
いや、どちらかといえば下位クラス側か。
だからこそ、レイが槍を両手に持ったのを見ても、今日はそういう趣向かとしか思わない。
「本気でやれよ。レイはかなり本気だぞ」
ニラシスが生徒達にそうアドバイスをする。
しかし、そんなニラシスのアドバイスを聞いても半数程の生徒達は特に気にした様子もなく、いつも通りの模擬戦だろうと思っている。
それでも半数程はニラシスの言葉を聞いていつもの模擬戦とは違うと思ったのは、それなりに優秀な者達なのだろう。
「本当は今日は、別の形式を考えていたんですけどね」
やる気になっているレイを見て、マティソンはそう呟く。
今日は生徒と教官が一対一で模擬戦をやろうと考えていたマティソンだったが、今の状況を見ると、それを言い出すのは難しい。
「仕方ないですよ。レイさんがあそこまで活躍したんですから、そのレイさんと模擬戦をやりたいと思う生徒が多いのは仕方がないですし」
教官の一人がマティソンを慰めるように言う。
ただし、その教官もレイと模擬戦を出来るのならしたいと思ってはいたが。
強者との戦い……それも命の心配のない――不慮の事故はあるが――模擬戦というのは、冒険者にとって非常に大きな意味を持つ。
女の教官にしてみれば、生徒達は何度もレイと模擬戦をしている為か、そのありがたみが分かっていないように思える。
自分達がどれだけ恵まれた環境にいるのか。
実際に自分がそのような環境にいるからこそ、そこまで実感がないのかもしれない。
あるいは冒険者になったばかりの者、あるいは入学するまでは冒険者ではなかった者達が多いので、そのような実感がないのかもしれない。
女の教官にしてみれば、それこぞ自分は教官ではなく生徒になりたいとすら思う。
「さて、じゃあ模擬戦を始めるか。……もう感づいている奴はいると思うが、今日は少し本気でやる。死ぬことはないと思うが、怪我は覚悟しておくように」
そうレイが言うと、そこでようやくレイの本気度を理解したのか、気楽だった様子の者達も真剣な表情になる。
「どうやら全員準備が整ったようだな。……じゃあ、そろそろ始めるか」
レイの言葉に、生徒達は急いでレイから離れてそれぞれ自分の武器を構える。
模擬戦用に刃を潰してあるとはいえ、こうして見るとそれなりの迫力を持つ。
そんな風に思いながら、レイは他の教官達に……近くにいたマティソンに視線を向ける。
マティソンはレイが何を考えているのかを理解すると、仕方がないですねと呟きながら模擬戦を開始するべく口を開く。
「模擬戦……始め!」
そうして模擬戦が始まったところで、真っ先に動いたのは生徒達……ではなく、レイ。
これには生徒達も一瞬だが驚く。
今までレイと模擬戦をやる場合は、生徒達に先に行動させていたのだから。
言ってみれば、生徒達に主導権を持たせていたのだ。
しかし、今日は違う。
レイが少し本気でやると口にした通り、レイが機先を制するように動く。
元々、レイは戦いにおいて後の先、あるいは後の後や先の後といったことではなく、先の先として行動することが多い。
そういう意味では、これがレイ本来の行動なのだろう。
もっとも、それ以外の……後の先や後の後、先の後といった行動が出来ない訳でもないのだが。
そんなレイの行動で真っ先に狙われたのは、七組の中でも中心人物と呼ぶべき女。
先程レイを見つけると真っ先に声を掛けてきた女だ。
ヒュッ、という鋭い呼気と共に、レイは右手の槍で突きを放つ。
勿論、その突きは十分に手加減されている一撃だ。
それなりに本気でやるとは口にしたレイだったが、それでも本気の一撃を放つようなことはしない。
もしそのようなことをすれば、模擬戦用の武器であっても間違いなく相手を殺してしまうだろう。
刃のない模擬戦用の武器だったが、それでも金属で出来ているのは間違いない。
レイの実力や身体能力があれば、模擬戦用の武器であっても容易に相手を殺すことが出来てしまう。
だからこそ、レイは本気でやりつつも、十分に手加減をする必要があった。
……とはいえ、その攻撃を受ける方にしてみれば、それが分かったところで嬉しくはない。
レイの放つ一撃がどれだけの威力を持っているのか、今までの模擬戦でこれ以上ない程に知っているのだから。
だからこそだろう。
生存本能に突き動かされ、女は反射的に持っていた槍を横に振るう。
槍は突きと払いといった攻撃方法があるが、レイが選んだのは突きで、女が選んだのは払い。
生存本能に突き動かされたが故に、女の行動は正解だった。
正解だったが……
「きゃあっ!」
レイは素早く突きを手元に戻し、女の払いを回避。
女にしてみればその一撃が回避されるとは思っていなかったらしく、バランスを崩したとこでレイは左手に持つ槍で女の足を払うような一撃を放ち、それによって女は地面に転ぶ。
そして女に追撃をしようとしたところで……
「うおおおおおっ!」
長剣を手にした男がそうはさせじとレイに向かって突っ込んでくる。
女にとどめを刺される――正確にはそう判定される――のを防ぐ為の、無理な攻撃。
長剣を手にした男は、この七組の中では腕の立つ方だ。
その男が真っ先にレイを狙うのは、女を……七組の中心人物にして指揮官を守る為だ。
女もそれは理解しているのだろう。
地面に倒れた状態から転がってでもレイから距離を取ろうとするが……
「あ」
そっと、いつの間にかレイの持つ槍の穂先が女の首に触れていた。
もし本物の槍であれば、女はあっさりと喉を斬り裂かれて死んでいただろう。
当然、この時点で女は死亡判定を下される。
「え?」
そんなレイの行動に驚いたのは、長剣を手にしていた男。
これでレイが槍を一本しか持っていなければ、もしかしたら女を助けることも出来たかもしれない。
しかし、今日のレイは二本の槍を手にしているのだ。
そのことを忘れていた……訳ではないだろうが、長剣を手にした男にしてみれば、自分の一撃を槍で受け流しながら、もう片方の手で女を倒すといったことが出来るとは思わなかったのだろう。
そして間の抜けた声を上げた男は、そのまま長剣の一撃を受け流されたことによって隙を生み、女の首に触れていた槍の穂先がいつの間にか男の首筋に触れ、それによってこちらも死亡判定となる。
その隙を突くように短剣を手にした女が背後からレイに襲い掛かるものの、気配を殺すといったことが出来ていない以上、その攻撃はレイにははっきりと分かっていた。
槍を使って相手の動きをコントロールして投げるという、生徒達には一体何がどうなっているのか分からない行動を見せつけ……レイはその女にも死亡判定を与え、次の敵を求めて動き出すのだった。
「そこまで!」
最後の一人が地面に倒れ込んだのを見たマティソンが、声を上げる。
最後の一人は、弓を武器にしたものだったので、前衛となる者が全て死亡判定となった状態では、どうしようもなかった。
マリーナのように圧倒的なまでの弓の技術があれば、あるいはまだ何とかなったかもしれないが、冒険者育成校に通っている生徒……それも上位のクラスという訳でもない生徒にそこまで求めるのが、そもそも間違っている。
「弓を使う……というか、後衛全員に言えることだが、前衛がいなくなって接近された時の対処方法はしっかりとしておくように」
「そう言われても……レイ教官の速度にはおいつけないです」
地面に倒れ込んだ男が、起き上がりながらそう言う。
その男の手には、模擬戦用の短剣が握られている。
レイが接近してきた時、この短剣を出そうとしたのだが……レイの速度が速すぎた為に、短剣を取り出すよりも前に死亡判定を受けてしまったのだ。
そんな男を慰めるように、レイはアドバイスを口にするのだった。