3761話
レイはフランシスとの話を終えると、職員室に向かう。
何だかんだと結構長い時間話してしまったが、フランシスにしてみればダンジョンに侵入したリッチについての情報を出来る限り多く聞いておきたかったのだから、仕方がない。
それによって、次に同じようなことが起きないようにする為の対策を練ろうとしたのだろう。
だからこそ、本来なら職員室で朝に会議が行われている時間になっても、フランシスはレイから話を聞いていた。
……もっとも、話の途中であらぬ方向に逸れていったりもしたが。
フランシスにしてみれば、ダンジョンにリッチが現れて儀式を……それもダンジョンの力を自分のものにしようとする儀式を行おうとしていたのも問題だが、レイと話していた中でリッチがどうやってダンジョンに入ったのかということが話題になった。
出された予想としては、上空なり、あるいはそれ以外の何らかの手段でガンダルシアに入り、それからダンジョンに入ったというものになる。
そうなると、最悪の場合はガンダルシアの住人に被害が出ていた可能性もあった。
レイやセトがいる今なら、致命的なことにならないかもしれない。
だが、リッチがもしそのようにガンダルシアに入ってきたとしても、レイやセトにその存在を察知させなかったのも事実。
レイの家はダンジョンやギルド、冒険者育成校から近い場所にある。
また、レイよりも五感や第六感が鋭く、更には魔力を察知出来るセトがいても、リッチの存在は察知出来なかったのだ。
(そう考えると、実はやっぱり普通にガンダルシアに入ってきて、そこからダンジョンに入ったというのは違うんじゃないか?)
レイはそれなりにモンスターの気配を察知出来ると思っているが、それでも絶対ではない。
だが、セトの感覚には自分以上の信頼を置いている。
そのセトがリッチの存在に気がつけなかったというのは、レイには信じられなかった。
(あるいは、俺達がガンダルシアに来る前にダンジョンにいたとか? その可能性はあるか)
レイとセトがガンダルシアに来た時、既にリッチはダンジョンにいた。
それなら、レイやセトがリッチの存在に気がつかなくても仕方がない。
とはいえ、既にレイとセトがガンダルシアに来てから二ヶ月近くは経っている。
その間、ずっとダンジョンにいたのなら、レイやセトに察知されなくてもおかしくはない。
(けどそうなると、俺達が十階に到着するタイミングで儀式を行ったのは……儀式に必要な準備がそれだけ掛かったのが原因か? あるいは……いや、考えるのは止めよう)
レイが思い浮かべたのは、自分やセトのトラブル誘引体質。
それが関係しているのではないかと思いつつも、気にしないことにする。
するとちょうどそのタイミングで、レイは職員室の前に到着した。
『では、ダンジョンの異変の件で色々と大変だと思いますが、それも無事に解決しました。今日も頑張って下さい』
扉の向こうから聞こえてくる声に、レイはどうするべきか迷う。
聞こえてきた言葉の内容からして、丁度朝の会議が終わったところなのだろう。
そのタイミングで職員室の中に入るのは、レイとしては何か気まずいものを感じる。
その為、レイは取りあえず廊下で待つことにし……そして数分が経過すると、職員室の扉が開いて数人の教師が出てくる。
教官ではなく教師なのは、授業の準備に時間が掛かるのは教師だからか。
「うわっ!」
その教師の一人は、いきなり目の前にレイがいたことに驚いて声を上げる。
教師にしてみれば、驚くのは当然だろう。
「ああ、悪い。ちょうどここまで来たら朝の会議が終わりそうだったんでな」
「そ、そうですか。その……ダンジョンの異変を解決したとか。おめでとうございます」
教師はそれだけを言って、頭を下げるとレイの前から立ち去る。
てっきりダンジョンの異変について色々と聞かれるかと思っていたレイだったが、教師は特に何を聞くでもなかった。
それはレイにとって面倒が少ないという意味で悪くなかった。
教師がいなくなったところで、レイは職員室に入る。
「こほん」
あ、これがあったからさっきの教師はさっさと立ち去ったのか。
レイは咳払いをした人物を見て、そう思う。
それは先程まで朝の会議を行っていた人物。
レイの認識では、学年主任、あるは教頭といったところか。
ようは、教師や教官の纏め役というか、上司というか、そんな感じの相手だ。
先程の教師は自分の後ろにそんな人物がいると知っていたので、レイから詳しい話を聞いたりといったことはせず、素早く授業に向かったのだろう。
「悪い、遅れた」
「……どうやらそのようですね。学園長から話は聞いてるので、気にしなくても構いません」
そう言う男だったが、その目には呆れの色がある。
嫌悪の類ではなく呆れの色なのは、レイにとって幸運だったのかどうか。
ともあれ、レイは軽く挨拶をすると職員室に入る。
男もレイにはまだ何か言いたいところがあった様子だったが、結局何も言わずに職員室を後にした。
これが教官ではなく教師であれば、男も直接の部下ということで色々と苦言、あるいは説教をしただろう。
教師の多くは、正式に冒険者育成校に教師として雇われている者達だ。
それに対して、教官は……アルカイデを始めとした者達はともかく、マティソンを始めとする者達はあくまでも冒険者と教官に二足の草鞋だ。
それも冒険者としての行動を重視している。
それを条件として雇っている以上、不満も言えない。
レイはそのような教官達の中でも特に異端と呼ぶべき存在だった。
学園長のフランシスがわざわざ交渉して雇ったのだから。
それも異名持ちのランクA冒険者。
例え学校の中での地位は男の方が高くても、それで何かを言える程でもない。
……いや、例えばどう見ても受け入れられないようなことをしていれば、男も注意をするだろう。
しかし今回は別にそのようなことをしてはいない。
フランシスに呼ばれた上で遅れるというのは、前もって聞かされていたのだから。
その為、結局男はレイに向かって特に何も言わずに職員室から出るのだった。
(セーフ)
レイは小言を言われなかったことを嬉しく思いながら、職員室にある自分の机に向かう。
すると、マティソンだけではなく、他の教官達もレイに近付いてくると、それぞれ感謝の言葉を口にする。
「レイさん、ありがとうございます。あたしの知り合いが異変に巻き込まれていたんですけど」
「それは俺もだよ。俺の場合は弟が……」
「助かりました。本当に、本当にありがとうございいます」
次々と感謝の言葉が掛けられる。
自分の周囲に集まってきた面々に対し、レイは少し困った様子で口を開く。
「事情はもう知ってるんだろう? 俺が異変を解決したのは間違いないが、転移水晶で行方不明になっていた冒険者達は、俺が昨日ダンジョンに入る前にもう戻ってきてたんだ。そういう意味では、俺が何かをした訳じゃないんだから、そこまで感謝しなくてもいい」
それはお世辞でも何でもなく、単純な事実。
実際、昨日レイがギルドに行った時、既にそこには十階の転移水晶を使って戻ってきた者達がいたのだから。
レイが何かをした訳ではない以上、こうして感謝の言葉を次々に口にされるのは微妙な気持ちになる。
それこそ、誰かの手柄――今回は誰の手柄でもないのだが――を横取りしたかのような、そんな気分が。
「けど、レイさんが異変を解決したのは事実なのでしょう?」
皆を代表するようにそう言うマティソンの言葉に、レイは頷く。
「そうだな。それは事実だ。けど、さっきも言ったが行方不明になっていた連中を助け出したりとか、そういうことはしていない」
「私達としては、ダンジョンの異変を解決してくれただけでも十分に感謝したいところですよ」
そう言うマティソンの言葉は、間違いなく本心からのものだった。
だが、それも当然だろう。
マティソンを始めとした者達は、冒険者としてダンジョンに挑んでいるのだ。
そのダンジョンを利用出来ない……正確には利用出来るものの、転移水晶を使えないとなると、ダンジョンを攻略する難易度がこれ以上ない程に上がる。
例えば、四階の砂漠。
レイの場合はドラゴンローブがあるので砂漠の暑さをものともしないし、セトがいるお陰で空を飛んで移動出来るものの、それはレイが特殊だからだ。
もしレイ達でなければ、砂漠を攻略するのも大変だろう。
また、レイは少しだけしか見ていないが、十一階は氷の階層だった。
こちらもまた、レイならドラゴンローブがあるし、セトがいれば凍っていて滑る足下を気にせず空を飛べるだろう。
しかし普通の冒険者なら、何らかの寒さ対策をしたり、足下が滑ることに対しての対策もする必要がある。
転移水晶があれば、砂漠と氷の階層については次の階層に行く時にどちらか一つだけの対策が必要なのだが、転移水晶がなければ両方の対策をする必要がある。
また、レイが知っている限りではその程度でしかないが、もっと深い階層に進めばそのような対策が必要な場所は多くあるだろう。
そのように考えれば、やはりこのガンダルシアのダンジョンは転移水晶があってこそのものなのだ。
(もし転移水晶がなかったら、ダンジョンの攻略は今までよりもっと遅かっただろうな。……その場合、フランシスがどう思っていたのやら)
フランシスが冒険者育成校を作ることにしたのは、ダンジョンの攻略が進んでいなかったからだ。
他にもガンダルシアで活動する冒険者を増やすといった目的があったものの、最大の目的はやはりダンジョンの攻略を今以上に進めることだった。
もしガンダルシアのダンジョンに転移水晶がなければ、もしかしたらまだ十階前後が到達している最深部だった可能性もある。
あるいは、もっと浅い階層だったか。
「そういう意味で礼を言われるのなら、俺も納得出来るな。ともあれ、もう知ってると思うが、今日から転移水晶はまた自由に使えるようになった。ダンジョンを攻略する際に使ってくれ。……俺が言うのもどうかと思うが」
「レイさんが異変を解決したのだから、そのくらいは言ってもいいと思いますよ」
マティソンの言葉に、他の教官達も同意するように頷く。
なお……レイの周囲にはそのように冒険者の教官達が集まっていたものの、当然ながらアルカイデやその取り巻き達はいない。
アルカイデや取り巻き達にしてみれば、マティソン派のレイがこうして活躍してるのは面白くない。
面白くないが、だからといって面と向かって文句を言える筈もない。
その場合は、それこそレイと正面から敵対することになるのだから、
これまでの何度かのやり取りによって、それが最悪の流れだというのはアルカイデ達も解っている。
それが分からないような者達は、レイの殺気の一件で既にもう教官を辞めている。
だからこそ、この状況でレイにちょっかいを掛けるようなことはしないが、だからといって今の状況が面白くないのも事実。
「アルカイデ様、このままでは……」
取り巻きの一人の言葉に、アルカイデも頷く。
アルカイデも分かっているのだ。今のままでは不味いと。
レイが来る前は、アルカイデとマティソンの派閥は明確にアルカイデの派閥の方が有利だった。
もっとも、それは一気にマティソン達の派閥をどうにか出来る程の圧倒的な有利さという訳ではない。
割合的は、アルカイデ達が六に対してマティソン達が四といったところだろう。
それでも有利だったのは間違いなく、何かあればその派閥の力でアルカイデ達の意見が通りやすくなっていた。
勿論、それはどのような意見でも間違いなく通るといったようなことではない。
あくまでも冒険者育成校にとって悪影響がない意見であれば、通りやすいといった程度でしかない。
それでも有利だったのは間違いないのだが、それだけにレイがこうして教官として働くようになり、明確にマティソンの派閥に入ったのはアルカイデにとっては痛い。
もっとも、アルカイデも教官を辞めていった者達のことを責めるつもりはない。
そもそもレイと敵対をするという意味では、レイがガンダルシアに来た時に現在レイが使っている家を辞退するように言ったのは、アルカイデなのだから。
当然ながらレイはそんな言葉を聞く筈もなく、そしてアルカイデはレイにとって敵……とまではいかずとも、友好的な相手ではないと判断されてしまった。
今になってみれば、アルカイデはあの時レイと敵対するのではなく、友好的に接するべきだった。
そう思うも、それはたらればの話でしかない。
それを悔やみつつも、アルカイデは取り巻き達を落ち着かせるのだった。