3760話
「なるほど……まさかリッチがそのようなことを……」
冒険者育成校の学園長室で、フランシスはレイの説明を聞くと難しい表情を浮かべる。
フランシスにとっても、レイから説明された今回の一件は笑って済まされるようなことではないのだろう。
そのままフランシスは黙り込む。
自分の中で考えを整理してるのだろうが、その時間レイは暇だ。
声を掛けてフランシスの邪魔をするのもなんなので、窓の外に視線を向ける。
窓から見える範囲では、どこまでも青空が広がっていた。
雲一つないその青空は、まだ少し早いが夏の空と評してもいいようにすら思える。
(夏までもう少しか。……夏になったらギルムに戻るつもりだったけど、それはいつくらいになるんだろうな。一緒に行く面子もまだ決まってないようだし)
レイがギルムに戻る一件で、生徒達の何人か。それと教官からも付き添いとして一人行くことになっていた。
その辺りは冒険者育成校側で決めるという話になっていたが、その辺についてはレイもまだ聞いていない。
また、レイが一人推薦可能だということにもなっていたが、こちらもまだ決めてはいなかった
もっとも、その推薦枠については誰にするのか、レイは大体決めていたが
そもそも、レイがその実力、あるいは潜在能力を見込んでいて、それでいながら学校側で選出されないという者は少ない。
(ハルエス……だろうな)
レイが思い浮かべたのは、弓の才能を持つポーター。
もっとも、そのハルエスも今ではそれなりに有名になっている。
つい少し前までは、所属していたパーティのリーダーの恋愛関係による問題でパーティが解散し、何とか他のパーティに入れて貰おうと思っていたのだが、純粋なポーターということでそれを拒否されていた。
生徒達のパーティが潜れる浅い階層では、ポーターは必要ないと判断されたのだ。
これで当時のハルエスが純粋なポーターではなく、もっと別の技能もあれば話は別だったのだが。
そうしてハルエスはガンダルシアに来たばかりのレイに頼り、弓を使うことを提案され、結果としてその才能を開花させた。
また、レイの殺気を受けるという一件で、少し離れた場所にはいたがそれに耐え、主にレイの殺気を受ける為に集まっていた面々……上位のクラスの中心人物達がハルエスを見込み、今ではそのような者達とパーティを組んでいる程だ。
(あれ? そうなると、もしかしたら俺が推薦する必要がないのかも?)
下手な弓術士よりも弓の才能があるポーターだ。
しかもポーターという仕事の特性上、荷物を多数運ぶ必要があり、ダンジョンに挑む時はその荷物として矢を運ぶことが出来るので、矢の数を気にしなくてもいいというのは大きい。
そんな便利なポーターとなったハルエスだけに、レイがわざわざ推薦枠を使わなくても、普通に選ばれるのではないか。
そのように思うのは、決してレイの気のせいではないだろう。
そうなった時、自分の推薦枠をどうするべきかとレイは迷う。
いっそ、推薦枠を使わないという選択肢も……
「レイはどう思う?」
「……え?」
ハルエスについて考えていたレイは、フランシスの言葉で我に返る。
そしてフランシスが不満そうな様子で自分を見ているのに気が付く。
何しろ、フランシスが真剣に何かを考えているのに、レイは窓の外を眺めていたのだから。
……実際にはハルエスについて考えていたのだが、その辺についてはフランシスも分からなかったらしい。
「悪い、何のことだ?」
下手に言い訳をしても意味がないだろうと判断し、レイはそうフランシスに尋ねる。
フランシスはそんなレイの言葉に呆れたように息を吐き、改めて口を開く。
「ダンジョンのリッチの件よ。レイから話を聞いた限りだと、リッチはダンジョンで生まれた訳でも、ダンジョンの核がどこかから召喚した訳でもないわ」
「それは……そうだな。とはいえ、リッチがいたのは十階だ。そして十階は墓場の階層でアンデッドが多い。だとすれば、十階で生まれたという可能性も……ないか」
「ないわね」
レイが自分の言葉の途中でそう言うと、フランシスも当然のようにその言葉に納得する。
「そもそも、十階でリッチが生まれるというのが間違ってるわ。可能性としては十階で生まれたアンデッドが進化したというものだけど、これもまず考えられない。……そもそも、その場合はレイが持っている緑の宝石やアクセサリ、魔法陣に組み込まれていたそれらをどうやって入手したのかという問題も出てくるわ」
「だろうな。宝石やアクセサリも偶然ダンジョンで見つけたというのは、少し厳しい。それにダンジョンの力を自分のものにするという儀式についても、どうやって知った、もしくは作り出したのかということになる」
「それらの話を考えると、やっぱりレイが倒したリッチはダンジョンの外からやって来たと考える方が正しいのでしょうね」
「けど、どうやってだ? ダンジョンの前にはギルド職員がいるから、中に入ることは……いや、リッチなら何とかなるか」
「そうね。リッチは魔法を得意とするアンデッドだもの。そうである以上、ダンジョンの前にギルド職員がいても、それを誤魔化す魔法とかがあっても不思議ではないわ」
「もしこれが事実だとしたら、ギルド職員が殺されなかっただけ幸運だった訳だ」
「運というか、ダンジョンの入り口にいるギルド職員が死んだりすれば、当然ながらそれを見つけた者達が騒ぐから、それを嫌ったんでしょうね」
「……ちなみに、ギルムではモンスターが入れないように結界を張ってるんだが、ガンダルシアでは違うのか?」
現在は増築工事中なので、その結界も解除されているものの、増築工事を行う前に結界が張られていた。
大きな街や都市であれば、その手の結界を張るのは珍しいことではない。
迷宮都市であるこのガンダルシアも、レイの目から見れば十分に結界を張っていてもおかしくはない規模だ。
だから尋ねたのだが、フランシスは首を横に振る。
「残念ながら、その手の結界は張ってないわ。ギルムのような辺境であったり、ミレアーナ王国に所属する街とかなら、そういうのがあってもおかしくはないんだけど。このガンダルシアが所属するグワッシュ国はミレアーナ王国の保護国で、そこまでの余裕がないのよ」
そこまで言ったフランシスは、すぐに自分の言葉を否定……いや、訂正するように再び口を開く。
「いえ、正確には何かあった時にそういう結界を張るだけの余裕はあるけど、結界を張り続けるだけの余裕がないというのが正しいかしら」
「そういうものか」
「そういうものよ。勿論、ここがギルムのような辺境……多くのモンスターが出てくるのなら、多少は無理をしてでも結界を張ったりするかもしれないわ。けど、ここは辺境ではないもの」
その意見は、レイにも納得出来る。
実際、ギルムが結界を張っているのは辺境であり、多くのモンスターがいるからという理由からなのだから。だが……
「空を飛ぶモンスターの対策はどうしてるんだ?」
ギルムは辺境だからモンスターが多い。
それは間違いないし、レイも否定はしない。
しかしそれに付け加えるのなら、地上を移動するモンスターが大半だと言うだろう。
実際、空を飛ぶモンスターはギルム周辺だけではなく、他の場所にも姿を現すこともある。
空を飛ぶモンスターにとって、移動距離そのものはそこまで気にするようなことではないのだ。
……寧ろ、辺境ということで上空から襲われることを警戒してるギルムよりも、そのような警戒が少ない場所の方が獲物を獲りやすいだろう。
そういう意味では、ガンダルシアは迷宮都市として大きな規模なのに結界を張っていないのは不用心なように思えてしまう。
「その辺については、対策はしてるよ」
「どんな?」
「残念だけど、それについては秘密ね」
「あー……なるほど」
フランシスの言葉にレイも納得する。
空を飛ぶモンスターの対策は、ガンダルシアにとって機密なのだろうと。
これでレイがガンダルシアに所属している冒険者なら、もしかしたらフランシスもその辺りについて話したかもしれない。
だが、レイはあくまでもギルムに所属する冒険者で、ここにいるのは冒険者育成校の教官……後はダンジョンに挑む冒険者としてだ。
そうである以上、レイがガンダルシアの機密に聞いたからといって、フランシスがそれに答える筈もない。
寧ろ、レイは何気なく聞いて、すぐに事情を察して諦めたのでフランシスにとっても特に問題ないと判断したのだが、もしレイがしつこく聞いてくるようなことがあれば、フランシスもレイを警戒する必要があっただろう。
「ともあれ、話を戻すぞ。リッチの件だ。結界を張っていないとなると、リッチがガンダルシアに何らかの手段で侵入するのは可能と考えてもいいのか?」
「そう……ね。恐らくそうだと思うわ。ちなみに異変に巻き込まれた人達は何も知らないの?」
「ギルドマスターから聞いた話だと、特に何もなかったらしい。巻き込まれた者達にしてみれば、普段通りに転移をしたと思ったのに、気が付いたら昨日の早朝にダンジョン前の転移水晶に出たらしい。少し疲れているという報告もあったけど、そちらについてはあまり気にする必要はないと思う」
「そうなの? リッチの儀式の影響じゃない?」
「もしリッチの儀式の影響だったら、それこそ少し疲れる程度じゃすまなかった筈だ」
レイが倒したリッチにしてみれば、人を生け贄にするのを躊躇うとは思わなかった。
ましてや、リッチはネックレスを一個冒険者に奪われ、儀式に悪影響が出ていた。
それを補う為に、十階にいるアンデッドの中でもそれなりの強さを持つ個体は儀式に使われていたのだ。
であれば、もし冒険者達を生け贄にするつもりなら、少しだけ体力なり魔力なり生命力なりを使うのではなく、それこそ死んでもいいという思いでそのような者達を使うだろう。
だが、実際には少し疲労した程度だった。
それはつまり、リッチの儀式に巻き込まれなかったか……あるいはもし儀式の影響を受けたとしても、リッチの知らない場所で少し影響を受けたといった程度なのだろう。
そういう意味では、儀式に巻き込まれた者達は幸運だったのは間違いない。
レイがそう説明すると、フランシスも納得したように頷く。
「レイの説明通りなら話は通るわね。……でも、結局同じようなことをさせない為には、やっぱりリッチをダンジョンに侵入させないようにする必要があるけど……何か手段はある?」
「どうだろうな。それこそギルムとかで使っている結界を張って街中にリッチが侵入しないようにするというくらいしか思いつかないな」
「……街中に、か。そうよね。そのリッチは街中に侵入してダンジョンに入ったと考えられる。だとすれば、幸運なのはダンジョンの異変に巻き込まれた冒険者達だけじゃなくて、ガンダルシアの住人全員が幸運だったと言えるのかもしれないわね」
「……まぁ、それは否定しない。別にリッチが慈悲を掛けたとか、そういうことじゃないと思うけど」
リッチと接触したレイだからこそ、それは断言出来た。
リッチはダンジョンの力を己のものにするのを最優先にしていた。
その為に、ガンダルシアの住人に興味を持つようなことはしなかったのだ。
もしリッチがその気になっていれば、ガンダルシアの住人達には多くの被害が出ていただろう。
そういう意味では、フランシスが言うようにガンダルシアの住人達が幸運だったのは間違いのない事実なのだ。
「この件は……やっぱり上に報告する必要があるわね」
フランシスの言う上というのは、ギルドマスターではなくガンダルシアの領主だろう。
レイは個人的にガンダルシアの領主には好感を持っている。
会ったこともない相手に好感? と普通なら疑問に思うかもしれないが、レイにしてみれば会ったことがない相手だからこそ好感を持つのだ。
もし普通の貴族なり代官なりであれば、自分の治める街にレイのような大物がやって来た場合、どうするか。
まず間違いなく接触して友好的な関係を築こうとするだろう。
だが、レイにしてみればそういうのは面倒臭い。
そもそもレイがランクAに昇格したのも、貴族と接する場合はマリーナが代理をしてくれるという前提のものなのだ。
だからこそ、もしここでレイに会いたいからと呼びつけるようなことをすれば、レイとしては非常に面倒臭い。
その上で、呼び出した貴族がレイの嫌いな典型的な貴族であった場合、最悪レイはガンダルシアにいられなくなる。
そのようなことをしない領主は、レイにとってそれだけで好感を持つに十分な存在なのは間違いなかった。