3757話
レイがアニタから素材……リッチのローブの残骸や杖をギルドに売った代金を貰ってギルドを出ると、そこでは予想通りの光景が広がっていた。
……いや、それは予想以上と言うべきか。
転移水晶を使えないということで、今日はダンジョンに挑んでいない冒険者も多い。
そのような冒険者達の中には、セト好きの冒険者も多い。
また、セトを怖いと思っていたり、セトの存在を知らなかったりする者もセトの周囲にいる者達に興味を抱き、あるいは友人がセト好きであったりという理由でセトを見ていた。
最初こそ恐怖や畏怖といった感情があるのだが、他の者達に可愛がられて喜んでいるセトを見ていると、あれ? という感情がそこには浮かんでくる。
もしかしたら、セトはそこまで怖くないのでは?
そんな風に思って改めてセトを見れば、本当の……自分が思っていたのとは違うセトの姿を確認出来る。
そうすると、セトを構っていた者達がそのような者達を目敏く見つけ、一緒にセトと遊ぼう、可愛がろうと誘うのだ。
本人達にしてみれば、善意からの行動。
セト好きが増えれば自然と自分がセトを可愛がる時間も減るのだが、それでもセト好きの同士を集めたいという思いの方が強いのだろう。
極端にセト好きが増えて、自分がセトを愛でる時間が一分もなくなったりしたら、少しは変わってくるかもしれないが。
そうして多くの者達が集まっている場所に、レイがやって来た。
セトはすぐにレイの存在に気が付き、横になって撫でられるがままになっていた状態から起き上がる。
「ああん、セトちゃん……もう終わり?」
「グルゥ」
セトを撫でていた女が残念そうに言うものの、セトはそれにもう終わりだと喉を鳴らすとレイのいる場所に向かう。
セトが移動すると、自然とその周囲に集まっていた者達のうち、セトの進行方向にいる者達は移動して道を作る。
(これ……今はいいけど、そのうちちょっと危ない集団になったりしないよな?)
目の前の光景にレイはそんな風に思う。
実際、セトの周囲に集まっていたうちの何人かはレイに対して嫉妬や憎悪といった視線を向けている。
以前、猫店長の店の前でセトを襲撃した女のことを思い出すレイ。
もっとも、その女と目の前の者達――八割程が女だ――では、セトに対する態度が大きく違ったが。
「悪いな、セト。待たせたか?」
「グルルルルゥ」
レイの言葉に、皆に遊んで貰ったから大丈夫と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトを撫でつつ、まだそこに残っているセト好きの面々に向かって声を掛ける。
「セトに構ってくれてありがとうな。これからもそれなりにセトが暇したりしていると思うから、その時はまた遊んでやってくれ」
レイの言葉に、話を聞いていた者達はそれぞれ頷く。
中にはセトとの関係に嫉妬する者もいたが、それでも実際に何か行動にでるといった様子はない。
(もう少し人数が少ないのなら、家に遊びに来てもいいと言ってもいいんだけど)
現在レイが暮らしている家は、結構な広さを持つ。
特に庭は、セトがそれなりに動き回れるくらいの広さだった。
勿論それはセトが全速力で思う存分走れるといったようなものではないが。
馬……それも鍛えられた駿馬よりも速く走れるセトなのだ。
ちょっと広い程度の庭では、それこそ全速力で走るといったことは出来ない。
それでもある程度の広さがあるので、それなりに動き回れるというのはセトにとって大きかった。
「さて、じゃあ行くぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは分かった! と喉を鳴らし、レイと共にその場を離れる。
……なお、そんなレイとセトの姿に、セト好きでも何でもないただ見ていた者達は驚いていた。
事情を知らない者達にしてみれば、この集団はレイとセトの為に集まった者達と思えるからだろう。
実際にはあくまでもセト好きの面々の集まりだったのだが。
(とはいえ、何だかギルムの時よりもセトが受け入れられるのが早いような……気のせいか?)
レイは隣を歩くセトを見て、そんな風に考える。
するとセトはレイの視線を感じたのだろう。どうしたの? と喉を鳴らして尋ねる。
「グルゥ?」
「いや、セトが受け入れられたのが嬉しかっただけだよ」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
セトも遊んで貰っているのは、それだけ嬉しいのだろう。
レイとセトは会話をしながら街中を進み……やがて猫店長の店までやってくる。
(警備兵はいないか。多分大丈夫だとは思うけど、問題が起きないように出来ればいて欲しかったんだが。その辺は仕方がないか)
以前、レイが猫店長の店にやってきた時、レイに恨みを抱いていた女が、セトを攻撃したのだ。
幸いにもその時はセトと一緒に警備兵がいたので、場所も表通りではなく裏通りに近い場所というのもあってか、そこまで大きな問題にはならなかったが。
しかし、今日はその警備兵もここにはいない。
以前聞いた話によると、この辺はそれなりに騒動が起きる場所なので警備兵がそれなりの頻度で巡回をしているということだった。
しかし、その巡回も今はない。
(ダンジョンの異変が関係していたりするのか?)
ふとそう思う。
警備兵はダンジョンには直接関わりはないものの、ダンジョンの異変によって今日はいつもより多くの冒険者がダンジョンに挑めず、街中にいる。
人が多ければ自然と騒動は増える。
また、冒険者達にしてみれば、ダンジョンに挑めないというのを不満に思っている者もいるだろう。
実際にはダンジョンに挑めないのではなく、あくまでも転移水晶を使えないだけなので、浅い階層であれば特に問題なく行動出来るのだが。
ただ、当然ながら浅い階層では出てくるモンスターも弱いし、お宝を見つけるのもまず無理だ。
何より活動してる冒険者の数が多いので、普段からもっと深い階層で行動している者達にとっては、人が多すぎて邪魔に思えるだろう。
そんな者達が大勢街中にいて、しかも苛立っているのだ。
それを不満に思う者が多く、喧嘩騒ぎになってもおかしくない。
警備兵達はそれらの対処に回っているのだろう。
「そういう意味では、ダンジョンの異変を解決した俺は警備兵達に感謝されてもいいんだよな」
リッチを倒し、魔法陣の上にあった宝石やアクセサリを奪い、魔法陣そのものも傷を付けた。
それによってダンジョンの異変は解決し、ギルドマスターの話によると明日からは普通に転移水晶を使えるようになるという。
……本当に転移水晶が使えるかどうかを確認するには、実際に使ってみるしかなく、それを思えば一体誰がそれをやるのやらという思いがレイの中にはあった。
とはいえ、レイはその件について特に深入りするつもりはなかったが。
「グルゥ?」
「ん? ああ、悪いな。今のガンダルシアの状況を考えると、警備兵が忙しいと思っただけだよ」
レイの言葉はセトにも納得出来たのだろう。
なるほどといったように喉を鳴らす。
「さて、とにかく俺は猫店長に会ってくる。セトはいつものように外で待っていてくれ。何かちょっかいを出してくるような奴がいたら、相応に対処しても構わないから」
「グルルゥ!」
任せて、と喉を鳴らすセト。
レイにしてみれば、そんなセトの様子を見て大丈夫だろうと思うと同時に、大丈夫か? という危惧も抱いてしまう。
例えば子供がやってきてセトに興味を持つといったようなことであれば、セトも特に何も問題はないだろう。
レイが戻ってくるまで、セトと一緒に遊んでいる筈だった。
だが、危害を加えようとする者がちょっかいを出してきたら、セトは大人しく相手の攻撃を受けたままといったことはせず、当然のように反撃するだろう。
それによって、相手がどのような怪我をするか。
……場合によっては、死ぬという可能性もある。
そうなると、警備兵に事情聴取されることになり、面倒なのは間違いない。
そのようにならないのが最善なのだが、自分やセトがトラブル誘引体質であるという自覚を持つレイにしてみれば、本当に大丈夫なのかどうか微妙に心配になるのはそうおかしなことではなかった。
(だからといって、セトを店の中に入れるのは無理だしな)
セトの大きさを思えば、それは絶対に無理なことだった。
あるいは無理をすれば……サイズ変更のスキルを使うなりなんなりすれば、多少は何とかなるかもしれないものの、今はそこまでやる必要はないだろう。
そんな風に思いながら、レイはセトを撫でるのだった。
「ふむ、なるほど。グリフォン……セトだったか。その待遇については、思うところはあるよ。けど、やっぱりうちにグリフォンを入れるのは難しいだろうな」
猫店長はセトを店に入れる方法はないかというレイに、そう返す。
それを聞いても、レイは特にがっかりはしていない。
恐らく駄目だろうと思っていたが、それでももしかしたら……そのように思って聞いてみたのだ。
そうである以上、駄目だと言われてもそういうものかと納得するしかない。
「分かった。その件については諦める」
「そうしてくれ。それで、今日は? ポーションか?」
「あれば買うけど、今日の本題は二つある。まずは……こっちだ」
そう言い、レイはミスティリングからリッチの腕の骨を取り出す。
「これは、また……」
レイが取りだした骨に、猫店長は感心したように言う。
猫の着ぐるみを着ているのでその表情は分からないものの、それでも言葉から感心しているのはレイにも理解出来た。
(リッチの骨だし、それも当然か)
猫店長が一目で骨の希少性を見抜いたのは、レイにとっても驚きではあった。
そのように思っていると、猫店長はレイに視線を向けてくる。
「レイ、これは?」
「ダンジョンに異変が起きているのは知っているか?」
質問に質問を返すレイだったが、それを聞いた猫店長は特に驚いた様子も見せずに頷く。
「知っている」
猫店長の返事は、レイにとっても納得出来るものだった。
この店は基本的にダンジョンで入手したマジックアイテムの売買を行っているのだ。
そうである以上、ダンジョンについての情報は出来るだけ早く入手する必要があると考えるのは、そうおかしな話ではないのだから。
「そのダンジョンの異変を起こしていたリッチの腕の骨だよ」
「……少し待って欲しい。それはつまり……レイがもうダンジョンの異変を解決したと思っても?」
「そうなるな。ついさっき……というのは違うかもしれないけど」
リッチを倒してダンジョンの異変を解決してから、レイはダンジョンを脱出し、ギルドで事情を説明し、セトと共にこの店まで来た。
そう考えると、ついさっきではなく少し前の方が表現としては相応しいのかもしれないとレイは思う。
……ただし、猫店長にしてみればそんなのは今は関係ないと、そう言いたいだろうが。
とにかく猫店長にとって大事なのは、ダンジョンを自由に使えるようになることなのだから。
転移水晶が使えなくても浅い階層は探索出来るものの、そのような場所では猫店長の店が扱うようなマジックアイテムは到底入手出来ない。
だからこそ、レイの言葉を聞き流すようなことは出来なかったのだ。
「それで、そのリッチの素材がこの骨だと?」
「正確には素材の一部……かもしれないというのが正しいな」
他にもリッチのローブの残骸やリッチが使っていた杖や魔石があったのだが、前者二つはギルドに売り、魔石は魔獣術で使う為にレイのミスティリングに入っている。
そんな中でレイが猫店長の店に持ってきたのは、リッチの魔力が染みこみすぎており、ギルドで取り扱うのは無理だと判断されたリッチの両腕の骨と、そして……
「ついでにこれもちょっと見て欲しい。リッチの素材という訳ではないが、リッチが持っていた物だ」
正確には魔法陣に使っていた宝石やアクセサリなのだが、魔法陣……特にダンジョンの力を自分のものにしようというのを話してもいいのかどうか分からなかったので、レイはその件については誤魔化して説明する。
「随分と緑の物ばかりだね」
「そういう趣味だったんじゃないか?」
これも実際には魔法陣を使う際にこの緑の宝石やそれを使ったアクセサリが必要だったのだろうが、そちらについても黙っておく。
「ふむ、なるほど」
猫店長はレイの様子から何かを感じたようだったが、それを口に出すことはない。
今はその辺りについては聞かない方がいいと判断したのだろう。
「取りあえず見せて貰っていいかな?」
「頼む。その為に持ってきたんだし」
その言葉に、猫店長はまずはリッチの骨に手を伸ばす。
……なお、猫の着ぐるみを着ている猫店長だけに、その手の先も猫の手を模した作りになっているのだが、本人はそんな手で全く苦労なくリッチの骨を手に取るのだった。