3756話
ギルド職員が緑の宝石やアクセサリを調べ始めてから、二十分程。
「ふぅ……」
ようやく鑑定が終わったのか、ギルド職員は大きく息を吐く。
「どうだった?」
ギルドマスターのその問いに、ギルド職員は申し訳なさそうに口を開く。
「残念ですが、私の目では全てを見通すという訳にはいきませんでした」
「つまり、鑑定は出来なかったのか?」
「いえ、ある程度の鑑定は出来ました。まずこの宝石ですが、リッチの儀式に使われていたというように、ただの宝石ではありません。リッチが魔法的に手を加えています。加工していると言ってもいいでしょう。……問題なのは、それが具体的にどのような加工なのか、分からないということです」
「それはまた……つまり、この宝石は危ないのか?」
「分かりません。そこまで見抜くことも出来ませんでしたから。ただ、リッチが加工したとなると、そう思った方がいいかもしれません」
「そうなると、迂闊に売るといったことは出来ない訳か。人に渡すのも難しいと」
二人の会話を聞いていたレイは、難しい表情でそう告げる。
正直なところ、レイが宝石を持っていても意味はない。
それこそ何らかの素材になるのなら錬金術師に渡してもいいと思うし、手っ取り早く金に換えてもいい。
エレーナ達が欲しいというのなら、渡しても構わなかった。
だが、それはあくまでも普通の宝石ならの話だ。
リッチによってどのような魔法的な加工がされているのか分からない以上、迂闊に処分する訳にはいかない。
錬金術の素材とした場合、どのような結果になるのか分からない。
金に換えた場合も、リッチの魔法的な加工がされた宝石となると、何らかの騒動が起きて呪いの宝石という扱いになってもおかしくはない。
エレーナ達に渡すのも、そういう意味では論外だった。
「となると、俺がずっと持ってるしかないのか?」
ミスティリングの中に収納しておけば、時間が止まっている。
それはつまり、もしリッチが何らかの仕掛けを宝石にしていたとしても、効果を発揮しないことを意味していた。
「その方がいいだろうな。あるいは、もっと鑑定の技術がある者に鑑定してもらって、リッチの行った魔法的な加工というのがどのようなものか判明してからなら、売るなりなんなり出来るかもしれないが」
ギルドマスターの言葉に、レイが思い浮かべたのは猫店長だ。
ダンジョンで入手したマジックアイテムの売買を行っているだけに、ギルド職員よりも鑑定が得意であってもおかしくはない。
(もしかしたら、猫店長が買い取ってくれるかもしれないしな)
そう思いつつ、レイは緑の宝石やアクセサリをミスティリングに収納し……ふと思う。
「この宝石は俺が持っていていいのか? 明日、魔法陣を調査するのなら、当然この宝石も魔法陣の一部だっただけに調査する必要があるんじゃないか?」
「だが、その宝石と魔法陣を一緒にすると、それこそまた異変が起きかねないんだろう?」
「可能性は否定出来ない」
ギルドマスターの問いに、レイはそう返す。
リッチは既に倒され、魔法陣もレイによって破壊された。
そう考えれば、宝石と魔法陣がセットになっても何も起こらない可能性の方が高いが、それはあくまでもそういう可能性だ。
もしかしたら、魔法陣と宝石が一緒の場所にあるというだけで、異変がまた起きかねない。
それどころか、リッチがいなくなったことや魔法陣が壊されていることによって、全く予想外の何らかの騒動すら起きかねなかった。
「なら、その宝石は……そうだな。やっぱりレイが持っていてくれ。もしかしたら、後で調査させて貰うかもしれない」
「……これ、猫店長に見せようと思ってたし、場合によっては売ろうと思ってたんだけどな。それは駄目か?」
「猫店長? ……ああ」
ギルドマスターは、レイのその言葉で特徴的なマジックアイテム店の店長を思い浮かべる。
ダンジョンで見つかったマジックアイテムの売買を主にしているマジックアイテム店だけに、ギルドマスターもその人物については知っている。
もっとも、実際にはマジックアイテム店ではなく猫の着ぐるみを着て日常生活を送っているという印象の方が強かったが。
「どうやら猫店長を知ってるみたいだな」
「知らないと思うか?」
そう言われると、レイも素直に頷くことしか出来ない。
実際、猫店長の様子を見てその姿を簡単に忘れられるかと言われれば、レイもまた首を横に振ることしか出来なかったのだから。
「いや、あの姿は一度見たら忘れられないだろう」
レイの言葉に、ギルドマスターも素直に頷く。
そんなやり取りをする二人は、最初会った時のようなお互いにどこか遠慮した……距離を取った様子はない。
最初はギルドマスターもレイに対して丁寧な言葉遣いをしていた。
だが、今回の一件で疲れている時にレイと会った時、知らず知らずのうちに素の態度をしていたのだ。
ギルドマスターにしてみれば、相手のレイは深紅の異名を持つランクA冒険者だ。
それこそミレアーナ王国で有名になり、その噂はこのガンダルシアにまで届く程の人物。
しかもその噂は、かなり物騒なのも多かった。
ギルムのギルドマスターや領主とやり取りをして、レイが噂程に物騒な相手ではないというのは聞かされている。
いるのだが、それを素直に信じるというにはレイの噂は物騒すぎたのだ。
だが、こうして実際にレイと接したことにより、ある程度の疑念は取り除かれた。
レイを怒らせるようなことをすればどうなるのかは分からないが、普通に接している分には、そして誠実な対応をしている分にはレイは特に何か問題を起こすようなことはない。
だからこそ、今はもうギルドマスターは素の状態で接しても問題ないと判断したのだろう。
……それ以外にも、今回起きたダンジョンの異変によって全く余裕がなかったというのも大きいが。
「リッチの骨については、どうするのかはレイに任せる。もしかしたら、レイが猫店長と呼んでいるあの男なら、リッチの骨を使える錬金術師に繋がりがあるかもしれないしな。……男だよな?」
ギルドマスターの最後の言葉には、レイも何と言えばいいのか分からない。
猫の着ぐるみを着ており、その素顔はレイもまた見たことがないのだから。
だからこそ、場合によっては実は中身が女だという可能性もあった。
もっとも、その辺はレイも特に気にしない。
マジックアイテム店としてしっかり働いてくれるのなら、レイにとってはそれで十分なのだから。
(ギルドで繋がりのある錬金術師以外の、腕利きの錬金術師……マジックアイテム店だけに、そういう繋がりがあってもおかしくはないのか?)
何らかの理由でギルドとは関わり合いになりたくないと思っている錬金術師だが、猫店長とは知り合い。
そういう可能性は十分にあるので、レイもギルドマスターの言葉に納得する。
「分かった。リッチの骨はそういうことで、宝石とかについては、取りあえず猫店長には売らないけど、見せるくらいはいいか?」
「構わんよ。もし何か分かったら教えて欲しい」
ギルドマスターにしてみれば、もし宝石について何か分かったら、その情報は是非とも欲しい。
その情報を聞かないという選択肢はなかった。
レイも別にそのくらいのことは構わないので、あっさりとそれを受け入れる。
……レイとギルドマスターの話を聞いていたギルド職員は、悔しそうな様子を見せていたが。
この状況でギルドマスターに呼ばれたことからも分かるように、このギルド職員はこのギルドにおいて鑑定では一番腕の立つ男だ。
そんな自分が全てを鑑定出来なかった宝石やアクセサリを、他の者なら鑑定出来るかもしれない……いや、レイやギルドマスターの様子を見る限りでは、間違いなく鑑定出来ると思われていることが悔しかったのだ。
もっとも、それはあくまでも自分の技量不足、知識不足といったものが理由であって、猫店長に頼むというレイやギルドマスターに不満を抱いているのではない。
猫店長に鑑定を頼まれるのが嫌なら、自分がもっとしっかりと鑑定出来るようになればいいのだから。
このギルド職員はこの日を境に、より自分の鑑定技術を磨いていき、やがてガンダルシアのギルドだけではなく、この辺り一帯……それどころかミレアーナ王国やベスティア帝国にまで名前が知られるようになるのだが、それはまだ随分と先の話。
「じゃあ、この件はこれで……ああ、そう言えば。ダンジョンの、というか転移水晶の扱いはどうするんだ? もう自由に使ってもいいようにするのか?」
レイがリッチを倒して儀式を中断させたことにより、ダンジョンの異変はもう解決している筈だった。
そうである以上、転移水晶はもう問題なく使える筈なのだ。
そのような思いから尋ねるレイに、ギルドマスターは難しそうな表情を浮かべ、一分程考えた後で首を横に振る。
「いや、今日一日は様子を見よう。レイがリッチを倒したとはいえ、それが今日すぐにでも転移水晶が自由に使えるようになるとは限らない。場合によっては、それこそ転移水晶が自由に使えるようになるまで相応の時間が掛かる可能性もある」
「……なるほど。言われてみればその可能性が高いか」
これが例えばレイが日本にいた時にやっていたゲームであれば、ボスを倒したら即座にその影響が消えるといったようなことになってもおかしくはない。
だが、それはあくまでもゲームならではの話だ。
この世界が現実である以上、儀式を行っていたリッチを倒したからといって即座に異変が解決し、自由に転移水晶を使えるようになるとはかぎらないのだから。
(あれ? となると、もしかして五階の転移水晶を使ったのも……いやまぁ、十階に行く前に試した時、普通に転移水晶は使えたしな)
レイはこの件についてはセトにも秘密にしておくことに決めた。
十階に向かう途中に五階の転移水晶を使った件で、セトはレイのことをかなり心配していたのだから、追加情報として更に不安になるようなことを教える必要はないと、そう判断したのだ。
「分かった。まぁ、もう午後になっているし、今からダンジョンに向かうという者も……いない訳ではないだろうが、それでもやっぱり多くはないだろうしな」
泊まり掛けでタンジョンを攻略する者がいたら、出発する時間にはあまり拘らないかもしれない。
あるいは泊まり掛けだからこそ、タイムスケジュールをしっかりと決めた上で行動するので、今日これから転移水晶を自由に使えるようになっても今日はダンジョンを攻略しないという者もいるだろう。
あくまでも使えないのは転移水晶なので、一階や二階、あるいは三階辺りで活動している冒険者にしてみれば、今日は普通に行動出来るのだが。
「理解して貰えて何よりだよ。そんな訳で、レイがもし他の冒険者にダンジョンの異変について聞かれたら、適当に誤魔化しておいて欲しい。明日には、ギルドマスターからの発表としてダンジョンの異変が解決して転移水晶も普通に使えるようになったと公表する」
「……それはいいけど、それでもし転移水晶をまだ使えなかったらどうするんだ?」
先程の話にも出たが、リッチを倒したことでダンジョンの異変が解決したのは間違いない。
だが同時に、それがいつ本当の意味で解決したのかというのは、今のところまだ分からないのだ。
だからこそ、明日には問題ないと発表をするのが正しいのかどうか、レイには分からない。
最悪の可能性として、ギルドマスターから何も問題ないという発表があったにも関わらず、十階の転移水晶を使った者が再び翌日に転移してくる……いや、もっと酷い可能性としては、儀式を行っていたリッチがいなくなったことによって、転移水晶が余計に予想外の挙動をするという可能性は十分にあった。
そんな心配をするレイに、ギルドマスターは心配するなと言う。
「別に俺も、何の確認もせずにもう大丈夫だと公表するつもりはない。しっかりと転移水晶が使えるかどうか、確認してからの話になるだろう」
それはどうやって?
そう聞こうとしたレイだったが、ギルドマスターの様子を見る限り聞かない方がいいように思えて、結局その疑問を口することはない。
恐らくはそういう……半ば使い捨てにしてもいいような者達がいて、そのような相手を使うのだろう。
そう予想をしたのだ。
例えば犯罪者であったり、もしくはそこまでいかずともギルドで厄介な問題児と思われている者達。
そのような相手に転移水晶を試させるのだろうと。
それは別に、レイにとっても責めるようなことではないのだが。
レイはもう暫くギルドマスターと話を続けるのだった。