3755話
最後に残ったリッチの魔石。
鑑定が得意なギルド職員も、目の前に存在する魔石に迂闊に触ることも出来ない。
何しろ、リッチの魔石なのだ。
……リッチは個々の能力差が大きい。
それはランクにも影響してくる。
それでもどんなに実力の低いリッチであっても、最低でもランクBの上位となるだけの力を持つ。
上位のリッチともなれば、ランクA……いや、場合によってはランクSとなるリッチもいると噂されている。
そんなリッチの魔石だけに、ギルド職員が緊張するのも当然だろう。
「じゃあ、頼む」
レイの言葉にギルド職員は頷き、そっと魔石を手にする。
そしてじっと魔石を調べ始めた。
(以前誰に聞いたのかはちょっと忘れたけど、色々な機器を使って調べるとか、そういう話を聞いたことがあったような、なかったような……あるいは調べるにしても、その辺は人それぞれなのか?)
レイは鑑定の類は詳しい訳ではない。
鑑定の方法が人それぞれだと言われれば、そういうものかと納得するしかない。
そうして鑑定をしているギルド職員から視線を逸らし、ギルドマスターを見る。
ギルドマスターは真剣な表情で魔石を鑑定しているギルド職員を見ている。
ギルドマスターにとって、今回の騒動は最悪の場合……本当に最悪の場合、ガンダルシアのダンジョンを閉鎖しなければならないかもしれなかったのだ。
だからこそ、その騒動を起こしたリッチの魔石の鑑定については、真剣になってしまうのだろう。
二人が真剣な様子である以上、ここでレイが声を掛けて邪魔をするようなことは出来ない。
その為、レイも黙って様子を見守る。
そうして十分程が経過し……
「ぷはぁ……」
ギルド職員が大きく息を吐く。
それが鑑定の終わった合図だと考えたのだろう。
ギルドマスターは真剣な表情で口を開く。
「それで、どうだ?」
「リッチの魔石で間違いありません。以前資料で見た魔石の特徴を持っています。ランクは……Aでしょうね」
「そうなのか?」
そう聞いたのは、ギルドマスターではなくレイ。
そんなレイに、ギルドマスターは呆れの視線を向ける。
「いや、何でお前がそこまで驚くんだ?」
「そうは言ってもな。……強いとは思ったが、そこまで強敵って訳でもなかったし。……相性の差とかあるんだろうけど」
実際、ランク的には同等のセト……いや、希少種ということでランクS相当という扱いになっているセトが有利に戦っていたのを思えば、ランク差というのもあるが、やはり相性の差もまた大きかったのだろう。
リッチは空間魔法を無詠唱で使え、しかも自由に空を飛べるという能力を持つ強力なモンスターではあったが、それでも結局のところ魔法使い系のモンスターだ。
距離を取っての魔法の撃ち合いともなれば圧倒的に強いだろう。
あるいは近接戦闘を仕掛けてくる相手との戦いであっても、並の相手であれば無詠唱の空間魔法によって生み出された盾によって防ぐことが出来た。
だが……遠距離攻撃からでも多種多様な攻撃手段を持ち、更には近接攻撃ではその持ち前の身体能力とマジックアイテムによって底上げされた力、そして何より、高レベルの近接攻撃用のスキル。
これらを持ったセトを相手にしては、リッチでは相性としては圧倒的に不利だった。
ましてや、そこにレイもまた戦闘に参加するのだから、リッチにしてみればたまったものではないだろう。
「相性か。……そういう意味でも、レイがいてくれてよかったよ」
大きく……本当に大きく、心の底から息を吐くギルドマスター。
もしレイがいない状態でランクAモンスターであるというリッチが十階にいた場合、どうなっていたか。
ガンダルシア最強の久遠の牙がいれば、あるいは倒せたかもしれない。
だが、もし久遠の牙が倒したとしても、その時は相応の被害を受けただろう。
レイ達のように、無傷で勝利出来るとは到底思えなかった筈だ。
最悪……本当に最悪の場合、何人かが死んだり、冒険者としてやっていくのが難しい怪我をしたりして、最終的にはパーティ解散となっていた可能性もある。
そんな諸々を考えると、ギルドマスターとしては現在ガンダルシアにレイ達がいたことに心から感謝したかった。
(俺のせい……じゃないよな?)
心の底から安堵してるギルドマスターだったが、それとは裏腹に少しだけレイは後ろめたい思いを抱く。
自分がトラブル誘引体質であるのを知っているだけに、もしかしたら自分がガンダルシアに来なければ今回のようなことはなかったのではないか。
そう思ってしまうのだ。
もっとも、レイが実際にそれを口にするようなことはなかったが。
ただ、このまま話が続けば後ろめたい思いをより強く抱いてしまうかもしれないので、レイは鑑定の結果を含めて話を纏める。
「それで、ギルドに売るのだが……魔石はこっちで引き取るのが決定しているけど、他の三つはどうする?」
ローブの残骸、リッチの両腕の骨、杖。
これらはレイが持っていても仕方がない物だ。
ミスティリングがあるので、置き場所に困るといったことや、経年劣化の類については心配しなくてもいい。
だが、ミスティリングの中に入っている物は死蔵されてしまう可能性が高いのも事実。
何よりもこの場でリッチの素材や諸々について鑑定した時、それを誤魔化して安く買い取ろうとしなかったのは、レイにとって好印象だった。
……もっとも、ギルド職員にしてみればギルドマスターの前でそのようなことをすれば最悪首になる可能性もある。
ギルドマスターにとっても、レイを騙すなどということをして一時的な利益を手にしたとしても、それがレイに知られた時に一体どのような報復が待っているか分からない。
リッチを……ランクAモンスターのリッチを無傷で倒すような相手を敵に回すというのは、ギルドマスターにとって自滅以外のなにものでもない。
だからこそ、ギルドマスターにとってここでレイを騙すという選択肢は有り得なかったのだが。
そんなギルド職員とギルドマスターの思いに気が付かないレイとしては、相手の対応が誠実的だということもあって好印象だったのは間違いない。
だからこそ、素材を売って欲しいと言うのなら売っても構わないと思っていた。
そんな、ある種の勘違いをしながらも、双方の交渉は進んでいく。
「まず、さっきも言ったがリッチの骨については、こちらで買い取っても使える錬金術師がいない。……中には使えると言い張る奴もいるかもしれないが、恐らく無理だろう。それどころか、下手をすればリッチが蘇ってしまう可能性すらある」
「リッチは元々アンデッドなんだから、蘇るってのは……いや、まぁ、その件は別にいいか。なら、リッチの骨は俺の方で引き取っておく」
そう言いつつ、レイはこのリッチの骨をどうしようかと考える。
例えば先程少し話題に出たように、ギルムには辺境故の素材を求めて多くの錬金術師が集まってきている。
その錬金術師の中には、レイの使っている黄昏の槍を作ったり、あるいは穢れの一件で有効なマジックアイテムを開発したりといったように、優秀な者も多い。
それだけに、リッチの腕の骨という素材であっても使いこなせる者がいるだろう。
……問題なのは、レイが特定の錬金術師だけにその素材を渡したとなると、その素材を受け取れなかった他の錬金術師達が騒ぐということだろうが。
(それはそれで面倒だし……いっそ、グリムに渡してみてもいいかもしれないな)
レイが倒したリッチと同じく、アンデッドのグリム。
ただし、明らかにレイが倒したリッチよりも格上の存在だった。
最近は対のオーブを使っても連絡を取れないものの、今度連絡をしたら……あるいはいっそ、トレントの森の中央地下にある異世界に繋がる場所に直接行ってみるのもいい。
グリムは地下空間に自分の拠点と繋がるように空間魔法を使っているので、そこにいけば連絡が出来ないということはないだろう。
ギルムの錬金術師とグリム。
そのどちらにリッチの骨を渡すのかは、レイもまだ決めていない。
あるいはそれ以外に何か別の選択肢があるかもしれない。
ともあれ、リッチの骨については問題ないとレイは頷く。
「となると、残るのはローブの残骸と杖だが。どうする?」
レイにしてみれば、ギルドが買い取るのならそれでもいい。
買えないというのなら、ローブの残骸はミスティリングに収納しておき、それこそギルムの錬金術師に渡せばいいとし、杖は猫店長の店に売ってもいい。
そう思ってどうするのかと聞いたのだが……
「買おう」
レイが視線を向けると、ギルドマスターは即座にそう告げる。
「いいのか? 俺が言うのもなんだけど、結構高額になるぞ?」
「構わん。魔石はともかく、リッチの骨は諦めるのだから、それ以外の二つは買い取りたい。ここはガンダルシア、迷宮都市だ。ギルドの資産はかなりのものがある」
なら、リッチの骨も買ったらどうだ?
そう突っ込みたくなるレイだったが、それは言わないでおく。
それを言えば、面倒なことになりそうな気がしたからだ。
金に余裕はあっても、その金を全て使う訳にはいかないのだろうというのはレイにも予想出来たのだから。
「じゃあ、それで頼む。魔石はこのまま持っていくな」
「ああ、……じゃあ、素材についてはこれでいいか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。どうせならまだ見て欲しいのがある」
「レイ?」
ギルドマスターはもうこれで終わりかと思ったのだが、レイの口から出た言葉にまだ何かあるのかと嫌な予感を覚える。
それでもギルドマスターの立場上、レイの言葉を聞き流す訳にもいかないので、気合いを入れ直してレイに視線を向けた。
鑑定の為にやって来たギルド職員も、話の流れから自分もまだこの場にいる必要があるのだと判断し、息を吐く。
そんな二人に対し、レイが取りだしたのは緑の宝石や、緑の宝石が使われたアクセサリが複数。
リッチが十階で行おうとしていた儀式に使う魔法陣に置かれていた物だ。
「これは……」
「リッチの魔法陣から拾ってきた。ちなみにリッチの魔法陣も削って使えなくしておいた。ただ、多分大丈夫だとは思うけど、十階はアンデッドが出る階層だし、中にはリッチ程ではないにしろ魔法が使える個体がいる可能性も高いから、出来るだけ早く対処した方がいい。魔法陣を調べなくてもいいのなら、明日にでも俺が魔法陣を破壊するけど。どうする?」
「……明日、ダンジョンの異変が解決して転移水晶が使えるようになっていたらでいいが、その辺の知識を持つギルド職員を何人か派遣したい。案内と護衛を頼めるか?」
「一応、今日の件もあるし、俺は冒険者育成校の教官なんだが」
「そっちについては、こっちで話を通しておく」
ギルドマスターにしてみれば、今回のダンジョンの異変について少しでも情報が欲しい。
結局今回の一件はリッチが原因だった訳だが、またいつ同じ騒動が起きないとも限らない。
場合によっては、リッチではなくもっと他のモンスターが同じような騒動を起こすといった可能性もあるので、今回の一件の情報については少しでも入手しておきたいというのがギルドマスターの正直な気持ちなのだろう。
「なら……そうだな。まぁ、それでいい。ただ、調査が終わった後はギルドまで送るんじゃなくて、転移水晶までの護衛でいいのならだが」
「まだダンジョンに用件があるのか?」
レイの提案に疑問を抱きつつ、尋ねるギルドマスター。
そんなギルドマスターに対して、レイはあっさりと頷く。
「十一階にちょっと興味があってな。今日ちょっと十一階にも異変がないかどうかを確認する為に降りて見たんだが、興味深いモンスターがいたんだよ。だから攻略をするとまでは言わないが、モンスターを倒したいと思って」
「なるほど。話は分かった。レイには色々と無理を聞いて貰っているし、そのくらいは問題ない」
レイが未知のモンスターの魔石を集める趣味があるというのは、ギルドマスターも知っている。
だからこそ、十一階に行きたいというレイの言葉は、ギルドマスターにも納得出来るものだった。
「なら、そういうことで。……それで、この宝石とかアクセサリとかだが」
「そうだな。鑑定を頼む」
ギルドマスターに促され、ギルド職員は緑の宝石やアクセサリの鑑定を始める。
ギルド職員にとっても、この宝石やアクセサリの鑑定は重要だ。
何しろ、これによってダンジョンに異変が起きたのだから。
それはつまり、最悪の場合はダンジョンが崩壊するなり、スタンピードが起きたりして、迷宮都市そのものが存亡の危機となる可能性があったのだから。
その為、ギルド職員は念入りに宝石を鑑定するのだった。