3753話
結局リッチから剥ぎ取った――正確には残っただけと表現すべきか――素材については、魔石以外はいらないということになった。
リッチの両腕の骨は錬金術の素材として有用かもしれないが、レイが持っていても意味はない。
ただ、素材という意味ではミスティリングに大量に素材が入っているので、ギルドの方で色々と調べた結果必要ないと判断されれば、引き取っても構わない。
また、杖についてもレイは必要ないものの、ミスティリングに収納しておけば特に場所を取ったりもしないし、いつか誰かに渡すといったこともあるかもしれないので、それまで待っても構わない。
魔石は……こちらについては、魔獣術に使うつもりなので、これだけは何としても自分達の物にする必要があった。
もっとも、問題なのはその魔石をセトとデスサイズのどちらが使うかはまだ決まっていないということだったが。
「さて、そんな訳で素材についてはこれでいいとして……」
「グルゥ?」
レイの呟きを聞いたセトは、布をクチバシで咥えて持ってくる。
それはリッチが着ていたローブだ。
「それもあったな。……もっとも、それをローブとして使えるかどうかは微妙だけど」
セトが持ってきたのはローブだったが、より正確に言えばかつてローブだった物と評すべき布きれだ。
レイとセトの攻撃によって、ローブは布きれ……いや、ぼろ布とでも呼ぶべき状態になっている。
レイとしては、何かに使えるとは到底思えない。
思えないのだが、それでもリッチが……グリムには及ばなくても、ダンジョンの力を我が物にしようとしたリッチが使っていたローブだ。
レイはいらないが、ギルドでは欲するのかもしれないと思い、持っていくことにする。
「セト、ありがとな」
「グルゥ!」
レイに褒められたセトは、嬉しそうに喉を鳴らす。
リッチの身体を構成する大部分の骨を砕いて落ち込んでいたのは既に忘れたらしい。
レイも別にその辺については特に責めるつもりはなかったので、ローブの残骸をミスティリングに収納すると、セトを褒める意味もあって撫でる。
そうしてリッチの素材と思しき諸々を回収すると、地上に戻ることにしたのだが……
「セト、やっぱり駄目か?」
「グルゥ!」
十階にある転移水晶を使ってもいいのでは? というレイの言葉に、セトは駄目! と喉を鳴らす。
リッチを倒したことによって、ダンジョンの異変は解決したかもしれない。
だが、それはあくまでもかもしれないであって、確実ではないのだ。
五階の件でもセトはレイを心配したのだ。
それが異変の原点とも言うべきこの十階の転移水晶は、到底使わせられない。
レイもセトがしっかり駄目と言うと、それ以上は無理を言えない
セトが自分を心配してこのような態度を取っているのは、十分に理解しているからだ。
「分かったよ。けど……じゃあ、その代わり、五階の転移水晶ならいいだろう? 一度試してみたんだし」
妥協として口にしたレイの言葉に、セトは少し考えてから渋々といった様子で喉を鳴らす。
「グルゥ」
それは、レイの提案を受け入れるというもの。
もし五階の転移水晶も駄目だと言えば、それこそレイはこの十階にある転移水晶を使いかねなかった。
そうならないようにするには、セトもまた五階の転移水晶で妥協するしかなかった。
決め手は、やはり実際にレイが五階の転移水晶を一度使っていることだろう。
その時は何の問題もなく転移水晶が使えたので、それを思えば今回も無事に使える筈だった。
ダンジョン異変の原因である、リッチは倒したのだから。
また、儀式を行っていたリッチを倒しただけではなく、リッチが儀式に使っていた魔法陣もレイが使えなくしてあるのも大きい。
そんな訳で、セトはレイの言葉に頷き……渋々だが、五階の転移水晶を使うことを了承したのだった。
「うおっ! ……レイか。あまり驚かせないでくれ。それで、何でまた転移水晶から戻ってきたんだ?」
ダンジョンの前にある転移水晶に転移してきたレイを見て、ギルド職員……それも冒険者が勝手に転移水晶を使えないように、元冒険者の荒事にも対応可能なギルド職員が、転移水晶を使って戻ってきたレイを見て、そう声を掛ける。
元冒険者だけあって、最初に転移水晶を使った時には驚いたものの、二度目となるとそこまで驚いた様子はなかった。
「ちょっとアニタに緊急の要件があってな」
ダンジョンの異変が解決したということは、まだ言わない方がいいだろう。
そう判断したレイの言葉に、ギルド職員も何かを感じたのか、それ以上の追求はしないで頷くだけだ。
「分かった。元々俺は転移水晶を使わないようにさせる為にここにいるんだ」
それだけを言い、ギルド職員はそれ以上は何も言わずに自分の仕事……他の者が転移水晶を使わない為に見張りに戻る。
なお、転移水晶の周囲……正確にはダンジョンの前にはそれなりに冒険者がいて、ギルドが使うのを禁止している転移水晶からやって来たレイに視線を向けている者も多かった。
単純な好奇心から、何故自分達は駄目なのにレイは転移水晶を使ってもいいのかという嫉妬の視線、もしくはセトがいるのでセトと遊びたいといった視線や、他にも様々な視線を向けている者達がいる。
そんな視線が向けられているのはレイも理解しているが、レイはそれをスルーしてギルドに向かう。
ここで迂闊に話をしたりしたら、間違いなく面倒なことになるのは分かりきっていたからだ。
そうしてレイはセトをいつものようにギルドの前で待たせていて、ギルドの中に入ったのだが……
(随分と人が少なくなったな。時間的に仕方がないか)
レイがダンジョンに潜っていたのはそれなりに長い。
その為、既に昼をすぎ、午後になっていた。
普段からこの時間はギルドに人はいないのだが、今日はそれにも増して人の数は少なかった。
転移水晶が使えない以上、今日はダンジョンに潜るのを止めて酒場で飲んでいたり、あるいは少しでもダンジョンについての情報を欲してギルドに集まっていたり……といったことを考えていたのだが、そのようなことはなかったらしい。
勿論、ギルドに誰もいないという訳ではない。
情報を求めてギルドにいるのだろうと思しき冒険者も何人かいる。
(あ、今朝転移してきた連中もいなくなってるな)
朝、レイがギルドマスターと話を終えてギルドから出ようとした時、疲れからか、それとも誰か来るのを待っているのか、あるいはそれ以外の何らかの理由かはともかく、まだギルドには転移してきた者達がそれなりに残っていた。
そのような者達もさすがに午後ともなれば既にいなくなっていた。
そんな人の少ないギルドだけに、カウンターの向こう側にいる受付嬢達もすぐにレイの姿に気が付き……
「レイさん、どうかしたんですか!?」
ガンダルシアのギルドにおいて、レイの担当となっているアニタがレイにそう声を掛ける。
時間が時間だし、そもそも今日はダンジョンに挑んでいるという者も少ないので、昨日レイが来た時のようにカウンターに並んでいる者はいない。
その為、レイはすぐアニタに用件を告げる。
「至急、ギルドマスターに会いたい」
「分かりました、ギルドマスターに知らせてきますので、少々お待ち下さい」
これが普通の冒険者であれば、もしギルドマスターに会いたいと言っても、そう簡単に会えたりはしない。
これがレイが異名持ちのランクA冒険者であり、ギルドからダンジョンの異変について解決して欲しいと頼まれているからこその対応だった。
その言葉通り、アニタはすぐにカウンターの奥に向かう。
上司と思しき相手と二言三言言葉を交わすと、すぐ更に奥にある階段……ギルドマスターの執務室に繋がる階段を上がっていった。
それを見送ったレイは、特に何をするでもなくカウンターの前で待つ。
すると、当然ながらそんなレイは目立つ訳で……特にギルドにダンジョンの異変についての情報を少しでも早く知る為に残っていた冒険者達は、何とかしてレイからその辺りの情報を聞けないかと考える。
しかし、当然ながら皆が同じことを考える訳で……お互いが相手を牽制している間に、アニタが戻ってきてしまう。
「レイさん、ギルドマスターがお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
そう言うアニタの言葉に、牽制をしていた冒険者達は出遅れたとがっかりするのだった。
「よく戻ってきてくれた、レイ。それで? 会いたいということは何か進展があったと思ってもいいのか?」
ギルドマスターの執務室で、レイはソファに座り、アニタが用意した紅茶を一口飲んでから口を開く。
「ああ、進展はあった。……というか、正確には異変を起こしていた黒幕を倒して解決してきた」
「……は?」
一瞬、レイの言葉が理解出来ない。あるいは聞き間違ったのではないかと、そんな表情を浮かべるギルドマスター。
だが、レイはそんなギルドマスターの様子に気が付きつつも、紅茶を楽しむ。
何だかんだと、レイにとっても今回の一件は色々と大変だった。
それだけ疲れた結果なのだから、ギルドマスターにも少しは驚いて欲しいと、そのように思ったのだろう。
「もう一度聞かせてくれ。ダンジョンの異変を解決したと、そう言ったのか?」
「ああ、その通りだ。元々それを俺に希望してきたんだろう?」
「いや、それはそうだが……」
ギルドマスターにしてみれば、ダンジョン全体に関係する異変だ。
正確には異変があったのは十階だけだったが、その異変がダンジョン全体に広がらないとも限らない。
その為、最悪の場合はダンジョンを閉鎖する必要すらあった。
今日は取りあえず転移水晶だけを使わせないようにしてダンジョンは開放しているものの、もしダンジョンが閉鎖されたら、ガンダルシアの経済そのものに影響が出てくる。
そういう意味で、密かに胃が痛くなっていたのだが……その日のうちにこうしてレイがダンジョンの異変を解決したと言ってきたのだから、それに驚くなという方が無理だった。
「えっと……その、取りあえず詳しく事情を聞かせてくれ」
そう言うギルドマスターに頷き、レイはリッチに関係する出来事を話す。
二十分程で話が終わると、聞き終わったギルドマスターは大きく息を吐く。
「そんなことがあるのか……まさか、リッチがそんな儀式を行うなど……」
「驚くのは分かるけど、実際にあったことだしな。……ああ、これが一応証拠だ」
そう言い、レイはテーブルの上にリッチの魔石と両腕の骨、杖、ローブの残骸を置く。
ギルドマスターは、いきなり目の前に現れたそれらを見て頬を引き攣らせる。
「これは……リッチの?」
「そうなる。本来なら頭蓋骨とかでも持ってくればよかったんだろうけど、セトの一撃で完全に砕いてしまったんだよな」
剛力の腕輪というマジックアイテムと、上空からの落下速度、グリフォンという高ランクモンスターの身体能力、そしてレベル七のパワークラッシュ。
これらが合わさった一撃によって、リッチの頭蓋骨は完全に砕けたのだ。
……寧ろ、それらが合わさった結果として、両腕の骨が残ったのすら幸運だったのだろう。
魔石が残ったのは、魔石の位置を考えるとそれ以上の幸運だったのだろうが。
「いや、その、それは……はぁ、まぁ、いい。念の為に鑑定させて貰って構わないか?」
「頼む。……ちなみに魔石はこっちで貰うけど、骨と杖とローブの残骸はどうする? ギルドの方で買い取らないなら、俺が引き取るが。特に両腕の骨は、素材として使えるかどうかは分からないけど」
「……少し相談させてくれ」
ギルドにとっても、レイが提示してきたリッチの素材は非常に欲しい。
欲しいのだが、本当に素材として使えるかどうか分からないと言われると、ギルドマスターも即決は出来ない。
また、杖はともかくローブの残骸も、何らかの使い物になるのかどうか不明だった。
その辺りについては鑑定をした結果、どうするべきかを考える必要がある。
「それで構わない。ただ、さっきも言ったけど、リッチの魔石はこっちで引き取る」
「……仕方がないか」
ギルドとしては、素材として使えるかどうか分からない物よりも、魔石の方が圧倒的に価値が高い。
それもその辺のモンスターの魔石ではなく、高ランクモンスターのリッチの魔石だ。
それだけに、出来ればギルドで買い取りたかったが、倒したレイが魔石は売らないと言ってるのだから、無理強いは出来ない。
何よりガンダルシアまで流れてきた深紅の噂の中には、魔石を集めるのが趣味というものもある。
その噂を知っていれば、レイが魔石を売るとはギルドマスターにも思えなかったのだろう。
もっとも、もし以前にリッチの魔石を二つ入手し、魔獣術に使った後であれば、レイも売ったかもしれないのだが。
ギルドマスターはそんなことは分からず、鑑定を出来る者を呼ぶのだった。