3751話
リッチが杖の先端を自分に向けたことに、レイは特に驚かない。
グリムのような例外はともかく、普通のリッチが友好的に自分と接するとは元から思っていなかったのだから。
話をしている時はそれなりに友好的に思わないでもなかったが、それは本当の意味での友好ではなく、無知な相手に自分の知識を、そして行動を自慢するといったようなものでしかない。
後は、リッチの自分を相手に恐れた様子がないのを珍しく思ったのか。
そういう意味では、寧ろ珍しい動物を前にしていたからこその態度というのが正しいだろう。
だが、そのような時間も終わり、リッチにしてみれば最後にレイの生命力を貰おうと考えたのだろう。
(空間魔法か)
そんなリッチとは裏腹に、レイはリッチが取り出した杖に視線を向ける。
杖がどこからともなく現れたことに、レイのようにミスティリングの類を持っているのかもしれないと一瞬思ったのだが、この小屋の中が外から見たのとは全く違う広さを持っているのを思えば、このリッチが空間魔法の使い手なのは間違いなかった。
レイにとって意外だったのは、リッチが特に呪文を唱えることなく杖をどこからともなく取り出したことだろう。
レイも魔法を使うが、無詠唱で魔法を使うことは出来ない。
出来るとすれば、精々が呪文を縮めることくらいか。
だが、当然ながら呪文の詠唱を縮めればその分だけ魔法の威力も下がる。
レイもまた、日本では漫画やアニメ、ゲームを楽しんだ身だ。
自分が炎の魔法に特化していると知ってから、何度か無詠唱で魔法を使おうとしたものの、一度も成功せずに諦めた経験がある。
そういう意味では、無詠唱で魔法を使ったのは凄いと素直に思う。
……マジックアイテムの可能性もあるのだが、空間魔法で小屋の中が広くなっているのを見ているので、無詠唱の魔法と認識したのだろう。
今度練習してみよう。
そう思いながら、レイはデスサイズと黄昏の槍を手に、リッチを見る。
『ほう』
そんなレイに、感心と興味を抱いたような声を上げるリッチ。
自分が杖を手に攻撃しようとしているのに、降伏するでも、逃げるでも、ましてや泣き喚くでもなく……こうして戦おうとするとは思わなかったのだろう。
あるいは、レイの持つデスサイズや黄昏の槍、ドラゴンローブを見て、そのマジックアイテムが非常に高品質な物だと判断しての行動か。
「生憎と、お前にその魔法陣を使った儀式をさせる訳にはいかなくてな。殺させて貰う」
リッチはアンデッドなので、殺すという表現は相応しくなく、正しくは消滅だろう。
それはレイも分かっていたが、今はとにかく目の前にいるリッチを倒すのを優先する必要があると、そう考えて今のように殺すという言葉を口にしたのだ。
『ふぉふぉふぉ……ははは、儂を、この儂を殺すと? お主も面白い奴ではあるが……』
いかにも面白いといった様子で笑い声を周囲に響かせていたリッチだったが、やがて唐突にその笑い声を止めると、低く、聞いている者の背筋を冷たくするような声で続ける。
『儂を相手に、そのようなことが出来ると思っているのか!』
その言葉と共に振るわれる杖。
レイはそれを見た瞬間に、その場から跳躍する。
杖を取り出したことで、このリッチはある程度の空間魔法を無詠唱で使うことが出来るのだろうと予想しての行動であり……その判断は正しかった。
一瞬前までレイのいた地面が、突然何かによって押し潰されたかのよう沈んだのだ。
あるいは見えない何かがめり込んだといった表現の方が正しいのかもしれないが。
レイは横目でそんな行動をみつつ、まずはリッチを移動させる……吹き飛ばすことを優先する。
ここにはレイが一人だけだが、この小屋から吹き飛ばせば……そう思ったところで自分のミスに気が付き、叫ぶ。
「セト!」
セトの名前を呼んだ瞬間、扉を突き破ってセトが小屋の中に入ってくる。
そう、レイがセトを小屋の外で待たせていたのは、小屋が外見通りの広さであった場合、四m近くなった今のセトが自由に動けるとは思っていなかったからだ。
だが、実際にはこの小屋の中はリッチの空間魔法によってかなりの広さを持つ。
……それでもセトが存分に暴れるには狭いのだが、それでもセトが戦えない訳ではない。
レイが破壊した扉の周囲の壁すらも破壊しながら、セトが小屋の中に入ってくる。
いや、それは入ってくるのではなく、突撃してきたという表現の方が正しいだろう。
『何じゃとっ!?』
そんなセトの存在はリッチにとっても予想外だったのか、そんな驚きの声が漏れる。
「注意不足だな! 飛斬!」
自分もセトを呼ぶのを忘れていたレイだったが、挑発しながら飛斬を放つ。
それだけではなく、放たれた斬撃を追うようにして黄昏の槍を投擲する。
レイの攻撃に対し、反射的に杖を向けるリッチ。
何らかの空間魔法を使ったのだろう。
飛斬はレイとリッチの中間付近で止まってそのまま消滅し、黄昏の槍もそこから更に数mリッチに向かったものの、動きを止める。
普通のモンスターなら、どちらかの攻撃が命中しただけでも死んだり、どんなに幸運であっても重傷を負っただろう。
レイが放った攻撃は、飛斬も黄昏の槍の投擲も、どちらもそれだけの威力があったのは間違いない。
だが、そのような攻撃をリッチは防いだのだ。
それだけでも強敵と呼ぶに相応しい存在なのは間違いなかった。
しかし……それを見ても、レイは特に悔しそうな様子はない。
黄昏の槍を手元に戻しながら、リッチに向けて言う。
「セト……グリフォンだが、どこに行ったと思う?」
『ぬ?』
攻撃を防がれたにも関わらず、全く動揺した様子がなく、そのようなことを言ってくるレイ。
そんなレイの言葉にリッチはレイに対する警戒を解く様子はないものの、周囲の様子を確認する。
だが……いない。
リッチは一瞬、先程自分が見たのは幻影か何かだったのか? と思わないでもなかったが、扉のあった場所が壊れているのを見て、すぐにそれを否定する。
『どこに……』
「やれ、セト。薙ぎ払え!」
リッチの言葉を遮るようにレイが叫ぶと、次の瞬間、セトは空中に浮かんでいるリッチの真下……地面の中から姿を現す。
セトの持つスキル、地中潜行のスキルだ。
これにはリッチも予想外だったらしく、驚愕に目を見開きながら……それでも空間魔法を使って盾を作る辺り、腕利きの証だろう。
普通に考えれば、グリフォンのセトが地中に潜るなどというスキルを使える筈はないのだから。
だが……セトにしてみれば、これですらも予想通りの行動。
「グルルルルルルゥ!」
リッチに向け……いや、正確にはリッチが空間魔法で作った盾に向けて、パワークラッシュのスキルを使うセト。
その一撃は空間魔法によって生み出された盾を容易に破壊し、リッチを吹き飛ばす。……レイやセトが破壊した扉のあった場所から、外に向けて。
そう、レイが狙っていたのはこれだ。
特にセトと打ち合わせをした訳ではない。
レイがやったのは、セトをこの部屋の中に呼び、そしてリッチに飛斬と黄昏の槍の投擲で攻撃をしただけ。
だが、それはセトにとっても十分な……十分すぎる程の指示となっていた。
この辺り、レイとセトがしっかりとお互いを理解しているからこそ出来たことだろう。
「セト、暫く外で奴の相手を頼む! 殺せるなら殺しても構わない!」
「グルルルゥ!」
レイの指示に、セトは返事の代わりにアイスアローを使う。
セトの周囲に浮かんだ八十本の氷の矢が、レイとセトの攻撃によって大きく損傷している壁を更に破壊しながら外に向かって放たれる。
そして氷の矢を追うようにセトも外に飛び出していく。
それを見送ったレイは、魔法陣に視線を向ける。
リッチを外に吹き飛ばしたのは、この魔法陣に対処する為だった。
とはいえ、レイがやるのは単純だ。
魔法陣の上に複数ある緑の宝石やアクセサリの類を全てミスティリングに収納する。
魔法陣の上からそれらがなくなった瞬間、魔法陣の明滅が収まる。
これでいいのかと思いつつ、念の為にレイはデスサイズで魔法陣の一部を削り取った。
これによって魔法陣は当初の目的を果たすことができなくなるだろうというのがレイの予想だった。
(暴走とかしないといいけど)
それが少し心配だったが、魔法陣が起動した状態のまま置いておくのも明らかに不味い。
結果としてレイが選んだのが、魔法陣の破壊だった。
不幸中の幸いと言うべきか、破壊とはいえレイが行ったのは魔法陣の一部を削った程度で、魔法陣の全体を確認することは出来る。
もしリッチを倒した後で、ギルド職員が……それ以外にも研究者の類が来ることがあっても、魔法陣の詳細を調べるのは難しくはないだろう。
「それにしても……」
小屋の外に視線を向けたレイは、歩み出そうとして一瞬だけ先程の短い戦闘を思い浮かべる。
セトが地中潜行を使ってリッチの意表を突いたのだが、ダンジョンの地中にも潜れるとなると、もしかしたら地中を潜って下の階層にも行けるのでは? と思ったのだ。
今はまだ地中潜行のレベルが三で地下四mまでしか潜れないが、四mも潜れるのなら、もしかしたら……あるいは、四mで無理でもレベルが上がればいずれは……と、そうレイは思う。
「今はそれよりも外の状況だな。どうなっている?」
そう呟き、レイは小屋の中から外に駆け出す。
「うわぁ……」
セトがリッチを吹き飛ばし、それを追って小屋から出てからレイが魔法陣の処理を終えて飛び出すまで、一分掛かったかどうか。
つまり、セトとリッチが戦った時間は一分かそこらだったのが……周囲は凍り付き、燃え、水晶で覆われ、地面にはクレーターのような穴が空き、周囲にあった墓は破壊され……と、まさに激闘と呼ぶに相応しい状況になっていた。
レイはすぐに我に返ると、セトとリッチの姿を捉える。
捜すまでもなく、激しくぶつかり合っている音が周囲に響いていたのだ。
そしてレイにとっては予想外なことに……いや、ある意味では予想出来たことでもあるが、その戦闘はリッチが防戦一方になっていた。
(無理もないか)
空間魔法を無詠唱で使うという、レイから見ても驚くべき能力を持っているリッチではあったが、そんなリッチであってもモンスターとしてのランクではセトに叶わない。
もっとも、リッチはグリムの例もあるように個々で能力が大きく違うので、場合によってはセトと互角に、もしくは有利に戦うことも出来るのかもしれないが。
そういう意味では、レイの視線の先で空間魔法による盾で何とかセトの攻撃を防いでいるものの、それでも完全には防ぎきれずに吹き飛ばされるリッチはセトと相性が悪かったのだろう。
(まぁ、このダンジョンの十階で、まさか俺やセトのような腕利きと遭遇するとは思っていなかったのかもしれないが)
実際のところ、レイはリッチがどのくらい調べてこのダンジョンを儀式の場として選んだのかは分からない。
ただ、ミレアーナ王国の保護国という地位である以上、基本的にそこまで腕利きの冒険者はいない。
そういう意味では儀式の場として、このガンダルシアのダンジョンは決して悪くなかっただろう。
だが……リッチにとって不運だったのは、レイがいたこと。
もしレイがいなければ、恐らく儀式は成功していた筈だ。
久遠の牙という、ガンダルシアの中でも最強のパーティがいても、空間魔法を無詠唱で使えるこのリッチに対抗出来たどうかは微妙なところだというのがレイの予想だったのだから。
ただ、レイは久遠の牙の実力を自分の目で実際に見たことはない。
レイが見たことがあるのは、久遠の牙の中でもいつの間にかセト好きになっていたエミリーくらいなのだから。
しかし、そんなエミリーをレイが見たところ、それなりの強さでしかないように思えた。
久遠の牙の中にはエミリーよりも強い者もいるかもしれないが……それでもリッチの相手は難しいだろうと思う。
「外に吹き飛ばされた時点で終わりだったな。……とはいえ、このままセトに任せておく訳にもいかないか」
ウィンドアローによって大量に放たれた風の矢。
それをリッチは空を飛びつつ回避し、どうしても命中するのだけは無詠唱の空間魔法によって生み出された盾で防ぐ。
セトの身体を使った一撃は防ぐのが難しくても、ウィンドアローであれば十分に防げるらしい。
だが……そうして油断したところで、翼を羽ばたかせたセトが間近まで迫り、不意に不自然な軌道でリッチに近付く。
何をしたのかは、レイにも何となく分かった。
空間魔法による攻撃を回避したのだろう。
リッチがセトに意識が集中しているのを見たレイは、少しの助走の後で跳躍し、空気をスレイプニルの靴で踏んでリッチとの距離を詰めるのだった。