3750話
警戒しながら小屋の前に到着したレイとセト。
しかし、ここまで……それこそ小屋のすぐ前までやって来ても、レイには特に何かがあるようには思えない。
それでも警戒したままなのは、レイの隣にいるセトが警戒した様子を見せていた為だ。
「……セトはここで待っていてくれ」
「グルゥ……」
レイの言葉にセトは残念そうにしながらも頷く。
何故セトが素直にレイの言葉に頷いたかは、単純な理由だった。
セトが何かあると判断した小屋は、あくまでも普通の小屋で、扉も相応に小さい。
サイズ変更のスキルを使えばセトも入れるかもしれないが、中に入っても小屋の大きさを考えると、セトはまともに身動きが出来なくなってしまうのは明らかだった。
(とはいえ……ダンジョンに異変を起こす何かだ。そう考えれば、こんな小さい小屋でどうこう出来るとは思わないけど)
そんな疑問を抱くレイだったが、それでもやはりそのように思えてしまう。
「セト、これはここに置いていくからな」
そう言い、レイは手にしていた悪臭用のマジックアイテムを地面に置く。
セトに咥えさせるといった手段もあったのだが、そうした場合、もしかしたらセトが咥えていて悪臭用のマジックアイテムを飲み込んでしまう可能性があった。
恐らくは大丈夫だろうとは思うのだが、それでも万が一を考えると警戒する必要があるのも事実。
……もっとも、グリフォンのセトだ。もし悪臭用のマジックアイテムを飲み込んだとしても、恐らく特に何も問題はないだろうとレイにも思えるのだが、それでも万が一を考えてのことだった。
「グルゥ」
セトもレイの言葉に素直に返事をする。
……そうしながらも、小屋に向ける警戒の視線は外さない。
セトの様子に、レイはしっかりと警戒しながらも小屋の扉の前に立つ。
(さて……鬼が出るか蛇が出るか。まぁ、出てくるのは恐らくアンデッドだろうけど)
そんな風に思いながら、扉を蹴破る。
小屋の中に向かって吹き飛ぶ扉。
木で出来た扉だったが、レイの力があれば容易に蹴り壊すことが出来たらしい。
一瞬だけそのことを意外に思ったレイだったが、今はまず小屋の中に入るのを優先する必要があった。
デスサイズを手に、小屋の中に入り……
「って、マジか」
小屋の中は外見とは明らかに違う広さがあった。
外からみれば、それこそ三畳程度の広さしかない程度だったのだが、中は十二畳程の広さがある。
空間魔法? と思いつつ、レイは黄昏の槍をミスティリングから取り出す。
外から見た限りでは、それこそデスサイズを振るうのも大変なように思える程度の広さしかないように思えたが、これだけの広さがあればデスサイズだけではなく黄昏の槍も普通に振るえる。
「結界か何かか?」
続けてそうレイが呟いたのは、小屋の中に入った瞬間から、敵の存在に気が付いた為だ。
そう、それは明らかに敵と呼ぶべき存在。
部屋の中央にいるのは、ゴースト……ではなく、その上位……それも一つや二つ上のランクではなく、明らかにかなり上の強力なモンスターなのは間違いなかった。
(リッチ……か?)
そうレイが思ったのは、レイの師匠ということになっているグリムと同じような雰囲気を感じた為だ。
ただし、同じような雰囲気であっても存在の格という意味では明らかに視線の先にいるリッチと思しき存在はグリムの足下に届くかどうかといった程度だったが。
それでも、本来ならダンジョンの十階にいる程度のモンスターではない。
『ふむ……見つかるとは思わなかったな』
リッチは何らかの作業を中断し、レイを見てそう言う。
リッチが話すことそのものは、レイもそこまで驚くようなことはない。
そもそも同じリッチ……いや、明らかにグリムの方が格上である以上、恐らくはリッチよりも上位のモンスターなのだろうと今は確信しているものの、ともあれそのグリムも普通に話していたのだ。
他にも魔の森で遭遇したヴァンパイアも言葉を話していたのを考えると、こうして言葉を話すモンスターがいるのは珍しいかもしれないが、皆無という訳ではない。
(それに、話が出来るということは意思疎通が出来るということでもある。なら、何らかの手掛かりを得られるかもしれない)
そんな期待を抱きつつ、レイは口を開く。
「確かに、この小屋の中にこんな空間が広がっているとは思わなかった」
『ほう?』
何故かレイが言葉を返しただけで、感心した様子を見せるリッチ。
「どうした?」
『ふむ……儂を前にして、それでもこうして普通に喋ることが出来る者がいるとはな』
それはいるだろ。
そう突っ込みたくなったレイだったが、そうすれば相手の機嫌を損ねて情報を引き出すのも難しくなる。
またレイ本人は全く気が付いた様子はなかったものの、このリッチの身体からはアンデッドの属性が付加された濃密な魔力……それこそ死の魔力と呼ぶべき魔力が放たれていた。
もし十階を中心に活動しているような冒険者がこのリッチを前にした場合、身動きが出来なくなってもおかしくはないだろう。
だが、そのような魔力も莫大な魔力を持つレイにとっては全く関係ない……せいぜいがそよ風のようなものでしかない。
リッチはレイが魔力を隠蔽する為に嵌めている新月の指輪についても気が付いていないのか、あるいは気が付いているものの、気にしていないだけなのか。
ともあれ、自分の魔力に意に介していないレイに興味深げな視線を向ける。
……実際にはリッチで目はないので、そのような雰囲気を持ったというのが正しいのだが。
「こう見えて、それなりに経験してきているからな。……それで、少し聞きたいことがあるんだが、いいか?」
『ふぁふぁふぁ。儂に聞きたいことがあると? 面白い。答えるかどうかは分からんが、話してみるといい』
レイの言葉や態度が気に入ったのか、上機嫌な様子でそうレイに言う。
このリッチにしてみれば、多くの者が自分の前に立った瞬間には戦う気力をなくする。
そんな中でレイの態度は珍しく、それで上機嫌になったのだろう。
……もっとも、その上機嫌さの理由はお手しか教えていないのに三回回ってワンと鳴いたのを見たような、明らかに自分よりも格下の存在に向けての好意だったが。
レイも、自分を可愛がってくれているグリムのことをよく知っているからこそ、目の前のリッチがグリムとは違う……ただの気紛れで自分と話をしているのだというのは理解出来た。
レイにしてみれば、情報を手に入れるのが最優先なので、それでも構わなかったが。
……いや、自分を侮っているのなら、それこそ本来なら話さない情報も話すのではないかという期待すらそこにはある。
「実は昨日からこの十階に異変があって。具体的には昨日この十階にある転移水晶で地上に出た筈が、何故か今朝早くに地上に出たんだよ。その為に現在このダンジョンでは転移水晶を使えなくなっている。それに……現在、何故かこの十階ではスケルトン、ゾンビ、ゴーストといった弱いアンデッドしかいない。これも一連の異変について関係があると思うんだが」
『ほう、なるほど。……いいだろう。この魔法陣を見よ』
自慢げに、リッチは空中を滑るようにして移動すると、その後ろには結構な大きさの魔法陣があった。
それも魔法陣を構成している部位が光ったり消えたりしている。
そして……何よりもレイの目を奪ったのは、魔法陣の何ヶ所かに置かれている宝石や指輪、ネックレス、腕輪といった諸々。
それらに共通してるのは、一つ。
その全てに緑の宝石が嵌まっていることだった。
そしてレイは自分のミスティリングに収納されているネックレスを思い浮かべる。
洞窟の階層で入手した、緑の宝石が嵌まったネックレス。
(おい、もしかして……それに……)
魔法陣の一部、そこには明らかに何かを置く為のスペースと思しき場所があった
それはレイの予想が正しければ、恐らくレイが入手したネックレスが嵌まるのではないかと予想出来る。……出来てしまう。
(マジか)
レイは自分の予想が正しかった場合、一体何がどうなってあの洞窟にネックスレスが落ちていたのかと疑問に思う。
レイが見つけた冒険者達の死体。
あの死体からそう離れていない場所にあったことを思えば、もしかしたらあの冒険者達がどうにかしてあのネックレスを奪い、あそこまで逃げたもののモンスターに不意を突かれて攻撃され、結果として死んだのではないか。
あるいは不意を突かれたのは、目の前のリッチに何らかの攻撃をされたからではないか。
そのように予想出来るも、それはあくまでも予想でしかない。
実際にはあの冒険者達の死体とネックレスは全く関係がなかったり、そもそもネックレスそのものがこのリッチの魔法陣と何ら関係のないものという可能性もある。
本当に僅かな可能性ではあったが。
『ふむ、どうした? ……ああ、なるほど。その魔法陣の不自然なところに気が付いたか』
リッチはレイの視線の先を見て、何かを置かれるように空いている場所を確認すると、そう言う。
微かに……だが、確実に不機嫌そうな雰囲気のリッチ。
しくじったか?
そう思うレイだったが、今の状況ではもうどうしようもないのは事実。
自分のミスティリングの中にネックレスがあるのを気が付かれないようにと願いながら、口を開く。
「ああ、なんだか妙に不自然な感じだから」
『うむ。実は本来ならこの儀式はもっと派手な結果になる筈だったのだが……要の一つがどこぞの野良犬に盗まれてしまってな。……お主は知らんか?』
この場合の野良犬というのは、冒険者のことだろう。
それでもこうしてレイに聞くということは、ネックレス――と思しき存在――を盗んだ冒険者の姿はその目で見ていると考えてもいい。
そのことに安堵しながら、レイは首を横に振る。
「いや、知らないな。……それで儀式と言っていたけど……いや、その前にこれを聞いた方がいいか。この十階にやってきて疑問に思ったんだが、スケルトン、ゾンビ、ゴーストといった弱いアンデッドしか出て来ないんだが、それは儀式とかやらが関係してるのか?」
それは、レイが今日この十階に到着してから……いや、昨日の時点で疑問に思っていたことだった。
十階という、現在攻略されている中でも半分以上の階層において、出てくるのがスケルトン、ゾンビ、ゴーストといった弱いアンデッドのみなのは、明らかに異常だった。
その理由が、リッチの行っている儀式に関係してるのではないか。
そう思っての問いだったが……
『ふぉふぉふぉ。よく分かったのう。お主の言う通り、この魔法陣の効果によってこの階層にいるアンデッドで一定以上の魔力を持つ存在は贄としておる』
贄と、そう言うリッチの言葉に、レイは納得する。
それはつまり、リッチが行おうとしている儀式の魔力として……つまり、燃料として使われているのだろう。つまり、生け贄だ。
それ自体は、レイも特に異論はない。
魔獣術的に未知のモンスター……アンデッドの魔石を使えないのは痛いものの、そもそもレイはセトと共に悪臭や腐臭を嫌い、少しでも早く十一階に向かおうとしていたのだ。
それはつまり、十階に未知のモンスターがいても、レイやセトが戦う機会は少ないことを意味している。
転移水晶から十一階に続く階段を下りるまでの距離でそのアンデッドが現れたのならともかく、そのような可能性は皆無ではないものの、かなり低いだろう。
だからこそ、リッチの行動に対して特に不満はない。
しかし、それはあくまでも十階のアンデッドを贄としている点についてだけであって、ダンジョンの十階に起こっている異変についても不満はないかと言えば、それは否だ。
「アンデッドを生け贄にしているのは分かった。じゃあ、これが本題なんだが……その魔法陣を使って行う儀式というのは、一体何なんだ?」
『このダンジョンの力を儂のものとする儀式じゃよ』
あっさりと答えるリッチ。
正直なところ、これはレイにとっても意外だった。
勿論、その意外というのはダンジョンの力をリッチが自分のものにしようとしている……といったものではなく、リッチがこうもあっさりと自分の狙いを教えたことだが。
「驚いたな。こうもあっさりと目的を話すとは」
『ここにやって来たお主のことじゃ。儂が何をしようとしてるのかは何となく想像出来たじゃろう? ならば、わざわざ隠す必要はない』
そう言うリッチだったが、実際にはレイは具体的にリッチが何を狙っていたのかまでは分かっていなかった。
もっとも、それを言う必要はないと思っていたので、口にする気はなかったが。
『それに……お主もそれなりの強さを持つのじゃろう? 魔力はないようじゃが、その代わりに生命力を貰うとしよう』
そう言い、リッチはどこからともなく杖を取り出し、その杖をレイに向けるのだった。