3745話
「到着だな」
オークの肉を確保しつつ森の中を進んでいたレイ達は、やがて目的の場所……転移水晶のある場所に到着する。
周囲には他にオークの姿もなく、当然ながらレイ達以外の冒険者の姿もない。
あるいはレイ達がオークを狩っている間に追い抜いた者もいるかもしれないとは思っていたのだが、特にそのようなことはなかった。
もっとも、レイ達は転移水晶のある場所を目指していたが、レイ達の後から来た者達が転移水晶に寄らず、真っ直ぐ六階に続く階段に向かっていれば、遭遇しなくてもおかしくはなかったが。
(もし俺達を追い抜いたとすれば、砂漠で追い越した連中か?)
歩きにくい砂漠のことを考えれば、まだ五階に到着しているとは思えない。
思えないのだが、しかしそれを考えた上でも冒険者というのは時には予想以上の力を発揮する。
レイもまた冒険者だけに、その辺りの事情については十分に理解していた。
……もっとも、他の冒険者にしてみればレイと自分達を一緒にするなと力一杯主張してもおかしくはなかったが。
(まぁ、それならそれで構わない。セトの移動速度を考えれば、すぐにでも追い越すことが出来るんだし)
レイは取りあえず自分達を追い越していった者達がいるかどうかは気にしないことにして、視線の先にある転移水晶の調査を開始する。
「見た感じは……特に何も異常はないな。いやまぁ、俺もここまでじっくり転移水晶を見たことがある訳じゃないから、多少の違いはあっても分からないけど」
それでも何か目立った異変があれば、レイもそれに気が付いただろう。
しかしそれに気が付かない。
つまり異変はないか、あるいは異変があってもそれは気にするようなこともない些細なものということになる。
(問題なのは、その些細な異変が始まりで、時間が経ったら本格的に異変が進行する……ということになった時だが。まぁ、その件については俺がどうこうするよりも、ギルドに任せればいいか。何かあったら、もっと専門知識を持っている者を派遣するだろうし。後の問題は……使えるかどうか、か)
そう考えると、レイはじっと転移水晶を見る。
この転移水晶が使えるか使えないか。
それはガンダルシアの冒険者にとって非常に大きな意味を持つ。
また、それだけではなくレイが今からダンジョンの探索をする上でも意味を持つのは間違いなかった。
もし十階を探索して何かを見つけたとしても、だからといってさすがにレイも十階の転移水晶を使おうとは思わない。
しかし、五階ならどうか。
こうして見た限りでは、転移水晶に特に何か異常があるようには思えなかった。
であれば、実際にこの転移水晶を使ってみて、それから六階以降の探索をした方がいいのではないか。
そのようにレイが思っても、それはおかしなことではない。
「よし」
覚悟を決めたレイは、セトに視線を向ける。
「グルゥ?」
レイに視線を向けられたセトは、どうしたの? と不思議そうに見返す。
レイはそんなセトを一撫でしてから、言い聞かせるように口を開く。
「セト、俺はちょっとこの転移水晶で一度地上に出る。それでこの転移水晶が問題ないようなら、また戻ってくる。セトはここにいて、何かが起きないように周囲の様子を警戒していて欲しいんだ。出来るか?」
「グルゥ……グルルルルゥ」
レイの言葉に首を横に振るセト。
今まではレイの頼みなら大抵は聞いていたのだが、今回の要望は絶対に嫌だといった様子が見て取れる。
ただ、レイも今回の自分の頼みをセトが素直に聞いてくれるとは思っていなかったので、こうして嫌だとセトが拒否をしても言い聞かせるように口を開く。
「セトが俺の心配をしてくれるのは嬉しい。けど、この転移水晶が使えるかどうかを確認するのは絶対に必要だし、俺が転移水晶を使って地上に移動している時、この転移水晶に何か異変が起きないように見張る必要もある」
「グルゥ……」
でも、と。
セトはレイの言葉を聞いても、納得出来ない……いや、納得したくないといった様子で喉を鳴らす。
レイはそんなセトを撫でながら説得を続ける。
「この転移水晶が使えるのが分かれば、帰る時にも楽になる。何、転移水晶の異変があったのは十階だけで、この五階の転移水晶は特に何もなく使えていたし。それに……」
そこで一度言葉を止めたレイは、じっと転移水晶を見る。
「うん。こうして見た感じでは、特に何かおかしなところはない。恐らく普通に使える筈だ」
セトに聞かせるように、そう告げる。
実際、レイは転移水晶を見ても特に何も異変は感じない。
絶対にとは言わないが、レイが見た感じでは転移水晶は何の問題もなく使えるように思えたのだ。
……もっとも、それはあくまでもレイの感覚でしかない。
レイは別にこの手の調査の専門家という訳でもなかった。
ただ、それでもレイは自分の勘を信じている。
今まで何度も自分の勘を信じて戦ってきたのだから。
そうである以上、ここで自分の勘を信じないという選択肢はレイにはなかった。
「グルゥ……」
レイの様子を見ていたセトは、残念そうに喉を鳴らす。
レイのことを深く知っているセトだからこそ、今のレイを見れば、自分が何を言ってもその行動を止めることは出来ないと思ったのだろう。
セトの様子から、レイはセトが自分の行動を認めた……より正確には言っても仕方がないと判断した様子だった。
「じゃあ、そういうことで俺は一度転移水晶を使う。セトはここで周囲の様子を警戒していてくれ。……いいよな?」
「グルゥ」
渋々といった様子だったが、セトはレイの言葉に分かったと喉を鳴らす。
そんなセトを最後に一撫でし、レイは転移水晶に触れる。
すると脳裏にダンジョンから出るかどうかの選択肢が出て……それを了承した。
すると次の瞬間、レイは地上にある転移水晶の前にいた。
「え?」
転移水晶の前にいた、元冒険者のギルド職員の口からそんな声が漏れる。
「ちょっと五階の転移水晶が使えるかどうかを確認する為に戻ってきた」
「……いや、でもレイは今日ダンジョンに入る前に転移水晶に触れてないだろう? なのに何で戻ってこられるんだ?」
「……おう?」
改めて言われると、確かにそうだ。
本来ならダンジョンに入る前に転移水晶に触れる必要がある筈だった。
しかし、今日レイはダンジョンの前にある転移水晶に触れずにダンジョンに入った。
なのに、何故か五階の転移水晶が使え、こうして地上に転移出来たのだ。
「えっと……あれ? 何でだ?」
「それを聞かれても困る」
「いや、お前は元冒険者だったんだろう? なら、何か思いつくようなことはないのか?」
「そう言われてもな。……うーん、やっぱり分からないな」
一応少しは考えた様子を見せるギルド職員だったが、すぐに首を横に振る。
「そうか。考えられるとすれば、実は毎回転移水晶に触れる必要はなかったとか?」
「それも……どうだろうな。言われてみれば他の冒険者に言われて普通に毎回触っていたが、もしかしたらその必要がなかったという可能性もあるが……けど、それでもこれだけ多くの冒険者がいるんだから、転移水晶に触れなくてもいいのなら、それに気が付いた者がいてもいいと思わないか?」
そう言われると、レイも納得するしかない一面があるのは事実だった。
ガンダルシアにおける冒険者の数は、ギルムには及ばないがそれでも結構な数となる。
その全員が、ガンダルシアが迷宮都市になってから今までそのことに気が付かなかったというのは、さすがに不自然だ。
「そうなると、今のダンジョンの異変に関係してるとか?」
実は誰も気が付かなかったというのが駄目だったら、そうなると次に……いや、最後に残るのはそれくらいだった。
他にも何か理由があるのかもしれないが、レイはすぐには思い浮かばない。
「そうなる……かもしれないな。だが……」
「まぁ、その辺についてはギルドで考えてくれ。俺は五階に戻って探索を続ける」
「あ、おい。ちょっと待て!」
レイを止めようとするギルド職員だったが、レイはそれを聞き流して転移水晶に触れる。
そして五階に転移を選ぶと……
「グルゥ!」
周囲が森の五階に戻ってきたレイを見て、セトが嬉しそうに、そして心の底から安堵したといった様子で喉を鳴らす。
「ただいま、セト。やっぱりこの転移水晶は普通に使えたよ。……けど、上で言われたんだが、地上の転移水晶に触ってなかったのに、何故か転移出来たことに驚かれた」
「グルゥ? ……グルルゥ!」
セトもまた、レイの言葉にそう言えばといった様子で喉を鳴らす。
どうやらセトもレイと同じく、そのことについては全く気が付いていなかったらしい。
(やっぱりこの異変が原因か? この異変によって、今度からは一度転移水晶に触れれば、二回目以降は転移水晶に触らなくてもよくなったとか? ……まるでアップデートだな)
そう思うレイだったが、転移水晶に一度触れればいいというのは、今だけ……異変が起きている今だけの可能性もある。
そう考えれば、この先も同じように使えるとは限らなかった。
「これがずっと続くのかどうかは分からないが、取りあえずこれは今だけのものと考えておこう。後で実は使えなくなりましたとか言われたら、ショックだし」
「グルゥ」
レイの言葉にセトは分かったと喉を鳴らす。
そうしてレイ達は転移水晶の一件については置いておくとして、更にダンジョンを潜ることにするのだった。
「グルゥ!」
「っと、分かった。ちょっと待ってろ」
五階を突破した後、レイ達は特にこれといった妨害もないまま、十階に到着した。
洞窟の階層ではゴブリンと遭遇したものの、ゴブリンの魔石はレイやセトにとっても役には立たないので、セトが半ば強引に突っ込み、戦闘らしい戦闘もないままにゴブリンを置いてきた。
なお、ゴブリンの群れに突っ込んだ時にセトが何匹か踏み潰した感触がレイにも伝わってきたのだが……レイはそれは気にしないことにした。
ともあれ、こうして十階にやって来たのだが、十階に到着した瞬間セトからの要望でレイはミスティリングから悪臭用のマジックアイテムを取り出して起動する。
するとすぐにセトは十階の悪臭や腐臭に悩まされなくなり、安堵した様子で息を吐く。
「グルゥ……」
「悪いな、セト。でもセトがいないとここまで早く十階には到着出来なかっただろう。……結局誰にも追い越されてはいなかったけど」
五階の転移水晶で色々とやっていたので、もしかしたらその間にセトが追い抜いてきた者達に追い抜かれ返されたかもしれないと思っていたレイだったが、五階から十階までどこにも冒険者の姿はなかった。
それはつまり、レイ達が転移水晶の前にいた間に誰かに抜かれるといったことはしていなかったことを意味していた。
これがギルムの冒険者なら、結構な人数に追い抜かれてもおかしくはなかったのだが。
そう思いつつ、レイは十階の様子を改めて確認する。
(こうして見る限り、特に異変らしい異変はないよな。けど……異変がないのが異変とも考えられるか?)
この十階に来た者の多くが、何故か一晩の時間差で地上に出たのだが。
一体何故そのようなことなったのかは、レイにも分からない。
分からないが、それでもこうして見る限りでは異変がないのが異変であるように思える。
(ギルドマスターは違うと言ったけど、やっぱりこの悪臭用のマジックアイテムが異変の原因という可能性も否定は出来ない……のか?)
ギルドマスターの言葉を信じていない訳ではない。
だが、実際にレイが悪臭用のマジックアイテムを使ってからこのような異変が起きたのも、間違いのない事実。
であれば、やはり悪臭用のマジックアイテムが何らかの影響を与えているという可能性は決して否定出来なかった。
……とはいえ、だからといって使うのを止めるというのも、セトのことを思えば難しいのだが。
特に今はセトの五感や第六感といったものも使って、この十階に何らかの異変があるかどうかを確認する必要があるのだから。
行方不明になった者達は戻ってきたものの、それでも十階の異変が解決したとは限らない。
いや、レイの認識では全く解決していないというものだった。
行方不明になっていた者達が見つかったのは、本当に偶然でしかない。
だからこそ、この十階で何があったのかをしっかりと確認し、その異変の原因を見つけて解決したいと思う。
(俺がこの悪臭用のマジックアイテムを使ったのが原因じゃないとしたら、他に何かがある筈だ。問題なのは、その何かが分からないことだが……とにかく、探索をするとするか)
そう考え、レイはセトと共に十階を歩き回るのだった。