3744話
ギルドマスターの執務室を出たレイは、一階に下りてきたところでその動きを止める。
「うわぁ……」
そんな声を上げたレイの視線の先にいるのは、大量の冒険者達。
レイがギルドに来たのは冒険者達が仕事を求めてギルドにやって来る時間よりも早かったのだが、ギルドマスターと話をしている間にどうやらそのような時間になってしまっていたのだろう。
このガンダルシアではなく、ギルムで以前に何度か朝に集まってくる冒険者達を見たことがあったが、ガンダルシアでもそう違いはないらしい。
これが普通の街や村なら、ここまで冒険者が集まるようなことはないだろう。
だが、迷宮都市ということでガンダルシアには多くの冒険者が集まってきている。
その為、これだけの人数になっているのだろう。
(いや、それだけじゃないか)
十階から転移して戻ってきた者達もギルドにはいる。
戻ってきた者達も冒険者である以上は、これから忙しくなるというのは理解しており、多くの者が既にギルドを出ているが、どういう理由かまだ残っている者もそれなりにいて、それによってギルドの人口密度はいつもより高くなっていたのだろう。
(何でだろうな? 実際、邪魔そうに見ている者も何人かいるし)
ただ、多くの冒険者は、その内心はともあれ、邪魔だという思いを表情に出してはいない。
その理由は、やはり行方不明になっていた冒険者が十階前後で行動出来る実力を持つ者達だからだろう。
今は異変の件もあって疲れているものの、少し休めば元気になる筈だ。
ここにいる冒険者の大半は十階に到達出来ない者達だ。
そのような者が、明らかに自分達よりも格上の相手に悪い意味で顔を覚えられるのを避けるのは自然なことだろう。
……中にはそのようなところまで頭が回らず、邪魔だといった視線を向けている者もいたが。
それは十五階前後に潜っている強者なのか、あるいは浅い階層で行動しながらも格上の相手を敵に回してもいいと思っているのか。
その辺りはレイには分からなかったし、自分に関係ないのなら好きにやってくれというのがレイの正直な気持ちだった。
「いつまでもこうしている訳にもいかないか」
一階に下りてきたところでギルドの混雑ぶりに目を奪われていたレイだったが、ダンジョンの攻略をする以上は、放ってはおけない。
カウンターの内側にいるギルド職員の邪魔にならないようにしながら移動すると……
「ちょっ、本当に転移水晶禁止なのかよ!?」
不意に聞こえてきた大声に、レイは歩く速度を少し緩める。
「ですから、現在転移水晶に異常が発生している可能性があります。それによって何か問題が起きるかもしれませんので……」
「いや、それは分かる。分かるけど、俺が行動してるのは五階の森なんだぜ? なのに、また一階から行けってのかよ」
不満そうな冒険者の声。
レイが改めて周囲の様子に耳を澄ませば、他にも転移水晶が使えないということで不満を口にしている冒険者は多い。
(多分だけど、自分はそういうトラブルに巻き込まれないとか思ってるんだろうな。あるいは転移水晶の異常があるのは十階だけだと思っているのか)
何らかの確証があってそのように言ってる訳ではなく、何となく自分なら大丈夫だと、そのように思っての行動。
長生きしないな。
そう思いながら、レイはカウンターを出る。
カウンターの向こうには多くの冒険者が集まっているものの、身動きが出来ない程ではない。
ましてや、レイは小柄なのでこういう時はかなり有利だった。
冒険者達の隙間を通り抜け、ギルドの扉に向かう。
アニタに挨拶でもと思わないでもなかったが、レイが見た時は冒険者と何らかのやり取りをしていたので、特に声を掛けるようなことはしなかった。
そうしてギルドから出たレイは、セトに視線を向ける。
……いや、セトに視線を向けようとしたというのが正しいだろう。
現在セトがいるのだろう場所の周囲には、多くの冒険者が集まっていたのだから。
女だけではなく、それなりに男の姿もあり……そして少し離れた場所には、セトに何らかのちょっかいを出そうとしたのだろう気絶した冒険者達の姿もあった。
そんな人の集団を見て、レイはどうするかと考えたものの、すぐに口を開く。
「セト!」
「グルゥ!」
すると即座にセトがレイの声に反応し、喉を鳴らす。
そしてセトの周囲に集まっていた人垣が割れて、セトが姿を現す。
そんなセトの様子に残念そうな様子を見せる者が多かったが、セトの邪魔をしようとする者はいない。
中には自分の欲求を優先させるような者がいてもおかしくはないのだが。
そう疑問に思ったレイだったが、レイにしてみれば面倒が少ないのだから問題はない。
「話は終わったから、ダンジョンに行くぞ。どうやらまた一階から行かないといけないらしい」
「グルゥ?」
レイの言葉に、そうなの? と首を傾げるセト。
ただ、そこには残念そうな色はなく、純粋にレイがそのように言ったからそういうことなのかと納得したようでしかなかったが。
空を飛べるセトにしてみれば、ダンジョンを攻略するのはむずかしくない。
洞窟はセトにとっても面倒ではあったが、問題点となるのはそこだけだ。
レイもそんなセトに頼る気満々だったので、特に問題なくダンジョンに向かい……
「あ」
ダンジョンの前にある転移水晶。
そこにはロープが張られて近づけないようになっており、ギルド職員が転移水晶の前に立っている。
一応ギルドで転移水晶が使えないと知らせてはいるものの、中にはこっそり使えばいいと考える者もいる。
あるいは聞いていながらもその話は聞き流していたので聞いていなかったと言い張るか。
とにかく、ギルドとしては異変が生じている今の状況で転移水晶を使わせる訳にはいかない。
その為、朝の忙しい時間で人手は幾らあってもいいこの時間に、わざわざギルド職員を一人派遣し、転移水晶の前に配置したのだろう。
実際、ダンジョンに向かう冒険者の何人かは転移水晶の前にいるギルド職員を見て舌打ちをしたり、眉を顰めたりしている。
そのような者達は、ギルドでは転移水晶を使えないという話を聞いても、はいはいと言葉だけで返事をし、実際には転移水晶を使おうとしていた者達だったのだろう。
(元冒険者……それも相応の強さを持つ奴だな)
ギルド職員の中には、冒険者がギルドのスカウトを受けてギルド職員になった者もいる。
ギルドから優秀だと判断されないと、まずスカウトは来ない。
そういう意味では、元冒険者のギルド職員というのは有能な者だというのは間違っておらず、それはつまり転移水晶の前にいるギルド職員もそのような人物ということになる。
元冒険者のギルド職員は、転移水晶に近付く者がいないようにしっかりと見張ってる。
レイはセトと共にそんなギルド職員に近付いていく。
ギルド職員もすぐにレイとセトの気配に気が付いたのか、視線を向けてくる。
一瞬牽制するような視線を向けたものの、相手がレイだと気が付いたのだろう。すぐにその視線は普通に戻る。
「じゃあ、俺はこれからダンジョンに潜る。場合によっては十階の転移水晶を使って戻ってくるかもしれないから、その時はよろしく頼む」
「気を付けて行ってきて下さい」
短い言葉を交わし、レイはセトと共にダンジョンの中に。
転移水晶が使えないからだろう。
ダンジョンの一階には、結構な数の冒険者が集まっていた。
元々一階で活動する冒険者は多い。
それに加えて、転移水晶を使えない今日は全ての冒険者が一階から入るのだから、いつも以上に人が多くなるのは当然だった。
「セト、飛んでいくぞ」
レイは二階に下りる階段に続く道から少し離れ、セトにそう言う。
このまま他の冒険者と一緒に歩いて移動していては、目的の十階に行くまでに時間がかかりすぎる。
なら、洞窟の階層まではセトに乗って素早く移動した方がいいのは間違いなかった。
「グルルルゥ!」
レイの言葉にセトは嬉しそうに喉を鳴らす。
レイと一緒に行動するのが好きなセトだったが、それでもこうして大量の冒険者がいて、身動きが取りにくい状況でというのは好みではないのだろう。
こうしてレイとセトは道から少し離れた場所で、飛ぶ準備を整える。
もっとも、レイがセトの背に乗るだけなのだが。
レイが背中に乗ったのを確認したセトは、数歩の助走で翼を羽ばたかせて飛び上がる。
こうして一度空を飛んでしまえば、地上を歩いている――中には走っている者もいるが――者達よりも、セトの飛ぶ速度は圧倒的に速い。
結果として、セトは地上を移動する者の頭上を飛んでいくのだった。
「はい、五階に到着、と。ここまで来るともう誰もいないな」
レイはセトと共に転移水晶のある五階に到着する。
五階は森なので、周囲の様子を確認しにくい。
しかし、四階の砂漠を移動してる時に三階に続く階段の側に何人かいただけで、それより先には誰の姿もなかった。
その為、レイは恐らくセトに乗った自分達がダンジョンを潜っている冒険者達の先頭になったのだろうと判断する。
……寧ろ、四階の砂漠までレイ達よりも先行していた者がいたことの方が驚きではあったが。
レイがギルドマスターと話し終わって一階に下りてきた時、既にギルドの中には冒険者の姿が多くあった。
それはつまり、レイがギルドマスターと話している間に既に冒険者がギルドに集まってきた……そして素早く判断した者は転移水晶が使えなくてもすぐにダンジョンに入ったのだろう。
そして必死にダンジョンを進んでいたのが、恐らくセトが砂漠で追い越した者達なのだ。
「グルゥ?」
周囲に異変がないかどうかを確認しているレイに、セトはどうしたの? と喉を鳴らす。
レイはそんなセトを撫でつつ、口を開く。
「セトも知っての通り、五階には転移水晶がある。十階での一件を考えると、もしかしたら五階の転移水晶にも何らかの異変があるかもしれないからな。それを確認してるだけだよ。……本当に何もないのなら、俺達にとってはかなりラッキーなんだけど。どうだろうな。……ちなみにセトは何か分かるか?」
「グルルゥ……グルゥ?」
レイの言葉にセトは周囲の様子を確認するように見渡すものの、やがて首を横に振る。
セトから見ても、特に何か異変らしい異変はなかったということなのだろう。
その事に安堵するレイだったが、それでもすぐに納得することは出来ない。
(十階でも何か異変があるというのは明確に感じた訳じゃなくて、何となく……本当に何となくそんな感じだったし。だとすればここでセトが分からない可能性も十分にある)
セトはレイよりも鋭い五感や第六感を持ち、レイが持っていない魔力に対する感覚も持つ。
そういう意味では、レイの気が付かないことに気が付いたり、レイよりも早く異変に気が付いたりといったことも出来る。
だが、だからといってセトが全ての異常を察知出来る訳ではないのも事実。
だからこそレイもセトだけに任せずに五階の様子を探るのだが……
(森のせいであまり分からないな)
ここが草原や荒れ地、砂漠といった場所ならともかく、森ということで周囲には無数の木々が生えている。
その為、レイが周囲の様子を確認しようとしても、全てを把握することは出来なかった。
「グルル!」
セトが何も問題はないよと喉を鳴らす。
レイもそんなセトの様子に笑みを浮かべ、頷く。
「そうだな。セトが特に異常もなかったと判断したんだ。そして俺もこうして見ても特に何かがあるようには思えない。なら、恐らくこの五階には何もないと判断してもいいか」
レイが頼れるのは、セトと自分自身だけだ。
そしてセトが何もないと判断し、レイもまた十階で何となくだが感じた妙な様子はない。
言葉には出来ないものの、それでも十階と同じ何かがあるのなら、それは察知出来ていてもおかしくはない筈だった。
しかしそれがない以上、取りあえず五階にはまだ何の異変もないのだろうと判断する。
「じゃあ、転移水晶のある場所に行くか。五階の転移水晶も何か異変がないか、見ておいた方がいいだろうし」
セトもそんなレイの意見に反対はせず、素直に移動を開始する。
転移水晶のある場所まで移動する途中、何度かオークと遭遇したものの、レイやセトにとってオークは脅威でも何でもない。
それこそ美味い肉という存在でしかない。
その為、レイやセトにとって転移水晶のある場所までの移動は食料調達の意味合いが強い。
……オーク達にしてみれば災難以外のなにものでもなかったが、それはオーク達にとっての話。
レイやセトにしてみれば、美味い肉を入手出来るという意味で悪くない時間だった。