3742話
家の前で話を聞くのもなんなので、結局レイはマティソンを家に上げた。
セトはいつものように庭で自由にさせ、リビングにあるテーブルに座ったレイは、目の前のマティソンを見ながら、メイドのジャニスが淹れてくれた紅茶を飲む。
その紅茶は決して飛び抜けて美味いという訳ではないが、それでもどこか安心する味だ。
その紅茶を一口飲み、今日だけで色々とあったことによる精神的な疲れを癒やされながら、口を開く。
「それで? 十一階に行ったお前のパーティメンバーは、やっぱりダンジョンの異変で戻ってきてないのか?」
「はい。ちなみに教官をやっている者の中にも仲間や知り合いが戻ってきていなかったり、何人かは本人も戻ってきていません」
「それは、また……」
冒険者育成校の教官……それもアルカイデのような血筋で教官になった者ではなく、マティソンのように冒険者としての技量を買われて教官になった者達は、相応の腕利きだ。
本当のトップ層……久遠の牙のような者達程ではないが、それでもガンダルシア全体で見れば腕利きと呼ぶに相応しい者達。
そのような者達である以上、ダンジョンで行動するのは十階前後なのは間違いなかった。
(いや、正確には十階以上、十五階未満ってところか)
十五階まで到達出来るのなら、それこそ十五階の転移水晶を使って地上と行き来すればいい。
十階以上は攻略出来つつも、十五階にまで到達出来ない者達であれば十階の転移水晶を使うのは当然だった。
「そうなると、明日は学校の方で騒動になりそうだな」
「そうですね。教官の数も大分少なくなってますし。……模擬戦もレイさんがいればともかく、いないと教官の仕事はかなり大変になりそうです」
「いや、俺だけに模擬戦を任せるなよ」
そう突っ込むレイに、マティソンはここでようやく笑みを浮かべる。
マティソンにしてみれば、久しぶりのようにも思える笑み。
「ともあれ、ダンジョンの異変については明日俺がダンジョンに潜って十階に向かってみる。それで解決するかどうかは分からないが、それでも何らかの事実は判明するだろう」
「そうですね。……レイさんに任せておけば安心出来そうです。……すいません。少し動揺して、レイさんの家に来てしまいました」
「気にするな。パーティメンバーが異変に巻き込まれたんだ。動揺するのは当然だ。俺だって……俺だって……」
俺だってそうだ。
そう言おうとしたレイだったが、自分のパーティメンバーであるマリーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人を思い浮かべる。
また、パーティメンバーではないが、仲間と呼ぶに相応しいエレーナとアーラの姿を思い浮かべる。
思い浮かべるが……
「あれ?」
「レイさん?」
最後まで言葉を言わず、途中で何故か不思議そうに首を傾げるレイに、マティソンが不思議そうな視線を向ける。
だが、そのような視線を向けられてもレイは気が付いた様子もなく考え続ける。
(何でだ? エレーナ達がトラブルに巻き込まれても、自分達の力でどうにかするようにしか思えない。敢えて心配するのならビューネだが)
ビューネはそれなりに腕が立つが、それでもまだ子供だ。
また、小柄なこともあり、何かあったらビューネだけは守ってやらないとと思える。
本人がそれを聞けば、不満そうに『ん!』と抗議するだろうが。
「あ、いや。何でもない」
脳裏で無言のまま表情を変えず、それでいてジト目で抗議してくるビューネが思い浮かんでいたレイだったが、それをスルーしてマティソンにそう返す。
「さて、それで何の話だったか」
「え? いや、だからレイさんもパーティメンバーが行方不明になったらって……」
「それは取りあえず置いておこう。とにかく、俺が明日ダンジョンに挑むから、色々な状況についてはそれからだな」
「はぁ……」
レイの様子に気の抜けた表情を浮かべるマティソン。
つい先程までは真剣な表情で会話をしていた筈なのだが、そんな思いが綺麗さっぱりどこかに消えてしまった形だ。
しかし、それはマティソンにとって決して悪いことだけではない。
今の状況で焦燥感を抱いても、それは決して好ましいことではないのだから。
マティソンのそのことに気が付いたのか、大きく息を吐く。
「分かりました。明日、レイさんも色々と大変だとは思いますが、よろしくお願いします」
「任せろ。もっとも、学校の方もそれなりに面倒だとは思うけど」
「……そうですね。今までダンジョンに挑んできましたが、こういうことは初めてです」
マティソンの言葉に、もしかしたらこれもやっぱり自分のトラブル誘引体質のせいなのでは? と思うレイだったが、表情に出すようなことはない。
レイがトラブル誘引体質なのは間違いないものの、本当にその影響なのかどうかは分からないのだから。
「話は分かるけど、何しろ場所はダンジョンだ。迷宮都市としてガンダルシアが成り立っているのは分かるが、だからこそ、そういう場所が妙な暴走を起こしたりしてもおかしくはないと思わないか?」
「それは……」
実際、ダンジョンについては未だに分かっていないことが多すぎる。
数え切れない程の者達がダンジョンの研究をしているし、してきた。
だが、それでも分かったことはそう多くはない。
そういう意味でも、ダンジョンでは何が起きてもおかしくはない。
それこそ今回のような、何らかの異変が起きてもおかしくはなかった。
……とはいえ、実際にそのダンジョンに関与している者達にしてみれば、それで納得出来ることでもないのだが。
「まず、何をするにも明日だ。明日俺がダンジョンに潜れば、多分何かが分かる……かもしれない」
「多分とか、かもしれないとか、あまり信用出来ないんですが」
レイの言葉に呆れつつそう言うマティソンだったが、その表情には言葉程にレイを責める色はない。
レイもそれが分かっているので、そんなマティソンを特に気にした様子もなく紅茶を飲む。
少し冷めて渋みが増した紅茶だったが、それもまた風味と考えれば、決して悪くない。
「ダンジョンなんだ。何が起きてもおかしくはないだろう? それこそ俺が行った影響で何かが起こっても、それはそれで仕方がない。そして何も起こらなくても、それはそれで仕方がない」
「レイさん……」
「不満そうだが、お前も分かっているだろう? ダンジョンというのはそういう場所だって」
「……そうですね」
たっぷりと三十秒程沈黙した後でマティソンはそう言う。
実際、冒険者としてダンジョンに挑んでいるだけに、レイの言葉に思うところがあったのだろう。
「では……私はそろそろ失礼します。こんな時間にお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」
「何だ、夕食は食べていかないのか?」
この時間……丁度今は夕食の時間だけに、マティソンも自分の家で夕食を食べるのだとばかり思っていたレイだったが、マティソンはそんなレイに向かって首を横に振る。
「いえ、そんなつもりはありません。約束もなく勝手に来て、そこまで迷惑を掛けられませんから。それに……今の話を、パーティメンバーにする必要がありますから」
「そうか。その件を考えると、確かにここにいる訳にもいかないな。まぁ、俺の話した内容がどこまで役に立つのかは疑問だが」
「いえ、レイさんが明日ダンジョンに行って行方不明になっている人達を捜すというだけで、十分助かります。取り乱してここに来た私が言うのもなんですが、こういう時に大事なのはやはり希望ですから。レイさんの強さを知ってる私達にしてみれば、レイさんがダンジョンに行くというだけで十分希望になります」
そういうものか? とレイは疑問に思ったが、マティソンがそう言うのならわざわざ余計なことを言う必要もないだろうと判断し、頷く。
「分かった。なら、その件を早くパーティメンバーに伝えるといい」
「ええ、ありがとうございました」
そう言い、マティソンは帰る。
そんなマティソンを見送ったレイはジャニスに頼んで夕食の時間にするのだった。
翌日の早朝。
いつもならまだ眠っているような時間だったが、既にレイは起きていた。
そろそろ夏が近付いており、日の出も早い。
そんな早朝、レイはセトと共にギルドに向かっていた。
今日はダンジョンで行方不明になった者達を捜すのだが、それに対して具体的にどのくらいの時間が掛かるのかも分からない。
なので、時間は多ければ多い程にいいと、早めに家を出て来たのだ。
メイドのジャニスにも、もしかしたら数日帰ってこない可能性があるから、そうなっても心配するなと言ってある。
そんな訳で、レイはやる気満々でギルドに向かう。
ダンジョンに異変が起きたというのは、ダンジョンの攻略を考えているレイにとって、決して良いことではない。いや、寧ろ悪影響だろう。
だからこそ、少しでも早くダンジョンの異変を解決したかったのだが……
「うん?」
ダンジョンに近付くにつれ、ざわめきがレイの耳に聞こえてくる。
レイの耳に聞こえているのだから、当然ながらセトにもこのざわめきは聞こえているだろう。
「グルゥ」
だからこそレイの言葉に、セトは聞き間違いじゃないよと喉を鳴らす。
レイはそんなセトを撫で、何があったのかは分からないが、取りあえずギルドに行けば分かるだろうと考え、歩みを進める。
(考えられるとすれば、ダンジョンで行方不明になった冒険者の親しい知り合いがあつまって何かやってるとか、そういう感じか?)
昨日レイが受付嬢のアニタに呼ばれてギルドに行った時、行方不明になっている冒険者の母親に絡まれた。
その母親にしてみれば、レイに絡んだのは八つ当たりなのは間違いない。
しかし、息子の生死が不明な状況で、今回の騒動についてギルドに報告したレイがいると知った母親にしてみれば、自分の息子が行方不明になったのはレイのせいだと思うのは仕方がないことだった。
またそういうのになったら面倒だなと思いつつ、ギルドが近付いて来たところで視線をダンジョンに……より正確には、ダンジョンの前にある転移水晶に向ける。
いっそ、ギルドに寄らずこのままダンジョンに向かおうか。
少しだけそう思ったレイだったが、すぐにそれを否定する。
ギルドがこうも騒がしいというのは、それはつまりレイの知らない場所でダンジョンの異変について何らかの情報が入り、それを知った者達が騒いでいるのではないかと、そう思ったのだ。
もしそうであった場合、情報を何も知らずにダンジョンに潜るのは危険だ。
そう判断し、結局レイはダンジョンに潜る前にギルドに顔を出すことにする。
「セト、俺はギルドに行ってくるから、いつものようにちょっとギルドの前で待っていてくれ。この時間だから大丈夫だとは思うけど、妙なちょっかいを出すような奴がいたら、相応の対応をしてもいいから」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
レイはそんなセトを一撫ですると、ギルドに向かう。
そんなレイの後ろ姿を見送ったセトは、最近は半ば定位置となった場所まで移動し、寝転がる。
そしてギルドに入ったレイは……
「おう?」
目の前の光景に、そんな声を漏らす。
何故なら、ギルドの中には多数の冒険者の姿があったからだ。
冒険者達はその多くが戸惑った表情を浮かべている。
中には明らかに冒険者とは思えない相手に抱きつかれ、泣かれていることに困っている者もいた。
(あ)
ギルドの中を見回したレイは、昨日ギルドで自分に絡んで来た女が、冒険者の一人に抱きついているのが見えた。
年齢からして、恐らくあの冒険者が女の子供なのだろうというのは容易に予想出来る。
また、ギルドの中にこうして多数の冒険者がいるのを眺め……
「俺、来る必要があったのか?」
我知らず、そう呟く。
ギルドの中の状況から、恐らくここにいる冒険者達が十階の転移水晶を使って行方不明になっていた者達なのだろう。
つまり、レイが今日見つける対象だった者達だ。
そのような者達を見つけるのも今日の探索の目的だったことを考えると、この時点で半ばその目的は達成されていることになる。
(というか、本当に何がどうなってこんな状況になってるんだ? もしかして十階の転移水晶が使えないから、自力で地上まで出て来たのか。……いや、それならもっと早い筈だ)
十階前後で行動している冒険者である以上、上の階層になればなるほどに楽に行動出来る。
そう考えれば、十階から地上まで移動するのに一晩掛かるとはレイには到底思えなかった。
だとすれば……と、レイが考えていると、そんなレイの姿に気が付いたのだろう。
アニタがレイに向かって大きく手を振るのだった。