3740話
「何だってそんな馬鹿なことを……」
ダンジョンの前にある転移水晶を使い、十階に転移した者がいる。
そうギルドマスターから聞かされたレイは、思わずそう呟く。
十階が危ないというのは、レイからの報告でギルドでも把握していた。
実際にそれを聞いたので他の冒険者達からも話を聞き、そしてレイの後で十階から転移して戻ってきた者がいないというのが判明したのだから。
それが判明したにも関わらず、何故この状況でわざわざ十階に転移しようと考えたのか。
レイにしてみれば、呆れるしかない。
「レイが何を言いたいのかは理解出来る。だが、仲間が……あるいは知り合いが十階で危機に陥っているかもしれないと知れば、それを助けに行きたいと思うのは当然の話だろう? ……軽率な行為だというのは、否定出来ないが」
ギルドマスターの立場として、やはり現在の状況に思うところはあるのだろう。
軽率な真似をと口にはしたものの、そこには仕方がないという思いもある。
見ず知らず……あるいは顔を知っている程度の者が戻ってこないのなら、そこまで無謀なことをしたりはしないだろうが、親しい者達が戻って来られないのなら、その相手を助けようと思うのはおかしな話ではない。
ギルドの一階にいた、戻ってこない冒険者の家族や恋人といった者達も、自分にそのような実力があれば、もしかしたら転移水晶を使って十階に行っていた可能性もある。
「そうだな。ここでどうこう言っても仕方がないか。……それでどうすればいい?」
「現状において、五階と十五階に転移出来るのは確認されている。実際に転移を試してみた者にとっても、転移先で特に何かおかしところはなかったらしい」
「そうなると、十階だけで何か妙な現象が起きているのか、それとも五階と十五階に転移した奴がそれを見つけられなかったのかといったところだろうな」
そう言うレイだったが、五階はともかく十五階は現状においてこのガンダルシアにいる冒険者の中でも限られた者達しか行くことが出来ない階層だ。
そのような者達である以上、もし何か異変があったらそれに気が付かないということはないようにレイには思えた。
あるいは何も知らないままで転移したのなら、それに気が付かないという可能性もあるかもしれないが、今回は異変があるかもしれないという前提で転移をしたのだから、それに気が付かない筈はない。
「だとすれば、やっぱり五階から十階に向かうのが一番いいのか。……ちなみにだが、実は十階の転移水晶が使えないだけで、十階前後で活動していた者達が転移水晶を使わずに自力でダンジョンを脱出しようとしているという可能性はあると思うか?」
レイはふと、一階で行方不明になっている冒険者の母親に対してアニタが言ったことを思い出し、そう尋ねるが……
「難しいだろう」
ギルドマスターの口から出たのは、そのような言葉だった。
とはいえ、レイもそのギルドマスターの言葉にショックを受けた様子はない。
レイに言い掛かりを付けてきた女は、自分の息子が行方不明になったという事で、半ば錯乱していた。
そんな相手を取りあえずとはいえ、大人しくさせるには希望を見せる必要があったのだ。
それはつまり、恐らく自力でダンジョンを脱出するというのは難しいだろうというものだった。
レイもそういうことだろうと思っていたので、特に衝撃はなかったが。
(とはいえ、十階の転移水晶が使えない……使えても明らかに罠である以上、使う訳にもいかない。そうなると、やはり十階に行くには五階から行くしかないのか)
十五階の転移水晶も使えるという話だったが、生憎とレイはまだ十階までしか到達していない。
十五階の転移水晶は、使おうと思っても使えないのだ。
「……ちなみにだが、ギルドマスターの権限とか、あるいは裏技とかで、俺に十五階の転移水晶を使えるように出来たりしないか?」
一応……本当に一応だが、レイはギルドマスターにそう尋ねる。
迷宮都市のあるガンダルシアのギルドマスターである以上、もしかしたらその辺がどうにかなるかもしれないと、そのように思っての言葉だったが……
「残念だが、そういう方法はないな」
ギルドマスターにあっさりとそう告げられる。
やっぱり。
そのようにも思うも、レイも自分が無茶を言ってる自覚があったので不満は口にしない。
レイにとっても、出来ればそういう裏技か何かがあればいいという思いがあってのことだったのだから。
「そうなると、やっぱり五階に転移して直接十階に向かうしかない訳か。……いつ行けばいい?」
「明日でいい」
「……いいのか?」
ギルドマスターの口から出た言葉は、レイにとってもかなり意外なものだった。
てっきり、今すぐに行って欲しいと言うのではないかと、そう思っていたのだから。
だが、実際にギルドマスターが口にしたのは、今のような言葉だったのだから、驚くなという方が無理だった。
「構わんよ。勿論、出来るだけ急いで欲しいとは思う。だが、もう夕方だ。また、レイも多少なりともダンジョンに潜ってきたばかりとなると、さすがに今すぐに行けとは言えない」
ギルドマスターの言葉に、レイは何と言えばいいのか迷う。
実際、レイがダンジョンに行ったのは事実だ。
だが、今回は階層を攻略するのではなく、あくまでも悪臭対策のマジックアイテムの効果があるかどうかを確認する為に行ったのだ。
実際に悪臭対策のマジックアイテムを使ってみて問題はなく、十一階の様子を少し見てからダンジョンを出ようとしていた。
そういう意味では、疲れらしい疲れはない。
……いや、ダンジョンに行く前に猫店長の店に行った時、そこでレイに何らかの恨みを持っている女がいて、その女がセトに襲い掛かったという話を聞いた時は精神的に疲れたが。
しかし、言ってみればそれだけでしかない。
体力的な意味でなら、レイにはまだ十分な……十分すぎる余裕があった。
「ちなみにだけど、俺はこのガンダルシアのダンジョンにはそこまで詳しくないんだが、もしかして俺が十階でマジックアイテムを使ったのがこの件の原因とか、そういうことはないよな?」
ふと気になったレイが、そう尋ねて見る。
何しろ、レイが悪臭対策のマジックアイテムを使ったタイミングで起きた現象だ。
そう考えると、もしかしたら……そう思わないでもない。
しかし、そんなレイの言葉にギルドマスターは即時に首を横に振る。
「いや、そんなことはない。ダンジョンの中でマジックアイテムを使うのは普通にあることだ。それはレイの方が理解していると思うが?」
「そうだが、実際に俺がマジックアイテムを使った時にこうなったのを考えると、ちょっとな」
「……なるほど。そのマジックアイテムはまだ持っているか?」
「ある。ダンジョンの中で結構消費したけど、在庫を全部買ったしな」
そう言い、レイはミスティリングから悪臭対策のマジックアイテムを取り出す。
石の球体を見たギルドマスターは、少し不思議に思う。
このような形状のマジックアイテムはめずらしかったのだろう。
実際、レイも石の球体というのは少し珍しいと思えた。
そのマジックアイテムを手にし、じっと見つめる。
(この様子を見る限り、マジックアイテムにはそれなりに詳しいのかもしれないな)
ギルドマスターである以上、マジックアイテムについて相応の知識を持っていてもおかしくはない。
実際、元ギルドマスターだったマリーナも、本職には到底及ばないものの、相応にマジックアイテムについては詳しかったのだから。
だからこそ、レイは自分の持っているマジックアイテムがダンジョンに何か影響を与えたのか? とも思ったが……
「しっかりと調べた訳ではないが、それでもこうして見たところ、特にダンジョンに影響を与えるようには思えないな。これはどのような効果を?」
「悪臭を無効化してくれる」
「ああ」
レイの説明に納得の表情を浮かべるギルドマスター。
ギルドマスターも、レイの従魔のセトについては当然ながら情報を持っている。
だからこそ、高ランクモンスターのセトが十階の悪臭を嫌がるというのは十分に理解出来たのだろう。
「事情は分かったが、このようなマジックアイテムでダンジョンに影響を与えるとは思えない。関係ないと思ってもいいだろう」
そう言い、悪臭対策のマジックアイテムをレイに返すギルドマスター。
レイはそれを受け取り、ミスティリングに収納する。
「なら、いいんだけど。ただそうなると、結局何が原因でダンジョンに異変がおきたのかが分からないのは痛いな」
「うむ。……ともあれ、明日にはダンジョンに潜って欲しい」
「分かっている。五階の転移水晶を使って、そこから十階に向かうよ。……そうなると、フランシスにはそっちから連絡をしておいて貰えるか? 明日、一度冒険者育成校に行ってからダンジョンに向かうのは面倒だし」
レイの家と冒険者育成校、ギルド、ダンジョンの距離を考えれば、そこまで手間ではない筈だったが、それでも面倒は少ない方がいいというのがレイの考えだった
そんなレイの考えに一瞬だけ嫌そうな表情を浮かべるギルドマスターだったが、今は少しでも早くダンジョンの異変を解決する必要があるのは間違いない。
その為なら仕方がないと、レイの提案を受け入れる。
「分かった、こちらで連絡をしておこう」
嫌そうな表情を浮かべつつ、ギルドマスターが言う。
二人の関係は悪いのか?
そうも思ったレイだったが、その割にはギルドマスターの中にフランシスに対する嫌悪感のようなものはない。
それはつまり、決してギルドマスターがフランシスを嫌っている訳ではないという証拠だった。
レイはその辺の事情について聞こうかと一瞬思ったものの、もしそれを聞いたら明日、ダンジョンに行くというのを自分でフランシスに言いにいかないといけなくなると判断し、黙っておく。
「じゃあ、明日はダンジョンに潜る前に一度ギルドに寄るから。……ちなみにだが、明日、俺以外の冒険者がダンジョンに潜るのはどうするんだ?」
「……出来れば止めさせたいところだが、それは難しいだろう」
「だろうな」
ガンダルシアの冒険者の多くは、ダンジョンに潜ることで生活をしている。
そんな冒険者にダンジョンに潜るなというのは、それこそ生きるなと言うのに等しい。
勿論、ガンダルシアにある冒険者の仕事はダンジョン以外にもある。
迷宮都市だけに、ダンジョンの素材を仕入れに来る商人の護衛であったり、後はランクの低い冒険者が仕事をする、雑用……家の掃除や庭の草むしり、倉庫の整理や変わったところでは話し相手等々。
しかし、護衛はともかく街中での依頼はあくまでも低ランク冒険者が行うものだ。
もし高ランク冒険者がそのような仕事をしたら、本来その依頼を受ける冒険者が働けなくなる。
ギルドとしては、そのようなことは避けたい。
だからといって、今のダンジョンに潜るのは自殺行為に等しいのも事実。
「最悪、生活費を渡して待機して貰うという手段もあるが……」
そう言うギルドマスターの表情は決して嬉しそうではない。
冒険者全員に生活費を渡すとなると、一体どれだけの出費になるか。
それも数日程度ならまだしも、十日、二十日、三十日となれば、それだけギルドの経済的なダメージは大きくなる。
何より低ランク冒険者はともかく、高ランク冒険者がギルドの支給する生活費で満足するかどうかといった問題もあった。
高ランク冒険者と低ランク冒険者では、それだけ生活の質が違うのだ。
それはレイもギルムで十分に理解している。
実際レイの生活を考えると、低ランク冒険者どころか、高ランク冒険者であっても同じような生活をするのは難しいのだから。
レイにしてみれば、それが普通の生活になっているので、本人にあまり自覚はなかったが。
「つまり、冒険者は普通にダンジョンに向かうと」
「そうだ。十階に向かうのは禁止するが……」
「出来るといいな」
そう言うレイの言葉には、無理だろうという思いが込められていた。
転移水晶を使って転移する以上、何階に転移するのかというのは、転移水晶を使っている者が決めるのだ。
五階や十五階ならともかく、十階に行こうと思ってもそれは周囲には分からない。
そして冒険者の中には目立ちたがりな者が多く、レイに任せず自分がこの一件を解決して名を上げようと思う者は相応にいてもおかしくはない。
勿論、現在のダンジョンの状況が危険だから、そのようなことはしない……異変が解決するまでダンジョンに挑まないという者もいるのは、間違いなかったが。