3734話
猫店長の店から出たレイは、セトの面倒を見ている警備兵にマイモの店というのを聞こうと思ったのだが……
「うん?」
猫店長の店から少し離れた場所にはセトと警備兵の姿があった。
……いや、正確には警備兵達。
そして警備兵達に捕まっている女が一人。
その女も、レイには見覚えがあった。
レイが猫店長の店に入った時、ポーションの値段交渉をしていた女だ。
レイにとっては初対面だと思うのだが、何故か憎悪と殺気を向けてきた人物。
「グルゥ!」
「あ、レイさん」
一体何があった? そんな疑問を感じているレイに気が付いたセトが喉を鳴らすと、警備兵もレイに気が付き、そう声を掛けてくる。
「で、一体何があったんだ?」
これ幸いと、レイは警備兵に何があったのかを尋ねる。
すると警備兵は戸惑った様子で女を見ながら口を開く。
「実は、あの女がセトに危害を加えようとしまして。それを止めたところ、暴れたので捕らえたんですよ」
「それはまた……よく捕らえられたな」
レイが見たところ、警備兵はそれなり鍛えているようではあるが、それはあくまでもそれなりだ。
そんな警備兵と比べると、捕らえられた女は間違いなく警備兵よりも強い。
結構な実力差がある以上、警備兵が女を止めたというのはレイには少し驚きだった……のだが、警備兵は照れたような、申し訳なさそうな、微妙な表情を浮かべながら口を開く。
「いえ、その。……実は、セトが……」
ああ、なるほど。
レイは警備兵の様子で、何が起こったのかを大体理解する。
女は間違いなく警備兵よりも強い。
それはレイも分かっていたが、だからといってセトに勝てる程の力があるかと言われれば、それは否だ。
つまり、警備兵に任せておくと危険だと判断したセトが手を出したのだろう。
もっとも、女はセトに危害を加えようとしていたのだから、セトがそれを防ぐという意味で手を出すのは別におかしな話ではない。
(俺のことを知ってたんだから、セトについても知っているのは当然か)
何故女がここまで自分を憎んでいるのかは、レイにも分からない。
分からないが、レイと知って憎んでいるのなら、レイの従魔という扱いであるセトについても知っているのはおかしな話ではなかった。
「で、ちょうどその時に見回りをしている同僚が来たから、応援を呼んで貰ったんです」
警備兵の言葉に、レイはそういうことかと納得する。
「話は分かった。セトを守ってくれて感謝する」
「いや、元々ここにいたのは、問題が起きないようにする為だったし。……そう考えると、役目を果たせていないのかもしれないのかも」
「いや、普通警備兵がいる前でそういうことをするとは思わないし」
そうフォローをしながらも、レイは多分女がそういうことをしたのは猫店長の店内で俺と会ったことが原因なんだろうなと思う。
レイのことを知っていれば、当然ながらセトについても知っている。
そしてレイを憎んでいる女にとって、レイの従魔であるセトもまた憎むべき存在と思ってもおかしくはない。
ましてや、レイとセトの関係……お互いを大事な相棒だと思っているのを知れば、もしセトが傷つけられればレイも悲しむと考えるのはおかしな話ではない。
しかし女にとって最大の誤算は、単純にセトの強さを見誤ったことだろう。
とはいえ、普通ならセト……グリフォンがどれだけの強さを持っているのかは、容易に想像出来る。
何しろ、ランクAモンスターなのだから。
そしてもっとセトについて詳しい情報を知っていれば、多彩なスキルを使いこなすセトはグリフォンの中でも希少種という扱いである以上、ランクS相当の存在だというのを知っていてもおかしくはない。
セトが希少種だというのを知っていたのかどうかはレイにも分からない。
分からないが、それでもセトに攻撃するというのは自殺行為のようにしか思えなかった。
(あるいは俺に対する憎悪で、そういうのを考える余裕もなくなっていたのか。……とはいえ、それはそれで疑問だけどな。一体何でそこまで俺が憎まれているんだ?)
女は複数の警備兵に連れられ、既に遠く離れている。
そんな女の後ろ姿を見送りつつ、レイは警備兵に尋ねる。
「それで、あの女がセトに攻撃をしたというのは、俺を恨んでのものだと思うんだが」
「そうなのですか?」
警備兵はレイの言葉を意外そうに感じる。
警備兵にしてみれば、セトを……高ランクモンスターの素材を求めての行動だとばかり思っていたのだ。
だからこそ、レイの言葉に驚いたのだろう。
「ああ。俺が店の中に入ったらあの女がいたんだが、殺気を込めた視線で睨み付けてきた」
「それは、また……」
警備兵から見ても、レイは腕利きの冒険者ではあるが、決して人当たりがいい人物ではない。
それだけに、誰かに恨まれるということがあってもおかしくはないのだ。
実際にガンダルシアまで届いたレイの……深紅の噂は、貴族であろうと何だろうと敵になったら容赦をしないというものがある。
そしてレイと接触した警備兵は、自分が受けたレイの印象……それにレイがガンダルシアに来てから起こした諸々の騒動から、その噂が決して大袈裟なものではないと理解しているのだから。
「そんな訳で、多分これからあの女の取り調べをやるんだろうから、その理由が判明したら教えてくれ。そうなれば俺の方でも色々と対処出来るし」
「それは……まぁ、構いませんけど」
この件に全く無関係の相手になら、その辺りの事情が判明しても説明したりはしなかっただろう。
だが、レイは被害者だ。
……より正確には被害者はセトなのだが。そのセトはレイの従魔である以上、レイに事情を説明するのはおかしな話ではない。
「ただ、あまり大きな騒動を起こさないでくれると助かります」
そう言う警備兵が思い浮かべたのは、レイの象徴たる炎の竜巻だ。
ガンダルシアの街中で炎の竜巻が使われるといったようなことになったら、一体どれだけの被害が出るか。
だからこそ、今回の一件においてはレイにあまり動いて欲しくなかった。
もっとも、レイにしてみれば街中で火災旋風を起こすなんてことをするつもりは全くなかったのだが。
「余程のことがなければ、そういうことはしないから安心してくれ」
それはつまり、余程のことがあった場合はそういうことをするという意味でもあるのだが……警備兵はそのことについては自分が何か言ってもレイが聞いてくれるとは思わないので、上司に報告しておこうと思う。
「それでちょっと聞きたいんだけど、日常的に使うマジックアイテムを売っているマイモの店を知ってるか?」
「マイモの店ですか? ええ、それなりに有名な店なので知ってますけど……冒険者が使うようなマジックアイテムは売ってないと思いますよ?」
「実はそうでもないらしい。十階を攻略する為に悪臭を消すマジックアイテムが欲しいんだが、この店にはなかったんだよ。で、猫店長に聞いたら、そういうマジックアイテムはマイモの店のような日常的に使うマジックアイテムを売ってる店にあるって話だ」
「……はぁ。そういうものですか」
レイの言葉を完全に理解した訳ではない警備兵だったが、冒険者のことなので警備兵の自分には分からないと判断し、そう返事をしておく。
「ともあれ、マイモの店に用件があるのなら案内しましょう」
そうして警備兵はレイとセトを案内する。
レイにとっては意外だったが、警備兵が向かうのは表通りだった。
猫店長の店が裏通りに近い場所にあったのを思うと、マイモの店というのはかなり優遇されているように思う。
(いや、違うか。猫店長の性格を考えれば、自分で裏通りを選んだんだろうし)
エスタ・ノールという伝説の錬金術師が作ったとはいえ、猫の着ぐるみを普通に着ているのだから、自分の趣味に合わせて裏通りに近い場所に店を構えたとしてもおかしなことはない。
普通なら少しでも多くの客が来るようにと、何とかして表通りに店を構えたいと思うのだが、その辺も猫店長の趣味によるものなのだろう。
(まぁ、来るのが冒険者……それも有象無象じゃなくて、相応の実力を持った冒険者だし。そう考えれば、余計な客が来ないという意味で裏通りの方がいいのかもしれないな)
そんな風に思いつつ、レイ達は表通りに出る。
まだ時間的には午後の為か、人通りはそれなりに多い。
ただし、多くの者が自分の家に帰ったり夕食の買い物をしたりする夕方に比べれば、表通り……大通りを歩いている者の姿は少ないが。
そんな中を歩くレイ達は、当然ながら目立つ。
それでもセトにちょっかいを出してくる者がいないのは、警備兵と一緒に行動しているからだろう。
もし警備兵がいなければ、セトと遊びたいと思う者が集まってきてもおかしくはない。
ギルム程ではないにしろ、このガンダルシアにおいても既にセトは多くの者に知られているのだから。
「グルゥ?」
いつもと違う様子なのが気になったのか、セトは不思議そうに喉を鳴らす。
レイはそんなセトを、気にするなと撫でる。
「今はこいつがいるから、特に騒ぎになったりはしないんだよ」
レイの言葉に警備兵も笑みを浮かべる。
何故なら、警備兵として働いてれば当然だがセトを目当てに多くの者が集まるといった話は聞いたことがあるし、それどころか自分で直接見たこともあるのだから。
「セトが人気なのは話に聞きますね。……ああ、ほら。あの店がマイモの店です」
何かを言おうとした警備兵だったが、その言葉の途中で目的の店を見えてきた為だろう。そう言ってくる。
レイは警備兵の示す店を見て、なるほどと思う。
店の規模的には、雑貨屋よりは少し立派な店だ。
かといって、貴族や金持ちしか入れないような店という訳ではなく、一般人であっても普通に入ってもおかしくはない、そんな店構え。
「普通だな」
思わず呟くレイだったが、警備兵は当然といったように頷く。
「この店にあるのは、あくまでも日常生活で使うマジックアイテムですから。冒険者ではない人が来ることも多いので、こういう店構えなんでしょう」
「そういうものか。……さて、じゃあ俺は店に入るけど……」
「セトの護衛は任せて下さい」
本来であれば、大通りで人が多数いる以上はセトに対して妙な考えを抱く者はそういないだろう。
だが、先程セトを襲った女の一件がある。
あの女が一人だけではなく、仲間がいる可能性も否定は出来ない。
だからこそ、警備兵はここでも万が一がないようにセトの護衛をすると口にしたのだろう。
レイとしてはそこまで厳重に守る必要があるとは思えないのだが、それでもこうして護衛をするというのを止めようとまでは思わない。
大丈夫だとは思うが、万が一というのはいつでもあるのだから。
……また、何も知らずにセトにちょっかいを出して、その結果怪我をするという者が出るかもしれないのだが、そのような者達が少なくなればいいという思いもあった。
「分かった。じゃあ、頼む。セト、俺が買い物を終わらせるまで、ここで待っていてくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
セトも、レイが何を買おうとしているのかは分かっている。
ダンジョン十階の墓場の悪臭を苦手としている自分の為に行動してくれるのだから、その邪魔をするようなことは出来ない。
……もっとも、それがなくてもセトがレイの邪魔をするようなことは……偶然邪魔をするといった形になるのならともかく、意図的に邪魔をするというつもりは全くなかった。
レイはセトを一撫ですると、店に向かう。
店の中に入ると、店の中には数人の客の姿がある。
この数を多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだろう。
普段の生活に使うマジックアイテムを売っている店ということを考えれば少ないのかもしれないが、そもそも金に余裕のない者はマジックアイテムを買うのは難しい。
つまり、必然的にこの店に来るのは一般人の中でもそれなりに裕福な家の者となる。
あるいは、商人であったり、貴族であったり。
そう考えると、客の数が少ないのはそうおかしなことでもないのだろう。
「いらっしゃいませ。レイ様、どのようなマジックアイテムをお探しで?」
店員……いや、レイが見たところ、着ている服が他の店員よりも上質なように思えることから、恐らく店長なのだろうと予想出来た。
店の前でセトや警備兵とやり取りをしていたのだから、レイをレイと認識してもおかしくはない。
それこそレイだと認識したのだから、店員ではなく店長がこうして声を掛けてきたのだろう。
「悪臭対策のマジックアイテムが欲しい。あるだけ」
そう言うレイに、店長は微かにだが驚きを表情に出すのだった。