3733話
セトを警備兵に預けると、レイは猫店長の店に入る。
なお、猫店長の店に入るには色々と手順が必要なのだが、幸いその辺の手順は以前ニラシスと一緒に来た時と変わっていなかったので、特に問題なく店に入ることが出来たのだが……
(先客か)
店の中、各種マジックアイテムが置かれている場所にレイが姿を現すと、そこには先客がいた。
見るからに冒険者といった様子の女が一人。
その女が、猫店長とポーションの値段交渉を行っていた。
最初に店の中に入ってきたレイの姿に気が付いたのは、カウンターの向こうにいる猫店長。
猫店長という名前通り、猫の着ぐるみを着ている男だ。
レイの認識では、日曜にデパートでやる着ぐるみショーとかに出て来るような、そんな猫の着ぐるみを。
一見すれば、ふざけているのか? と思われても仕方がない猫の着ぐるみだったが、この着ぐるみはただの着ぐるみではない。
レイの着ているドラゴンローブを始めとした各種マジックアイテムを作ったエスタ・ノールの手による作品だった。
最初にそれを知った時は、レイも素直に驚いたが……エスタ・ノールを含めたゼパイル一門は、日本から来たのだろうタクム・スズノセがいたということで、そういうこともあるだろうと自分を納得させている。
「おや、レイさん。いらっしゃいませ」
猫店長の言葉に、値下げ交渉をしていた女の冒険者もレイの方を向く。
すると、何故かその女の冒険者の顔には驚愕の色が浮く。
(うん? 知ってる顔……って訳じゃないよな?)
レイを見て驚いたということは、レイのことを何らかの理由で知っているのは間違いない。
ただし、それが具体的にどのような理由で自分のことを知っているのかはレイにも分からなかった。
改めて女の顔を確認するものの、やはり見覚えのない顔だ。
勿論、レイも今まで会った全ての相手の顔を覚えている訳ではない。
だからこそ、こうして目の前にいる女と以前会ったことがあってもおかしくはないのだが。
「ど……」
どうした? そう尋ねようと思ったレイだったが、その最初の一言を聞いた瞬間、女はその表情から驚愕を消し、憎悪の……それこそ殺気を込めた視線をレイに向ける。
目の前の女にそのような視線を向けられる覚えはなかったレイだったが、実際に女がそのような視線を向けている以上は、やはり自分と何かあるのだろうと思えた。
……でなければ、初対面の自分にこうも殺気を込めた視線を向けるというのが全く理解出来なかったのだから。
俺が何かしたか?
そう聞こうと思ったレイだったが、女はレイと一瞬でも同じ空気を吸いたくないといった様子で、ポーションの料金をカウンターに叩きつけるように置くと、ポーションを手に店を出る。
レイの側を通った時、先程と同様……いや、それよりも強い殺気をレイに叩き付けていく。
(何でだ?)
その殺気に、そんな疑問を抱くレイ。
殺気を叩き付けられる理由が全く分からないのだから、そのように疑問に思ってもおかしくはない。
女の姿が消えてから、レイは猫店長に尋ねる。
「なぁ、何で俺はあの女にあそこまで憎まれてるんだ? 初めて見る顔なんだが」
「それを私に聞かれても困るね。……ただ、支払えるだけの金があるのなら、わざわざ値下げ交渉をしなくてもよかったと思うけど」
カウンターの上に置かれた金額は、値下げ交渉する前の値段分だった。
とはいえ、それだけの金額を持っているからといって、その金額を使う訳にはいかないと考えるのも事実。
もし安い値段でポーションが買えたら、その差額で別の物を購入出来るのだから。
もっとも、それはあくまでも冒険者側の理屈で、商売をしている方にしてみればそのようなことは関係がないのだが。
ポーションの代金を回収した猫店長の言葉に、それもそうかとレイも納得する。
だからといって、自分が何故あの女にあそこまで憎まれているのかは、全く分からなかったが。
「後で面倒なことが起こらないといいんだけどな」
あそこまで憎まれている以上、例えばダンジョンで遭遇したら襲い掛かってくるといったことをしてもおかしくはないし、場合によっては暗殺者を雇うといったことになってもおかしくはない。
レイにしてみれば、そういう面倒は出来れば遠慮したかった。
とはいえ、だからといって自分を憎んでいる理由が不明なままでは、どうしようもないのだが。
「それで、今日はどのような用件で? ポーションを?」
前回レイが来た時は、それなりに多くのポーションを購入した。
その時のことを言ってるのだろう。
「ポーションがあるのなら買うけど、今回はそれ以外に本命がある。……ちなみに猫店長はダンジョンについてそれなりに詳しいか?」
「それなりには。冒険者がダンジョンで入手したマジックアイテムを売りにくるので自然と詳しくなるんだ。とはいえ、それはあくまでもそれなりでしかないけど」
「そうか、それなりでも詳しいのなら詳細な説明はいらないな。現在俺は十階にいるんだが……」
「ほう、もう十階に?」
「セトがいるしな」
アーヴァイン達のパーティが七階にいると思えば、十階というのはそれなりに凄いのかもしれないが、そこまで突出して凄くはないというのが、レイの感想だった。
とはいえ、アーヴァイン達は毎日のようにダンジョンに挑戦しているのに対し、レイは教官の仕事もあるので、そちらもそれなりにやらないといけない。
そういう意味では、レイの攻略速度は明らかにおかしいのだが。
「なるほど。……それで、十階がどうしたのかな?」
「十階はアンデッドが大量にいる墓場だ。その為、周囲には腐臭や悪臭が漂っている、普通なら何とか我慢出来るんだろうが、俺は常人よりも五感が鋭いし、セトは俺よりも更に五感が鋭い」
普通なら五感が鋭いというのは、良いことばかりのようにも思えるだろう。
だが、十階の墓場のようなアンデッドが多数いるような場所では、その鋭い五感……特に嗅覚が、ダメージを受ける。
「ああ、なるほど。……とはいえ、それでこの店に来られても……」
猫店長が戸惑ったように言う。
猫の着ぐるみを着ているのでその表情は分からないが、恐らく猫の着ぐるみの中でも同じように思っているのはレイにも予想出来た。
猫店長の反応から、恐らく駄目だろうと思いつつも、レイは一縷の望みに懸けて口を開く。
「何かそういう悪臭に対抗する為のマジックアイテムとかないのか? セト程ではないにしろ、獣人の中には嗅覚の鋭い奴も多いだろう? なら、そういう連中の為に悪臭対策のマジックアイテムがあってもいいと思うんだが」
そう言うレイだったが、冒険者育成校の教官の中にも獣人はいて、その獣人に話を聞いてみたところ、根性という答えが返ってきただけだ。
実際、その言葉は間違っていないのかもしれないが、出来れば根性以外の手段を知りたかった。
「そう言われても……今までそのようなマジックアイテムが持ち込まれたことはない。一応、悪臭を消すといったマジックアイテムはあるけど……」
「それだ!」
まさにレイが求めていた性能のマジックアイテムに、喜びの声を上げる。
しかし、猫店長はそんなレイに向かい申し訳なさそうに首を横に振る。
「そういうマジックアイテムもあるけど、それは別にダンジョンで使う為のマジックアイテムではない。家とかで使うマジックアイテムだ」
「あー……うん。なるほど」
猫店長の言葉にレイが思い浮かべたのは、日本にいた時にTVで見たゴミ屋敷だ。
この世界にもゴミ屋敷があるのかどうかは分からないが、部屋を片付けられないような者というのはそれなりに多そうだった。
悪臭用のマジックアイテムというのは、そういう時に使うのだろう。
「それでも悪臭を消すという効果はあるんだろう? なら、墓場でも使えないか?」
「……私はそのマジックアイテムを取り扱っていないので何とも言えない。ただ、地上とダンジョンでは状況が違いすぎる。ダンジョンで使っても恐らく効果は発揮しないか、あるいは発揮しても微かなものになってもおかしくはない」
「それでも多少なりとも効果が発揮されるだけで助かる」
嗅覚が鋭くない……一般的な嗅覚しか持っていない者であれば、悪臭用のマジックアイテムがそこまで効果を発揮しなければ、意味がないと思うかもしれない。
だが、五感の鋭いレイや、そんなレイよりも更に五感の鋭いセトは違う。
それこそ少しでも効果を発揮するのなら、そのようなマジックアイテムは是非使ってみたい。
(それに、マジックアイテムが使える時間が短いのなら、十階の探索は諦めて十一階に行くまでの間だけでも効果を発揮してくれれば、それでいいし)
レイとしては、マジックアイテムが多少でも……それこそ、本当に少しでもいいから発揮されたのなら、それはそれで構わないとすら思っていた。
セト程ではないにしろ、レイもまた十階に漂う悪臭や腐臭は決して得意ではないのだから。
我慢出来ない程ではないが、我慢しなくてもいいのなら我慢をしたくない。
そのように思いつつ、レイは悪臭用のマジックアイテムを欲する。
「取りあえず試してみるから、売ってくれ」
「ないよ」
レイの言葉に、猫店長はあっさりとそう言う。
猫店長のその言葉は、レイに驚きを与える。
「ない?」
「ああ、ない。……さっきも言ったと思うけど、この店にその手のマジックアイテムが持ち込まれたことはない。その手の日常生活で使うようなマジックアイテムは、この店では扱ってないんだよ」
「あー……」
猫店長の言葉に、レイは納得するしか出来なかった。
猫店長のこの店は、マジックアイテムを取り扱ってはいるが、それは基本的に高価な物が多い。
それと比べて、悪臭を消すというマジックアイテムは日常で使う品だ。
……レイとしては、日常的に悪臭を消すマジックアイテムを使わないといけないような家に住みたいとは思わないが。
ともあれ、そのようなマジックアイテムである以上、この店で売っていないと言われるのは仕方がない。
「そうだな、悪い」
言ってみれば、高級レストランでお茶漬けを注文するかのようなものだ。
それも厳選された食材を使ったお茶漬けではなく、前日に炊いたご飯に同じく前日に焼いた鮭をのせて適当なお茶でも掛けたかのような、そんなお茶漬けを。
そういう意味では、猫店長はレイの言葉に怒ってもよかった。
それでも怒らなかったのは、猫店長にとってレイは大事な客だと認識されているからだろう。
何しろレイはガンダルシアにおいて現在最高の冒険者なのだ。
そのような人物との関係を悪くするというのは、百害あって一利なしなのだから。
勿論、レイが猫店長にとって到底受け入れがたいことをした場合は、その限りではない。
……もっとも、単純にレイがドラゴンローブという、猫店長の着ている着ぐるみを作ったエスタ・ノールが作ったマジックアイテムを持っているからという可能性も十分にあったが。
ともあれ、レイの言葉で猫店長が怒らなかったのはレイにとっても助かったのは間違いない。
「じゃあ、まずはそっちを回ってみる。どこかお勧めの店はあるか?」
「それを私に聞くのですか? ……まぁ、いいでしょう。マイモの店を尋ねてみればいいでしょう」
「いや、名前だけ言われても場所が……あ、いや。何とかなるか」
店の前でセトと待っている警備兵を思い浮かべ、レイはそう言う。
猫店長がマイモの店と名指しする以上、それなりに有名な店なのは間違いないだろう。
この猫店長の店のように、冒険者だけが……それも相応の実力を持つ冒険者だけが来るような店とは違い、悪臭を消すというのは日常生活に使うマジックアイテムだ。
火種を作ったり、明かりのマジックアイテムと同じような日常生活で使う物である以上、それを取り扱っているマイモの店というのは、警備兵が知ってる可能性は十分にあった。
購入出来るだけのポーションを購入し、その代金を支払うと猫店長は一礼する。
「では、またのご来店を。……そう言えば、以前購入した風の短剣はどうだったのかな?」
その言葉に、レイは以前この店で購入した短剣を思い出す。
マジックアイテムではあるが、使い捨てという……それでいながら値段も相応の、普通の冒険者が使うには少し困る短剣を。
「あの短剣はまだ使ってないな。そこまで強い敵はまだ出て来ていないし。かといって、どうでもいい雑魚に使うには勿体ない」
使い捨てである以上、当然ながら一度使えばその効力はなくなる。
あるいは効力がなくなっても短剣そのものは残るのか、それとも効力がなくなると同時に短剣も破壊されるのかは分からないが、とにかくそう簡単に使うことが出来ないというのがレイの意見だった。