3732話
ダンジョンに近付いたところで、レイ達が尾行している男がハルエス達との距離を急激に縮め始めた。
それを見たレイが、やっぱりなと思ったのはやはりあの男は五階に到達していなかったからなのだろう。
つまり、ここでハルエス達に接触しなければ、接触する機会がないと判断したのだろう。
だが……そんな男を見ても、レイは動かない。
「グルルゥ?」
レイと一緒に尾行していたセトは、いいの? と喉を鳴らす。
ハルエス達を尾行していた相手を尾行するといったことをしたのだから、男がハルエス達に接触するのを阻止しようとしているのだと思ったのだろう。
実際、それは完全な外れという訳でもない。
もし男が武器に手を伸ばしていたり、あるいはそこまでしなくても敵意や殺意を発していれば、レイも男がハルエス達に接触する前に止めただろう。
だが、男にそのような様子はない。
つまり、何か言いたいことがあるのは間違いないが、力でどうこうしようとは思っていないのだろう。
(それも何となく予想出来るけどな)
そうレイが思ったのは、以前男とハルエスが言い争いをしている場所に出くわしたことがある為だ。
レイのアドバイスによって弓を使うようになり、しかもハルエスにはそれなりに弓の才能があったことも関係してか、冒険者育成校においてそれなりに話題になるようになっていた。
……勿論、それは良い意味の話題とはとても言えなかったのだが。
どのパーティからも爪弾きにされていたポーターが弓を使うようになったといったように。
もっとも、そのような噂を撥ねのけたハルエスは、最下位クラスからどんどん上のクラスに上がっていったのだが。
以前ハルエスとパーティを組んでいた男にしてみれば、純粋なポーターでやっていきたいと言っていたハルエスが弓を使うのは、主義を曲げたように思え、それが面白くないのだろう。
あるいはもっと単純に、自分の元の仲間が……それも自分がパーティを解散した結果、他のパーティに入れて貰えなくなっていたハルエスが、冒険者育成校の中でもトップクラスの実力を持つアーヴァイン達とパーティを組んだというのが信じられず、面白くなかったのか。
「ああ、やっぱり」
ハルエスと言い争いをしていた男だったが、そこにアーヴァインとイステルが加わると、何も言えなくなる。
せめてもの救いはザイードが口出しをせずに様子を見ているだけか。
ハルエス達が何を話しているのかは、レイの耳にも聞こえない。
常人よりもかなり鋭い五感を持つレイだったが、今はハルエス達のいる場所からかなり離れた場所にいる上に、ダンジョンの前ということで周囲には多くの者が集まり、そのざわめきが響いていた為だ。
「あ、ほら。あれでしょ? 深紅のレイって」
「うわ、本当だ。グリフォンが一緒にいる……従魔なのよね」
「どうやったらグリフォンなんて従魔に出来るんだろうな」
「知ってたら、私もセトちゃんみたいなグリフォンをテイムしたいわよ」
ハルエス達の会話は聞こえてこないが、ダンジョン前にいる者達がレイやセトを見て仲間内で話している声は聞こえてくる。
(セト好きが交ざっているな)
そう思いつつ、レイはセトを撫でる。
それを見た瞬間に微かに黄色い悲鳴が聞こえてきたものの、レイはそれをスルーする。
セトはレイに撫でられると目を細めて気持ち良さそうに喉を鳴らす。
そんなセトを撫でつつ、ハルエス達の方を見ていると……
「あ」
イステルが何かを言った瞬間、それを聞いた男は走り出す。
一体何を言われたのかはレイにも分からなかったが、恐らく男にとってショックを受けるようなことを言われたのだろうというのは予想出来る。
だからといって、レイにしてみればそれは自業自得だとしか思えなかったが。
(元々恋愛関係のトラブルでパーティを解散したのが悪いんだしな)
そのように思ったのだが、ちょうどそのタイミングで男はレイやセトのいる方に顔を向ける。
その表情が驚きに染まる。
まさかここにレイやセトがいるとは思っていなかったのだろう。
それでもレイに絡むようなことはなく、走る足を止めずにそのままこの場から走り去ったのは、ここでレイに絡んでもどうしようもないという思いからか。
もしくは、レイにこのような現場を見られたことによる羞恥からか。
レイとしては、ここで変に絡まれなくて助かったが。
「あの男の件、マティソンに話しておいた方がいいのかもしれないな。……もっとも、それもまた冒険者としての経験だと言われれば、それに納得するしかないんだが」
冒険者育成校はその名の通り冒険者を育てる学校だ。
だからこそ、パーティ間の問題といったものも、生徒達に経験させるというのは十分に有り得ることだろう。
実際、冒険者として活動した後で人間関係によるトラブルというのは多いのだから。
レイもその手の人間関係のトラブルには色々と巻き込まれた経験がある。
……もっとも多いのが、レイのことを知らない者がレイの外見からどうとでもなる相手だと侮って喧嘩を売り、それを買ったレイによってボコボコにされるということだろうが。
「さて、野暮用は終わったし……猫店長の店に行くか。セトも行くか? もっとも、店の中には入れないから、外で待ってる必要があるけど。それに……治安が良くないんだよな、あの辺は」
以前レイがニラシスに案内されて猫店長の店に行った時、チンピラ達に絡まれた経験からの言葉だ。
その時は当然ながらレイがチンピラ達を撃退し、そこにレイ達がガンダルシアに来た時に冒険者育成校まで案内してくれた警備兵が来てくれたので、それ以上は特に問題はなかったのだが。
そのような場所だけに、もしセトがいれば妙なことを考える者もいるかもしれない。
セトの力を考えれば、そのような者がいてもどうとでも対処は出来るのだが。
かといって、一度家に戻ってセトを戻してから猫店長の店に行き、用事をすませた後でまた家に戻ってセトを連れてダンジョンに行くというのも、レイにしてみれば面倒臭い。
その為、どうするのかはセトに任せようと聞いたのだが……
「グルルルルゥ!」
レイと一緒に行く! とセトは喉を鳴らす。
セトにしてみれば、どうせならレイと一緒に行きたいと思うのはおかしな話ではない。
もし妙な者達に絡まれても、セトなら自分でどうにか出来るだけの実力はあるのだから。
レイもそんなセトの意見に否とは言わず、結局一緒に猫店長の店に行くことにする。
(もしセトにちょっかいを出しておきながら、セトから仕掛けて来たとか言ってきても……普通に考えれば、チンピラと異名持ちのランクA冒険者である俺のどっちの言葉を信じるのかは、分かりきっているし)
レイはセトと共に猫店長の店に進む。
そんなレイやセトを、様々な視線が追う。
その多くはセトに対する好意的な視線。
……レイとセトがガンダルシアに来てからまだそこまで経っていないのだが、既にセトはギルムと同様に、一種のマスコットキャラとして認識されているらしい。
そうしてやがてレイの目に猫店長の店に通じる道が見えてきたのだが……
「おや、レイさん?」
その道に向かっていたレイに対し、不意にそんな声を掛けられる。
レイが声のした方に視線を向けると、そこには先程思い出していた警備兵の姿があった。
(噂をすればなんとやら)
そんな風に思いつつ、レイは警備兵に向かって口を開く。
「久しぶりだな。今日も見回りか? 以前この辺で俺が絡まれた時にやって来たのも、見回りの時だったよな?」
「ええ、はい。この辺りは少し治安が悪いので。それはレイさんも知ってるでしょう?」
「そうだな」
実際にチンピラに絡まれた経験がある以上、レイはその言葉を否定は出来ない。
そうした返事をしたレイを見た警備兵は、少し呆れた様子で口を開く。
「それを分かっているのなら、何でこんな場所に? しかも……セトまで連れて。この辺りの住人がセトを見つけたらどうするのか、レイさんなら分かるのでは?」
「かもしれないな。とはいえ、それでもやらないといけないことがあるんだよ」
十階にある墓場の悪臭をどうにかするのが、それでもやらなければいけないことかと言われると、レイも素直に頷くことは出来なかったが。
ただ、素直には頷けないが、それでも最終的に頷くのは間違いない。
この辺りの治安が悪いのは間違いないが、言ってみればその程度だ。
ダンジョンの中とこの辺りのどちらが危険なのかは考えるまでもないだろう。
……裏通りに近い場所とはいえ、街中とダンジョンの中を比べるのがそもそもの間違いではあるのかもしれないが。
「……なるほど」
レイにとっては予想外なことに、警備兵はレイの言葉に反論を口にしたりはしなかった。
レイが腕利きの冒険者で、ダンジョンの攻略を急速に進めているというのを、知っているからか。
警備兵にとっても、ダンジョンの攻略が進むというのは好ましいことだ。
そうである以上、レイがダンジョンを攻略するのに必要というのなら、そういうものだろうと納得する。
勿論それは、あくまでも法的に問題がない場合に限っての話だ。
もしダンジョンの攻略に必要であっても、例えば何の罪もない者から何かを奪うといったようなことをすれば、当然ながら警備兵もそれに対処するようにして動くだろう。
「では、レイさんがいない間、私がセトと一緒にいましょう。警備兵の私が一緒にいれば、セトにちょっかいを出すような者もいないだろうし」
「いいのか?」
レイにとって、警備兵の口から出た言葉は非常に助かるものだった。
セトがこの辺りにいるチンピラにちょっかいを出されても、セトの力があればそのような相手は容易に撃退出来るだろう。
だが、それでもチンピラとはいえ、セトが攻撃をしたという事実は残る。
それが後々面倒なことにならないようにするには、やはりそのようなことが起こらないのが一番いい。
その為、レイは警備兵からの提案を受け入れる気満々だった。
「ええ、構いませんよ。ここで下手に騒動を起こせば、それによってこちらの面倒が増えるだけでしょうし」
「分かった、なら頼む」
警備兵の提案を受け、レイはセトと残る警備兵以外を連れて猫店長の店に向かう。
「それで、一体何しにこの辺りに来たのか……教えて貰ってもいいですか?」
「マジックアイテムを購入する為だよ。ダンジョンを攻略する際に欲しい奴」
猫店長の店に絶対に悪臭対策のマジックアイテムがあるとは、レイも思っていない。
寧ろ、恐らくはないだろうと思いつつ、駄目元での行動だった。
もし猫店長の店に悪臭対策のマジックアイテムが売っているのなら、朝にそのことが話題になった時、誰かがそう言ってもおかしくはなかったのだから。
特にレイをこの猫店長の店に連れてきたニラシスは、余計にその辺りの事情に詳しくてもおかしくはなかった。
だが、そのようなことがなかった以上、猫店長の店に悪臭対策のマジックアイテムがあるとは思えない。
それはレイも理解していたのだが、それでもセトのことを思えば何とかその手のマジックアイテムが入手出来ないかと思っての行動だった
また、レイもそうだがレイよりも更に嗅覚の鋭いセトのことを思えば、このダンジョンだけではなく、これからの冒険者としての行動においても、悪臭の対策はあった方がいい。
これから毎回悪臭がしたら、それを我慢するしかないというのは、色々と問題がある。
その為、ダンジョンの件もそうだが、それ以上にこれからの事を考えて悪臭対策のマジックアイテムは入手しておきたかった。
それが具体的にどのようなマジックアイテムなのかはレイにも分からないが。
「じゃあ、こっちだ。猫店長との話も出来るだけ早く終わらせてこっちに戻ってくるから、そのつもりでいてくれ」
「……猫店長?」
警備兵はレイの口から出た猫店長という言葉に、一体こいつは何を言ってるんだ? といった視線を向ける。
警備兵にしてみれば、そのような愉快な……場合によってはふざけていると思われてもおかしくないような名前に、思うところがあったのだろう。
とはいえ、レイに冗談なのか? といった様子で視線を向けても、レイはその視線を特に気にした様子もなく頷く。
「そうだ。猫店長だ。マジックアイテムを売っている店なんだが……まぁ、そういう奴だけに、ちょっと特殊なところがあるのは否定しない」
もし猫店長の姿を見た者がいれば、『ちょっと?』と言ってきてもおかしくはない。
だが、レイは取りあえずそう言って誤魔化す。
この警備兵が実際に猫店長と会うことはないだろうと思っているからこその言葉だった。