3731話
「あ、レイ教官。ダンジョンに行くんですか?」
今日の授業も終わり、レイがセトと共に冒険者育成校を出ようとしたところでそう声を掛けられる。
声のした方に視線を向けると、そこにはレイに声を掛けてきたイステルの他に、アーヴァインとザイード、そしてハルエスの四人の姿があった。
「いや、ちょっとマジックアイテムを買いにな。そういうお前達はダンジョンか?」
以前殺気を放ち、それに耐えられるかどうかを試した一件で、色々とあってこの四人がパーティを組んだのをレイは知っている。
本来ならハルエスは下級クラス……どころか、最下級クラスのポーターだったのだが、レイのアドバイスで弓を使うようになり、その才能が開花したことにより、現在は七組までクラスを上げている。
それでも一組を率いるアーヴァイン、二組を率いるイステル、三組を率いるザイードといった、純粋な戦闘力なら間違いなくこの冒険者育成校の中でもトップクラス……いや、冒険者の雛とでも呼ぶべき者達が集まる冒険者育成校だけではなく、低ランク冒険者全体で見てもトップクラスの実力を持つ者達だ。
そんな者達から要望を受けてパーティを組んだのが、一時期は落ちこぼれと見なされ、それこそパーティに入れて欲しいと要望しても断られていたハルエスだったのだから、それを知った者達の多くは衝撃を受けた。
中にはハルエスはすぐに三人についていけなくなると言う者もいたが……今のところ、このパーティは上手くいってる様子だった。
「ええ、今日は七階に挑む予定です」
「……そうか。頑張れよ」
自分が昨日十階に到着したことを思えば、イステル達のダンジョン攻略速度はかなり速い方だろう。
それだけ実力者が集まっていることの証だった。
「ええ。……では、セトちゃん。また今度ね」
「グルゥ」
イステルがレイ……ではなくセトに向かってそう言い、他の面々もレイに向かって頭を下げて離れていく。
そんな中でレイの目についたのは、やはりハルエスだ。
最初……初めてレイがハルエスと会った時には切羽詰まった状態だったのだが、今では自信に満ちた表情を浮かべている。
弓を使うようになっただけで、ここまで大きく自分の状況が変わるとは思ってもいなかったのだろう。
だからこそ、そのようにアドバイスをしたレイに向ける視線には強い感謝のいろがある。
(結局のところ、ハルエスに才能がなければどうにもならなかったんだけどな)
レイが弓を持つようにアドバイスしたのは間違いない。
だが同時に、もしハルエスが弓を持っても、その才能が平凡なものであれば……あるいは全く才能がなければ、今のような状況にはなっていなかっただろう。
(そういう意味では、ハルエスは幸運でもあったんだろうな)
弓の才能を持っているハルエスだったが、もしレイが弓ではなくもっと別の……それこそ長針の投擲といった攻撃方法を勧めていれば、ハルエスはここまで急激に強くはならなかっただろう。
純粋なポーターだった時と比べると多少は戦闘力で頼れるようになったかもしれないが、それでもそこそこの戦力アップでしかなかった筈だ。
「グルゥ?」
「ん? セト?」
ハルエス達を見送っていたレイだったが、不意にセトが喉を鳴らしたのに気が付く。
これが、いつまでここにいるの? といったようなものであれば、レイもすぐに謝るなり、どこかに行くなりといった反応が出来たのだが、セトが喉を鳴らしたのはそういう意味ではなく、訝しげな感じのものだった。
そんなセトの視線を追うと、そこには立ち去ったばかりのハルエス達の後を追う者の姿があり、その人物が誰なのかレイは知っていた。
(あれ、以前ハルエスとパーティを組んでいた奴だよな?)
元々ハルエスが組んでいたパーティは、レイの視線の先にいる男が起こした恋愛沙汰の騒動によって、最終的に解散することになった。
それによって純粋なポーターだったハルエスは他のパーティに入れて貰おうと頑張る羽目になったのだ。
そしてレイが以前見た時は、その男がハルエスに何故純粋なポーターとして活動するのを止めたのかと責めている光景だった。
そんな人物がハルエス達を尾行しているとなると、そこには何かがあるようにレイは思ってしまう。
(どうするか)
レイとしては、このまま気にせず猫店長の店に行っても構わない。
だが、わざわざハルエス達を尾行しているように見える以上、ここで見て見ぬ振りをした結果、ハルエス達に何らかの被害が出れば、恐らく後悔するだろう。
「仕方がないか」
はぁ、と息を吐いてからレイはセトに視線を向ける。
「グルゥ?」
レイの様子に、どうしたの? と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトを申し訳なさそうに撫でながら口を開く。
「ちょっとした野暮用が出来た。悪いけど、猫店長の店に行くのは勿論、ダンジョンに行くのも少し遅れる」
その言葉に、分かったと喉を鳴らすセト。
あまり残念そうに見えないのは……ダンジョンに行くというのは、それはつまり十階の墓場に行くということを意味しているからだろう。
そして墓場に行くということは、再度あの悪臭や腐臭の漂う中を移動する必要が出てくる。
レイと一緒に行動出来るのは嬉しいし、ダンジョンに挑戦するのも楽しい。
未知のモンスターの魔石は、是非とも入手したい。
だが……それでも、あの悪臭は遠慮したいというのも事実。
その悪臭にどうにか対処出来るのなら、セトとしては不満はない。
そうしてセトが納得したのを確認すると、レイはハルエスを尾行している男を更に尾行する。
(さて、あの男は一体何を考えて尾行なんてしてるんだろうな。ハルエスにちょっかいを出すよりも、自分のことを頑張った方がいいと思うんだが)
セトと共に視線の先にいる男を尾行しながら、レイはそんな風に思う。
ハルエスが純粋なポーターだったからということで、多くのパーティに断られたのは間違いない。
それに対して、レイが尾行している男は戦士なので、本来なら引く手数多だ。……そう、本来なら。
だが、ハルエスのいたパーティが解散したのは、その男の恋愛が原因だった。
それについて知っている者なら、そういう騒動を起こした相手をパーティに入れたいとは思わないだろう。
ましてや、自分のパーティに女がいれば余計に。
とはいえ、それでもハルエス程に大変という訳ではないのだが。
恋愛関係で問題を起こしたとしても、やはり戦士というのは需要が高い。
それを受け入れるパーティ……具体的にはそのパーティを構成する冒険者育成校の生徒達の数を考えれば、戦士というのは多くの受け入れ先がある。
勿論、恋愛関係で問題を起こしたということで、本来パーティを組む相手よりは格下の存在のパーティに所属することになるが。
それにしても、ハルエスのようにどんなパーティからも断られるというようなことはないので、大分優遇されているのだが。
(だからといって、悪評を消す為に必死になって冒険者として働くのかと思っていたら、そういう訳でもないしな。何でわざわざハルエスを尾行するのやら。……いっそ声を掛けるか?)
そんな風に思いながら進むレイとセト。
当然ながらレイとセトは目立つのだが、尾行されている男はそのことに全く気が付いた様子もない。
ハルエス達を尾行することに夢中になっているのだろう。
あるいは、尾行をしている自分が更に尾行されるなどといったことが起きるとは、思っていないだけなのかもしれないが。
「グルゥ」
尾行をしているレイだったが、セトにしてみればレイと一緒に街中を散歩しているようなものだ。
ましてや、ここは冒険者育成校からそれ程離れていない……つまり、身体を動かした若者達がいるということで、屋台がそれなりに多い。
セトはそんな屋台から漂ってくる香りに、お腹が減ったと喉を鳴らす。
「そうだな。腹ごしらえも大事か」
円らな瞳でお腹が減ったと態度で示すセト。
そんなセトに負けたレイは、男を見失わないようにして屋台で売っているパンを買う。
勿論ただのパンではない。
冒険者育成校の生徒達……食い盛りの年齢の者達が満足出来るような、そんな量のサンドイッチ……いや、ホットドッグのようなパンだ。
ただし、具はソーセージではなく肉と野菜を炒めたものだったが。
手軽に作れる料理ということではいいのだが、肉野菜炒めである以上、細かく切られた肉や野菜が入っているので、零れやすい。
セトのように一口で食べるのなら問題ないのだろうが、レイのように普通の口の大きさしかない者が食べるとなると、どうしても零れやすくなってしまう。
(それを込みで考えても……いまいちってところか)
肉や野菜を炒める時の火加減の問題なのか、あるいは下処理の問題なのか。
その辺はレイにも分からなかったが、肉や野菜から出た汁がパンに染み込んでいる。
それを気にしない、あるいはそれがいいと言う者もいるのかもしれないが、レイにとってはあまり好ましくはなかった。
また、肉や野菜も品質は決して良くはなく……どちらかといえば悪い寄りのものだ。
食材の質が悪くても、下処理をしっかりとすればそれなりに美味いと思えるようになるのだが、屋台の店主はその辺りの下処理もあまりやってはいなかったらしい。
あるいは下処理をしているのは店主ではなく別の人物の可能性もあったが。
(あ、いや。でも学生にしてみれば味よりも量って感じなのか? ましてや、冒険者育成校はその名の通り冒険者を育成する学校で、身体を動かす授業が多いし)
そうなると、それこそ日本にいた時の部活帰りの生徒達のように、とにかく腹を満たすといったことをしてもおかしくはない。
もっとも、レイは部活必須の中学時代はともかく、高校時代は趣味に没頭する為に部活には入っていなかったが。
ともあれ、その辺りの事情を考えると味よりも量を重視した屋台の方が生徒達に喜ばれるのは間違いない。
最善なのは味と量の両方が他の屋台よりも勝っていることだが……そのようなことは基本的に難しい。
あるいは出来たとしても、そうなると料金が他の屋台よりも高くなるだろう。
(まぁ、こういうのもたまにはいいか)
基本的にレイは自分が美味いと思う料理を食べる。
屋台でもそれは同じだったが、たまには味よりも量といった料理……生徒達が好んで食べる料理を食べるのも悪くはないだろうと、そう思いながら。
実際、レイの舌には合わなかったこの屋台だったが、レイの後ろには数人の客が並んでいるのを見れば、決して流行っていないという訳でもないのだろう。
そうしてパンを食べ終わると、レイはセトと共にその場から離れる。
屋台の店主はこのような場所で仕事をしてるのだから、当然ながら冒険者育成校の事情にはそれなりに詳しく、あるいは街中で噂を聞いたというのもあってか、レイやセトについては十分に知っていた。
その為、レイとセトが自分の屋台に食べにきたと笑みを浮かべる。
それこそ、レイやセトがお気に入りの店といったような看板でも作ろうとかと思いながら。
もしレイがそれを知れば、止めておけと言っただろうが。
「セト、じゃあ行くか」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが喉を鳴らし、尾行をしていた男を追う。
普通なら屋台で時間を使った分だけ、ハルエス達を尾行していた男を見失ったりしてもおかしくはない。
だが、その辺はレイやセトだけあってか、尾行している相手を見失うといったことはなかった。
……これもまた、ハルエス達を尾行している男が、まさか自分が尾行をされているとは思っていなかった為だろう。
その為、レイ達は男を見失うことなく尾行を続けることが出来た。
(それにしても、いつまで尾行をしてるんだろうな? イステルの話だと、ハルエス達はこれからダンジョンに行くって話だったけど……だとすれば、ダンジョンの中まで行くのか?)
レイがイステルから聞いた話では、あのパーティは冒険者育成校の生徒としては結構深い階層まで到達している。
今日から七階を攻略するということは、既に五階の転移水晶に登録をしており、六階も攻略しているということを意味している。
もっとも既に六階を攻略しているとはいえ、今日転移した先はまた五階なので、七階に行く前には六階を通らなければならないが。
それでも一度攻略した階層だけに、どのような場所なのかは分かっており、モンスターとも出来るだけ遭遇しないようにして進むといったことが出来れば、特に消耗もなく七階まで行けるだろう。
問題なのは、ハルエス達を尾行している男がどうするかだろう。
五階まで到達出来ていない場合、尾行はダンジョンの前で終わりということになる。
そうなると、ダンジョンの前で一騒動あるのかも?
そうレイは考えつつ、尾行を続けるのだった。