3720話
「うーん……ないな。そろそろ宝箱の一個や二個、あってもいいと思うけど」
レイはセトの背の上で、周囲の様子を確認しながら残念そうに呟く。
最初にポーションを見つけてから、既に一時間近くが経つ。
しかし、また宝箱を見つけることは出来ないでいた。
もっとも、これは別にそこまで珍しいことではない。
元々ダンジョンで宝箱を見つけるというのが、そう簡単に出来ることではないのだから。
それでもレイが他の冒険者よりも有利だったのは、何故か七階に冒険者の数が多くない……つまり競争相手が少ないことや、鋭い五感を持つセトがいることだろう。
……そうした有利な状況であっても、まだ他の宝箱を見つけられてない辺り、その難易度が高いことが明らかだった。
(というか、もしかしたらもう宝箱が七階にないって可能性もあるのか? あるいは、あるとしたら湖の中とか)
この七階の多くの部分を占めている湖だけに、そこに宝箱があってもおかしくはない。
だが問題なのは、先程レイがセトに頼んだ時、セトがそれを嫌がったことだろう。
レイも宝箱は気になるが、セトに無理をさせてまで欲しいとは思わない。
あるいは希少なマジックアイテムの入っている宝箱があると分かっているのなら、セトに少し無理を言うか、あるいはレイがどうにかして湖に潜ってもいい。
幸いなことに、レイは日本にいる時から川で泳いでいたり、小学校の時は夏休みに何度も学校のプールに行ったりと、泳ぎは得意だった。
ましてや、今のレイの身体はゼパイル一門によって作られた非常に高性能な代物だ。
その気になれば、水深百mどころか、一km以上の深さであっても水圧を気にせず潜ることが出来るだろう。
あるいは、魔法やスキルを使って湖の水そのものをどうにかするか。
……ただし、そこまで大規模なことをするとなると、当然ながら大きな騒動になってもおかしくはない。
前もってギルドに話を通すなりなんなりしておく必要があった。
「これ以上七階を探索しても何も見つかりそうにもないし、宝箱探しはこれで止めよう。ポーション……それもそこまで効果の高くない奴だとはいえ、そのポーションを入手出来ただけでもよしとしておこう」
「グルゥ?」
いいの? とセトが喉を鳴らす。
セトにしてみれば、レイのことだからもっと宝箱を探したいと思っていたのだろう。
実際、そんなセトの思いは決して間違ってはいない。
もしこの七階ではなく、もっと違う場所……広くて湖がないような場所なら、そうしただろう。
だがセトが嫌がっているのを理解しながら、まだ残りたいとは思わなかった。
「ああ、問題ない。けど……そうだな。じゃあ、八階に行く前に最後に一度空を飛んで、上から地上に宝箱がないかどうかを確認しておこう。それでいいか?」
「グルルゥ!」
レイの言葉に、任せてと喉を鳴らすセト。
上空から宝箱を見つけるのは、決して簡単なことではない。
……そもそも、木や岩、茂みといった場所に宝箱が隠されていれば、それを見つけるのは余計に難易度が上がるのだから。
それでもセトなら……そうレイが思うのは、セトの五感の鋭さを理解しているからだろう。
木や岩、茂みといった場所に宝箱が隠されているとしても、宝箱の全てが完全に隠されているとは限らない。
半分……とまではいかないが、一部であっても宝箱が出ていれば、セトならそれを見つけてもおかしくはないというのがレイの考えだった。
そしてセトも、湖の中に入って宝箱を探すのは嫌そうだったが、上空から七階を見て回るのは問題ないらしい。
「じゃあ、頼む」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉にセトは喉を鳴らすと、数歩の助走で翼を羽ばたかせて空を駆け上がっていく。
セトの背の上で、レイもまた地上の様子を確認する。
レイよりもセトの方が五感が鋭いのは間違いない。
だが、鋭いからといって探している宝箱を絶対に見逃さない訳でもない。
セトが見逃した宝箱をレイが見つける可能性は十分にあった。
……もっとも、それよりもレイが見逃した宝箱をセトが見つける可能性の方が間違いなく上だっただろうが。
「あ、ニラシス達はもういないな」
空からなので、遠くまで見える。
レイ達がエイジフィッシュの焼き魚を食べた場所も見えたが、そこには既にニラシスのパーティの姿はない。
どうやらレイ達が宝箱を探している間に焼き魚を食べ終えて仕事に戻ったのだろう。
ニラシス達も七階に来たのは別にリゾート気分を味わう為といったものではない。
きちんと依頼を受けてやって来たのだ。
……もっとも、ニラシスの仲間の女二人はセトを見た瞬間に依頼のことをすっかりと忘れていた様子だったが。
ニラシスのいた場所から視線を逸らし、地上の様子を確認する。
だが、そうして調べ始めて二十分程が経過しても、何も見つけることは出来ない。
「ないな。……やっぱり地上には宝箱は一個だけだったのか? まぁ、景色はいいけど」
宝箱を見つける為に、本来のセトの飛行速度と比べるとかなり遅く飛んでいる。
それが一種の遊覧飛行のように思え、レイは満更でもない。
……もっともレイがセトに乗って空を飛ぶのはこれが初めてという訳でもなく、今まで数え切れないくらいに経験している。
日本にいる時は、飛行機やヘリコプターといった物に乗ったことはなかったのだが。
そういう意味では、空を飛ぶというのはギルムに来て初めて経験したことだった。
「グルルルゥ?」
これからどうするの? とセトがレイに向かって喉を鳴らす。
もう少し宝箱を探し続けるのか、それとも八階に向かうのか。
「うん、そうだな。……まぁ、こうして湖を上空から見ているのも悪くはないけど、いつまでもこのままって訳にはいかないし。八階に行くか。階段は向こうの方だな」
地図を出してざっと見たレイの指示に従い、セトはレイが示した方向に向かって翼を羽ばたかせる。
セトの飛行速度だけに、すぐに階段が見えてくる。
レイ達が探していた宝箱のように、何かに隠れているといったようなことでもあれば上から見つけるのも大変だったのは間違いないだろう。
だが、幸いにも八階に続く階段は草原となっている場所に堂々と設置されていた。
レイがセトの首を軽く叩くと、それを合図にしてセトは地上に向かって降下していく。
セトが地面に着地すると、そこには上空から見たように階段があった。
「さて、じゃあここで勿体ぶっても意味はないし……八階に行くぞ。八階はちょっと面倒な場所らしいから、気を付けよう」
「グルゥ!」
マティソンからの地図によって、八階がどのような階層なのかは理解している。
もっとも、レイが言うようにちょっと面倒な場所なのは間違いないが、同時に地図があれば攻略しやすい階層であるのも事実。
レイとセトは階段を下りていき……
「うん、ある意味ダンジョンらしいダンジョンではあるよな」
目の前の光景に、レイはしみじみと呟く。
レイとセトの前に広がっているのは、洞窟型の階層だ。
レイが言うように、ダンジョンと言われて思い浮かべることが多いのが、現在目の前に広がっているような洞窟型のダンジョンだろう。
もっとも、その辺は人によって違う。
ダンジョンと言われて洞窟型のダンジョンは絶対に思い浮かべないという者もいるかもしれないが。
ともあれ、レイやセトにとってもダンジョンと言われて思い浮かぶのはこのような洞窟型のダンジョンであるのも事実。
そして……このような洞窟型のダンジョンでは天井がそこまで高くはないので、セトが空を飛んで攻撃するといったことが出来ないのはレイ達にとって厄介だった。
もっとも、洞窟型のダンジョンは悪いことばかりではないのも事実。
具体的には迷路状になっているが故に、マティソンから貰った地図があればあっさりと九階に続く階段に到着出来るという利点もそこにはあった。
ただし、レイにとって残念なのは宝箱を見つけるのが無理……とは言わないが、面倒なことだろう。
地図があるので、この洞窟を最短距離で九階に続く階段に行くことの出来るレイが、わざわざ宝箱を探して行き止まりになっている場所に行くのでは、ダンジョンを攻略する上で非常に効率が悪い。
ましてや、七階でも結局宝箱が一個しか見つからなかったことを考えると、八階に置いてある宝箱の数もそう多くないのは明らかだった。
これがゲームであれば、レイはダンジョンでは全てのマップを埋めて宝箱の取り逃しがないようにしてから次の階層に進むなり、ボスに挑むなりしていたのだが。
しかし、これは現実だ。
魔法やスキルといったようにゲームにしか思えないものも存在しているが、あくまでこれは現実なのだ。
「真っ直ぐ九階に下りる階段に向かうか」
なので、レイは行き止まりになっている場所に行って宝箱を探したりはせず、真っ直ぐ階段に向かうことにした。
「グルゥ!」
レイもセトの言葉に分かったと頷く。
天井があるせいで飛ぶことが出来ない……いや、それどころかセトの身体能力を考えると、飛ぶのではなく跳ぶ……跳躍をしても、天井に当たってしまいかねない。
そういう意味では、少しでも早くこの階層を抜けたいとセトが思うのもおかしくはない。
セトにとって不幸中の幸いだったのは、道幅は三mから四m程とかなり広くなっており、セトでも普通に歩けるし、モンスターと戦闘になっても戦いにくくはないということだろう。
それでもセトにとてっては、空を飛んで攻撃出来ないというだけでかなりの不利ではあったのだが。
「グルゥ」
セトがレイに向かい、身を屈めて喉を鳴らす。
背中に乗って欲しいと言ってるのは明らかで、レイは素直にその背に乗る。
そして地図を見ながら、進むべき方向を示す。
もっとも、ここはまだ七階から下りてきたばかりの場所だ。
今はまだ一本道なので、道に迷うということはない。
(それにしても、今更……今までにも何度もダンジョンに潜ってきたけど、一層ごとにここまで変わるというのはちょっと不思議だよな)
地図を見つつ、レイはダンジョンについてそう考える。
そのまま進み続けること、五分程。
地図によると、そろそろ分岐点があるのだろう場所までやってきたところで、不意にセトが喉を鳴らす。
「グルルルルゥ」
その鳴き声に顔を上げたレイは、セトに少し遅れながらも近付いてくる気配に気が付く。
最初は他の冒険者か? とも思ったが、すぐにそれは違うだろうと理解した。
何故なら、近付いてくる気配の数が一つだったのだ。
ソロで活動している冒険者という可能性もあるが、ガンダルシアにおいてはソロの冒険者というのはそう多くはない。
あるいはソロではあっても、臨時のパーティ……いわゆる野良パーティで行動するという者も多い。
だからこそ、この八階でソロの冒険者と遭遇する可能性は……ゼロではないものの、限りなく低いのも事実。
そして何より……
どすん、どすんという重量感のある足音を考えると、やはりそれは冒険者のものとは思えなかった。
(いやまぁ、フルプレートメイルとかを着ていたら……いや、それでも無理か?)
冒険者育成校の三組のトップであるザイードのことを思い浮かべつつ、レイはセトの背から下りる。
これからここで行われるのは戦闘だ。
そうである以上、セトの背の上に乗ったままには出来ない。
ここがもっと広い場所であれば、また話は別だったかもしれないが、洞窟型の階層である以上、レイはセトから下りて戦闘をした方が有利だろうと判断する。
そしてレイとセトは警戒しながら進み……やがて分岐点に到着し、丁度のタイミングでY字路になっているうちの、右側からモンスターが一匹姿を現す。
姿を現したのは、巨人と呼ぶべきモンスターだった。
それこそ頭部が天井のすぐ下にあるのを思えば、かなりの大きさなのは明らかだ。
そのような相手を見つつ、レイはミスティリングから取り出したデスサイズと黄昏の槍を手に持つ。
(巨人……ただの巨人とか、そういう訳じゃないよな? サイクロプスやオーガとも違うし)
レイが巨人として思い浮かぶのは、サイクロプスやオーガだ。
もっとも双方共に巨人ではあっても実際にはゴブリンが進化した系統のモンスターなのだが。
そういう意味では、巨人ということなら以前レイが遭遇した子供と巨人という二つの形態を持つスプリガンの方が巨人系のモンスターだろう。
「ぐ……が……ぐがああああああああああっ!」
巨人は手に持つ棍棒を、雄叫びと共にレイではなく、より大きな標的ということで、セトに向かって振り下ろすのだった。