3717話
放たれた斬撃は、真っ直ぐに湖から飛び出したモンスターに向かって飛んでいった。
そうして斬撃を放った後で、ようやくレイは湖面を突き破って姿を現した敵の姿を見る。
「鮫?」
そう、それは間違いなく鮫だった。
勿論、水中を飛び出し、空を飛んでいる以上は普通の鮫ではない。
翼代わりなのか、身体には十近いヒレがある。
鮫は自分に向かってくる斬撃に気が付いたのか、複数のヒレを使って斬撃を回避しようとするが……
「シャギャアアアアア!」
周辺一帯に響き渡るかのような鳴き声を発する。
その理由は、鮫の尾ビレが飛斬によって半ばで切断されてしまったのが原因だろう。
空中でなんとか身をよじって飛斬を回避しようとしたのだが、生憎と飛斬を完全に回避するようなことは出来なかったらしい。
(にしても、鮫か。何で湖で鮫? いや、モンスターに常識を求めるのがそもそもの間違いなんだろうけど)
レイにとって鮫というのは、海のイメージだ。
……実際には湖で育つ鮫もいるのだが、レイはそれを知らない。
もっとも分かりやすいのは、キャビアの原料となるチョウザメだろう。
ただ、チョウザメは正確には鮫ではないのだが。
そういう意味では、レイの認識もそう間違ってはいないのだろう。
それに鮫は空を飛んだり、先程のような鳴き声を上げたりもしない。
その辺りの事情を考えると、やはりモンスターだからこその特徴なのだろう。
そんな風に思っている間にも、尾ビレを失った鮫は空を飛びながらレイ達のいる方に向かって突っ込んできた。
「セト!」
「グルルルルゥ!」
レイの声にセトが即座に反応し、翼を羽ばたかせながら鮫に向かって飛んでいく。
鮫は当然ながらそんなセトの姿に気が付き、鋭い牙が並んでいる口を大きく開けて威嚇の叫びを上げる。
「シャギャアアアアア!」
その鳴き声は、ようやくこの七階に到着したばかりの冒険者であれば、怯えて動けなくなってもおかしくはない。
だがそれは、あくまでもそのような相手に対してのものだった。
鮫の鳴き声……雄叫びを聞いても、セトは全く気にした様子がなく飛び、空高く上がっていく。
(うん? あれは……もしかして、あの鮫はそこまで高く飛べないのか?)
レイは鮫の様子を見て、そう思う。
鮫の性格……まだ接触して少ししか経っていないものの、それでも鮫が獰猛な性格をしているのはレイにも分かる。
そんな鮫の性格だけに、セトが飛びながら高度を上げれば、それを追ってもおかしくはない。
だが、鮫が実際にセトをそこまで追うようなことはなく、苛立たしげに牙を噛み合わせてカチカチと鳴らす仕草を見せる。
しかし、それも数秒。
やがて鮫は陸上にいるレイに向かって移動を始める。
セトは取りあえず今は無視することにしたのだろう。
今はそれよりも、自分の尾ビレを切断したレイに復讐しようと思ったのだろう。
「俺が敵を引き付ける」
「ちょっ、おい、レイ!?」
レイの言葉にニラシスが叫ぶ。
しかしレイはそんなニラシスの言葉を無視するかのように、焼き魚を食べていた場所から横に離れていく。
鮫はそんなレイを追うように移動していく。
そんな鮫の様子を確認しつつ、レイは一瞬だけ上空に視線を向ける。
レイの視線の先では、空を飛びながら鮫を追っているセトの姿がある。
鮫は自分が狙っているレイ……自分の尾ビレの一部を切断したレイに報復することだけを考えており、既に頭の中にはセトの存在はないらしい。
(なら……まずは油断させる!)
セトの動きを確認しつつ、レイは左手に持つ黄昏の槍を投擲する。
真っ直ぐ鮫に向かって飛ぶ黄昏の槍。
だが……もし以前にレイが黄昏の槍を投擲するのを見たことがある者がいれば、その速度が明らかに遅いことに疑問を抱くだろう。
レイは鮫が具体的にどのような能力を持っているのかは分からない。
分からないが、それでも自分に向かって真っ直ぐに飛んできた速度から、予想出来ることもある。
それを計算……というよりは本能的に察し、鮫が何とか回避出来るだろう速度での黄昏の槍の投擲だった。
真っ直ぐ鮫を目掛けて飛ぶ黄昏の槍。
鮫はその攻撃を回避しようと身体を動かすも、ギャリィッという音が周囲に響き渡り、湖には鮫の身体から零れ落ちた鮫の鱗……楯鱗と呼ばれるその鱗が、黄昏の槍に削られ、水中に落ちていく。
鮫にしてみれば、二度続けての行動で決して許せなかったのだろう。
レイに向かい、飛ぶ速度がより増し……
「馬鹿が」
鋭い牙で喰い千切ろうと突っ込んで来た一撃を、レイは嘲りながら回避し、スキルを発動する。
「ペインバースト」
スキルを発動しつつ、手首を返してデスサイズの方向を変える。
鮫に向けるのを、刃から石突きへ。
そのままの流れで、先程の黄昏の槍の投擲によって楯鱗の剥がれた場所に向かい石突きによる突きを放つ。
レイの身体能力と、何よりもデスサイズの能力を考えれば、楯鱗があってもなくても結果は変わらないのだろうが、それでも敵が弱点を晒してくれたのなら、それを突かない手はないと判断しての行動だった。
放たれたペインバーストの一撃は、容易に鮫の身体を貫き……
「シャギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
瞬間、鮫の口から悲鳴……それもちょっとやそっとの悲鳴ではなく、まさに絶望といった悲鳴を上げる。
「えー……」
デスサイズの石突きを暴れている鮫の身体から引き抜き、レイは距離を取る。
しかし、鮫はそんなレイの様子には全く気が付いた様子もなく……それどころか、空を飛ぶことも出来ず、砂浜の上で暴れ回っていた。
これは、レイにとっても予想外だったが、ペインバーストの性能を思えば、当然の結果だろう。
現在のペインバーストは、レベル六。
丁度先程まで食べていた魚の魔石によって、レベルアップしたばかりだ。
もっとも、ペインバーストはその効果……実際のダメージはともかく、それを受けた時の痛みを増やすという効果を持っている以上、スキルがレベルアップしてもレイとしてはそれを試すつもりはどこにもなかった。
何しろ、そのスキルを使えば痛みだけを倍増させるのだから。
自分に使うのは遠慮したかったし、セトに使うという選択肢もレイにはない。
結果として、そのスキルを試すのに鮫が丁度よかったので使ったのだが……その一撃は、鮫にとっても致命的なまでの一撃をもたらす。
レベル六となったペインバーストは、通常の六十倍の痛みを与えるという効果を持つ。
ましてや、鮫が胴体を貫かれたのだから、その六十倍ともなれば一体どれだけの痛みになるのかは容易に想像出来るだろう。
……あるいは六十倍というのがそれこそどれだけの痛みなのか、想像するのも難しいと言うべきか。
ともあれ、鮫は既に自分の敵のことなどすっかり忘れたかのように、地上を転げ回って暴れていた。
そんな鮫を、どうしたものかと眺めるレイ。
空から鮫の隙を突いて一撃を放つつもりだったセトも、予想外の展開に大人しく下りてきた。
「グルゥ……」
戸惑った様子を見せるセトだったが、それでも地面を暴れ回る……転がり回る鮫から目を離すようなことはしない。
まずないとは思うが、こうして見せている今の状況が罠という事もあるのだから。
そんなセトとは裏腹に、レイはじっと鮫を見ながら考える。
(そもそも、魚って痛覚がないとか何かで見た記憶があるけど。鮫は例外だったのか?)
もし鮫に痛覚がなければ、それこそ痛みが増すペインバーストは効果を発揮しない。
だが、レイの視線の先に存在する鮫は、痛みに地面を転げ回っているのだ。
それを見れば、鮫に痛覚がないということは考えられなかった。
(となると、鮫の痛覚の有無はともかく、この鮫はモンスターだから痛覚があるとか? それなら十分に考えられるか)
モンスターになった事で、本来持っていなかった能力や感覚を手に入れるというのは珍しくはない。
そうである以上、この鮫も同じようにモンスターとなった事で……あるいは最初からモンスターとして生まれたことで、痛覚を持っていたという可能性は十分にある。
とにかく、鮫にペインバーストの効果があったのは間違いない。
「取りあえず、このまま暴れ続けられても困るし、殺すか」
そう言い、レイはデスサイズを黄昏の槍を手に鮫に近付いていく。
「ちょっ、おい、レイ!?」
離れた場所で様子を見ていたニラシスは、砂浜の上で痛みによって暴れ回る鮫に平然と近付いていくレイに思わず声を掛ける。
レイの力はニラシスも十分に知っている。
それこそ教官同士の模擬戦で、手も足も出ずに負けてしまったのだから。
それも一度や二度ではなく、それこそ数え切れない程に。
それでもこうして思わず声を掛けたのは、鮫とレイではその大きさがかなり違うからだろう。
まともに戦えばレイが勝利するのは間違いないだろうが、それでも何らかの不慮の事態が起きないとも限らない。
そう思っての言葉だったが、レイはそんなニラシスの声を聞きながらも、特に気にした様子もなく近付いていく。
十分にレイと鮫の距離が縮まった瞬間、不意に鮫が暴れた結果として、レイに向かって尾が振るわれる。
鮫も別に狙った訳ではないだろう。
ペインバーストによって、身体を貫かれる六十倍の痛みに苦しめられた結果だった。
ペインバーストを使ったのがレイであると考えれば、尾による一撃を振るうのは鮫として当然なのかもしれなかったが。
そんな一撃を、しかしレイはデスサイズを振るうことであっさりと対処する。
……それも、一連の戦いで多少なりともダメージを受けていた尾を根元から切断するといった方法で。
「ギシャアア!」
その瞬間に鮫の口から悲鳴が上がるものの、不思議なことにその悲鳴にはそこまで悲痛な色を感じない。
寧ろ、尾を切断された痛みすら何も感じていないかのような……先程までの一連の流れによって放たれた悲鳴のようにレイには思えた。
(多分、ペインバーストの痛みがまだ続いていて、尾を切断されたのにも気が付いていないとか、そんな感じか?)
ペインバーストの効果に改めて驚きつつも、レイは鮫の頭部に向かって黄昏の槍の一撃を放つ。
鈍い感触と共に貫かれる頭部だったが……
「って、マジかよ!?」
頭部を貫かれたというのに、鮫はまだ暴れ続けていた。
素早く黄昏の槍を抜いたところで、先程と同じように鮫の一部がレイに向かって襲い掛かってくる。
少し違うのは、先程は尾だったのに対し、今度は頭部だったことか。
レイは躊躇なくその頭部に向かってデスサイズを振るい、切断する。
切断され、空中を飛んでいく鮫の頭部。
それを見ながら、これで終わったか……そう思ったレイだったが、次の瞬間反射的に後ろに跳ぶ。
「おわっ!」
頭部を失い、尾も失った鮫だったが、その胴体はまだ普通に動いていた。
一瞬前までレイの身体のあった場所を、胴体だけとなった鮫の身体が叩く。
それはレイを狙っての一撃という訳ではなく、鮫の身体が暴れた結果として、レイのいた場所に身体が叩きつけられたのだが、それでもレイを驚かせるには十分だった。
「生命力が強いと言っても、限度があるだろうに」
改めて距離を取って様子を見てみれば、レイにも何が起きたのかは納得出来た。
例えば、蛇は頭部を潰されても暫く動いているのを実体験から知っている。
それこそ普通の蛇であってもそうなのだから、モンスターの鮫ともなれば、まさにその通りだろう。
(あ、そう言えば料理漫画で鮫もあったか?)
日本にいた時にレイが持っていた料理漫画の中に、鮫を扱ったものがあった。
その中で生の心臓を切った時、その心臓が動くというのがあった。
漫画である以上、大袈裟に描いている可能性もある。
だが、それでも鮫の生命力が強いからこそ、そのように描かれたのだろう。
「グルゥ!?」
鮫の行動に、セトは慌てたようにレイの側までやって来て、大丈夫? と喉を鳴らす。
レイは心配そうなセトを落ち着かせるように撫でる。
「心配するな、大丈夫。俺には特に何もなかったから」
レイの様子から、本当に心配はないと判断したのだろう。
セトは安心したように、そして嬉しそうに喉を鳴らす。
レイはそんなセトを撫でつつ、頭部も尻尾も失い、胴体のままとなっているにも関わらず、未だに暴れ続けている鮫に視線を向ける。
このまま時間が経てば、いずれ死ぬだろう。
それでも具体的にどのくらいの時間が必要なのかは分からない以上、仕方がないと判断し、再度デスサイズを振るうのだった。