3715話
ミスリルナイフの性能のお陰で、何とか魚の鱗を剥ぐことに成功したレイ。
それでも鱗が刃状になっているので、剥ぎ取った鱗の取り扱いは注意が必要だった。
なお、トゲについては既に切断されているので、そういう意味では問題ない。
「後は、内臓か。……上手くいくといいんだが」
魚の腹を切り裂き、そこから内臓を掻き出す。
自分で直接やったことはなかったものの、やっている光景そのものはTVであったり、それこそこの世界に来てから料理をしている者の姿を見たりで、やり方は分かっている。
……とはいえ、見るのと実際に自分でやるのとでは違い、そこまで上手くは出来ない。
内臓の一部を破ったりといったように。
幸いなのは胆のう……いわゆる苦玉を潰すようなことはなかったことか。
「えーっと、後はこれを洗って……」
湖の水で大雑把に魚の中を洗い、後は木の枝に刺し……というところで周囲の様子を確認するが、湖や砂浜はあれども、木々はどこにも生えていない。
つまりそれは木の枝もないということを意味し……
「仕方がないか」
レイはミスティリングの中から薪を取り出すと、それをミスリルナイフで鋭く尖らせる。
なお、魚の大きさが大きさなので、それは串と呼ぶよりは木製の矢と称してもいいような、一見すると調理器具ではなく武器にしか見えない物になったが、レイはそれを気にしない。
ついでに薪を幾つか取り出し、地面に置く。
「セト、軽く……本当に軽くファイアブレスを使って火を点けてくれ」
「グルゥ!」
着々と料理の準備を進めていくレイを楽しそうに見ていたセトだったが、こうしてレイに頼まれると嬉しそうにしながら近付いてくる。
レイが料理の準備をしているのを見ているのも楽しいが、それと同様に……あるいはそれ以上に、その手伝いをするのも面白いのだろう。
「グルゥ……」
いつもスキルを使うように強く鳴くのではなく、そっと……出来る限り弱くファイアブレスを使うセト。
そうして放たれたファイアブレスは、セトが考えたようにかなり弱い。
ただ、かなり弱くても、薪を燃やすには十分な威力があった。
(本来なら炭とかで焼き魚にした方が美味いんだけど……まぁ、焚き火でもそれなりに美味いし、構わないか)
そう思うレイだったが、これはある意味で勘違いだ。
炭火焼きの料理が美味いのは、遠赤外線効果によるものという説があり、レイも完全ではないにしろ、それを理解している。
だが、焚き火でも炭と同じく遠赤外線効果によって美味い料理になるというのは知らなかったらしい。
「味付けは……まぁ、塩だけでいいか」
ミスティリングの中には、異世界からやってきた緑人の協力によってギルムで売られるようになった香辛料も結構な数入っている。
ただ問題なのは、料理を得意としていないレイは、それらの香辛料をどう使えばいいのか分からないというのがあった。
(カレー粉みたいに、多種多様なスパイスを一緒にした……ミックススパイスだったか? そんな風にして、後は料理に入れるだけにして売り出せば、結構なヒット商品になりそうだけど)
そんな風に思いつつ、塩だけを出す。
もっともレイにとって焼き魚といえば塩だ。
もっと料理が上手ければ、一口に焼き魚と言っても塩焼き以外に別の味付けに出来たりもしたかもしれないが。
魚の大きさもあって、結構多めに塩を振る。
そして木の矢とでも呼ぶべき串で魚を貫く。
この時、せめてもの料理技術として、串で魚を一直線に貫くのではなく、波打たせるようにして魚を貫く。
「……あれ? まぁ、いいや。そんなに悪くないと思うし」
レイが想像していたのとは少し違う感じになったが、それでも普通に串を刺すよりは見映えのする形になったことで、その串を焚き火の側に突き刺す。
ただし、串を刺すのは焚き火のすぐ側ではない。
側に串を刺したりすると、焚き火から近いこともあってか、表面だけが焼けて中身は半生……いや、この魚の大きさを考えると、生のままという可能性もあった。
その為、焚き火から少し離れた地面に串を刺したのだが……
「って、おわぁっ!」
魚の大きさが五十cm程もあるからだろう。
矢のような木の串であっても、魚の重量に負けて地面に倒れそうになる。
幸い、レイは倒れる前にそのことに気が付いたので、二本の串を慌てて掴み、倒れるのを防ぐ。
「グルゥ!?」
「安心しろ、何とか間に合ったから」
慌てた様子で喉を鳴らすセトに、レイはそう言って落ち着かせる。
セトにしてみれば、自分の獲った魚をレイが調理してくれたのだ。
その焼き魚が地面に倒れるといったことにならなかったことに安堵する。
「串をもっと長くすればよかったな」
串が魚の重量に負けて倒れそうになったのなら、魚の重量に負けないようにもっと長い串を地面に突き刺しておけば、安心して見ていられただろう。
そのように思いつつも、レイは仕方がないといった様子で串を手に持ち、魚を焼き始める。
「グルゥ、グルルルゥ、グルゥ」
そんなレイの様子を見て、面白そうだとでも思ったのか、セトが自分もやりたいと喉を鳴らす。
「え? セトも串を押さえておきたいのか? いや、けど……出来るか? ちょっと難しいと思うけど」
そうレイが口にしたのは、セトの手は物を掴むのに向いた作りをしていないからだ。
いや、正確にはそれなりに掴むことは出来たりするのだが、木の矢のような串のように細い物……それも先には魚が突き刺さっているようなものの場合は、セトにとっては掴みにくそうなのは間違いなかった。
「グルゥ!」
しかし、そんなレイの言葉にセトは大丈夫! と喉を鳴らす。
レイは視線をまだ捌いてない魚に向けて、もしこれで失敗したらあっちの魚を捌いたらいいかと判断して、串をセトに渡す。
地面にまだ燃やしていない薪を置き、その薪に串を置くような形にする。
これならセトも串の下の部分を前足で押さえておけばいいので、地面に落としたりはしにくいだろうと判断してのものだった。
「グルルルゥ、グルゥ、グルルゥ、グルルルルゥ」
機嫌良さげに喉を鳴らすセト。
魚を焼くという行為のどこがそんなに面白いのか、レイには分からない。
分からないが、セトがこうして喜んでいるのだから、それについて不満はない。
寧ろセトが喜んでいるので、レイにとっても非常に嬉しいとすら思う。
そのまま十分程が経過し……
「大分焼けてきたけど、どうだろうな?」
「グルゥ……グルルゥ!」
魚から漂ってくる、食欲を刺激する匂い。
それにレイはもうそろそろいいのでは? と思ったのだが、それを聞いたセトはまだ駄目! とレイの言葉を否定する。
「まだ焼かないと駄目なのか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、その通りと喉を鳴らすセト。
どこか自慢げなその様子は、どのようにしてか焼いている魚の状態の詳細をしっかりと理解しているのが見て取れる。
一体どうやっているのかはレイには分からなかったが、グリフォンとしての感覚か何かでそのようなことをしてるのだろうと、そう思っておく。
実際にそれが合っているのか間違っているのかまではレイにも分からなかったが。
「分かった。セトが言うのなら、取りあえず納得しておくよ。……それにしても、こうしてただ魚を焼いてるだけだと暇だな」
「グルゥ?」
レイの言葉に、セトはそう? と喉を鳴らす。
レイにとっては暇な時間であっても、セトにしてみればレイと一緒に魚を焼くというのは十分に楽しいのだろう。
そうして五分程が経過したところで……
「グルルゥ」
不意にセトが焼き魚から視線を逸らす。
「セト?」
唐突な行為に、レイもまたセトの視線を追う。
セトが見ているのは、六階に続く階段。
レイ達がいたのは、階段からそれ程離れた場所ではなかったので、セトの視線がどこを向いているのかは、レイにも容易に理解出来た。
そして数秒……やがて階段から数人が姿を現す。
「って、ニラシス?」
そう、姿を現したのは、レイと同じく冒険者育成校の教官をしているニラシスと、以前五階で遭遇したニラシスのパーティ。
そのニラシスは、七階に下りてきた瞬間に漂ってきた香りに周囲の様子を確認し、そして香りの発生源……レイとセトが魚を焼いている光景を見て、驚きに目を見開く。
そんなニラシスの様子とは裏腹に、ニラシスのパーティメンバーのうち女二人はセトを見つけると目を輝かせて近付いてくる。
「セトちゃん、何してるの?」
「あ、セトちゃんが魚を焼いてる! 可愛い!」
そうしてセトを撫でる二人の女。
ニラシスはそんな仲間の様子を呆れと共に一瞥し、レイの方に近付いてくる。
「一体こんな場所で何をやってるんだよ、レイ」
「見て分からないか? 魚を焼いてるんだ。……大きすぎて、なかなか焼けないけど」
「何だってそんなことを?」
「セトが食べたいからと魚を獲ったからだ。それに、この七階は見るからに水遊びを楽しむのにいい場所だし」
「それは……まぁ、一見するとそうだけどな。その魚もエイジフィッシュだろ? トゲとか鱗が取られてるけど」
ニラシスのその言葉に、レイはセトの獲った魚がエイジフィッシュという名前のモンスターなのだと理解する。
「名前は分からないけど、セトが湖で獲った魚だな」
「一応言っておくけど、それはモンスターだからな?」
「知ってるが? 魔石があったし」
「……それも水中ではそれなり以上に厄介なモンスターなんだよ。そのモンスター……以外にもこの湖には色々とモンスターがいるけど、とにかくそういうモンスターが多いから、この七階で湖に入るような者はいない」
「別にそこまで警戒するような相手じゃないだろ?」
一般人は勿論、冒険者としての一つの壁である五階を超えて、何とかこの七階まで来られるような冒険者なら、この魚……エイジフィッシュというモンスターが厄介だと思ってもおかしくはない。
だが、ニラシスはここより大分深い場所を攻略している冒険者だ。
なら、エイジフィッシュを相手にした場合、それが水中であってもそこまで苦戦するとはレイには思えなかった。
「あのなぁ……いやまぁ、レイ達くらいに楽勝とは言わないが、それでも一応勝てる。勝てるが、別にわざわざ戦うような相手でもないしな」
ニラシスにしてみれば、わざわざエイジフィッシュと戦うというのが理解出来ないのだろう。
もっとも、レイは……いや、正確にはセトはエイジフィッシュと戦った訳ではない。
それこそ海や川に行った時のように、単純に魚が……それもかなり大きな魚がいたから獲ったにすぎない。
つまり、セトにとってこのエイジフィッシュというのは、モンスターではなく、あくまでも魚でしかないのだ。
「何なら、お前達も食うか? まだそこに何匹かいるけど。ただ、食べる場合は捌かないといけないから、それは自分でやってくれ」
「……面倒だからいらない」
そう言うニラシスだったが、ニラシスの後ろで話を聞いていた男の冒険者は、少しだけ……本当に少しだけだが、残念そうな表情を浮かべる。
男達にとっても、出来ればエイジフィッシュを焼いて食べてみたかったのだろう。
ガンダルシアは、ギルムと同じく海が近くにはない。
もっともギルムはせいぜいが川魚であったり、後は海辺の街から運ばれてくる塩漬けにして長期間保存出来るようにした魚くらいしかない。
ただ、トレントの森の側に湖が転移してきたので、そのうち湖で獲れる魚がある程度自由に食べられるようになるかもしれないが。
それでも今すぐという訳にはいかない。
それに対して、ガンダルシアの場合はダンジョンの中にこうして湖があり、魚も獲れる。
あるいはレイもまだ潜っていない深い場所には、それこそ海の階層といったものもあるかもしれず、そういう点では新鮮な魚を食べられるという点で、ガンダルシアはギルムよりも勝っていた。
……そこまで深く潜れる冒険者は少ないので、需要に供給が追いついていない状況だったが。
「本当にいいのか? 見た感じだとかなり美味そうだぞ?」
「そうよ、ニラシス。セトちゃんの手作りの焼き魚を食べられる機会を逃せっていうの!?」
レイとニラシスの会話が聞こえたのか、セトを愛でていた二人の女が、ニラシスに不満そうな視線を声を向ける。
セト好きの二人にとって、セトが作ってくれた料理を食べられるかもしれないというのは、非常に美味しいことだったのだろう。
……セトが焼いた魚を食べさせるとは、レイは一言も言ってなかったのだが。
そんな女の言葉に、セトも少し動揺した様子を見せる。
大きい分、なかなか焼けない魚を、焚き火から遠火でやっとここまで焼いたのだ。
それは自分で食べたいというのが、セトの正直な気持ちだった。