0371話
「ここがアーラに聞いていた村か。……随分と人が少ないな」
「グルゥ」
レイの言葉に、隣を歩いているセトが喉を鳴らして同意する。
ギルムを旅立ってから約2週間、ようやくエレーナと連絡が取れる人物がいるという村へと到着したのだが、その村は人の数もそれ程多くなく、住民もどこか長閑だった。
レイが何よりも驚いたのは、村の入り口にいる門番がセトを見ても驚きはしたものの、恐がらなかったことだろう。
これまでレイが寄ってきたのは周辺に何らかの脅威のある街が多かった。それだけにグリフォンであるセトを見れば半ばパニックを起こす者も少なくなかったのだが……
「ま、平和な村だって証なんだろうな」
視線を巡らせると、人数の割にはかなりの広さを持つ村が目に入る。
何しろ農地も村の敷地内に入っているので、まさに牧歌的と表現するのが正しいような姿だ。現在も夏の暑さに負けず畑仕事をしている者が大半であり、逆にレイとセトの姿に気が付く者は極少数だ。
更にレイとセトに気が付いた者も、怖がる様子も無く挨拶をしてくる。
子供達に至っては、セトの姿を見た瞬間に歓声を上げながら近寄ってくるのだ。
(まぁ、それだけこの村の周辺には脅威となるものが無いんだろうな)
セトを撫でている数人の子供を眺めながら、内心で呟く。
辺境の外である為、モンスターの脅威がギルムに比べると圧倒的に少なく、更にこの地を治めているケレベル公爵の統治によって盗賊の類も殆どいない。それ故の長閑な風景なのだろう。
そんな長閑な村を歩きながら、丁度通りかかった1人の男へと声を掛ける。
「悪いが、この村で酒場はどこにあるか教えて貰ってもいいか?」
「あん? こんな真っ昼間から酒場か? いやまぁ、この天気なら飲んで騒ぎたいってのも分からないじゃないが……旅人はいいなぁ。連れているモンスターも可愛らしいし」
チラリ、とセトを眺めつつ鍬を持った村人は羨ましそうに口を開く。
一見すると長閑で牧歌的とも表現出来る村だが、それでもこの炎天下の中で農作業をやるのはそれなりに堪えるらしい。
(酒は好きな訳でも無いのに、それでも昼間から飲んだくれていると見られるのはどうなんだろうな)
酒の類に関してはそれ程好きでもないレイは、内心で溜息を吐きながら男の言葉に頷く。
「俺はこの村に来たばかりなんでな。情報を集める為にも、まず一度酒場に行きたいんだよ」
「ふーん、まぁ、いいけど。この村には酒場は1軒しかないぞ? 何しろ、見ての通り小さい村だからな」
「それは好都合」
「……好都合?」
何軒もの酒場を渡り歩く必要が無いと知ったレイの呟きに、男は不思議そうに首を傾げる。
そんな男に何でも無いと首を振り、レイは酒場の位置を聞き出す。
この村の規模を考えれば酒場が1軒しかないのはある意味で当然なのかもしれないが、多くの酒場を渡り歩きながらエレーナとの連絡手段を持っている人物を捜さなくてもいいというのはレイにとって好都合だった。
「じゃ、俺は仕事があるからこの辺で失礼させて貰うよ。何も無い村だけど、せめてゆっくりしていってくれや」
鍬を右手に持った男は、レイに軽く左手を振って去って行く。
その後ろ姿を見送り、レイもまた教えられた道を通って進み……10分程度進んで1軒の店を見つける。
傍から見る限りでは少し大きめの普通の家にしか見えないが、扉の近くにあるコップに入った酒の看板がその建物が何であるのかを示していた。
「まぁ、基本的にこの村の住民くらいしか客がいないんだろうしな。……ん?」
そこまで考え、ふと気が付く。
この酒場の主な客が村の住民だけである場合、その客の住民が畑仕事やら何やらで忙しくしている昼間に酒場が開いている筈は無いのではないか、と。
「グルゥ?」
どうしたの? と小首を傾げて喉を鳴らすセト。
その鳴き声を聞き、まだ酒場が開かれていないようなら開くまでセトと一緒に戯れていればいいか、とあっさりと決断する。
「いや、何でも無いよ。じゃ、悪いけどセトは少しここで待っててくれ。さすがにこの扉だとセトが入るのは厳しそうだからな」
「グルルルゥ」
レイの言葉に分かってるとばかりに喉を鳴らし、酒場から少し離れた場所にある木の近くで寝転がる。
幸い、下には夏だけあってたっぷりの草が生えており、セトに取っては柔らかい絨毯のような感触なのだろう。
……もっとも、グリフォンであるセトにしてみれば地面でも草原でも、それこそ岩山であっても寝転がるのに対して影響はないのだろうが。
そんなセトの様子を一瞥し、酒場の扉へと手を掛け……鍵が掛かっておらず、あっさりと押せることに驚きながらも店の中へと入る。
「いらっしゃい」
そしてレイが店の中に入った瞬間に店の中から発せられる声。
そちらへと視線を向けると、そこにいたのは50代程の初老の男だった。
笑みを浮かべてはいるが、その目は鋭くレイを見据えており口と目で完全に表情が違っていた。
だが、それもほんの一瞬。すぐに目にも笑みを浮かべると、カウンター席へと視線を向ける。
「ま、座ってくれ。何を飲む? この暑さだし、やっぱりエールか?」
「いや、水かお茶でいい」
そんなレイの言葉に、男は小さく眉を顰める。
「一応、ここは酒場なんだがな」
「酒はあまり好きじゃないんだよ。……なら、そうだな。ワインを水で薄めたのをくれ。後はついでにちょっと食べるものを」
「はぁ、子供が来た時点で予想しておくべきだったな。ちょっと待ってな」
溜息と共に告げ、カウンターの中からワインを取りだして水で薄めたものをレイの前に出し、続けて木の実とキノコとソーセージを手早く炒めたものを皿に盛りつける。
「ほらよ。銅貨2枚だ」
「……安いな」
男から要求された値段の安さに驚きつつ、銅貨2枚をカウンターの上に置く。
「ま、酒も食べ物も何もかもこの村で作られたものだからな。これでも十分に利益は出てるんだよ。……で、だ。お前さんレイって名前か?」
何気なく呟かれた男の言葉に、思わずコップに伸ばそうとした手を止める。
そのままじっと男の方を観察するように眺め、コップを口元へと運ぶ。
当然このような村に冷却用のマジックアイテムの類がある筈が無く、コップの中のワインの水割りはとても冷たいとは言えない温度だったが、レイはそれを気にした様子も無く口を開く。
「アーラから聞いていたのか?」
「ああ。アーラの嬢ちゃんからお前さんの特徴は色々と聞いてたからな。一見すると魔法使い見習いのように見える10代半ばの赤い髪と青い瞳の少年。ただし、その割には態度が大きいってな」
その言葉を聞き、納得しながらも皿の上にある炒め物をフォークで刺して口へと運ぶ。
(ま、この時期に俺が来るって分かっている以上、俺の特徴を伝えてあるのは当然か)
「なら、俺がここに来た理由も分かってると思っても?」
「ああ、後でアネシスに鳥を飛ばしておくよ」
ニヤリ、とした笑みを浮かべる男に、微かに首を傾げるレイ。
「鳥?」
「そうだ。ここからアネシスまでは馬車で1日ってところだが、鳥だとそんなに掛からないからな。恐らく今日中にはアネシスにお前さんがこの村に到着したってのは伝わるだろうよ」
「アネシスから1日の距離にある割には、随分と長閑というか、発展していない村だな。普通はそんな大きな都市の通り道にある村なら相応に発展するんじゃないのか?」
そんなレイの当然の質問に、小さく肩を竦める男。
「この村は中途半端な位置にあるからな。街道もあるにはあるが、それ程整備されていない。それに、他にも……まぁ、色々と理由があって意図的にこういう村になっているんだよ」
途中で言葉を止めたその理由が気になったレイだったが、恐らくは公爵家の事情か何かがあるのだろうと判断し、それ以上聞くのを諦める。
その代わりという訳ではないだろうが、木の実にフォークを突き刺しながら口を開く。
「で、エレーナはいつくらいにこの村に到着するんだ?」
エレーナ、とレイが呼び捨てにしたのを聞きピクリと反応する男。
(元護衛騎士団の騎士だって話だし、呼び捨てにするのは不味かったか?)
一瞬そう思うも、結局エレーナがこの村にやってくれば話は同じだろうとその件は気にしないことにする。
だが、男の方はその呼び捨てにしたのを受け流すことはなかった。
「あっはっは。まさかあの姫将軍のエレーナ様を呼び捨てにするとはな。アーラの嬢ちゃんが言ってたが、色々と複雑な事情があるってのは事実らしいな」
何故か怒るのではなく、逆に笑い声を上げる男。
その様子は、完全にレイの予想外だった。
レイの知っている護衛騎士団と言えば、やはりキュステとアーラが印象深い。そしてその2人共がエレーナに対して強い尊敬の念を抱いていた。
特にキュステは、レイがエレーナに対して敬称を付けずに呼び掛けたとすれば恐らくは魔槍を振るっていただろう。
結局死ぬ寸前まで徹底的に性格が合わなかった男の顔が、ふと脳裏を過ぎる。
もっともキュステとアーラが特殊なのであって、護衛騎士団にもまともな人材は多くいる。特にアーラの補佐をしているメーチェンはその典型と言えるだろう。
初めて会い、それだけに強烈な印象を残しているだけに、レイがその印象を引きずるのはしょうがないのかもしれないが。
「で、いつくらいに連絡が?」
笑い声を上げている男に重ねて尋ねるレイ。
そんなレイの言葉に、男は小さく肩を竦めて首を振る。
「こっちにお前さんが到着したってのは、さっきも言ったように今日中にはアネシスに知らせることが出来る。だが、エレーナ様にはエレーナ様の都合があるから、それがいつになるのかは分からねえな。すぐに出てこれるようなら明日には到着するだろうし、何か用事があるならそれだけ遅れるだろうよ」
「……なるほど」
もっともな話だ、と思わず納得するレイ。
そんなレイの様子を見ながら、男もまた笑みを浮かべながらもう1つコップを出してワインを注ぐ。
「俺は酒は弱いと言った筈だが?」
「安心しろ、この酒は別にお前さんの分じゃない。俺の分だ」
「売り物を自分で飲むのか……」
男の言葉に、どこか呆れた様に呟くレイ。
だが、男はそんなレイの様子に構わずにワインの入ったコップを一気に呷る。
「ぷはぁ……ま、そう言うな。色々と目出度い出来事があったんだから、少しくらいは俺にも飲ませろや。……ところで、レイって言ったよな。お前さん、エレーナ様なりアーラ嬢ちゃんなりがこの村に来るまで泊まる場所は無いだろ?」
「いやまぁ、確かにそれはそうだが。そう言い切られると……」
「はっはっは。まぁ、ここは小さい村だし旅人もそう多くない。宿屋もあるにはあるが、それ程大きくはないしな。だから俺の家に泊まらないか? お前とエレーナ様やアーラ嬢ちゃんの関係とかを詳しく聞かせてくれよ」
「それは構わないが……見知らぬ旅人を泊めてもいいのか?」
あるいは長閑な村だからこそかもしれない。……そんな風に思ったレイの言葉だったが、男は再びワインをコップに注いで口へと運ぶ。
「はっ、気にするな。俺には盗まれて困るようなものは無いしな。あっても、手作りの保存食くらいだ。それよりもお前さんの話を聞く方が重要だよ」
「まぁ、そう言うのなら一晩くらいは世話になるけど……グリフォンを連れてるんだが、そっちは?」
「グリフォン? なんともまあ、もの凄いモンスター連れているな。あー、さすがに厩舎の類は無いから外になるが、それでも構わないか?」
「外となると、この店の表とか?」
「ああ、そうなる。そこでいいなら別に構わんぞ。店にある食い物も腹一杯になるまで出してやる。……どうだ?」
セトの寝る場所が外になるというのは若干気にはなったレイだったが、それでもグリフォンであるセトなら問題無いと判断して、一旦座っていた席から立ち上がる。
「悪いけど、セト……俺が連れているグリフォンにちょっと話をしてくる。返事はちょっと待ってくれ」
「あいよー。……にしてもグリフォンか。近頃の冒険者は、俺がエレーナ様の護衛騎士団にいた時とは違って随分と変わってるらしいな」
男の言葉に多少悩んだレイだったが、取りあえずということで小さく肩を竦めて口を開く。
「こう見えてギルムの冒険者だからな」
「……ギルム、俺が知ってるのと随分と違ってるような……この数年で大きく変わったのか?」
騎士団時代の常識と照らし合わせて首を捻る男をそのままに、レイは酒場から出て近くの木の下で寝転がっているセトへと近付いていく。
「セト」
「グルルゥ?」
どうしたの? と小首を傾げてくるセトの頭を撫でながらレイは口を開く。
「この酒場に泊まらないかって誘われてるんだが、セトはここで寝ても構わないか?」
「グルゥ」
レイの言葉に、全く問題無いと頷くセト。
こうして、懸念だったセトの問題もあっさりと解決し、レイの宿は決まるのだった。