3707話
「六階だな」
五階に戻ってきたところで、レイは再びコイントスをした。
レイの手の甲に落ちてきた銀貨は、表。
コイントスをする前に、銀貨の表が出たら六階に、裏が出たらまだ倒したことがないオークを五階で探すということになっていたのだが、コイントスの結果は表だったので、レイは六階に行くことにする。
六階に続く階段については、マティソンのパーティから貰った地図があるので、迷うことはない。
……方向音痴を発揮して、道に迷わなければの話だが。
この五階は森のフィールドとなっている。
その為、ここで移動していると木々によっていつの間にか道に迷うということは普通に有り得る。
特にまだこの五階に慣れていない冒険者の場合、森の中で道に迷うというのは珍しくなかった。
……そうして道に迷って疲れ切ったところでオークと遭遇し、負けるというのがこの五階における冒険者が死ぬ理由の多くを占めている。
もっとも、それはあくまでも五階に来られるようになったばかりの冒険者の話だが。
実際、レイとセトが五階に転移水晶でやってきて、そこから四階に向かう途中で女のパーティがオークと戦って危ない状況になっていたのを助けたりもしている。
もしあの戦いでセトがその戦いに気が付かなければ、当然ながらレイもそんな戦いに気が付く様子がなく、女達のパーティはオークに負けて、女として最悪の未来を迎えていただろう。
そういう意味では、この五階に来たばかりの冒険者達は慎重に行動する必要があるということを意味していた。
「じゃあ、向かうか。……途中でモンスターと遭遇したら、それはそれでラッキーってことで」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
そうしてレイはセトの背に乗り、六階に続く階段のある場所に向かって移動を始める。
女のパーティの一件があったので、もしかしたら今回もオークに襲われている冒険者がいるのかもしれないと思ったレイだったが、幸か不幸かそのような状況に遭遇するようなこともないまま、目的の六階に続く階段の前に到着する。
「うーん、モンスターはともかく、冒険者にも遭遇しないというのはちょっと予想外だったな。……セトはどう思う?」
「グルゥ? ……グルゥ」
そういうこともあると思うといったように喉を鳴らすセト。
寧ろセトにしてみれば、セトの気配を感じた上で襲ってくるようなモンスターよりも、セトを察知した瞬間に逃げるモンスターの方が多い。
だからこそ、今のような状況になってもそれはそれで仕方がないと思ってしまうのだろう。
「オークの肉は美味いんだけどな。……出て来ないのなら仕方がないか。じゃあ、六階に行くぞ」
「グルゥ!」
分かった! と喉を鳴らすセト。
そうしてレイとセトは階段を降りていくのだが……
「地図で分かっていたけど、こうして見ると微妙な気分になるな」
マティソンから貰った地図で確認すると、六階は荒れ地となっている。
その地図の通りに階段を降りたレイとセトが見たのは、どこまでも広がる荒れ地だった。
目の前に広がる光景は、レイにとってはそれなりに好ましい。
純粋にそこにいるという意味では森の方が自然が一杯という感じで快適なのだが、ここはダンジョンだ、
つまり、モンスターと……場合によっては冒険者を相手にしても、戦うようなことになる。
レイはデスサイズに黄昏の槍と、戦闘で使うのは基本的に長柄の武器だ。
また、セトは体長四m近くと身体が大きい。
そのようなレイとセトだけに、木々が生えている森の中よりも、周囲に邪魔になる物が何もないこのような荒れ地の方が戦いやすいのは間違いなかった。
……もっとも、レイの場合は周囲に木々があっても黄昏の槍は突きを中心に、そしてデスサイズは周囲の木々を切断する形で戦闘が可能だし、セトも細い木々であれば容易に折ることが出来るので、そういう意味では林や森、山……そのような場所で戦闘が出来ない訳でもない。
勿論、木々が生えていない方が戦闘しやすいというのは、間違いのない事実だが。
「さて、じゃあ行くか。階段に真っ直ぐ行くんじゃなくて、適当に見て回るぞ」
「グルゥ!」
レイが六階にいるのは、勿論七階に行くという目的があるのも事実だ。
だが同時に、魔獣術に使う未知のモンスターの魔石を集めるという理由もある。
……他にもマジックアイテムを見つけるという目的もあるのだが、六階ではまだレイが興味を示すマジックアイテムがあるとは思えなかった。
何より、六階程度ならそれなりに到達出来る冒険者も多いので、もしマジックアイテムがあっても、他の冒険者達に奪われる可能性が高いのは間違いない。
だからこそ、レイとしては六階でマジックアイテムを探すつもりはなかった。
勿論、意図的に探さないとはいえ、もし見つけたらそれはきちんと確保するつもりだったが。
レイに興味がなくても、猫店長の店に売るという手段もあるのだから。
(とはいえ、こういう荒れ地だと……見渡しがよすぎるから、対処するのが難しいな)
こうしてセトの背に乗って走っていても、五階の森と違って木々がないので遠くに冒険者達がいるのが見える。
とはいえ、その冒険者達はオアシスの時のように他の冒険者と揉めていたりする訳ではなく、普通に荒野を歩いているだけだ。
レイにしてみれば、わざわざこの状況で特にその冒険者達に接触しようとは思わない。
接触しても、それはそれで面倒なことになるだけだろうというのは、容易に予想出来たというのが大きかった。
「セト、向こうに行くか。どういうモンスターがいるのか分からないけど……うん?」
話している途中、セトが空――天井と呼ぶのが正しいのかもしれないが――を見ているのが気になり、そちらに視線を向ける。
するとそこには、数匹のハーピーの姿があった。
まだそれなりに距離はあるものの、上空のハーピーが地上にいるレイやセトを警戒しているのは明らかだ。
襲ってくる様子がないのは、セトという存在の格を理解しているからか。
その辺りはレイにも分からなかったが、向こうが襲ってこないからといって、レイやセトが見逃す訳でもない。
(サンドワームの時と同じ感じだといいんだが)
サンドワームと呼称しているモンスターは、レイが以前他の場所で倒したサンドワームとは違う。
それは魔石で魔獣術が発動したことから明らかだった。
であれば、ここで荒野の空を飛んでいるハーピーもレイが以前倒したハーピーと似ているが、微妙に違う種族という可能性は十分にある。
それを期待し、レイはセトの首を軽く叩く。
「セト、あのハーピーを倒すぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと嬉しそうに喉を鳴らすと、レイを背中に乗せたまま数歩の助走の後で翼を羽ばたかせて空に舞い上がっていく。
レイはそんなセトの背の上で、ミスティリングからデスサイズを黄昏の槍を取り出す。
ハーピーとの戦いとなれば、基本的には遠距離からの攻撃となるだろう。
……セトの速度なら、ハーピーに追いつくことも可能かもしれないが。
ただ、ハーピーの逃げる速度や散らばって逃げ出したりした時のことを考えれば、やはり遠距離攻撃の方が手っ取り早い。
黄昏の槍の投擲は威力が高い上に手元に戻すことも出来る。
また、デスサイズには飛斬を始めとして遠距離攻撃出来るスキルがある。
何よりもデスサイズは魔法の発動体でもあった。
「さて、これで一体どうなるかだな。……出来れば、あのハーピー達がこっちに向かってきてくれればいいんだが……駄目か」
元々ハーピーの群れは、地上にいるセトの存在を察知し、警戒していた。
その為、セトが近付いてくるのを察するとすぐに逃げ出す。
「セト、追え!」
幸いにも、ハーピーは四方八方に逃げ出すのではなく、纏まった集団で逃げ出している。
その為、逃げられたのは好ましいことではなかったが、四方八方に散らばって逃げるということがないことはレイにとっても不幸中の幸いだった。
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは翼を羽ばたかせる速度を上げる。
ハーピーの集団も必死に追ってくるセトから逃げようとしているものの、ハーピーとセトではそもそもの飛行速度が違う。
セトとハーピーの距離は見る間に縮まっていき……
「グルゥ!?」
「がっ!?」
不意にセトの挙動が乱れ、同時にレイにも強い衝撃があった。
一体何が起きたのかが分からなかったものの、セトはハーピーのことなど忘れたかのように地上に向かって降下していく。
その短い時間……十秒にも満たない時間で、レイは衝撃から立ち直る。
一体何があったのか。
それはレイにも分からない。
分からないが、周囲の様子を確認しようとして、そこでようやく自分の身体が微かにだが痺れているのに気が付く。
「これは……痺れ? 何で? いや、さっきの衝撃だろうけど」
そうして呟いている間にも、レイの身体の痺れは急速に消えていく。
レイの身体がゼパイル一門によって作られたということや、ドラゴンローブを着ていたという件もあるだろう。
ただし、それはドラゴンローブの防御力やレイの身体能力や防御力を抜いて、数秒にも満たない時間ではあるが、痺れさせることが出来たということを意味していた。
数秒の痺れとはいえ、握っていたデスサイズや黄昏の槍を手放さなかった自分を褒める。
「うん?」
身体の痺れから復帰したレイが自分の身体の様子を確認していると、不意に視界の隅に映るものがあった。
それは、自分達と同じく……いや、セトと同じく上空から地上に向かって落ちていく何か。
「ハーピー?」
そこまで離れていなかったこともあり、レイは視線の先の何かをしっかりと確認出来た。
それは、間違いなくハーピー。
一匹だけが地上に落ちていくのは、一体何故。
そんな疑問を抱くも、その間もハーピーは地上に向かって落ちていた。
「セト、あのハーピーを追えるか?」
既にセトは急速に地上に降下するのではなく、翼を広げて滑空に近い状態になっていた。
そんなセトはレイの言葉に分かったと喉を鳴らすと、ハーピーの落ちた方に向かって進路を変える。
セトが滑空すること、十数秒。
ハーピーが地面に落ちて、その場所にセトが着地する。
レイはセトの背から降りるが、まだ身体が完全な状態ではない。
戦闘は全く問題なく出来るようになっているが、それでも身体を動かすのにどこか違和感がある。
もっとも、その違和感も急速になくなっているのだが。
(身体が痺れる……空中……雷、か?)
思いつくのはそれしかなかったが、晴れている天気……いや、そもそもここがダンジョンの中である以上、普通に考えて雷が降るとは思えない。
あるいは雨雲が上に漂っている……そういうギミックのある階層であれば、また話は別だったが。
改めて空を見上げるものの、そこには天井があるとは思えず、青空が広がっているだけだ。
雨雲の一つも存在していない。
そうなると、一体何がどうなってこのような状況になったのか。
(考えられる可能性とすれば、こいつか?)
レイは視線の先にいるハーピー……いや、視線の先にあるハーピーの死体に視線を向ける。
雷と思しき何かで攻撃され、そのタイミングでハーピーが何もしていないのに、こうして死んで地面に落下したのだ。
そのタイミングを考えると、この死体になったハーピーが先程の現象に関係がないとは到底思えなかった。
「普通に考えれば、命を犠牲にして放つスキルか何かを使って追ってくる俺達を攻撃し、そして他の仲間を逃がしたのか?」
「グルルゥ」
レイの言葉にセトが首を傾げる。
セトにとっても、何がどうなってこのような状況になったのか、分からなかったのだろう。
とはいえ……レイにとって自分の予想が間違っていなかった場合、それは決して悪いことだけではない。
それはつまり、このハーピーがレイの知っているハーピーと違う……魔獣術に使える魔石を持っているということを意味しているのだから。
「とはいえ、このハーピーは使えないけどな」
ハーピーの死体を見て、レイは残念そうに言う。
魔獣術に使えるのは、レイかセトが戦った相手だ。
その戦いというのは、それこそ小石を投擲して命中するといった程度の攻撃でも魔獣術を使う為の魔力的な接触という意味ではいいのだが、このハーピーは残念ながらレイやセトに攻撃をされてはいない。
魔法かスキルか、あるいはそれ以外の何かかは分からないが、とにかく雷と思しき攻撃をレイやセトに行い、それで死んだのだ。
死が前提の攻撃なのか、あるいはもっと他に何か理由があるのか。
それはレイにも分からなかったが、レイは絶対に残りのハーピーから魔石を得ることを決意するのだった。