3702話
「ありがとうございました。本当に助かりました」
そう言い、頭を下げるのは猫の獣人の女だ。
レイとセトに助けられたパーティのリーダーをしている女。
「もう少し実力をつけてから、五階に来た方がいいな」
レイの言葉に、五人の女全員が頷く。
このパーティは冒険者としてもまだ新人だったが、下手にそれなりの実力者が揃っていたのが影響し、とんとん拍子に五階まで来てしまったのだ。
先程のように、オークの数が自分達の倍近くではなく、もっと数が少ない……それこそパーティと同じ五匹であれば、どうにか出来る自信はあった。
あるいは一匹か二匹多いくらいなら、それでもまだ何とかなっただろう。
だが、さすがに倍が相手だと対処のしようがなく、本当に危なかったのだ。
もっとも、ここが森ではなく……それこそ、四階の砂漠のような場所であれば、もう少し話は違ったかもしれない。
森の中である以上、大剣のような武器は勿論、普通の長剣であってもその実力を存分には発揮出来ない。
……レイは木々が多数生えている森の中であっても、普通にデスサイズと黄昏の槍を使っていたが、これについてはレイの技量によるものだ。
新人と呼ばれるのは脱しつつあっても、まだベテランと呼ぶのは難しいこの五人にしてみれば、森の中で自由に武器を振るうというのは難しかったのだろう。
魔法や弓を使う者もいるようだが、オークなら生えている木々を盾代わりに使うといったこともする筈だ。
そういう意味でも、この五人に五階はまだ早かった、あるいは向いていなかったのだろう。
「もう少し鍛えてから出直すわ。……じゃあ、私達はそろそろ行くわね。本当にありがとう」
リーダー格の獣人が深々と一礼する。
他の仲間達も同じく頭を下げると、転移水晶のある方に向かって歩いていく。
転移水晶のある場所に到着するまでオークに襲われないといいんだが。
そんな風に思うレイだったが、だからといって自分から送ってやるということはしない。
依頼として頼まれれば考えたかもしれないが。
もしここで再度オークの集団に襲われて死ぬ……いや、女なので死ぬことはないだろうが、下手をすれば死ぬよりも最悪の結末を迎えるかもしれないが、それは冒険者となった以上、自己責任だ。
寧ろここでレイやセトに助けられたことが、幸運だったのだから。
全てのオークの死体をミスティリングに収納したことを確認してから、レイはセトに声を掛ける。
「じゃあ、セト。用事もすんだし、そろそろ行くか。四階の砂漠にはきっと未知のモンスターがいるぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、やる気満々といった様子で喉を鳴らすセト。
セトにしてみれば、魔獣術によって自分を強化することが出来るというのが嬉しいのだろう。
それと同様に……あるいはそれ以上に、レイと一緒にいるのを楽しいと思っているのかもしれないが。
レイはセトの背に乗る。
するとセトはすぐに走り出す。
森の景色が高速で流れていく。
途中で何人かの冒険者の姿を遠くから見掛けたものの、先程のように特に危ないという訳でもなかったので、接触するようなことはなかった。
……何人かは、セトに乗っているレイを見て驚いた様子を見せてはいたが。
(実はこれで、俺とセトが五階で新しく発見されたモンスターだとか、そんな風に言われたりはしないよな?)
階段が近付くにつれて、ふとそんな心配をするレイ。
もっとも、ギルドに報告をしても恐らくギルドからレイだという説明がされるのだろうから、安心だとは思えたのだが。
そんな風に考えている間にもセトは進み、四階に続く階段が見えてくる。
幸いなことに周囲に他の冒険者の姿はない。
もっとも、これはそうおかしなことではない。
先程レイが助けた五人もそうだったが、五階には転移水晶がある。
一度登録をすれば、わざわざ四階の階段から五階にやってくる必要はない。
……勿論、レイのように何か四階に用件がある場合は、こうして五階から四階に行ったりもするが。
ただ、多くの者は転移水晶を使って五階とダンジョンの外を出入りする。
だからこそ、四階の階段の近くに冒険者があまりいないのはそうおかしな話ではなかった。
「グルルゥ、グルゥ?」
上に行くよ? とレイに喉を鳴らすセト。
レイがそんなセトを撫でると、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながら階段を上がっていく。
幸いにも、階段の途中で他の冒険者に接触するようなことはなかった。
そのことに安堵しつつ階段を進み続け……やがてセトは階段から出る。
周囲には強烈な日差しが降り注いでいる。
……正確には太陽ではなく、ダンジョンが用意した偽物の太陽……疑似太陽とでも呼ぶべきものなのだが。
それでも降り注ぐ日差しの持つ熱気は本物だ。
レイはドラゴンローブがあり、セトはグリフォンなので、その程度の日差しは特に気にならない。
砂漠で厄介なのは足下の砂もそうだが、何よりもやはり暑さだ。
その暑さを無視できるという時点で、レイとセトはかなり有利なのは間違いなかった。
また、足下の件についても、砂漠とはいえ、全てが砂で出来ているような砂砂漠ではなく、足下が硬い荒れ地であったり、いわゆる岩石砂漠と呼ばれるような場所では足下には特に問題なく戦える。
何よりも、セトはその翼で空を飛べるというのが大きい。
だからこそ足下については、レイやセトにとっても全く……という程ではないにしろ、あまり気にしなくてもいいという点で大きい。
とはいえ、レイは今はセトに乗って空を飛ぶつもりはなかった。
今回重要なのは、あくまでも四階に棲息するモンスター……それもレイやセトが遭遇したことのない未知のモンスターと遭遇し、倒して魔石を入手することなのだから。
空を飛んで移動していれば、地上を移動しているモンスターを見逃す可能性が高かった。
地上を移動しているモンスターの中には、空を飛んでいる相手には攻撃が通じないので、空を飛んでいるというだけで敵と認識しない可能性もある。
……もっとも、中には空を飛んでいてもどこまでも追ってくるようなモンスターもいるかもしれないが。
それなら、最初から地上を移動した方がいいと判断するのは自然なことだった。
「取りあえず、未知のモンスターが出て来てくれるのを期待するか」
「グルゥ!」
レイの言葉に喉を鳴らすセト。
六階に向かうのではなく四階に来たのは、セトにとっては少し残念だった。
しかし、それでも未知のモンスターと遭遇出来るかもと考えれば、悪い話ではない。
そうしてレイとセトは砂漠を歩き始める。
とはいえ、レイとセトがいる場所は五階に続く階段の近くだ。
そうである以上、どうしても冒険者の通る場所であり、モンスターにとっても危険な場所と判断されてもおかしくはない。
その為、階段の近くでは特にモンスターと遭遇するようなことがないので、レイとセトは少しでも階段から離れて移動する。
(そう言えば、以前四階を飛んで移動している時に見た、リザードマンと戦っていた二人組。あの二人組も、転移水晶で五階に移動して、そこから四階に来たのかもしれないな)
四階にいるとは思えない技量の持ち主だった二人組だ。
恐らく普段はもっと深い場所で活動しているのだろうと、そう思っていたのだが……
「グルゥ」
歩き始めて二十分程。
不意にセトが足を止め、喉を鳴らす。
そこには薄らとだが警戒の色がある。
「来たか」
セトの様子から、モンスターが近付いてきたのだろうとレイも判断し、ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
いつ戦闘が始まってもいいようにしながら周囲の様子を確認するレイだったが……
「いない?」
見渡す限り砂漠が広がっている。
砂丘も幾つかあるので、どこまでも見通せるという訳ではない。
だがそれでも、レイの視線の先にモンスターらしき存在は一匹もいない。
もしかしてと空を見上げるレイだったが、やはりそこにも敵の姿はない。
……そもそも空を飛ぶ敵がいるのなら、以前セトが空を飛んで移動した時に襲ってきてもおかしくはない。
あるいはセトの存在を察知して逃げたのなら、それはそれで逃げる姿を見つけることも出来ただろう。
「なら、下か?」
ここが森のようにしっかりとした大地であれば、下……地中から攻撃してくる相手というのはそこまで気にしなくもいいだろう。
だが、ここは砂漠だ。
しかもレイ達がいるのは砂の砂漠である以上、そこを移動してくる相手がいてもおかしくはない。
そして一度下だろうと地面に注意を向けると、離れた場所から砂が盛り上がり、レイ達のいる方に向かって進んでいるのを確認出来る。
それはつまり、レイの予想が当たっていたということを意味している。
「とはいえ、サンドワームは確か以前倒したんだよな。出来れば別のモンスターであってくれればいいんだが」
そんな風に言ってる間にも、地面の盛り上がりは次第にレイ達のいる方に向かって進む。
この敵にとって不運だったのは、完全に砂の中に隠れて移動するのではなく、砂の中でもある程度上の方を移動していたことだろう。
つまり、レイにしてみれば敵が近付いてくるところをしっかりと確認出来てしまうのだ。
あるいはこのモンスターが生きてきた中でなら、地上にいる相手……モンスターにとっての標的が、地中にいる自分に何らかの有効な攻撃をされたことはなかったから、安心していたのかもしれない。
実際、その判断そのものはそこまで間違ってはいない。
普通なら地中にいる相手に有効なダメージを与えるような攻撃をするというのは、そんなに簡単なことではないのだから。
だが……レイはデスサイズを手にスキルを発動する。
「地形操作」
瞬間、地中を掘り進んで移動してきた敵が、上空に打ち上げられる。
地形を操作し、モンスターの移動する場所を先読みしてその部位だけを硬くし、上を向く坂状に……いわば、一種のジャンプ台のような形にしたのだ。
結果として、地中を進んできたモンスターは自分からジャンプをして地上に吹き飛ばされる結果になった。
「お」
デスサイズを手に、レイの口から出たのは嬉しそうな声。
てっきり敵は以前戦ったことのあるサンドワームだろうと予想していたのだが、強制的に空中に跳躍した敵は、サンドワームではなかった。
……いや、正確にはサンドワームの一種なのだろうが、以前レイが戦ったサンドワームとは明らかに別物……言ってみれば、似てはいる……いわゆる、近縁種というものなのだろうというのは予想出来た。
この場合、魔獣術が別のモンスターと認識するのかどうかはレイにも分からない。
分からないが、それでも全く同じではない以上、新しい魔石と認識される可能性は十分にあった。
「セト!」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に反応し、セトは空中にいるサンドワームに対してアイスアローを放つ。
ここで使い慣れているファイアブレスを使わなかったのは、ここが砂漠であるが故に熱には慣れていると判断したからなのだろう。
セトの鳴き声と共に生み出された八十本のアイスアローは、その全てがまだ空中にいるサンドワームに向かう。
これが例えば地中……そこまではいかなくても地上であれば、サンドワームも何とかしてその攻撃を防ぐことが出来たかもしれない。
だが……空中にいるサンドワームが出来るのは、必死になって身をくねらせるだけだった。
そんなサンドワームの身体に、次々と氷の矢が突き刺さる。
冒険者育成校の模擬戦で使われたアイスアローは手加減をされていたものの、今は違う。
八十本のアイスアローは、その一本ずつ全てが岩を破壊するだけの威力を持っているのだ。
サンドワームの身体は次々に氷の矢によって貫かれていき……地面に落ちる前に、既に半死半生といった状態になっていた。
どん、と。
そんな音を立てて砂の上に落ちるサンドワーム。
その衝撃により、サンドワームの身体の一部が千切れる。
氷の矢が何発も集中して命中した場所だけに、かろうじて繋がっていた部分なのだろう。
それでもサンドワームはまだ死なず、ゆっくりとではあるが顔……いや、この場合は口と表現した方が相応しいのだろう部位を持ち上げる。
鋭い牙というよりは、小さな牙が無数に生えているその口は、敵を噛み千切るのではなく、磨り潰すようにしながら食うのだろう。
とはいえ、四階に存在するサンドワームというのも影響してるのか、そこまで大きな口ではない。
レイは丸呑みに出来るだろうが、セトは無理だろう。
サンドワームの口の大きさはそのくらいのものだった。
「死ね」
そんなサンドワームの口を、レイの投擲した黄昏の槍が貫き、サンドワームは地面に崩れ落ちるのだった。