3700話
「一組も駄目だったか」
セトを冒険者育成校に連れていくようになって、数日。
三日目にはイステル率いる二組の生徒達がセトに負け、そして今日アーヴァイン率いる一組の生徒もまたセトを相手に負けた。
冒険者育成校の生徒の中では最強と言ってもいいのが、一組を率いるアーヴァインなのだが……そのアーヴァインが全力で挑んでも、セトに勝利することは出来なかった。
なお、初めてセトを連れてきた日の放課後にはマティソンが自分のパーティを連れてきてセトと模擬戦をしたのだが、その模擬戦においても生徒達よりは善戦したものの、最終的にはセトの勝利で終わっていた。
これはセトの実力がそれだけ高いということを意味している。
(アーヴァインやイステル、ザイード、セグリットといった面々でも、セトを相手にしては難しいか。冒険者育成校の生徒であるということを考えれば、当然だけど)
教官達が生徒達の救助……というのは少し大袈裟だが、倒れて動けない生徒を起こしたり、少し酷い怪我をしている生徒にはポーションを使ったりしているのを見ながら、レイは考える。
セトとの模擬戦は、生徒達の利益になっているのは間違いないだろう。
だが同時に、少し急すぎたかもしれない。まだ早かったかもしれないと。
「レイ教官……」
考えごとをしているレイに、そう声を掛ける者がいる。
聞き覚えのある声に視線を向けると、そこにはアーヴァインの姿があった。
その表情には悔しそうな色がある。
アーヴァインも自分だけでセトに勝てるとは思っていなかったものの、それでもここまで一方的に負けるというのは予想外だったのだろう。
だが、レイにしてみればその結果は当然のものという認識だったが。
とてもではないが、アーヴァインがセトに戦って勝利するのは勿論、食らいつくところまでいくとも思えなかったのだ。
レイの目から見れば、アーヴァインは生徒達の中では腕が立つが、あくまでも生徒達の中だけの話でしかない。
教官を相手に模擬戦をすれば……相手にもよるが、十回戦って一回か二回勝てるかどうかというところだろう。
もっとも、冒険者育成校で教官をやっているのは、アルカイデやその取り巻きを除けば冒険者として相応の実力がある者達だ。
そのような相手から、十回に一回か二回模擬戦で勝利出来るというのは、それだけでも生徒としては信じられないくらいに強いのだが。
「残念だったな。もっとも、セトを相手に互角に戦うというのは、それこそランクA冒険者とかにならないと難しいと思うが。今の状況ではどうやったってお前がセトに勝つことは出来ない」
「……分かってます」
アーヴァインもそれについては十分に理解している。
してはいるが、それでも……と、そのように思ってしまうのは仕方がないことなのだろう。
「とにかく、セトを相手に負けたとはいえ、正面から戦ったというのはお前にとっても悪くない経験になったのは間違いない筈だ。だからこそ、今はその悔しさを飲み込んで、次の模擬戦の時までしっかりと鍛えておくんだな。……もっとも、次がいつになるのかは分からないが」
その言葉にアーヴァインは、真剣な表情で頷く。
アーヴァインにとって、レイは尊敬し、憧れている相手だ。
レイと会ったことはなく、あくまでも噂や吟遊詩人の歌で憧れていた。
レイがデスサイズという大鎌を使っていると知り、実際に大鎌を使おうとしたことすらあるくらいにはレイのファンだった。
もっとも、大鎌は相手に恐怖や威圧を与える外見を持ってはいるが、かなり癖の強い……端的に言えば使いにくい武器だ。
そのような武器だけに、アーヴァインも結局は使いこなすことが出来ずに諦めたくらいには。
それだけレイを尊敬し、憧れているアーヴァインだ。
レイの従魔のセトとの戦いでも、しっかりとその実力をレイに見せたかったのだ。
とはいえ、結局いいところなしで負けてしまったが。
「また今度セトと模擬戦をやった時は……」
「あー……それだけど、悪いが明日からは暫くダンジョンの方に集中したいと思っている」
「え?」
レイの言葉に、アーヴァインは意表を突かれたような声を出す。
とはいえ、レイがガンダルシアに教官としてやってきたのは、あくまでもダンジョンに挑む為というのが大きい。
最初はレイとの顔合わせや、レイが生徒達の実力を把握したり、あるいは生徒達がレイの実力を把握したりということで、全てのクラスと模擬戦を行っていた。
それが終わると、次はセトを連れて全てのクラスと模擬戦をやり……今日でそれが一通り終わったのだ。
であれば、レイがここ暫く挑めなかったダンジョンの攻略を進めたいと思うのはおかしな話ではない。
そんなレイの説明に、アーヴァインは残念そうにする。
アーヴァインにしてみれば、もっとレイから色々と教えて貰いたい、そしてレイと模擬戦をやりたいと、そう思ってしまうのだ。
普通ならレイの噂だけを知っていた者なら、その噂の内容……それこそデスサイズの一振りで十数人を吹き飛ばすといったものから、筋骨隆々の大男を想像する。
だが、実際にはレイはこの世界の基準で見ると、明らかに小柄な体格だ。
だからこそ、中にはレイの噂はレイが自分で流したもので、本当は強くない。……あるいはその強さはセトの強さによるものだと判断する者もいるのだが。
もっとも、そのような者は勘違いを正すこともないままレイに絡み、最終的には後悔することになる。
地球でも外見に似合わない力を持ってる者もいる。
ましてや、ここは剣と魔法の世界、エルジィンだ。
小柄な外見であっても、常人よりも強い力を持っている者はレイ以外にもいる。
そのような者は決して多くはないのも事実だが。
ともあれ、アーヴァインはレイが小柄であってもレイを見くびるようなことはなく、尊敬している。
そんなレイとの模擬戦や、セトとの模擬戦はアーヴァインにとっても非常に嬉しい時間だった
しかし、そのレイがダンジョンに潜るようになると、当然ながら模擬戦は出来なくなる。
だからこそ、残念に思ったのだろう。
レイもアーヴァインの様子には気が付いている。
それで態度を変えるつもりはレイにはなかったが。
「そう言えば、イステルやザイード、ハルエスとパーティを組んでるって話だったけど、どんな具合だ?」
「え? ああ、最初は少しぎこちなかったけど、今では連携も出来るようになって、悪くない……と思う」
「だろうな。バランスもいいし。敢えて欠点を挙げるとするのなら、盗賊がいないことか。浅い階層ならともかく、深い階層には罠があったり、宝箱とかがあっても鍵が掛かっていたりするらしいからな」
「盗賊か。……そもそも生徒の中に少ないんだよな」
「まぁ、それは仕方がない」
盗賊は危険が多い。
罠や鍵の解除を失敗すれば、それだけで死ぬ可能性もある。
冒険者になったばかりの者であれば、どうしても目立つ前衛の戦士になりたがるのはそうおかしな話ではなかった。
これで魔法使いとしての才能があるのなら、魔法使いになるかもしれないが。
ただ、魔法使いの数は盗賊よりも更に少ない。
冒険者育成校の全てのクラスと模擬戦を行ったレイだったが、その中でも数人くらいしか魔法使いはいなかったくらいだ。
「浅い階層では盗賊は必要ないから、盗賊については後々考えていく予定だ。……ハルエスが盗賊の技術を持っていれば助かったんだが」
「それは無理だろう」
即座にそう言うレイ。
何しろ、レイはハルエスから色々と事情を聞いている。
元々は純粋なポーターとしてやっていきたかったハルエスだったが、その為に浅い階層では役に立たないと判断され、パーティに入れて貰えなかった。
そこでレイがアドバイスをして弓を使ってみた結果、かなりの才能を持つことが判明したのだ。
ここで更に盗賊の技能もというのは……恐らくハルエスは頷かない。
また、ハルエスが頷いたとしても、盗賊の技能というのはそう簡単に習得出来るものではない。
アーヴァインのパーティには現在遠距離攻撃出来るのがハルエスしかいない以上、盗賊の技術を習得するよりも弓の技術を伸ばした方がいいのは明らかだった。
「盗賊は才能を持ってる奴を育てるか、あるいはそういうのが必要な階層まで到着したら臨時で加えるか。……いっそ、アーヴァインが盗賊の技能を習得したらどうだ?」
そう言うレイに、アーヴァインは微妙な表情を浮かべる。
レイのファンであるアーヴァインが、レイの言葉でこのような態度をするのは珍しい。
それだけに、レイの提案をアーヴァインが受け入れる様子がないのは明らかだった。
「いや、俺には合わないと思う。そっちの技術を習得するのなら、自分が強くなるように鍛えていた方がいい」
「そうか」
アーヴァインが盗賊の技術の習得を拒否しても、レイはそれについては別にどうも思わない。
レイはあくまでも教官であって、アーヴァインの師匠でも何でもない。
ハルエスの時と同じようにアドバイスはするが、相手がそれを拒否したのなら、それ以上強引に言うようなことはしない。
教官という立場では、それくらいが丁度いいと思っていた。
あるいはこれが、レイがアーヴァインを小さい頃から知っているとか、アーヴァインの両親とレイが親しいといったバックボーンでもあれば、また話は別だったが。
しかし、レイとアーヴァインの間にそのようなものはない。
アーヴァインがレイのファンだというのはあるが、言ってみればそれだけなのだから。
「何度も言うようだが、浅い階層で盗賊は必要ないしな。それで問題がないと思うのなら、それで構わないだろう」
レイのその言葉に、アーヴァインも頷く。
完全に納得したのか、それとも取りあえずレイの言葉だから納得したように見せていただけなのか。
その辺はレイも分からなかったが、ちょうどそのタイミングでニラシスが戻ってくる。
「レイ、生徒達の救護は全員終わった。……さすがに一組の生徒だな。ポーションを使った数は一番少なかったぞ」
「そうか。……まぁ、アーヴァインはセトと戦ったのにポーションとか必要なかったしな」
レイの言葉にアーヴァインは微妙な表情を浮かべる。
自分が褒められているのか、あるいはからかわれているのか。それが分からなかった為だ。
とはいえ、レイにしてみれば、これは褒めたつもりだ。
実際に今の状況を考えると、かなりの成果なのは間違いないのだから。
「なら、模擬戦についての駄目出しをするか」
善戦したとはいえ、それでもやはりニラシスから……いや、他の教官達から見ても、駄目出しをするべき事は色々とあったのだろう。
レイの目から見てもそのような場所はあったので、その言葉にはレイも素直に納得していたが。
「分かった。アーヴァインも他の生徒達の場所に戻れ。お前がいれば、他の生徒達も多少は落ち着くだろうし」
アーヴァインは一組の生徒達を率いる存在だ。
それだけに、この状況で……セトとの模擬戦で一方的に負けた今、アーヴァインがいれば落ち込んでいる者、あるいは動揺している者も落ち着くだろう。
もっとも、実際にはそこまでショックを受けている生徒はそう多くはない。
セトとの模擬戦で一方的にやられた……それこそ蹂躙と呼ぶに相応しい結果だったのは間違いないが、それは別に今回が初めてではない。
レイとの模擬戦で既に経験していたというのが大きい。
初めてレイとの模擬戦をした時に受けた衝撃は大きかった。
その為、本来ならアーヴァインがわざわざそこまで行く必要はない。
ないのだが、それでも今はやはりそうした方がいいのは間違いなかった。
「じゃあ、俺はあっちに行くから」
ニラシスの言葉に完全に納得した訳ではない様子だったが、アーヴァインは他の生徒達がいる場所に戻る。
それを見送り、レイはニラシスと話す。
「それで、ニラシスから見てどんな感じだった?」
「何がだ?」
「セトとの模擬戦だよ。俺はそこまで悪くなかったとは思うけどな」
「……まぁ、それは否定しない。だが注意すべきところが多いのも事実だな」
「少しは手加減してやった方がよくないか?」
「いや、一組の生徒だからこそ、しっかりと悪かったところを指摘する必要がある。一組の生徒の中には、妙な自尊心を持ってる奴もいるしな」
「あー……それは、まぁ……」
ニラシスが言ってる話はレイも知っていた。
一組というのは、この冒険者育成校において最高のクラスだ。
そのクラスに所属しているのは、この冒険者育成校においてトップクラスの実力を持つということを意味している。
しかし、それはあくまでもこの冒険者育成校の中……未熟な冒険者や、冒険者になったばかりの者達の話だ。
そういう意味では、一組の生徒だからといって特権意識を持つのはどうかとレイには思えるのだった。