3696話
「グルルルルゥ!」
模擬戦が開始され、まず最初に動いたのはセトだった。
大きく鳴き声を上げつつ開くクチバシから、クリスタルブレスが放たれる。
(なるほど、考えたな)
生徒側の中でも真っ先にセトに攻撃しようとした数人、それと後ろにいた数人がクリスタルブレスによってその身体が水晶に覆われる。
セトのクリスタルブレスはレベル三とまだレベルが低いので、相手を水晶に閉じ込めて殺すとまではいかない。
だが、それでも一定時間……もしくは外側から誰かが水晶を壊すまで、その水晶の中に閉じ込めておくことが出来る。
この時点で水晶に閉じ込められた者達は模擬戦からのリタイアと他の者達は認識する。
実際には、水晶を壊せばまだ普通に戦えるのだが、それはクリスタルブレスについて詳しいレイだからこそ、そう思えるのだ。
何も知らない者達にしてみれば、セトによって水晶に閉じ込められてしまったと、そう思ってしまうだろう。
実際、教官の中でも何人かがレイに視線を向けている。
本当にこのままにして大丈夫なのかと、そう聞きたいのだろう。
こちらもまた生徒達同様にセトのクリスタルブレスについて何も知らないからこその反応。
だが、レイが特に焦っている様子ではないのを確認すると、それ以上は何もしない。
レイが平然としている以上、大丈夫だと思ったのだろう。
それはアルカイデやその取り巻き達も同様だった。
レイのことを決して好んでいないアルカイデ達だが、それでもレイの実力については認めるしかない。
それだけの説得力を、深紅の異名やランクA冒険者という肩書きは持っていた。
「くそっ! 分散して当たれ! あのブレスに触れると、水晶に閉じ込められる!」
「ちょっと、何でこんなスキルを使えるのよ! セグリットと戦った時は、こんなスキルなんか使ってなかったじゃない!」
「相手が一人と複数の時の違いだろ! 取りあえずブレスは回避! 回避だ! 回避しながら予定通り囲め! 逃げられる場所を与えるな!」
指示の声が叫ばれるが……
(状況認識能力が甘い)
指示を出している相手に、レイは内心で駄目出しをする。
何故なら、今までのレイや他の教官達とセトとのやり取りで、セトが言葉を喋ることは出来ずとも、理解は出来るというのは分かっていた筈なのだから。
それが忘れているのか、それとも単純に気が付いていないのか。
その辺はレイにも分からなかったが、それでもいきなりのクリスタルブレスによる影響なのは間違いなかった。
(それに……)
指示をセトに理解出来るようにしているのもそうだが、その指示も周囲を囲めというものだ。
それは普通の……空を飛べないモンスターであれば、そう間違ってはいないだろう。
だが、セトはグリフォンで翼があり、空を飛ぶのだ。
そんなセトを相手に周辺を囲もうとしてるのだから、狙いは浅い。
「グルルルルルゥ!」
翼を羽ばたかせ、セトは空に舞い上がる。
同時にバブルブレスを放ち、複数の泡がセトから放たれる。
クリスタルブレスの件があったからだろう。
セトの周囲を囲もうとしていた者達は反射的に放たれた泡を回避しようとするものの、全員がそのような動きを出来た訳ではない。
跳躍するのが間に合わず、泡に触れた生徒達はその瞬間に泡が破裂し、その泡が強力な粘着力を持つ液体に変わり、生徒達を地面に縫い付ける。
「なぁっ! くそっ、動けない!」
「いやんっ、ちょっと髪が……」
泡によって地面に縫い付けられた者達の口からそんな悲鳴が上がる。
空に舞い上がったセトは、そのまま翼を羽ばたかせてある程度の距離を飛ぶと、再び着地する。
本来のセトなら、それこそ空を飛び続けながらスキルを使って地上に向かって攻撃するだろう。
だが、セトもこれが模擬戦だというのは分かっている。
だからこそ上空から一方的に攻撃をするのではなく、着地したのだろう。
このまま空を飛びつつ攻撃をしたら、それこそ地上にいる生徒達にはどうしようもないのだから。
一応弓を持っている者もいるが、セトの能力を考えると、とてもではないが命中させることは出来ないだろう。
あるいはスキルを使って迎撃をするか。
「よし、降りた! 行くぞ! 俺に続け!」
「ちょっ、おい、セグリット!?」
セトが着地したのを見たセグリットが、模擬戦用の長剣を手に走り出す。
セグリットの姿を見て、四組の生徒の指揮を執っていた生徒が叫ぶも、既に事態は動いている。
セグリットの言葉に従う……という訳ではないが、今のままでは一方的にセトにやられているだけである以上、ここはセグリットの勢いに乗って攻撃するというのは悪い話ではなかった。
ましてや、セグリットは四組の中でも間違いなく腕利きだ。
最初にセグリットだけでやった模擬戦では、セトに手も足も出なかった。
だが、セグリットだけではなく他の者達も一緒なら。
そう思っての行動なのだろう。
(いや、そうでもないか?)
離れた場所でセグリットの様子を見ていたレイは、セグリットが仲間を引き連れてはいるものの、その動きに目を配っていないことに気が付き、セグリットの評価を少し下げる。
だが……
「は?」
視線の先で起きた事態に、レイの口からそんな声が漏れる。
セトがセグリットと一緒に行動している相手に向かって体当たりしようとしたところで、それを見たセグリットが大分離れていた相手を、後ろを見もせずに庇ったのだ。
レイが知っているセグリットの能力では、とてもではないが無理な行動の筈だった。
しかし、セグリットはそれをやってみせた。
具体的には、セトの動きを見た瞬間に動き、何故か一瞬だけ高い身体能力を発揮し、本来ならとてもではないが届かない場所にいた相手に半ば体当たりのようなことをして吹き飛ばし、セトの体当たりを回避したのだ。
……セトの体当たりの代わりに、セグリットの体当たりを受けた形になったが、セグリットもその辺については十分に理解していたのか、吹き飛ばされた男はすぐに立ち上がる。
とはいえ、自分が何故いきなり見当違いの方向から吹き飛ばされたのかが分からず、混乱していたが。
そうして味方を吹き飛ばしたセグリットだが、それによって動きが止まる。
そうなると、当然ながらそこにセトがやってくる訳で……
セトの体当たりによって吹き飛ばされる。
その光景を見ていた者達は、レイ以外の他の教官達もまた、そう思う。
しかし、再度そんなレイ達の予想は覆される。
一瞬……本当に一瞬だけだったが、先程味方に体当たりした時と同じように、あるいはそれ以上の速度を出し、その場から離れたのだ。
しかし、それだけの速度を出してもセトを完全に回避することは出来ず……どん、と。そんな音を立て、セグリットは吹き飛ばされる。
ただし、少しだけでも動いたことによってまともに一撃を受けることがなかったのは幸運だったのだろう。
正面からぶつかられるよりは、衝撃が少なく、上手い具合に衝撃を逃すことも出来た。
出来たのだが、それでも全力ではないとはいえ、体長四m近いセトの体当たりだ。
どれだけ衝撃を受け流しても、その一撃に耐えるといったことは出来ずにセグリットも吹き飛ぶ。
しかし、そのセグリットは防具を装備しているにも関わらず、空中で身体を捻って体勢を整え、足から地面に着地する。
「凄いな」
セグリットの様子を見ていたレイの耳に、そんな声が聞こえてくる。
声の聞こえた方に視線を向けると、そこでは教官の一人が驚きの様子でセグリットの方を見ている。
声には出さないが、レイもセグリットが凄いという意見には賛成だった。
レイがセグリットと戦えば、間違いないくレイが勝つだろう。
それは間違いないものの、それでもセグリットの一連の動きは凄いと評するのに相応しいものだった。
とてもではないが、冒険者育成校の生徒の動きには思えない。
それこそ教官の中にも一瞬だけとはいえ、あれだけの動きが出来ない者は多い。
セグリットが見せた動きは、それだけの動きだったのだ。
(かろうじてついていけるとすれば、アーヴァイン、イステル、ザイードの上位三組のトップくらいか?)
そんな風に思っている間にも、模擬戦は続く。
幸か不幸か、四組の生徒の多くは今のセグリットの動きには気が付いていなかった。
その為、特に驚くようなこともなくセトに向かって突っ込んでいく。
……あるいは離れた場所に降り立ったセトに向かって必死になって走っていたので、セグリットの存在にも気が付かなかったのかもしれないが。
「グルルルルゥ!」
セグリット達から一旦離れたセトは、自分に向かって突っ込んできた敵に向かって風の矢を放つ。
その数、五十本。
ウィンドアローによって生み出された風の矢は、元々の威力がそこまで高くないということもあって模擬戦向けではある。
それでも普通の威力のままで放てば首筋を斬り裂かれたり、眼球を斬り裂かれたりと致命傷になりかねないので、威力は更に落としているが。
だが、威力を落としたとはいえ、命中すれば痛みはある。
ましてや、放たれた風の矢の特徴としてその名の通り風で出来ていることもあり、非常に見えにくいというのもある。
結果として、セトに向かっていた多くの生徒達は威力は低いものの、見えにくく、それでいて素早い風の矢五十本の一斉掃射を浴びることになる。
「うぎゃ」
「きゃあっ!」
「ぎゃっ!」
「ぴぎゃあっ!」
「ひぃんっ!」
特に悲惨だったのは、四組の生徒達のうち先頭にいた者達だろう。
放たれた風の矢のうちの多くを、後ろにいる者達の盾代わりとなって受けることになったのだから。
それでもセトが手加減をしていたので、ウィンドアローの威力そのものは弱まっており、あまり鍛えていない一般人が思いきり殴るのに匹敵するかどうかといった程度の威力だった。
……とはいえ、そのくらいの威力であっても見えない一撃となると、どうしても威力は強く感じる。
そのくらいの攻撃が来ると理解していれば、防御をしたり、我慢したりといったことも出来る。
しかし、素早く風で出来た一撃はそれを視認することが出来ず、半ば不意打ちのような一撃となるのだ。
結果として、四組の生徒のうち先頭を走っていた者の半数近くは風の矢の衝撃によってその場に転ぶ。
「くそっ! 注意しろ! 敵は見えない攻撃をしてくる! 何かあっても対処出来るようにしろ!」
どうやって?
その指示を聞いた者の多くはそう思ったが、それは指示を出した者にも答えられない。
それを口にした本人が、実際にどうすればいいのかが分からなかったのだから。
それでも混乱している状況で何も指示を出さないよりは、そこまで意味がないものであっても指示を出すというのは重要だった。
指示さえあれば、まだ戦えると思っている者もいるのだから。
実際、その指示が無茶苦茶であるのは間違いないものの、それでも生徒の多くは足を止めずにセトに向かう。
そんな相手に向かい、セトは再び口を開く。
「グルルルルルゥ!」
次に放たれたのは、サンダーブレス。
本来ならレベル五に達したサンダーブレスの威力は、貴族の屋敷ですら破壊する威力を持つ。
しかしこれが模擬戦である以上、当然ながらセトはここでも威力を押さえて放つ。
また、サンダーブレスは集束と拡散という二種類の使い方があるのだが、今回セトが放ったのは拡散のサンダーブレス。
扇状に放たれたその一撃は、命中した者達を痺れさせ、動けなくするには十分すぎる威力を持っていた。
「そこまで!」
サンダーブレスの威力と効果範囲は圧倒的で、走っていた者達は勿論、後方から弓で援護をしていた者達をも痺れさせ、動けなくする。
それを見て、四組が戦闘不能になったと判断したレイは模擬戦の終了を宣言したのだ。
多くの生徒達は動けずにいるので、レイの言葉に不満を口には出来ない。
……あるいは動けるようになっていても、そこで不満を口にしたのかどうかは分からないが。
セトという存在は、それだけ大きな存在だと生徒達には判断されたのだろう。
「負けた……」
そんな中、唯一負けん気も露わにしているのがセグリット。
セトの体当たりによって吹き飛ばされはしたものの、十分に手加減をされてはいる。
それだけに、吹き飛ばされて痛みはあるものの、何とか立ち上がることは出来た。
そんなセグリットは、ショックを受けた様子を見せている。
自分が負けたのが信じられないのだろう。
あるいは、これまでは明確に負けるといったことがなかったのかもしれない。
(あ、いや。でも俺と模擬戦をやって負けてはいるんだから、別に負けるのが初めてって訳でもないんだろうけど)
そんな風に疑問に思いつつも、セトとの模擬戦が無事に終わったことにレイは大きく安堵するのだった。